Birth68「魔女と決戦」




―――ギャァアア――――――!!!!

 ほんの一瞬、オールさんと目が合った時でした。前方から悶え苦しむ絶叫が耳の奥までを貫き、そのあまりの恐怖に、私はオールさんへ身を預けていましたが、力強く抱き締められる腕の中でも、震えは高潮となっておりました。

 目にしたくない、でも何が起こっているのか、確認をしなければならないのです。気持ちとは反して、恐る恐る顔を後ろへと向けます。刹那、とんでもない光景を目にして、後悔の念が生じました。

 事もあろうに伸びた魔女の腕が切り落とされていたのです。生々しい緑の血が辺り全体へと飛び散り、より心と躯を戦慄かせました。そして全身から嘔吐が込み上げ、私は瞼を深く閉じます。

 ………………………………。

「やっぱ腕を切り落としたぐらいじゃ、即死する訳ないか」

―――え?

 すぐ近くから低く鋭い声が聞こえ、私はすぐに瞼を開け、声の主を確認します。

―――今の声は…?

 声の主を目にした瞬間、私は大きく目を見張ります。スラリとした高身で華やぐ姿のエヴリィさんだったのです。私は先程から震えに見舞われておりましたが、彼の姿を目にして安堵感が広がります。

「エヴリィさん、ご無事だったのですね」

 隣に並んだ彼に、私は安堵の言葉をかけました。

「はい、お約束は守りますと申し上げましたので」

 約束を守るというお言葉に、さすがというべきでしょうか。彼と別れた時、彼は相当な数の魔物を相手に戦っていたのです。私も一緒に戦うつもりでしたが、彼は頑なに私を魔女の元へ行くよう促していました。

 私は気が気ではありませんでしたが、あの状況では進まなければならず、せめてもと思ったのが「約束事」だったのです。あの時、約束をしておいて本当に良かったと、私は深く胸を撫で下ろしました。

「オノ…レ…人…間メ!…」

―――はっ!

 前方から絞り出すように掠れた毒々しい声が聞こえ、私はドクンッと心臓の波打ちが押し、再び恐怖が降り落ちてきました。

「オノレェエエ―――――!!!!」

 魔女の激昂は高潮し、切り落とされ手を失った右腕が再び伸びて来たのです!その光景は恐ろしく目に焼き付きます。一瞬ともいえるその出来事は遥かに予想を超えたものでした。腕は攻撃に掛かろうとしたのではなく、切り落とされた右手へ飛びつき、そして結合したのです。

 結合した部分からジリジリと火花が閃光し、言葉では表現が出来ない異様な光景でしたが、目が離せませんでした。さらにシューと溶けるような音がした後、魔女の腕は元通りとなっていたのです。なんという事でしょう。しかも痛手を負った形跡が全くないではありませんか。

 …………………………。

 私を含め、オールさんもエヴリィさんも瞠目とし、絶句していました。切り離されたものが、あのように結合するなど、誰が思うのでしょうか。あれも魔女であれば、容易に出来るという事なのですか。

 …………………………。

 暫くの間、私達は魔女が呼吸を整える姿を茫然と見つめておりました。

「ハァ…ハァ……」

 彼女は必死で息を整然とさせていましたが、怒気を宿した眼光に、私は身が縮まる思いでした。彼女のいかりがどう報復してくるのかと…。そして息が落ち着いた頃、魔女の視線は真っ先にエヴリィさんへと向けられていたのです。

「早く片をつけないとヤバさげだね」

 魔女と対峙し合うエヴリィさんは戦いの意思を示します。それは魔女も同じと言えるでしょう。彼女の表情もまた戦いを決していたのです。強張る空気が流れ、私はゴクリと喉を鳴らします。

「それはなりません」
「え?」

 頭上からソプラノの美しい声にはそぐわない厳しい口調が落とされました。

―――この声は…。

 蜃気楼しんきろうのような光りに包まれ、浮遊されているダーダネラ王妃様でした。魔女に気を取られておりましたが、王妃様は私から片時も離れず傍にいて下さってたのですね。そして王妃様の魔女との戦いを拒む姿勢は私に伝えた時と変わられていないようです。

「ダーダネラ様…」

―――え?

 驚異と何処か熱が込められた声で王妃様の名を呼ばれたエヴリィさんから威圧的な空気が一変して和らいだ事に目を丸くします。さらに彼はすぐに頭を垂れさせました。王妃様に対する厚い敬意なのかもしれませんが、今この状況では場違いでないかと思ってしまう自分は身分知らずなだけでしょうか。

「エヴリィ、顔を上げて聞きなさい。決して魔女と戦ってはなりません」
「ダーダネラ様、何故ですか?」

 顔を上げられたエヴリィさんは訝し気に問います。

「魔女の目的は一つです。エヴリィ、貴方ならもう察している筈です。彼女が私達へと耳を傾けるよう、まずは懐柔を試みるべきです。先程のような腕を切り落とすなど、もっての他なりません。彼女との距離を広めてしまうだけです」
「ダーダネラ様!今の魔女は正気を失っています。そのような者が耳を傾ける訳が…いえ、貴女の命を奪ったアイツを生かしておく必要があるのですか!目的がなんであれ、大罪は己の命で償ってもらう他ありません」
「なりません!分かっているのですか?それで事がすべて上手く終わりを迎えられるのですか!」
「アイツが貴女に犯した罪は一生消える事はありません!オレは絶対に許さない!アイツを消滅させる事が出来るのであれば、この命が滅びようとも構いません」

―――え?

