Birth70「限りない真実へ」




 音が伝わらない真空のような静けさが酷く胸を締め付けます。魔女の言葉のすべてが痛嘆な思いとして伝わってきていたからです。それは同調シンクロしているようで、生々しい感情でした。

「陛下の御子を生む事は私の最大の夢でした。陛下とは人種も身分も違い、厚かましい願望だと思われる事でしょう。自分でも儚い夢であると十分に理解しておりました。それでも私には幸せな夢として抱いていたのです。それが私には叶わぬ夢となったのだと思い知った時、愁然とした心に何かが弾け、自我を見失っておりました」

 忘我にまでなるとは如何なる思いだったのか。何処か空虚な眼差しをして語る魔女の姿を目にし、想像もつかない痛感な思いだったに違いありません。

「言い訳に聞こえるかもしれませんが、我を忘れていた時の私には殆ど記憶がありません。ただずっと心には黒い渦で巻かれていたような気がします。そして地上で王妃様のご懐妊パーティが行われると騒がられていた時、私は思いがけない行動へと出ました」

 空気と共に皆の顔が固く強張ります。思いがけない行動というのは王妃様のご懐妊パーティに顔を出し、呪術をかける事を示唆してると思ったからです。

「王妃様のご懐妊パーティが行われた当日の夜、気が付けば、私は地上へと姿を現しておりました。それも宮殿の近くにです。それは思わぬ事でした。宮殿近くは魔女にとって最も危険な場所であったからです。魔導師達の監視のもと、魔物とみなされ、退治をされる可能性が非常に大きいのです。ところが、不思議な事に私の存在は気付かれずにおりました」

 話を聞き、そこは私も不思議に思っていた事でした。宮殿には数多くの魔導師達が魔物や魔女などの感知をおこなっているのです。いくら魔女が自分の気を消していようとも、宮殿の魔導師達のレベルであれば、気付く事が出来ると言われています。

 私はずっと魔女マアラニに特別な力があるが故、結界をすり抜けられたのだと思い込んでおりましが、実際は彼女が何かをした訳ではないようです。何故、マアラニだけは気付かれずに済んだのでしょうか。

「スピリチュアルな内容で信じ難い話かもしれません。私が気付かれずに済んだのは亡くなられる前のアティレル陛下の想いが、私を宮殿へ導いて下さったのではないかと思っております。“想い”というものは形こそはありませんが、時に因縁を生み出す場合があります」

 そのような事があるのでしょうか。ですが、何か不思議な力が起こらない限り、当にマアラニは捕まっていた事でしょう。ただ彼女にとってだけの都合の良い話でもなさそうにでした。

「そして私は初めからダーダネラ王妃様に呪術をかける事を目的として姿を現した訳ではありません」

―――え?

 マアラニの言葉にみなが一驚します。これこそ信じ難い言葉ではないでしょうか。彼女が危険を犯してまで地上に姿を現したのは紛れもなく王妃様の命を狙う他考えられません。とはいえ、彼女の真摯な眼差しが都合の良い偽りを申しているようにも見えませんでした。

―――では一体、何を目的として現れたのでしょうか。

 益々とマアラニに視線を縫い付けられました。

「パーティ会場へと訪れた時、私にはまだ理性が残っておりました。ただ一目だけでもいい、陛下に私の姿をご覧になって頂きたかったのです。心の何処かで、私を憶えて下さっていて欲しいと望みをかけていたのです。ほんの少しだけでも憶えていて下されば、それで私は十分であり、それ以上の事を求めようとは思っていませんでした。既に王妃様のお腹の中には世継ぎの御子がいらっしゃったのですから。私が現れたところで、どうこう出来るものではありません」

 マアラニは純粋に陛下にお会いしたかったのですね。ほんの少しだけでもというマアラニの切なる願いが、悲哀に溢れているように見えました。彼女の言葉は嘘偽りのないまことなのでしょう。少なからず、そう私は信じておりました。

 そしてやはり話を聞いている限りでは彼女が呪いをかける事を目的にしているようにはとても見えません。では純粋な心をもった彼女を一体、何が変えてしまったのか。引き続き、彼女の言葉に耳を傾けました。

「私は思い切って宮殿の内部へと足を踏み入れました。そして盛大なパーティが行われる中で、待ちに待った陛下の姿を目にした時、ずっと心を縛りつけていた黒い渦がスゥーッと消えていくように思えました。アティレル陛下の頃と変わらない、ずっと待ち望んでいた彼だと、私の心は踊るように華やいでおりました。そして陛下の目に留まる場所までやって来た私は期待を膨らませて、陛下に気付かれるのを待ちました。ところが…」

 マアラニの最後の語気が鋭く震えました。マアラニは惆悵 ちゅうちょうな眼差しを見せ、陛下の瞳を捉えていたのです。

「陛下は私を目になさっても微笑まれるだけでした。それは社交の場の軽い挨拶に過ぎません。微笑みだけで、それ以上の反応は得られなかったのです。私は刹那に凍り付きました。そこで初めて陛下は私との記憶をひとかけらも持っていらっしゃらないという事に気付いたのです。その瞬間に私の理性は失われました」
「マアラニ…」

