Past7「隠蔽された真実」
「沙都様は期待以上の事をなさっています」
「それは私も感じておる。一度も不平不満を並び立てず、柔軟に事を為してくれておる」
陛下から微かな笑みが零れ落ちる。オレは陛下へ報告を上げに第一執務室まで来ていた。報告の内容は沙都様の事だった。オレは天神を護衛する最終責任者として、彼女の行いを定期的に報告している。
オレ自身は四六時中、護衛や侍従のように付き添ってはいないが、ナンを中心に沙都様の行いを聞き、纏めて陛下へ報告を上げていた。その報告はオールやエニーも同じように行っている。
現時点で沙都様に特別な問題点はなかった。それどころか彼女は言われている以上の事をなさっている。その努力を陛下も分かっていらっしゃるようだ。そして沙都様と陛下の仲もとても良好だった。それにオレは安堵感を抱いていた。
沙都様には心配がなくても、陛下のお気持ちには懸念があった。もし陛下に天神へのご不満がおありでも、夜な夜なになれば彼女を抱かなければならない。今のところ、陛下がそのような複雑な心境を抱かれるご様子もなく、オレは安心していた。
「一度もご不満の言葉を口になさらないとは本当に有難い方ですね。それに欲のない方です」
今のオレの話した内容はけっこう凄い事だった。沙都様は無理難題を押し付けられているにも関わらず、不満不平も言わず、それでもって欲もお持ちではない。こちらとしてはどんな対価を求められるか構えていたというのに。
「他の者もそう申していた。沙都は対価を求めて来ない。本当に良い天神を選んだくれた事に感謝をしているぞ、エヴリィ」
「滅相もございません」
陛下からの感謝のお言葉に、オレは恭しく頭を垂れさせた。だた一つ、敢えて気に掛かっている事といえば、沙都様のお気持ちだ。ダーダネラ様の感情を引き継いだ事にとって、少なからず沙都様は陛下に恋慕を抱いていらっしゃる筈だ。
―――いずれ彼女が陛下のお気持ちを求める日が来るかもしれない。
その時、陛下はどうなさるのだろうか。御子の代理出産や魔女退治という大役を果たす沙都様の対価として、お気持ちをお受けになるのか。もしそうなったとしてもだ。陛下のお心に沙都様のお気持ちは住めないであろう。
―――陛下のお心はダーダネラ様しかいらっしゃらないのだから。
とはいえ、この先にどう変わるかは分からない。もしかしたら、陛下が沙都様を本当に受け入れる時が来るかもしれない。沙都様の幸せを願うのであれば、ここは一つ…。
「陛下、大変お忙しいとは思いますが、たまにはごゆっくり沙都様とお過ごしになってはいかがでしょうか?沙都様にも寛げるお時間がおありの方が御子のお躯にも良いかと存じます」
陛下にも夫婦水入らずとも言える時間をお過ごし頂きますか…。
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―――あれは…沙都様?
開架書架を訪れると、真っ先に目に付いたのが天神の沙都様だった。彼女はデスクに腰をかけ、難しいお顔をされながら、書物と睨めっこをなさっている。
―――本当にあの方は勉強熱心だな。
休憩の時間を利用して調べ物をなさっているのだろう。そんな彼女に感心をしたオレは何か手伝える事はないか、自然と彼女の方へと寄っていた。ふとした親切心がまさかあの事と繋がるとは思いも寄らなかったが……。
「こちらはアトラクト陛下ですね。今よりも少しお若いでしょうか。もう歴史上の人物として書物に収められているのですね」
オレは沙都様から見せられたある頁の挿絵を見てハッと気づく。
―――これは……アトラクト陛下ではない。
「いいえ、その方はアトラクト陛下ではございませんよ」
「え?」
「アティレル陛下です。既に600年ほど前にお亡くなりになっていますが」
沙都様が間違われるのも仕方ない。アティレル陛下は600年程前の人物にも関わらず、現世のアトラクト陛下のお姿と瓜二つでいらっしゃる。オレも含めて誰もが初めてアティレル陛下の像を見ると目を剥くのだ。
―――アティレル陛下の生まれ変わりが、アトラクト陛下ではないかという説もある。
