Please28「本当の宴はこれから」




 あっという間に私は複数の貴婦人達に囲まれてしまった。私より少し上ぐらいから、お母様ほどの年齢の女性もいるが、誰一人と知らない。一体何の用だろうか。挨拶をしに来ただけ……という雰囲気には見えなかった。

「えぇ。アクバール王太子に大事なお話しが入りまして、今は私一人でおります」

 私は手短に答えた。少し前まで私よりもうんと地位のある女性達を相手にして、どれだけ緊張する事か。決して貴婦人達には自分が動揺している様子を気付かれてはならない。

「そうでしたの~」

 私より年齢が少し上の痩身で模様が派手なドレスを着た女性が、猫撫でのような声で応えた。それから彼女の隣にいる少し躯つきがふくよかで、肌を大胆に見せたドレスの女性が声を掛けてきた。

「でしたら王太子がお戻りになるまで、私達とお話しをなさいませんか。私達みなが妃殿下とお話がしたいと、ずっと機会を窺っておりましたの」
「そうでしたか、とても光栄です」

 純粋に私の事を興味もってくれたのなら、素直に嬉しいと思った。

「先程の王太子とのダンス、とても素敵でしたわ。ウットリと見惚れてしまいましたもの」
「えぇ、踊るお二人から目が離せませんでしたわ」
「身に余るお言葉です」

 貴婦人達の絶賛する声に、私は嬉しさを感じつつも気恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。ただ一点気になる事がある。この時点で誰一人と私に名乗っていないのだ。挨拶は下位の者から名乗るのが常識。

 もしかしたら彼女達の方が私よりも位が高いのかと思い、自分から名乗ろうとも考えたが、すぐに思い留まった。というのも、既にアクバール様と身分の高い方々への挨拶は終えている。となると、目の前の彼女達は私よりも身分が高くない筈だ。

 サルモーネさんからも教師達からも、決して下位の者にへり下った態度をとらないよう厳しくしつけられている。私の失態はアクバール様に悪影響を及ぼす。……もう少し会話をして様子を窺うべきかもしれない。

「そんなご謙遜を。確か社交界で踊られるのは今回が初めてと窺っておりましたが、とてもそのようには見えないほど、お見事でしたわ」

 そう褒めてくれたのは一番年上の貴婦人だろうか。アッシュブロンドの髪を螺旋状に巻いて、トップで高く纏めているのが印象的だ。

「お褒めのお言葉を有難うございます。おっしゃる通り、今回のパーティで踊るのが初めてとなります。ですので、お褒めのお言葉をとても嬉しく思います」

 私は緊張しながらも声が震えないよう気丈を保って応えた。そこから年上の貴婦人を中心に次々と会話がなされていく。

「なんでも今までは人里から離れた場所で、お過ごしになっていらっしゃったとか?」
「えぇ、幼い頃から躯が弱い事もあり、空気の澄んだ土地で療養しておりました」
「あら、でしたら王都の空気は合いますかしら?」

 ――……空気?

 何か胸に違和感を覚えた。それが何か掴めずに私は素直に思った事を答える。

「えぇ、今はすっかり普通の方と変わらない丈夫な躯となりましたから、王都の空気も特に問題ありません」
「あらあらそう思いになられたの」

 年上の貴婦人が意味ありげなに応えた。

「あの、わたくし何か勘違いを致しましたか?」
「いえいえ、純真な方だと思いましたの。貴方のような可愛らしい方をアクバール王太子がお選びになったのも分かりますわ」

 少し怪訝な様子の私を見た年上の貴婦人がニッコリと笑みを深めて答え、他の女性達も妙に笑顔でいるのが気になる。

「そのようなお言葉は過分ですが、とても嬉しく思います」
「王太子も二十年間も人里離れた場所でお過ごしになれば、貴女のような方をお選びにでもなるのでしょうね」

 ―――!

