Birth72「終焉を迎え」




 王妃様の願いを受け入れられた陛下を見つめるマアラニは声にならない声を上げ、思いを伝えようとしていました。

「陛下、私は…私はもう取り返しのつかない事をしてしまいました」
「マアラニ…」
「貴方の幸せを願うと、そう固く心に決めていた筈なのに、私はなんて事をしてしまったのでしょう…、陛下が愛された王妃様をこの手で殺めてしまいました。もう後戻りは出来ません、私は…私は!」

 マアラニは深い悔恨に苛まれ、精神の蝶番ちょうつがいが外れていました。胸が焼かれるような自責に心が耐え切れず、打ち震えながら感じている彼女の背徳が痛い程に伝わってきておりました。

「決して許されぬ罪を犯しました!私は…私は!」
「マアラニ、懺悔をする必要はありません」

 尚も続けようとしたアマラニの言葉をそっと覆った王妃様は彼女の肩に手を添えられて、思いを打ち明けます。

「先程も申し上げたように、私は貴女を恨んではいません。死を迎えてから事件の全貌を知り、同じ陛下ひとを愛し、そして愛されていた事で、貴女の気持ちを悟った私に恨む事が出来ましょうか。マアラニ、どうか陛下と私の思いを受け止め、この先も前を向いて己の生涯を歩んで下さい」

 王妃様の言葉に刹那、マアラニの胸の奥から抑えようのない哀哭あいこくが湧き起こりました。喉を焼き尽くすかのように嗚咽を漏らし、悲涙が幾度も零れ落ち、その涙は彼女が長い歳月、一人で背負ってきた重い悲しみまでも流しているように思えました。

 ようやく彼女を縛っていた心の悲しみが解き放たれたのです。今回の結末には人それぞれ思う気持ちは異なるかと思いますが、私はこの形に収まって本当に良かったと思っています。

 ダーダネラ様という方は何処までもお心が寛容なのでしょうか。真実を露呈され、マアラニの憎悪で支配されていた心を解いたのも、すべて王妃様です。多くの方々に愛された彼女の存在が如何に偉大であったか、目の当たりにしたような気がしました。

 そして場に静謐な空気が流れ始めた頃、王妃様はマアラニから離れ、みな一人一人の姿が見渡せる位置へとお下がりになりました。それから大輪の花ような美しい微笑を浮かべられ、その表情は何かを物語っておりました。

「もう大丈夫です。未来は明るい兆しが見えています。これも皆の想いが一つに纏まった証と言えましょう。これで私も安心して戻れます。本来、死を迎えた後は浄化の道へと導かれるのですが、私は特別に時間の猶予を頂きました。何故、呪いをかけられたのか、その由来を知った時、私はなんとしてもマアラニの無念を晴らしたいと強く願いました。死霊となって手を施した結果、天神の力もあって、このように陛下とアマラニを再び巡り合わせる事でき、そして誤解を解く事が叶いました。目的を果たし、私に与えられた時間も残り僅かとなります」

―――え?今のお言葉は?

 和み始めていた空気にまた緊張が走ります。今の王妃様のお言葉はまるで…?心に翳りを感じ取った時でした。

「ゼニス神官」

 王妃様はゆらゆらとゼニス神官様の前へと赴いていらっしゃいました。彼女は神官様の厚い眉の下に隠れている双眸に視線を向け、謝辞をお伝えになります。

「この度は多大なご迷惑をお掛け致しました事、お詫び申し上げます。私共の一存で異界におる天神の召喚を引き受けて下さった事は誠に感謝し切れません」

 王妃様のご丁寧に頭をお下げになるお姿を目になさった神官様はコクンと頷かれます。陛下と王妃様のお二人の御子を誕生させる為に、私は異界から導かれました。それが如何に難題であったか、神官様がお引き受けになったというのも大変な事であったかと思います。

「天神の召喚から始まり、そしてこの場所にまでアトラクト陛下をお連れ下さり、誠に感謝します。陛下がいらっしゃらなければ、今回の出来事は解決する事が出来ませんでした」
「いや、其方の働きがあってこそ、迎えられた終焉だ。儂はそれにほんの少し手を貸したまでじゃ」
「ご謙遜です」

 王妃様からほのかな笑みが零れます。

「ダーダネラ妃、其方の残留死霊となってまで事を成し遂げようとする姿には感服した。其方は何処までも気高く王族の誇りと言えよう」
「勿体ないお言葉でございます」
「其方を亡くした事は実に残念であったが、其方が命懸けで守ろうとしたものは、この先、我々が守り続けていく事を約束しよう」
「有難うございます、ゼニス神官」

