Please82「かけがえのない宝物」
アクバール様と盛大な結婚式を終えてから五ヵ月後、私にとって一大イベントがやってきた。それは……。
――「出産」だ。
お腹の御子達は順調にすくすくと育ち、あっという間に出産の日を迎えた。結婚式後は目まぐるしい公務や日常行事にプラス出産に向けてのトレーニングが入った。殆どの国が出産はラマーズ式だが、我が国はソフロロジー式をとっている。
リラックスした状態になれるよう気持ちをコントロールするイメージトレーニング、意識を集中させ心と体のバランスをとるエクササイズ、そして陣痛がきても無駄な力を入れさせない為の呼吸法、この三つを基本とする出産方法だ。
私はこのトレーニングを出産の日まで念入りに行っていた。とうとう今日出産の日を迎え、トレーニングの成果はというと……痛いものは痛い! 緊張や不安、動揺といったものが痛みを促していた。
私は分娩の間の寝台で仰向けとなって出産態勢に入っていた。室内はリラックス効果を上げる為に森をイメージさせるグリーン色に彩ったり、お日様のような暖かな香りを漂わせている。また馴れしたんだ人達についてもらっていた。
人を呼んだのも少しでも不安を取り除く方法である。私は女官のサルモーネとオルトラーナ、そしてラシャさんに付き添いをお願いした。周りのリラックス効果は抜群なのに当の私が落ち着いていられない。
かれこれ陣痛が起きて数時間経っているのに、まだ御子達が出てくる気配がないのだ。初出産だからスムーズというわけにもいかないのだろうが、これは本当に精神的勝負だ。何処まで保てるか自信がない。
「大丈夫ですか、レネット王妃」
ラシャさんがペタペタと汗を布で拭き取ってくれる。私は弱々しくも微かな笑みを浮かべる。
――それにしても、やっぱり同じに見える……。
目の前に並んでいる助産師のシュネーさんとラシャさん。二人は双子だ! 分娩の間に連れて来られた時、白衣を着たラシャさんが現れて驚いた。
「ラシャさんが……どうして?」
ただでさえ私は痛みで意識が困惑しているのに、彼女の登場で輪をかけて混乱する。
「王妃、私はこちらです!」
白衣を着たラシャさんの隣にもう一人ラシャさんが現れた。
「うぅ、幻覚が……。ラシャさんが二人いるように見える」
私は痛みのあまり頭がおかしくなってしまったみたいだ。
「王妃、私がラシャで隣の助産師は妹のシュネーです!」
――え?
思わず彼女達を凝視する。
「私と彼女は双子なんです! そしてシュネーが王妃のご出産の手伝いをする助産師です」
「えぇええ――――!?」
ラシャさんが双子である事にビックリだが、妹さんが助産師で私の出産のお手伝いをするなんて、驚きのあまりどうリアクションして良いのか!
「ご安心下さい。姉とは違い私は完璧主義者なので無事に四人の御子を誕生させてみせます」
シュネーさんはキラリと眼鏡を光らせて誇らしげに言う。
「え? どういう意味?」
ラシャさんがキョトンと首を傾げる。シュネーさんは私がラシャさんの妹という自分に不安を覚えて叫び声を上げたと思ったのだろう。消してそういう意味ではないのだけれど……。
それとシュネーさんの言う通り、彼女はこれまでにどんな難産と言われた出産にも母子共に無事出産を終える相当な腕をもった名師のようだ。ラシャさんはホワンとしているが、シュネーさんは凛として双子なのに雰囲気は正反対のようだ。
「レネット王妃、いきまずに呼吸法をなさって下さいませ」
「む、無理です!」
シュネーさんの言葉に私は即行拒否る。ソフロロジー式の呼吸法はただゆっくり吐くだけの腹式呼吸だが、それですら痛みによって出来ない。せっかくのトレーニングも水の泡だ。全身が燃えるように熱く汗で滲む。
「普段のトレーニングを思い出して下さいませ」
「し、思考が焼き切れています!」
シュネーさんの顔が露骨に険しくなる。
「仕方ありませんね。クレーブス様、緩和魔法をお願いします」
黙って見守っていたクレーブスさんが私の前へと出てきた。やっと魔法が許されたのかと安心する。出産で痛みを和らげる魔法が使われるのは特例である。私の場合、元が丈夫ではない上に初産から四つ子という異例だからだ。
「大丈夫か、レネット」
「アクバール様?」
ここに居る筈のない彼が現れて私は瞠目する。
――クレーブスさんは緩和魔法ではなくて幻影魔法をかけたの?
