Please2「貴方は本当に私の旦那様ですか?」




 アクバール様の年は五十四歳、そして私が三十四歳と、ちょうど年の差が二十歳とあったけれど、若い年の男女が距離を縮めるのに、そう時間はかからなかった。

 彼は申し分がないほど素敵で、私は一目見た時から恋心が芽生えていたし、彼もこの森の生活で女性を間近にして接する機会がなく、私の存在は新鮮で特別に思っていてくれていたようだ。

 会う度にお互いが惹かれ合っていくのが手に取るように分かり、これこそ運命の出会いだと言い切れた。ただ彼には普通の人と大きな違いがあった。それは……彼は「声を出す事」が出来ない。

「アクバール様、こちらの本はどちらの棚でしょうか?」

 とある午後の昼下がり、仕事がお休みのアクバール様と一緒に、書物が並ぶ部屋の片づけと整理をおこなっていた。本だけで一部屋を使い切る程の量に目が眩みそうになるが、アクバール様にとっては大事な本ばかりであり、忠実な使用人にすら片づけを任せられないとの事。

 書棚の前で分厚いグリーンのハードカバーを手にしている私は別の作業をしていたアクバール様に声をかけた。彼は作業を止め、私の前まで来ると、サッと私の手の中の本を手に取って、元の書棚の位置へと戻してくれた。

 そして残りのいくつかの本も手際良くしまわれて、私にもそこあそこと指で的確に指示をする。本当に要領の良い方だから、私が思っている時間よりも、早く事が終えられそうだ。今のやり取りでお分かりだろうか。アクバール様は他人の言葉を理解されている。

 耳に障害はなく、声を失っているだけなのだ。これは天性のものではない。では何故か? それはなんと悪い魔法使いから呪いをかけられたというのだ。何故このような悪い魔法をかけられたのか、その原因はわからないそうだ。

 突然、魔法使いは彼の前に現れ、黒魔術をかけた後、怒涛の如く忽然と姿を消したそうだ。あまりの一瞬の出来事で、呆然としている間に既に呪いは起きていた。それがどれだけ恐ろしく嘆く事であっただろうか。

 私はこの豪邸やしきと彼の外面からして、由緒ある家柄の方だと分かっていた。実際に彼は公爵様の地位を持っている。そんな彼がひっそりとこの森に身を潜めているのは声が発せられなくなってから、貴族社会では厳しい生活を虐げられるようになり、都会から疎遠となった。

 こんな素敵な方が表から姿を消えてしまうのは惜しいという気持ちはあったが、そのおかげで私達は巡り逢う事が会えた。それを私達は不幸中の幸いだと前向きに考えている。意思伝達は身振り手振りで察するが、どうしても理解の出来ない時には文字を書いて気持ちを表していた。

 一見、私達の生活は不便そうに思われがちだが、周りが思うほど私達には苦でなかった。この豪邸にも一通りの使用人がいる。その人達はアクバール様の事をよく分かっているので、大体彼の目配りぐらいで事が済んだりもしていた。

 声を気にしなければ、彼の家柄や人柄は私にとってすべて問題がなかった。だから私は彼を選んだ。私の家族も最初は彼の声を気にして、結婚を認めなかったが、様子を窺って行く内に彼の誠実さを知っていくと、私達の仲を認め、ようやく私達は身も心も結ばれたのだ……。

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

 室内に眩い明かりが舞い戻る。私もアクバール様も寝台の上で共に裸身であったが、私は羞恥心を感じるよりも、サーと血の気が引いて蒼白となっていた。

「あの……アクバール様……です……よ……ね?」

 私は恐々と弦が震えるような声で問う。今、目の前にいる男性は常に温和しく光りを湛える貴公子の姿ではない。まさかとは思うが、私と繋がった事によって彼に何かが起きてしまったのだろうか。私は冷や汗と共に、心臓が痛いくらいに脈を打っていた。

「どうした、顔を強張らせて? オレはオレだ。アクバールだ」

 いいえ、違います! 私の知っているアクバール様ではないわ! 私の旦那様はいつも柔和な雰囲気で穏やかに微笑む包容力の豊かな人だもの! 今の彼はそんな様子は微塵も感じさせない。でもまさかこれが本当の彼の姿だと言うの?

