Birth71「飾り気のない愛を」




 甘く澄み透った決然たるお声が響きました。まさしく王妃様です。私の頭上で浮遊なさっていた王妃様は陛下の隣へ並ばれて、マアラニの瞳をしっかりと据えていらっしゃいます。

「死を迎えた私だから言える事です。天界の世界で真っ先に伝えられた事があります。それは前世の記憶をもって輪廻をする事はないと。それは生まれ変わる時の約束事でした」

 思わぬ出来事を告白され、マアラニは大きく瞳を揺るがせます。

「前世の記憶が残る事によって新たな人生に影響を与えるからです。例えば、非道徳な出来事をした者が、その記憶をもって生まれ変わった場合、また同じ過ちを犯してしまう可能性が高いのです。他にも細かい理由はありますが、私が言いたい事は前世の記憶は決して残らないという事です」
「では何故、陛下は思い出されたのですか?」

 マアラニが疑問をもつのは当たり前です。私も同じ事を思っていたからです。

「陛下が思い出されたのは天神が貴女の記憶へと入り込んだ時、神力が増幅し、近くまでいらしていた陛下の内面なかにまで記憶が流れていったのだと思います。そして記憶が連動した事によって、天神にはアティレル陛下の記憶が流れてきました」

 言われてみて気が付きましたが、マアラニの記憶だけでは陛下側の記憶を目にする事が出来ません。まさかアトラクト陛下に記憶が流れた事により、アティレル陛下の記憶と重なったという事だったのですね。

 そのような不思議な力を天神の力から引き出しているとはいえ、王妃様の強い想いが引き起こしをなさったのではないでしょうか。亡くなられてからも、残留死霊となってまで陛下とマアラニを守ろうとなさったお方ですから。

「魔女マアラニ。貴女が600年以上もの間、陛下と共になれる日を信じて待ち続けていた事、それが如何に気の遠くなるような酷な歳月であったのか、そしてようやく生まれ代わりをなさった陛下の記憶は失われており、裏切られたという絶望感に見舞われていた事かと思います。そのような経験をし、今更何を申し上げたところでも貴女にとっては綺麗ごとにしか聞こえないでしょう。ですが、どうか陛下の想いに偽りがない事を信じて欲しいのです」

 王妃様から深い惻隠そくいんの表情が向けられていました。彼女もまた私と同じ思いを抱き、そして切望をなさっていたのです。死の世界を目になさった彼女の言葉であれば、陛下の記憶も疑う余地はありません。

 マアラニも本当は陛下のお言葉に偽りがない事を分かっているのだと思います。あれだけ深く愛して下さったアティレル陛下が彼女の想いを裏切る訳がありません。何より彼女が一番理解している筈です。それでも彼女の心が鎮静するには長い年月が必要となるでしょう。

 …………………………。

 答えが出せぬマアラニを見つめ続け、これ以上の変化は見られないのではないかと思えた時でした。

「陛下、私からお願いがございます。どうかマアラニの罪を許しては下さらないでしょうか。どうかお願いです。ご慈悲を下さいませ」

 場が凍り付くとはまた別の意味で、瞬時に空気が固まったように思えました。王妃様の信じ難いお言葉は誰しも耳を疑ったのではないでしょうか。

「ダーダネラ?」

 陛下を目にしますと、ハッと息を引き切られたご様子でした。罪を許す、すなわちそれはダーダネラ王妃様の命を奪った罪を許す事になるのです。数々の方はマアラニの罪を許せないものだと思っている事でしょう。

 一番無念でいらっしゃるのも王妃様の筈です。それであるにも関わらず、自ら許しを与えるその真意はマアラニに対する大きなご慈悲でしょうか。ただ王妃様自身がお許しになっても、他者が認めるものなのか、容易にはうべなうものではありません。

 マアラニの想いを知った今、彼女を生かしてやって欲しいという個人的な気持ちはあります。600年という歳月を過ごした彼女の最後が死ではあまりにも報われないではありませんか。決断を迫られた陛下も言葉を失っておられました。そこに…。

「ダーダネラ様!何をおっしゃるのですか!」

―――え?

 張り詰めた空気をつんざくような叱責の声が飛んできました。

―――!?

 声が聞こえた背後へと振り返った時、脳天に一撃を食らったような衝撃が走りました。声の主の姿を見て目を疑ったからです。

―――エヴリィさん!