そう訝しんだのだが、アクバール様からギュッと手を握られると確かな温もりを感じ、不思議な事に陣痛の痛みがスーッと引いていく。
「アクバール様、本物ですか?」
「当たり前だろ」
「公務の方は?」
「何を言っている? それよりも出産を見守る方が大事だろう」
自分の方を優先してくれた嬉しさにウルッと涙が込み上げる。予定よりも一週間ほど早い出産だ。本来アクバール様は公務で王宮を離れている筈だった。
「わ、私頑張りますから」
「あぁ、オマエなら大丈夫だ」
私はアクバール様の手を強く握り見つめ合う。
「何気に私の出番を消されてますよね? アクバール様をここにお呼び立てしたのも私なのに」
「すっかり二人だけの世界よね」
この時の私はクレーブスさんとオルトーナのぼやきの声も聞こえていなかった。
「はいはい」
パンパンとシュネーさんが手を叩く。
「レネット王妃。陛下ではなく私の言う事に集中して下さい。いきむと御子達に酸素が回りません。加えて早く一人目をお出ししないと、残る三人の御子がさらに苦しみますよ」
「!」
自分の痛みの事ばかり気にして御子達の様子を気に掛けていなかった。母親失格だ。
「では呼吸法を初めましょう。既に陣痛は中期に入っています」
初期の段階では気持ちを落ち着ける為の「完全呼吸法」を取るが、私はそれをふっ飛ばして中期に入っていた。中期に入ってもリラックスする態勢が大事。私はモソッと上体を起こして楽な姿勢を取る。
アクバール様に手は握ってもらったまま、御子達に酸素を送り込むようスーッと息を吸って、フーッとゆっくり吐く息を吹きかける呼吸法を取る。少し痛みが引いたらお腹や胸を膨らませる完全呼吸法に戻す。
「子宮口は開いてきたか」「陣痛の感覚は狭まってきたか」など、少しずつ出産に向けて順応な考えを取り込んで態勢を整えていく。痛い時は痛いけれど、徐々に呼吸法のリズムがつかめてきた。
「良い感じに落ち着いてリズムが取れてきましたね。そのままリズムを崩さずに続けて下さいませ」
少しずつ御子達が下へ下へとおりてくるのを感じる。それと同時に陣痛の痛みが増す。
「うっ……ああ!」
とても緩和魔法がかかっているとは思えないほど痛い!
「レネット王妃、頭を少し上げて息を吐き切って下さい。決して目は閉じず腹部に視点を集中させ、腹圧をかけていきます」
冷静な声のシュネーさんの声が今はとても憎らしく思える。出来るものならとっくに言う通りにしている。
「レネット大丈夫か! おい、クレーブスどうなっている!」
あまりにも苦しむ私の姿にアクバール様がお声を荒げて問う。
「あ、お一人目の頭が出てきましたよ。髪の毛がプラチナ色ですね。陛下に似た御子かもしれません」
「!」
私は一人目が出てきた喜びに加え、アクバール様似かもしれないというシュネーさんの言葉を聞いて遠のく意識を手繰り寄せる。
「陛下のミニチュア版はさぞお可愛いでしょうねー」
ポンとアクバール様似の赤ちゃんを想像する。そして絵が上手なラシャさんがよくアクバール様似の赤ちゃんを描いてくれて可愛いと喜んでいだ事を思い出す。顔がヘニャリと緩む。
「レネット王妃、息を吐き切って下さい。次に鼻からゆっくりと大きく息を吸って次の陣痛に備えて下さいませ」
御子達も頑張って出てこようとしている。もう少しで逢えると思ったら自然とシュネーさんの言う通りに呼吸法を繰り返していた。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「頑張れレネット」
アクバール様がギュッと力いっぱい手を握って応援してくれる。
「王妃、頑張って下さい!」
ラシャさんも何度も励ましてくれる。そうやって周りから懸命に見守られながら、私は必死で娩出に励んだ。吐き出す息がとんでもない唸り声に変わる。滾る汗に全身が燃えるようで溶けそうだ!
――もう駄目! 死んじゃうっ!
痛みの大波に打たれて諦念に負けそうになった時だ。
――あきらめちゃだめ!