「何か物言いたげだな?」

 アクバール様は私の心を悟るように口角を上げて笑みを作る。それを目にした私はカッと何かが弾けた。

「お声が出るようになってから、今までのアクバール様と随分と雰囲気が異なる気がして……」

 自分でも不満が表情に出ているのが分かる。今の彼は柔和どころか野生的で殺伐とした感じがする。虎視眈々こしたんたんとした様子に危険なシグナルさえ感じる。これは明らかに私が愛した旦那様ではない。だから私は素直に胸の内の気持ちを吐露した。

「オレは初めから何も変わっていない。一体どんなイメージをもってオレを見ていたんだ?」

 彼は私の言葉に少しの揺るぎも見せない。返って冷静に問われてしまう。

「それは……。常に温かく微笑みながら、私を優しく包み込んで下さる方だと」

 出会った時から今までずっとそうだと思っていた。そんな彼だから一生涯を共にと誓ったのだ。それなのに私の思いとは裏腹に……。

「そうか。随分と面白いイメージを抱かれていたものだな」

 アクバール様からフッと鼻で笑われる。さっきから私の反応を面白おかしく感じ取って物を言う彼に、とうとう私は爆発した!

「今の貴方は私が愛したアクバール様ではありませんっ」

 何が悲しくて躯を重ねた直後に、こんな言葉を吐かなければならないのか。こんな方だと分かっていれば、初めから結婚などしなかった。私は彼に対する愛情が冷めていくように感じ、さらに目一杯に涙が溢れ頬にまで伝っていた。

「勝手なイメージをもっておいて、その言葉はないな。まぁ、呪いを解いた礼もある。今の言葉は忘れてやろう」

 アクバール様から「呪い」という言葉を耳にし、私の頭の中に閃光が迸る。

―――呪い。そうだ、だからか!

「呪いを解く為に私を騙していたのですか! 私から愛をもらう為に完璧な旦那様を演じて! 愛して下さっていた事も全部嘘だったのですか!」

 そうだ、私は騙されていたのだ。呪いを解く為の駒に過ぎなかったのだ。私はかつて彼に見せた事のない姿で取り乱し、大声をぶつける。そんな泣き叫ぶ私の姿を見せても、少しも動揺せず、平然としているアクバール様がとても恨めしく思えた。

「馬鹿を言うな。呪いを解く方法は相思相愛で、身も心も結ばれなければならない。オレはオマエを愛している」
「え?」

 愛しているという言葉に一瞬、怒気を忘れる。そこに不意を突かれ、気が付けば私はアクバール様の腕の中にいた。

 ――ドクンドクンドクンッ。

 息が止まるほどギュッと抱き締められ、鼓動が早鐘を打ち始める。

 ――そうだ、今はお互いに素肌だったんだ。

 温もりが変に息吹きを感じさせ、顔に恥じらいの色が溢れる。それに輪をかけて、アクバール様は私の耳元で微かな吐息と共に甘く囁く。

「愛している、レネット」

 躯の芯から蕩かされるような痺れが流れる。

「この雪のように真っ白で透き通る肌、陽射しの光さえ弾く美しいブロンドの髪、どの宝石よりも輝かしいエメラルドの瞳、耳をくすぐる愛らしい声、芯が強く常に気丈に振る舞う姿、すべてが愛おしい。オレのレネット」

 私を求めるように、何度も何度も「愛している」の言葉を重ねられる。それと同時に、私の耳に彼の唇が落ちる。輪郭をなぞるように舌を滑らせたり、窪んでいる溝を責めたり、また耳たぶを甘噛みしてみたり。何処が一番感じるのか、探るように舌が回っていた。

「ふ……ぁっん」

 穴に舌先が入り、独特な音によって犯される。私が過敏に反応を示したものだから、そこを重点的に責められる。言葉責めと愛撫を繰り返され、その度に胸の奥へと彼の想いが浸透していくようだった。呪いを解く為の偽りかもしれないという訝しささえも消し去るような情熱をぶつけてこられ、私の気持ちが絆されていく。

「んっ……あぁん……」

 躯中が熱く火照り、快楽に酔う声が零れる。鼓動が余り高まって呼吸の仕方さえ忘れてしまいそうだった。いつの間にか、アクバール様に対する嫌悪感が嘘のように消えていて、再び蕩けるような熱が戻って来てしまう。私は戸惑い、身動みじろぎ一つ出来ずにいた。





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