このアティレル陛下、革命を起こし我が国を経済トップにまでした偉大な国王陛下として異名を残した一方で、子孫を残さず国王としての役割を放棄したという黒歴史も刻まれている。その原因は禁断の恋をなさっていたとか。
それをオレは簡単に沙都様へと説明をした。我が国の歴史を教えるのも立派な勉強の一つだ。そんな他愛のない会話の流れで、沙都様がある事を口に出される。
「こちらのアティレル陛下ですが、毎夜、私の夢に出てくる方と似ていますね。今よりもお若いアトラクト陛下だと思っておりましたが」
「え?」
今の沙都様のお言葉に、オレの胸の内が黒く騒めいた。警告が鳴ったというべきか。何故そうなったのか、この時点では分からなかった。ただ妙に胸騒ぎがしていたのだ。
「このアティレル陛下が毎夜夢に出て来られるのですか?」
妙だ。アトラクト陛下ならまだしも今日初めて挿絵で目にしたアティレル陛下が出て来るなんて有り得ない。
「アティレル陛下なのか、お若い頃のアトラクト陛下なのか分かり兼ねますが、夢に出てきていますよ。それと必ず艶やかな長い黒髪の女性と一緒にいらっしゃいます。でも何故か女性の顔は見る事が出来ないんですよねー」
「え?」
続いた沙都様のお言葉に、心を戦慄かせる単語があった。
―――艶やかな長い黒髪の女性?
悍ましさと怒りによって躯が震え上がりそうになる。あの忌々しい魔女を想起させるからだ。今となっては憎悪そのものの存在。オレが唯一殺したいと願う相手だ。
「艶やかな長い黒髪をもつ女性ですか?」
オレは無機質な声色で沙都様に言葉を返す。彼女は「はい」と一言だけを返された。そこでオレはある仮説が思い浮かぶ。
―――ま・さ・か・な。
仮説が肯定となるのか否定となるのか、それは沙都様の答え次第だ。
「そちらの女性は髪が腰よりも長く、スラリとしたスタイルの方でしょうか?」
「そ、そうだった気がします」
今の沙都様の答えに、オレはギリッと歯軋りの音を立てた。
……………………………。
我が王族は魔女とは関りのない筈だが、そんな事は有り得ない!そう否定したかったのだが、仮説が事実であれば、あの忌々しい魔女との繋がりが見えていた。こんな事があって堪るか!
―――あの魔女はアティレル陛下と関係していたのか!
アティレル陛下と瓜二つのアトラクト陛下だ。すべては600年前のアティレル陛下の時代に魔女との関りが隠されている…。
―――数十分後。
沙都様の休憩が終わりオレは彼女と別れた。その後、オレは魔導師のみが入れる書庫で用件を済ませ、ある場所へと向かおうとしていた。
―――ドサッ!
急いでいたからか、書架から荒々しく書物が落ちた。気が急いでいるオレは煩わしく思いながら、落ちたハードカバーを手に取る。その時すぐに意識が奪われた。
―――これは……サラテリ殿の日記が隠された本だ。
気は急いでいたのだがオレは書物の仕掛けを解き、サラテリ殿の日記を浮かび上がらせる。そして内容に目を落とす。
『私があの時、行った事は陛下の為であり、
なにより我がオーベルジーヌ国の未来を守る為であった。
一過性の熱で我が大国を危険に晒す訳にはいかなかった。
私は自分が行った事に間違いはなかったと思っている。
だが、望んでいた未来にはならなかった。
あるべき光の輝きを失った。
何を間違えたというのだ?
何故、私の心が苛なまれなきゃならない。
まるで罪を犯したとも言うように……。
歴史は刻まれた。しかし、あの事が此処に刻まれる事はない。
あれは記憶をもつ我々の生が尽きれば白紙となり、歴史上に傷は残らない。
それで良いのだ。
では何故、私はそれを此処に綴っているのだろうか。
いずれ何処かで明かされる日を自身が望んでいるのか。
その答えは分からぬまま、私の生は終えるだろう……。
サラテリ・アジュール』
我が先祖のサラテリ・アジュール、彼はアティレル陛下にお近くで仕えていた有能な魔導師だった。彼は何に懺悔をしていたのか。
―――アティレル陛下の為
―――一過性の熱
―――あるべき光の輝きを失った
―――あの事
刻まれていない歴史である為にヒントすら探しようがなかった。だが、目についた言葉を並べた時、頭の中が一閃した。
―――これは…。
恐らくアティレル陛下の禁断の恋を妨害した懺悔ではないだろうか?
