Please1「奏でる始まりの鐘」




レネットの年齢⇒34歳(見た目は17)

アクバールの年齢⇒54歳(見た目は27)

レネットが14歳の時(見た目は7つ)



 名門シュベーフェル家の次女に生まれた私は幼い頃から躯が弱く、都会の空気に馴染めずにいた。頻繁に体調を崩す私を心配した両親は私が十四歳の時、清廉された空気が広がる森の別荘へと移させた。そこで私は専属の侍女数人と暮らすようになる。

 仲の良い両親や姉妹達と離れ、初めの頃は凄然とした気持ちになり、よく泣いていたのだが、別荘の周りは山や空が氷を透すように澄み渡っていて、琥珀色の光の斑を描く木漏れ日も心地良く、そんな朗らかな環境もあり、躯が嘘のように健康的になっていくと、次第に淋しさは薄れていった。

 都会にいた頃はいつも体調を崩し、みなから心配される自分が何処か普通の人とは違う気がして、よく胸を痛めていたものだった。それがこの別荘に来てからは全くといって悲痛とは縁がなくなった。ここは私にとって特別な場所だ。穢れのない聖地にすら思えた。

 この場所で暮らすようになって、ちょうど二十年が経った頃だ。その頃になると、都会でも問題なく暮らせるまでの健康な躯になっていた。やっと人に心配される事なく、家族と一緒に暮らせる筈だったのだが、敢えて私はこの別荘暮らしの方を選んだ。

 ここに慣れ親しんでいるからというのは勿論、何故かここにいなければ・・・・・・・・・・・・・、そう思っていたのだ。今考えればこの時から運命の歯車・・・・・は動いていたのかもしれない……。

 三十四歳の成人を迎えて暫く経ったある日の事だ。この日は空が抜けるような青みを帯び、特別に晴れ間が広がっていた。何かが起こりそうな予感がして、私の心には冒険心が生まれていた。

 いつもであれば、別荘からそう遠くへは行かないのだが、この日は思い切って羽を伸ばしたい気持ちでいた。実は私は昔から気になる場所があり、そこは別荘から離れて一キロほどの所にあった。

 森の草木から抜け、開けた視界の先には例の場所、華麗で荘厳な豪邸やしきが建っている。重厚な外観は白を基調とし、洗礼されたデザイン性のあるこの豪邸は都会の貴族のものとなんの遜色のない豪勢なものだった。

 私の家も都会にあり、相当なものだが、それ以上の豪邸がこんな森の中にあるのかと、ずっと不思議に思っていた。別荘にしては妙に豪華すぎる。一体どんな人物がこの豪邸に住んでいるのか、とても気になっていた。

 しかし、何度か訪れても人の姿を目にした事はなかった。とはいえ、遠目からではあるが、手入れが行き届いた芝生は生えたばかりのように瑞々しく青々とし、正門から豪邸までの道のりにはふんだんに続く彩り豊かな花々が並んでいるところを見ると、誰かが住んでいる事に間違いはなかった。

 今日の私は大胆にも正門の前にまで行き、中の様子を覗いて見た。すると? 突然に門がゆっくりと左右に開かれたのだ。それはまるで私を招くかのように、ごく自然であった。勝手に入って良いものなのかと躊躇ったが、そんな気持ちとは裏腹に既に足は敷地の中へと入っていた。何かに手を取られるようにして、私は前へと進んで行く。

 門の外からでも敷地の見映えの良さは知っていたが、実際間近で見ると、初めて目にした時のように心は打たれ、思わず感嘆の溜め息が出た。予め構成された配置の庭木や花は爽やかな風によって踊り、心が弾むような色彩が広がっていた。

 気が付けば、私は入口の扉の前まで来ていた。さてここから先をどうするか。チャイムを鳴らすべきか。鳴らしたところでも、私はこちら様に用がある訳ではない。本当にどうしたものか。答えが出せず、数分と立ち尽くしていた。