 自分を見失っているのは魔女だけだはなく、この時のエヴリィさんも同じだったのかもしれません。感情に身を任せた彼は思いがけない行動へと出たのです。

「エヴリィ!」

 王妃様が止めに掛かろうとされましたが、エヴリィさんの攻撃は始まっていました。彼の手の平から生み出される蠢く淡い紫色の影、それは瞬く間に増幅し、空中へと飛び上がりました。そして息をつく間もない程のスピードで魔女へと向かい、思わぬ形に変わったのです。

―――あれは死神…?

 フードを深く被り巨大な鎌を持つ、まるで死神を連想させる姿の影は、さらに分離を始めて数十体に増えると、一斉に魔女へ鎌を振り落としたのです。その瞬間を私はみるみると目を広げ、見入ります!

―――魔女と戦ってはいけない。

 それはすなわち彼女を死なせてはならない、そういう意味だったのだと思います。ですが、今、目の前で魔女の命が奪われそうとなっているのです…。もう彼女を助けられない、そう思った時でした。

―――ブワッ!!

 一陣の風が魔女から吹き上げられ、私は彼女から目を背けました。次の瞬間、視線を戻すと、みなに寒慄が走りました。出来事は豹変し、死神も魔女の姿もありません。

―――魔女は一瞬で消失してしまったのでしょうか。はっ!

 ほんの束の間でした。何かを察した時、頭上に魔女の姿があり、私は双眸が零れ落ちそうな程に目を見張りました。

「オノレェエエ――――――!!!!」

 魔女は叫声を張り上げ、数十メセンチと長く鋭い爪をエヴリィさんに向け、彼を裂こうとしていたのです!

「エヴリィ!!」

―――ドンッ!!

 王妃様が叫ぶと同時に、鈍痛な音が響き、目に映るのは魔女が数十メートル先へと吹き飛ばされる姿でした。

―――!?

 魔女に向かって王妃様が挺身ていしんされたのです。間一髪のところでエヴリィさんは無事でしたが、魔女はすぐに態勢を戻し、息をつく間もないスピードで再び襲い掛かって来ました。今度は一番近くにいらっしゃった王妃様へです!

「キサマァアア――――――!!!!」

 その様子は空気が凍り付く瞬間でした。

「ダーダネラ様!!」

 魔女へと駆け走り、ダーダネラ王妃様の名を呼ばれたエヴリィさんは魔力を放とうとされました。

―――シュルルッ、ガッ!!

「え?」

 もう何度信じられぬ光景を目にした事でしょう。今度は王妃様に手を掛けようとしていた魔女の手が背後へと伸び、そしてエヴリィさんの喉元を捕らえたのです。

「ぐぁ!」

 性急に喉元を捕まれ、そのまま躯を宙に浮かぶエヴリィさんは苦悶の叫ぶ声が耳朶を震わせます。魔女は躯を背後へと向き直し、もがくエヴリィさんを冷酷に見つめていました。その恐懼きょうくに、誰もが躯を縛り付けられているように動けませんでした。ですが…。

「エヴリィ!」

 真っ先に行動を起こされたのはオールさんでした。私から離れた彼は発現させた光の剣を魔女の腕へとほうります。しかし、その剣は魔女の目から放出された赤い光線によって、一瞬で粉々に砕けたのです。

「ぐっぁあっ」

 私達が茫然としている間にも、ジリジリとエヴリィさんの喉元を詰め寄る魔女の手は確実に彼を死へ導きこうとしていました。私はエヴリィさんの死を意識した時、縛り付けられていた恐怖を解き放つ意志が生まれます。

―――どうか魔女を傷つけずに、エヴリィさんを助けて下さい!

 祈りを込め、私は杖を胸へと翳して攻撃の光を放ちます。発現した光は魔女へと馳せりましたが、攻撃に気付いた魔女は素早く咄嗟にエヴリィさんを盾にし、身を守ったのです。

―――え?

 私はこの世の終わりを感じたように思えました。世界が真っ白に染まり、響き渡る叫び声すら遠くに感じていました。

「小癪…ナ…人間!…アノ…人…ノ…子ヲ…宿…した…忌々…シイ…女メ!!」

 エヴリィさんの躯をほうり、私へと風のように疾走して来る魔女の姿が見えていましたが、この時の私には恐怖すら感じなくなっておりました。自分の判断の誤りでエヴリィさんへ犯した罪はあまりにも大きく、自身を見失っていたのです。
―――このまま私は朽ち果てる。

 そう思いました。その時、何かに乱暴に覆われ、そして魔女が長い爪を振り下ろす姿が目に入りました。私に…?いえ、私を庇うように強く抱き締めるオールさんの背中へでした。彼の死が過った、その瞬間!
「やめるのだ!!」

 何処からともなく響き渡る叫び声に、魔女の行動がピタリと止まったのです。

 …………………………。

 魔女は背後へと振り返ります。オールさんでもエヴリィさんでもない、もう一人の男性の声…。私はオールさんの腕の中から息を潜むようにして、魔女と同じ視線の先へ目を向けました。彼女から数十メートル先へと立つ一人の男性、それは…。

―――どうして、こちらにアトラクト陛下が…。





web拍手 by FC2


inserted by FC2 system