 今の貴婦人の言葉で気付いた。この女性達が何故、私と話したがっていたのかを。彼女達は田舎者の私を蔑んでいるのだ。しかもそんな私がアクバール様の番いに選ばれ、快く思う筈などなく皮肉の一つでも言いたいのだろう。

 ――だから彼女達は名前すら名乗らなかったのね。それとさっきの王都の空気が合うのかという言葉の意味も分かった。

 田舎者の私には華やかな王都の空気は合わないだろうとオブラードに言っていたのだ。その嫌味に気付けなかった私を彼女達は心の中で嘲笑っていた。だから妙なほど笑顔だったんだ。

 このまま嫌味はエスカレートしていくだろう。案の上、貴婦人達は上流階級の人間だけが知る話題を持ち出してきて、あたかも私が常識知らずとでも言うように高笑いを始めた。

 このまま彼女達と会話をしているのは辛い。アクバール様が来る様子もないし、助けてくれるような知り合いもいない。ここは一人で切り抜けなければならない。私はグッと拳を握って意を決する。

「私は田舎から出てきたばかりなので、貴族社会は寡聞にして存じない事ばかりです。こういった社交界で皆様は私の先輩でいらっしゃいますので、どうか色々とご教授下さると嬉しいです」

 私がとびきりの笑顔で応えると、目の前の彼女達が唖然となって私を見つめ返す。こればかりは舌を噛まずに流暢に言えた自分を褒め讃える。私は田舎者だ。いつか王都など華やかな社交の場面に出た時、必ず私を見下す人々がいる。

 こんな事もあろうかと、昔からレッスンで対処法を学び、数々のロープレをおこなってきた。言葉の閊えや僅かな顔の引き攣りなどが、相手に優越感を与えてしまう。だから私はどんな言葉を投げられても笑顔で応えられるよう、特訓を受けてきた。

 練習とはいえ、何度涙した事だろうか。でも今のこの経験で、あの特訓で泣いた日々が報われたように思えた。目の前の彼女達はきっと私が困り果てる姿を期待していたのだろう。

 だが実際は泣くどころか返って私が笑顔となってしまい、誰もが大きく動揺しているようだった。場の雰囲気は白けたようにシーンと静まり返っていて、このは堪え難かったが、私は相手の出所をジッと待った。

「王太子妃は本当に謙虚な方で好感が持てますわ。私どもが貴女のようなご立派な方にお教え出来る事などありませんわ」

 かなりの時間差ではあったが、年上の貴婦人が明らかな作り笑顔で応えた。これで面白味がなくなったと、彼女達が私の前から立ち去ってくれると良いのだけれど。しかし、その考えは甘かった。

「あぁ、一つだけお教えする事がありましたわ。純白のドレスは汚れた時に目立ちますから、あまり好ましくありませんわ」

 年上の貴婦人の笑みが歪み、ゾクリと私の背筋が凍る。横からキラリと光るモノが視界に映った。透明度の高いグラスの光。その中に入っている赤い液体が私へと飛ばされる!

 ――あの赤ワインでドレスが汚されてしまう!

 反射的に私は視界を閉じた。その次の瞬間!

「きゃっ、大丈夫ですの! 手が滑ってしまって!」

 なんともわざとらしい叫び声が聞こえてきた。肌にワインがかかった感触はなかったが、ドレスに飛び散ったのだろうか。私は汚れたドレスを目にしたら泣いてしまいそうで、視界を開けられなかった。

「えぇ、お構いなく」

 ――え?

 見知らぬ男性の声が聞こえて、私はふいに瞼を開いた。え? ……誰? 目の前に男性の背中が見える。その彼の周りにさっきの貴婦人達が囲んで心配する声を上げていた。

 ――何が起こったの?

 私が茫然となって状況を見つめていると、突然目の前の男性が振り返って私は息を詰めた。男性の姿を目にして、さらに驚く。彼の整った顔と美しい礼装に赤い液体が飛び散っていたからだ。それにこの男性、見覚えがある!

 ――昨日の前夜祭で私の事を見ていた人じゃ……?