 陛下の悲傷なさっている表情はまるで断腸の思いそのものに見えました。互いの顔を合わせれば、陛下が思い出して下さるかもしれないと、マアラニの最後の最後の望みが絶たれた瞬間だったのです。完全なる絶望に呑み込まれた彼女が、あの恐ろしい呪いを放ってしまったという事なのでしょうか。

「心の奥底に沈んだ黒い渦に再び心は支配され、自分ではどうする事も出来ませんでした。そして私は“己ノ罪知レズ 幸ナカレ 我ト同ジ…久遠クオンニ”という呪いの言葉を発したのです。私との約束を果たして下さらなかった罪をお持ちで幸せになる事を許さない、私が味わったこの苦しみと同じ思いを永遠に味わえば良いと、陛下が最も愛されているダーダネラ王妃様へと呪いをかけたのです。呪いは王妃様の躯を徐々に衰退させていく不治の病でした。王妃様が衰退される、すなわちそれは御子の死も意味する恐ろしいものだったのです」
「マアラニ…」

 陛下から嘆声が零れました。かつて愛したマアラニがあのような恐ろしい呪いをかけるなど、信じ難く悵然ちょうぜんとなさっているのだと思います。何故、魔女が呪いをかけてしまったのか、その経緯いきさつがようやく分かりました。

「陛下も同じ苦しみをもって生きていかれる、そう思っておりましたが、そう事は上手く運びませんでした。王妃様の命を絶つ事が出来ても、王妃様との御子がまさか他者の胎児として授けてしまうなど、思いも寄らぬ出来事が起こったからです。御子がいる限り、陛下は永遠にダーダネラ王妃様との絆で結ばれていらっしゃるような気がし、私は何処まで苦しめば良いのかと、只々茫然とする他ありませんでした。益々と私の憎悪は高まり、今度は御子を授かった天神に狙いを定める事を決意しました。しかし、天神は常に残留死霊の王妃様から守られており、容易には手を向ける事が叶いませんでした」
「では何故、沙都を連れて行く事が出来たのだ?」

 驚きの色をなさった陛下の問いは最もでした。マアラニは突然に私を連れ攫って行ったのですから。何故、今回のタイミングだったのでしょうか。マアラニの次の言葉を待ちます。

「天神が情緒不安定だった事により、王妃様の結界が緩和されたのです。王妃様がお持ちのお力は天神の能力を伝って放たれているものです。本体の天神の精神が不安定になった時、私は王妃様の結界を破る事が可能となりました」

 そうだったのですね。王妃様の持っていらっしゃるお力は私のもつ天神の力を利用され、さらに私の精神と王妃様の能力は同調していたのですね。確かに私はマアラニに連れ攫われる前、陛下やオールさんの事で大きな精神的な打撃を受けておりました。そこを上手く入り込まれてしまったのですね。

「天神を導いた私は彼女を…もう申し上げなくとも、お分かりですよね。私はもう善良を捨て、己の本能のまま攻撃を繰り返しました。そのような事をしても報われる事はないと分かっていても、既にどうしようもありませんでした」
「マアラニ…」

 陛下は彼女を咎める事も労わる事も出来ず、言葉を失っていらっしゃいました。そちらのご様子がマアラニの心を揺さぶらせてしまったのかもしれません。彼女は突如、カッと点火したように激越となったのです。

「陛下、何故…何故、私を見つけて下さらなかったのですか!どうして他の女性と愛を交わされてしまったのですか!私が貴方に逢いに行った時、どうして思い出しては下さらなかったのですか!あんなに深く愛して下さっていたのではありませんか!」

 マアラニは抑えていた感情を露わにし、涕泣ていりゅうしていました。感情に身を任せ、陛下へと呵責をぶつけた彼女ですが、本当は責めたい訳ではない気がしてなりません。あまりの悲哀に押し潰されそうとなり、激情に駆られているだけなのです。

 そんな憫然たる彼女の気持ちを陛下も痛い程にお分かりの筈です。陛下はマアラニを愛する気持ちと憎む気持ち二つの感情に挟まれ、どう言葉を切り出せば良いのか迷っていらっしゃるのだと思います。

「アマラニ、許してくれとは言わぬ。其方を傷つけたい訳ではなかったのだ。本当に私はアティレルの頃の記憶も其方との思い出も何一つ残らずして生まれ変わった。ほんの僅かでも記憶が残っておれば、私は其方を必死に探し出していた」

 陛下のお言葉には偽りはありません。それは毎夜見続けていた夢の世界で、陛下が如何にマアラニを愛していたか、臨場感に伝わっていたのですから。ただ彼女にとっては今すぐに気持ちを鎮める事が難しいのでしょう。

 長い長い時を刻んできたのです。同じく長い時間が必要となるのではないのでしょうか。それでも私は願わずにはいられないのです。どうか憎しみに流されず、信じる気持ちを強く持って下さいと…。

 …………………………。

 時は小刻みに過ぎて行き、空気が質量を増し鉛のような重さが流れており、誰もが口を閉ざしておりました。そのような中で…。

「陛下のおっしゃった事はまことです」





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