何処からともなく子供の叱咤する声が聞こえた。目が醒めたように意識が明瞭となり、ふーっと盛大に息を吸い込むと、何かが閃くように弾けた。
「頑張られましたね、お一人目が誕生です!」
「オギャァアア――!!」
空気を裂くような鳴き声が響く。何とも威勢の良い元気な泣き声だった。
「お一人目は男子です」
「よくやったレネットッ!」
わしゃわしゃとアクバール様が私の頭を撫でる。男の子が産まれれば、その子は時期国王となる。世継ぎを設ける事はとても大事な役割であった。それが一人目で満たしホッとする。ちなみに性別は生まれて来るまで秘密されていた。
それからシュネーさんは御子の皮膚から二センチぐらいのところをクリップで留め、その外側をパチンと切った後、近くにいた助手に御子を手渡す。助手は清潔な湯でチャプチャプと御子の躯を洗い始める。
「ふあっ!」
私は喜ぶのも束の間、再び陣痛の波が押し寄せる。
「次お二人目に行きますよ」
またさっきの痛みがあと三度も続くのかと思うと心が挫けそうになる。
「オギャァアア――」
一人目の御子がまた盛大な泣き声を上げ、意識がそちらに奪われる。あの泣き声は泣く事で大きく酸素を肺に送り込んでいるのに、何故か私には「母上頑張って下さい!」と、懸命に訴えているように見えた。
――あの子の血の繋がった兄弟を産まないと!
私は気合を入れ直して集中する。痛さは相変わらず半端ない。身が張り裂けそうで意識がいつでも飛んでしまいそう。
――でも負けちゃ駄目! 残る三人に出逢わなきゃ!
呼吸法を整え、頭の中で御子達と出逢える喜びをしっかりと描き出す。そこからはもう何が何だか碌に憶えていない。ひたすら御子達に逢いたい逢いたいと、何度も願って娩出する事に励んだ。
――がんばってがんばって!
――ボクたちもがんばるから!
挫けそうになった時、何度も応援の声が聞こえた。複数の幼い子供の声だった。空耳かもしれないけれど、その声に私は力を貰っているように感じた。
――そして……。
「レネット王妃、最後の御子が出ました! 四人目は女の子です」
「オギャァアア――」
最後の御子の泣き声を聞いて、安堵感と憔悴し切って躯が溶けてしまいそうになったが……無理に意識が手繰り寄せられた。
――な、何? 何か妙な感覚が起こった!
「最後までよく頑張ったな。感謝するぞレネット」
アクバール様に軽く頬にキスを落とされた。私は頭の中がグルグル回って状況が整理出来ない。最後の御子まで綺麗に洗われ、清潔な布に包まれる。無事に四人の御子が並んだ。
御子達は上から男→男→女→女と、二:二で生まれた。抱っこされた御子一人一人を見たが、目が蕩け落ちてしまいそうなほど、どの子も愛らしさ満点! さっきまで凄い泣き声の大合唱だったけれど、今は泣き疲れた御子達はスヤスヤと眠っている。
「産み終えたら意識が無くなるかと思いましたが、こうやって御子達を目にする事が出来て幸せです」
私は自分の体力を賛美しながら笑みを広げた。
「それは出産直後に回復魔法をかけました」
クレーブスさんがヒョッコリと前に現れて告げてきた。
「有難うございます。……そういえば緩和魔法がかかっていたのにも関わらず、命懸けの出産でしたよ?」
筆舌に尽くし難い痛みで壮絶だった。
「それは当たり前ですよ。陣痛が起きている間、緩和魔法は使っておりませんから」
ケロッと答えたクレーブスさんだけど、私は信じられないと難色を示す。
「え? 万が一の事があったらどうされていたんですか!」
「自然に産み落とされるのが理想ですから。御子に魔力の影響で万が一何かあったら大変です。ですのでギリギリまで様子を窺っておりました」
私には「結果何事もなかったし問題ありませんよね?」って意味に聞こえる。
「レネット、オマエが命を懸けて生んでくれたおかげで、またシュヴァインフル国に明るい未来が切り開けた。感謝し切れないな」
アクバール様の優しい声掛けでクレーブスさんから気が逸れた。
「はい、死ぬ気で頑張りました」
あの幼い子供達の声は御子達ではないだろうか。彼等の声がきちんと伝わってきて、私は無事に出産を終える事が出来た。
「アクバール様、これから御子達と一緒に明るい未来を築いていきましょうね」
かけがえのない大切な四つの宝物がまた輝かしい未来へと繋がる事を祈って…