 彼はオールさんに肩を借りて、なんとか意識を保っているご様子でした。私達がマアラニの話を耳にしている間に、オールさんが欠かさずエヴリィさんの傷の手当てをされたのでしょう。思わず私は涙が燦然と浮かびました。

 あの時、私はマアラニの手で押さえ付けられていたエヴリィさんを救うどころか殺めてしまい、取り返しのつかない事をしてしまったと、頭の中が真っ白となりました。そこにまさかの生の安否ができ、私はその場で腰が砕け崩れ落ちそうとなりましたが、なんとか気丈を保ちます。

「エヴリィ…」

 王妃様も彼の姿を目になさると、名を零します。王妃様とエヴリィさんの視線が交わった時です。

「ダーダネラ様!お考えを改めて下さいませ!何故、魔女をお許しになるのですか!その魔女は何の罪もない貴女のお命を奪った張本人です!いくら辛い前世を持っているからといって、決して許される事のない大罪を犯したのです!その罪は己の命をもって償うべきではありませんか!」

 あのように取り乱して怫然するエヴリィさんを初めて目にしました。彼らしくもない、いえ、彼とは別人にすら見えました。それほどマアラニに対しての憤慨を抑えられないのが分かります。

 誰もがマアラニの罪を咎められずにいた中を、エヴリィさんが厳酷に釘を刺されました。確かに彼の言う事は最もです。やはりどのような事があろうともマアラニの起こした罪は許せません。罪のない王妃様の命を絶たせ、もうこの世の者ではなくしてしまったのですから。

「エヴリィ、陛下の想いを考えなさい。貴方は愛した者の命を自らの手で絶つ事が出来るのですか?」
「…っ」

 逆に王妃様から問われたエヴリィさんはグッと息と詰められます。きっと彼は王妃様の言葉の意味を把握されているのでしょう。彼は瞼を閉じます。腑に落ちなく何かを考えているように窺えました。そしてすぐに瞼を開き、尚も王妃様に思いをぶつけられます。

「ではダーダネラ様、貴女を愛した者の想いはどうなるのです!報われないまま生きていけと言うのですか!」
「…エヴリィ、この話を貴方にするべき事ではありませんが、“サラテリ・アジュール”を記憶にしていますか?」

―――え?

 王妃様の切り替えしの問いに、私はハッと息を呑みました。「サラテリ」という名を耳にした覚えがあったからです。確か彼は…。

「サラテリ殿はわたくしの遠い先祖に当たります。それもアティレル陛下の時代に彼の側近で仕えた偉大な魔導師だったと聞いております」

 エヴリィさんのお答えに、私は目を大きく見開きました。そうです、サラテリさんはあのアティレル陛下の時代でいた魔導師です。まさか彼はエヴリィさんのご先祖様に当たる方だったとは。外見の美しさを似つかわしいですが、容姿は全く異なっていました。

「エヴリィ、アティレル陛下と魔女マアラニが離愁を味わう事になったのはサラテリの魔力で作り出した結界によるものでした。それにより、お二人は生涯逢う事が出来なくなりました」
「え?」

 エヴリィさんの顔に驚きの色が現れます。

「先祖の行いを引き合いに出し、さぞ狡猾な手口だと思うでしょう。ですが、ここはサラテリの行いを考慮し、どうかマアラニの罪を免じて欲しいのです」
「…………………………」

 王妃様の言葉に、エヴリィさんは口を噤まれました。彼に直接罪がないとはいえ、ご先祖の行いにショックを受けられたのかもしれません。または少なからず、罪の意識を感じたのかもしれません。

「今回の事件は誰が悪い訳でもありません。陛下を愛した私だから分かるのです。マアラニのアティレル陛下に対する想いです。私も死と向かい合っていた時、ずっと考えていた事があります。来世でもまた陛下と巡り合い、そして愛し合いたいと。ですので、彼女の想いが痛い程に分かりました。そして私は彼女を恨んでなどおりません」

 一つ一つを噛み締めるように語られる王妃様のお言葉はとても感慨深いものでした。マアラニの想いは陛下から愛された者だけにしか分からない特別なものだと言えます。すなわち、王妃様しか知り得ない事でしょう。

 決してマアラニを恨む事はなく、彼女の想いを理解し、そして報われる事を願って、ここまで見守ってきて下さっていました。王妃様は再び陛下の前へと浮遊し、彼の双眸を捉え、願いを繰り返しなさいます。

「マアラニの600年以上待ち続けたその歳月に免じ、陛下、どうかご慈悲を下さいませ。これは私の最期の望みです」
「ダーダネラ…」

 陛下の双眸が大きく揺れるのを目にし、陛下が私と同じ事を感じたのだと悟りました。王妃様の最期の願いはまるで遺言のように思え、強く心に打たれたのです。そして陛下は瞼を固くお閉じになります。

 一存と他者の考えは異なります。それはアティレル陛下の時代にマアラニとの恋が認められなかったように、今回も陛下のお気持ちだけで決め兼ねる事なのでしょう。国を背負う主として、重い決断に迫られていらっしゃるのです。

 皆は息を潜め、陛下のお答えを見届けています。重い沈黙に対し、私の脈は切迫し、心臓が押し潰されそうでした。どうか陛下のご決断が前向きであることを願って…。

 …………………………。

「其方の思いが無駄にならぬよう、最善を尽くそう」
「誠に有難うございます、陛下」

 さほど沈黙の時間は少なかったと思います。陛下は敢然と清々しいご様子でご決断を言葉になさりました。そちらにご満悦に笑みを広げられる王妃様のお姿は光り輝いていらっしゃいます。

 陛下は今度こそ愛する人との約束を果たそうとなさるのではないでしょうか。その約束はかつて愛したマアラニの命を守る事へと繋がります。もう二度とマアラニの時のような果たせぬ約束になさりたくはないのだと、そう伝わってきました。





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