―――禁断の恋の相手とは……。
歴史上に残せない相手とはよっぽど身分の低い相手だったのだろうか。それとも別の理由か…。
…………………………。
いや、まさか?オレの脳裏にある女性の像が浮かび上がった。
―――ま・さ・か・だ・よ・な?
いや待て!もしその相手がアイツだったら……?決して結ばれる事のない禁断の愛というのも納得出来る!ドクドクドクと心臓が自分の意思とは反して加速する。
―――この事を早く陛下に!
待て、これはあくまでもオレの推測に過ぎない。個人的な仮説で陛下のお気を迷わせてはならない。まずは……。
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「オレはこのように仮説を立てました。いかが思われますか、ゼニス神官」
「ふむ」
オレの問いかけに神官は考え込まれる。オレは神殿へと来ていた。沙都様からお聞きしたアティレル陛下と、そして例の魔女について、オレは自分の立てた仮説を神官へ話に来たのだ。
オレの仮説はこうだ。あの魔女は600年前のアティレル陛下と恋仲であったのではないかと。あの頃は今と違い、魔女は自由に地上へと顔を出す事が出来た。だが、あの時代でも異種族との婚姻は認められていなかった。
アティレル陛下と魔女の関係は禁断だった。そして何処からか二人の関係が漏れてしまった。そこで魔導師のサラテリ殿を中心に、仲を引き裂かれたのではないだろうか。妨害の内容までは分からない。
だが、魔女はこの現世で呪いをかけにきた。600年もの間、抱え込んでいた怨恨。その恨みを魔女はアティレル陛下と瓜二つのアトラクト陛下へと向けた。それがあのダーダネラ様のお命を奪う事へと繋がる。
―――己ノ罪知レズ 幸ナカレ 我ト同ジ…久遠ニ”と
魔女が残したあの言葉。「己ノ罪」とは引き裂かれたアティレル陛下との恋への恨み、「幸ナカレ」とは罪があるまま幸せになる事は許さぬという怒り、「我ト同ジ…久遠ニ」とは魔女と同じく永遠の苦しみを味わせる呪い。
今のアトラクト陛下には関係のない事であり、ただ被害を蒙っただけだ!こんな皮肉な運命に巻き込まれ、ダーダネラ様のお命は奪われたのだ!悔やんでも悔やみ切れない!オレは震え上がる躯を理性で抑え込んで神官へと述べた。
「仮説に過ぎないといえば過ぎないが、有り得ない話ではないじゃろう」
「ではこの仮説を陛下にお伝えしても宜しいでしょうか?」
「いや、現時点では不確かな部分が多い。今すぐにお伝えするのは待った方がよかろう」
「さようですか」
神官の答えは最もであったが、オレ的には少しでも可能性があるのであれば、先へと進めたかった。オレは早く解決させる事が、ダーダネラ様に対する報いであると思っていたのだ。
―――不確かな部分か。
それを明確にするにも歴史上で隠蔽されている出来事の為、確認しようがない。そもそも何故、呪いの矛先がオレではなかったのだ!恋路の邪魔をしたのはオレの祖先のサラテリ殿を始め、他の者だった筈だ!ダーダネラ様の祖先は王族でもない。
あるいはだ。アイツはアトラクト陛下をアティレル陛下として見ており、妃となったダーダネラ様に対する嫉妬なのか。とんだ恨む矛先が間違っている!それで人を殺すなんて有り得ないだろう!
あとは沙都様が毎夜の夢で何故、アティレル陛下と魔女の二人をご覧になっているのか、説明がつかない。その夢はあの魔女が見せているというのか。いや、そんな事が出来るのであれば、初めからアトラクト陛下へと見せているだろう。
「とはいえ、準備をより早く進めておく必要がある。まずは天神の力を確実に発現させる事じゃ。でなければ何も始める事は出来ん」
「そうですね。神官、お躯の調子はその後いかがでしょうか」
「だいぶ回復しておる」
「それは誠に良かったです。では試練の準備を進めて参りましょう」
「ふむ」
まずは沙都様を試練の場へとお連れする。その為には皆の協力が必要だ……。