 …………………………。

 ――フワッ。

 一瞬、とても心地良い風に包み込まれて我に返る。そしてカサッとした音が背後から聞こえ、私はドキリと心臓の音を立てて、後ろへと振り返った。すると一人の男性が私を黙視していた。その男性は見上げる程の長身で、立ち姿が雄々しく彫像のように美しい。

 金の刺繍に縁どられた紺色のフロックコートは際立っており、品の良さが風格から滲み出ていた。ハッと目が覚めるような美しさに波打たれた私は魂さえも蕩かされるような陶酔感を味わう。

 純白の雪のように光り輝くプラチナの髪、夕日が誘うような琥珀色の双眸、何処を目にしても均整の取れた輪郭、彼は美神の化身なのだろうか。あまりの美しさからなのか、目には見えない筈のオーラが彼から放たれているように思えた。

 この場所は人の住む世界ではないのかもしれない。本来近づいてはならない特別な人をの当たりにしたような、彼の存在はそんな思いを抱かせた。鼓動はドクドクと確かな音を立てて、私の気持ちを高揚とさせる。

 それから視線が甘く絡む。彼の優し気な瞳からほのかな熱を感じる。私の自惚れに過ぎないのかもしれないけれど。これ以上、見つめ合っていたらどうにかなってしまいそうだ。この浮かされている熱から解放を試みる。

「あ、あの……」

 緊張からか私の声は打ち震えていた。考えてみれば、私は家族以外で大人の男性ときちんと会話をした事がない。ましてやこんな美形な人相手では、まともに話す方が困難だ。

 …………………………。

 声があまりにか細くて相手には聞こえなかったのだろうか。男性は私を見据えたままで、何も反応を表さない。

「あの、私」

 今度はもう少し抑揚をつけて声を出すと、相手が微かに眉根を寄せた。知らぬ間に相手の失礼に当たる事をしてしまったのだろうか。私は不安げに顔を曇らせた。

「こちらにまで勝手に入って来てしまい、申し訳ありませんでした。私はここから一キロほど離れた所に住んでおりますレネット・シュベーフェルと申します」
「……………………………」
「い、以前からこちらのお豪邸やしきがとても素敵だと目に留めており、今日は不躾にも中までお邪魔させて頂きました。断りもなく勝手に申し訳ありません」

 私は素直に頭を垂れ下げた。そして顔を上げ、おずおずとした様子で男性の様子を窺う。

「……………………………」

 彼は相変わらず私を黙視していた。その無表情からは真意を汲み取る事が出来ない。

 ――どうしよう。

 そう思った時だ。男性は次第に花が咲くように口元を綻ばせ、その美しい笑みに私は胸を熱く昂らせた。それから彼はスッと私の胸元へ手を差し出してきたのだ。

「え?」

 その手が何を意味するのか分からなく、私は躊躇っていたのだが、それはほんの一瞬の事で、気が付けば自然と自分の手を重ねていた。

 ――ドクンッ。

 彼の手に触れた瞬間、肌から伝わる温もりが妙にリアルで、私の頬をすぐに紅葉色へと染めた。大きな手に包み込まれる心地好さをなんと例えれば良いのだろうか。そんな恥じらう私を彼は優しく導くように、豪邸へと向かって歩き出した。

 知らない人の後をついて行ってはいけない。そんな幼児でも分かる事を私は躊躇う事もなく手を引かれていた。世間知らずだと言われればそれまでだが、怖い思いはなく寧ろ穏和な気持ちでいた。

 彼は私を気遣うようにゆっくりゆっくりとした歩調で進む。彼と繋がっている手を目にすれば、熱は深まり、温もりが親密に感じる。手を取られている間、会話を交えなかったが暖かい陽気に包まれたお庭が明るく賑わっているように見えた。

 ――不思議……。

 陽光の下で楽しく踊る草木や花が人のように生きて見える。

 ――ギィ――――。

 お庭に心を奪われている間に、重厚な扉の前まで来ていた。精巧なデザインの扉が開かれ、私は豪邸の中へと手を引かれて行く。そして、ここから私ととの物語が始まろうとしていた……。





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