 監視しているような鋭い表情で私を見ていた彼が、どうして目の前にいるのだろうか。

「大丈夫でしょうか」

 男性から声を掛けられたが、私は何も言葉が出なかった。彼は気にせずに私の姿をサッと眺める。

「ワインはかかっていないようですね。良かった」
「あ……」

 男性はドレスにワインがかかっていないか心配してくれたんだ。彼が代わりにかけられた事に、私は罪悪感を抱く。

「だ、大丈夫ですか?」

 私が心配の声を上げると、周りの貴婦人達が間に割り込むようにして入ってきた。

「本当に申し訳ありませんわ。ついうっかりと手が滑ってしまって!」

 目を潤ませてお詫びを重ねる女性は躯つきがふくよかな貴婦人だった。彼女が私にワインを飛ばそうとした張本人という事になる。

『ついうっかりと手が滑ってしまって!』

 あれはうっかりではなかった。どう見ても故意だ。きっと私のドレスが汚れていたとしても、彼女は同じ弁明を言っていただろう。

「大丈夫ですよ」
「ですがお召し物が!」
「いえ、お気になさらずに」

 男性は微笑みながら淡々と答え、その場から去ろうとした。歩き出した彼を私は追いかける。

「あ、あの!」

 男性の背中に向かって声を掛けると、彼が振り返って驚いた顔を見せた。

「ほ、本当に大丈夫でしょうか!」

 追いついた私は男性の前まで行って問いかける。

「私を庇ってワインがかかってしまったのですよね! 本当に申し訳ありません!」

 私は深々と頭を下げて詫びを伝える。

「妃殿下、頭をお上げ下さいませ。このような場で私のような者に頭を下げてはなりません」

 男性から注意され、私はハッとなって顔を上げた。そうだ、王太子妃が迂闊に頭を下げてはならない。ましてやこのような大規模なパーティの中で軽率だった。私は純粋に謝りたかっただけなのに。

「わ、分かりました。ですが、私は貴方がそのようになった責任を感じてしまい……」
「お気になさらずに。私が勝手に起こした行動ですから」
「お着替えを用意出来ないか、付き添いの者に聞いて参ります」
「いえいえ、そこまでなさらなくて大丈夫ですよ。そろそろお暇しようと思っていたところですし。お気持ちだけで十分です」
「で、ですが……」

 このまま男性と別れたら、とても後味が悪い。彼は明らかに私の気を遣って広間ホールから退場しようとしているように見える。私は胸元に拳を握りながら、彼をまだ引き留めようとした。

「妃殿下、そのお気持ちだけで十分です」
「え?」

 男性がさり気なく、そっと私の手を包んで答えた。ごく自然な仕草、でも私には大事おおごとだ! アクバール様以外に触れられたという事実! 私はみるみると顔に熱が集まり、深く俯いてしまった。そんな私の姿に男性が気付いた。

「これは大変失礼致しました。軽率でしたね」
「い、いえ、大丈夫です」

 あまり大丈夫ではないけれど、そう答える他なかった。心臓の音が私の意思とは関係なしに派手に音を立てる。男性に免疫なさすぎるのも問題だ。そして何とも言えない空気に居た堪れず、まだ私は顔を上げられずにいた。

 ――顔を伏せていたら駄目だ。気品が損なわれてしまうもの。

 そう意識して私はなんとか顔を上げた。

 ――え?

 突如視界が闇に覆われ、何も見えなくなる。

 ――な、なにこれ……?

 驚くのも束の間、急に薄っすらと辺りが見え始め、私は息を切った。視界が仄暗い。分かる事といえば、私は祝宴会の広間(ホール)にいる。だけど、私以外の人間は時が止まったように動いていなかった。

 さっきまで話をしていた男性も嫌がらせをしていた貴婦人達も、他の人間すべてが人形のように止まっている。そして辺りは舞台を終えた劇場のように静まり返り、自分の心臓が音だけが耳朶を強く打つ。

 ――ドクンドクンドクンドクンッ。

 得体の知れない現象に心臓が今にも壊れそうだった。ほんの数秒顔を伏せていただけで何が起こったの!?

「これはこれは面白い舞台が始まったようですね。本当の宴はこれから……でしょうか」

 頭上から男性とも女性ともどちらとも言い難い中性的な声が響いてきた。

 ――だ、誰!?





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