 王妃様は目頭を光らせ、お礼をお伝えになりました。あの厳酷な神官様から、あそこまでのお褒めの言葉を頂けたのも、王妃様だからですね。それだけ彼女の活躍は英傑えいけつであったと言えます。

「エヴリィ」
「ダーダネラ様」

 王妃様は今度は神官様の隣りに並ぶエヴリィさんへとお声をお掛けになりました。王妃様を目の前にしたエヴリィさんはオールさんの肩から離れて、彼女様と向き合います。

「貴方は私との約束をすべて守ってくれましたね。まずは天神さとをこの世界に導いてくれた事を感謝します。貴方の選択は適切であり、沙都はまさに天神に相応しい女性でした。彼女に与えられた大役は並みの人間では背負え切れません。人材の選びから、そして召喚に至るまで力は貴方だからこそ出来た事だと思っています」
「私には身に余るお言葉です」
「謙遜する事はありません。そして必ず天神をマアラニの元へ連れて行くという約束も果たしてくれましたね。これはこれでまたとても至難であったと思います。貴方がマアラニの目的に気付いた時、600年前ものアティレル陛下の存在が浮かび、大きく戸惑った事だと思います。それからマアラニの元へ向かうタイミングを見計らっていましたね」
「結果、魔女に先を越され、タイミング所ではありませんでしたが。情けない結末です」
「そんな事はありません。貴方が気付いた事によってゼニス神官がこちらまで陛下をお連れする事が出来たのですから。最後まで私の為に行動を起こしてくれた事、その貴方の頑張りを賛美します」
「そのようなお言葉を頂き、誠に有り難き幸せです」

 王妃様の前で微かに強張っていたエヴリィさんの緊張の糸が緩和され、お顔から笑みが溢れていました。良かったですね、王妃様からベタ褒めのお言葉を頂けまして。今なら分かります。エヴリィさんが時折、伝えて下さっていた「私を守ります」という言葉の意味を。

 彼は生前の頃の王妃様と約束をされていたのですね。その約束を必死に守ろうとされていた、すべてはダーダネラ王妃様との約束を果たす為だったのです。彼はきっと…これは私の憶測に過ぎません。また勝手にとオールさんに怒られてしまいますね。

 そのような事を思い出していた時、ちょうど王妃様がオールさんの前へと来ていらっしゃいました。お二人の姿を目にしますと、何故か私の胸に少しばかり緊張が走りました。特に深い意味はないと思いたいのですが…。

「オール、出会ってから今日こんにちまで、貴方は一度も期待を裏切った事をありませんでしたね。その貴方の律儀な性格は天神に対しても現れていました。彼女がこちらの世界に来てから、ずっと貴方が見守り続けていた事、私は気付いていました」

 王妃様の温かく深みのあるお声が私の胸の奥へと沈んで行きます。心が打たれたのです。いつかエヴリィさんも伝えて下さいました。オールさんが私を見守って下さっていたという事を。それは王妃様も気付いておられたのですね。

「口数の少ない貴方だから事が上手く運ばず、もどかしい思いをした時もあったでしょう。ですが、自分の危険を顧みず、ここまで天神を守ろうとしたその忠誠心は沙都かのじょにもきちんと伝わっています」

 まさにその通りです。オールさんは必要以上に言葉を発しない方なので、私もとんだ誤解をした時もありました。今となっては誤解した事を深く反省しています。今は彼の優しさと忠誠心には私の胸の奥にまで深く浸透しています。

 オールさんは口を閉じたまま、ただ王妃様を見つめ返されているだけでしたが、その瞳は力強く言葉の意味を把握し、きちんと受け止めているご様子です。彼は表情で物語る人なのだと、改めて思いました。

「そして時折見せる貴方の祈りの声は伝わっていましたよ。オール、どうか幸せになって。貴方の幸せは近くまで来ています」

 祈り?それがどのような意味なのか、当然私には分かる筈がありません。また幸せになって…。そのお言葉は王妃様から送られる最期の祈りのようにも受け取れました。それはかつて愛した彼に対しての幸せを願って下さったのではないでしょうか。

 オールさんはほんの少しだけ瞼を閉じられます。それは王妃様の言葉をうべなった意味なのでしょう。私も彼の幸せを心から願います。オールさんはとても素敵な方ですからね。王妃様の願われる幸せを歩んで行かれる事でしょう。

「そして…」

 王妃様はこちらを一瞥し、私の姿を捉えます。そして、こちらへといらっしゃいました。

「沙都…」





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