三十四話「至福の王と戯れ事」
こちらの世界に来て、はや一ヵ月も経ってしまった。その間、宮殿の外には全く出してもらえず。こっちの世界の言葉を覚えたら、外に出してくれるって約束をしてもらっていて、まだ拙い部分は多いけど、愛のパワーで日常会話ぐらいまでは話せるようになったってのに……。
全くといって外には出してもらえてないんですけどぉおお! キールやシャルトになんで? なんで? と訊いても、まだ言葉が不十分だからダメって言われるだけで、全くといって聞く耳をもたれない!
ヤツ等、初めから私を外に出す気がないんじゃないかって思う。そんな中、私の唯一の楽しみが、時折姿を見せてくれるチナールさんだ! 彼いつも沢山の食材を運んで来るんだけど、そのお手伝いをしながら、お話が出来るのが楽しみなんだよね!
思っていた通り、とっても優しくて思いやりのある人だから、この先一緒になっても必ず幸せにしてくれると思う! あぁ~今日もチナールさん、こっちに来ないかなぁ~。もっと言葉を覚えて色々な話がしたいんだよね。
彼を好きになってから、会話をしたい一心でだいぶ言葉も上達したし。もっともっと身に付いたら、今度はチナールさんのお家にも遊びに行きたいな、ウシシッ❤私は午前中の勉強を終えた後、自室のベッドの上でムフムフとニヤけながら、妄想を膨らませていた。そんな時……。
――コンコンコン。
出入り口の扉が叩かれる。
――誰だろ?
『はぁい』
私が元気良く答えると、ギィーと扉が開いた。そこに現れた人物は……?
『!?』
私は目を真ん丸にし過ぎて零れ落ちそうになった! だって現れた人物が……あのアイリッシュ王だったからだ! 相変わらず美しい王の風貌に目が奪われる。
『千景、久しぶりだね』
王は私を見つけると、満面の笑顔になって近づいて来る。実は王とはキールと契りを交わせられなかった翌日に会って以来、一度も姿を見る事はなかった。王は契り切れなかった私に憤りを感じて、避けられているんではないかと思っていた。
『ど、どうなさったんですか? お一人で此処に?』
『そうだよ、千景に会いに来たんだ』
――な、なんですと!
『ずっと仕事が立て込んでいて、なかなか君に会いに行けなかったんだよ。今日やっと時間が出来たから、会いに来ちゃった』
――その貴重な時間を私の為に? どのような意味で!
突っ込みたくて仕方なかったけど、上手く言葉に出来ずポカンとして王を見上げていたら、王がいきなり私の隣に腰を落としてきた。
『!?』
躯が硬直となる。さらに王からジーッと瞳を見つめられ、ドギマギとしていた。こんなお美しい方に、こんな間近で見つめられると、キュン死にしてしまうんですけどぉおお!
『な、なんでしょう?』
触れなくともわかる! 自分の顔が熱いのが。これでは王に私の動揺が丸わかりではないか!
『やっぱ千景は可愛いなぁって思ってさ』
王は見惚れてしまうような艶やかな笑みを浮かべて吐露する。
『へ?』
――な、なんですとぉ!?
今、王の口から可愛いって出たよね! 素直に受け止めれば嬉しいけど、な、なにか裏があるのかな!
『あ、あの、ど、どういった風の吹き回しでしょうか?』
私は視線を彷徨わせて、可愛いげのない問いかけをしてしまった。
『そのままの意味だよ。千景の外見はボクのタイプなんだよね』
な、なんと、そんな風に思っていてくれていたのか! 王の言葉に私は一気に熱が上気し、頬を益々朱色へと染める。私が妙に慌てふためいていると、
『でも千景はキールから言われた方が嬉しいかな? 二人はとっても仲がいいもんね』
『はい?』
王よ、なにか勘違いをされていませんか? 私はキールから可愛いと言われる仲ではございませんし、ましてや言われても嬉しくないですから!
『王はなにか勘違いをなさっています。私はキールとはなんにもありませんし、それに今、私は別の男性を想っていますから』
『あぁー、シェフお気に入りのチナールだよね?』
『そ、そうです』
わぁ! 何故王がその事を知っているんだろう? キールかシャルトが話したのかな。
『でも意外だね。キールみたいな綺麗なコと一緒にいて好きになったりはしないの?』
『シャルトもそんな風に訊いてきた事がありましたけど、確かにキールは綺麗なコだと思いますが、だからといって好きになるとは限りません』
『そうなんだ……』
私の決然とした返事に、王はどこか切なげな表情をしていた。なんでだろう?
『それに私はキールより王の方がストライクゾーンですけど』
王もさっき私の顔を褒めてくれたもんね、私も正直な気持ちを伝えてみる。一瞬、王は驚きの色を見せたが、すぐに満面の笑顔に変わる。
『本当に?』
『は、はい!』
急に王は身を乗り出してガシッと私の両手を握ってきたものだから、私はビックラして動揺する。
『じゃぁ、千景がボクの事を好きになる可能性はある?』
『え?』
好きになりかけたというか、好きになっていた時期はありましたけどね。数時間だけだけど。まぁアイリッシュ王が「王」とわかって身分差や妃になる事を考えると、荷が重いというか、平和な生活を送りたい私には難しいと思って諦めたんだよね。
そういう事を考えなければ、絶対に好きなままでいたと思うな。王は息を呑むほど美しいし、気遣いもさすがだし、年も近いし(多分)、本当に物語の中の理想的な王子様って感じだもん。
『王は素敵な方だと思いますよ。好きになる事もあるかもしれませんね』
私は素直に答えた。すると王の表情がドキッと心臓の音を立てるほど、真剣な顔へと変わり、そして大きな手で私の頬を包む込んできた。
『え?』
視界が翳るのを感じ、王の顔が近づいてくるのを私は茫然と見つめていた。