Past4「迫り来る決断の時」




 ゼニス神官の言いたい事は分かっていたが、オレは理解を拒んだ。ダーダネラ様の身籠っている御子を他の女体に移動させる。そんな事が出来るのか否かを思案していたのではない。

 胎児を移動させる、すなわちダーダネラ様は助からないと決定づけられたようなものだ。それは神官の力でダーダネラ様の呪いを解けなかった時点でほぼ決まっていた。

 それでもオレは諦めない。だが、オレが助かる道を悪戦苦闘している間にも、ダーダネラ様の病は刻々と死へ近づいていた。このままではダーダネラ様と共に御子の生命いのちまでも失われる。

 ダーダネラ様も陛下もお二人の御子を強く望まれている。正直、ダーダネラ様のご容態は芳しくない。今、御子を他の女体へと移せば、御子のお命は救う事が出来る。

 その御子の移動はオレが行うように下命されていた。神官もなんて酷な事を叩きつけてくるのだろうか。何故、オレに下命がおりたのかというと、オレが次代の神官として最も有力候補となっているからだ。

 神官となるかどうかはオレの意思も尊重されるが、もしその道を選んだ場合、今回のようなハイレベルな魔法を扱える事は必須条件である。今の段階で、オレは神官になる道を考えてはいないが、魔導師としてレベルの高い魔法を扱えるに越した事はない。

 しかし、オレはダーダネラ様を目の前にして実行する自信がなかった。彼女を慕っているオレが彼女に死を教える事になる。愛しい女性ひとにそんな惨い事を叩きつけられるか!

 それに考えてみろ。あのアトラクト陛下がお認めになる訳がない。陛下だってオレと同様、ダーダネラ様のお命を諦めていらっしゃらない。陛下が望んでおられない事を実行する訳にはいかない。

 だからオレは御子の移動を考えていなかった。正確に言えば、考える事から逃げていただけかもしれない。そんなオレに神官かみは現実を叩きつけてくる。この時ほど、オレは自分が魔導師である事を悔やんだ事はなかった……。

◆+。・゜*:。+◆+。・゜*:。+◆


「陛下、どうかご決断下さいませ」
「……………………………」

 陛下の美しいお顔が微かに歪む。ゼニス神官から決断を迫られている陛下のお心は焼かれるような苦しみを抱えている事だろう。オレが陛下なら決断し兼ねる・・・・・内容だ。

 オレとゼニス神官はここ陛下がいらっしゃる執務室へと足を運んでいた。内容は例のダーダネラ様の中におられる御子を他の女体へと移動させる承諾であった。

 さらに御子を宿った女性をこの宮廷に呼び、御子を出産するまでの間、陛下と今宵を過ごして頂く事のご了承も頂かなければならない。このような内容を陛下は迫られているのだ。

 今すぐには決められないだろう。だが、この申し出は既に数日前からお伝えをしていた。これでもギリギリのところまで陛下にご猶予を与えていたのだ。とはいえ、とても腹を括っておられるとは思えない。

「陛下」
「御子の移動を知らせる事はダーダネラに真実を伝える事になる…」

 「それは私には出来ない」と、陛下はおっしゃりたいのだろう。だが、容易に出来ないというお言葉を口にするのは国の主としてあるまじき行為であり、言葉に出来ずにいらっしゃる。そんな陛下に神官も容赦ない。

「お気持ちは察しますが、御子のお命も絶たれますぞ」
「わかっておる」

 ゼニス様に心がない訳ではない。最良の道をお教えする、それが神官の出来る唯一の事だっだ。そこにオレも同行している。御子の移動はオレの役目でもある為、陛下から承諾を得る事は避けて通れない。

 ……………………………。


 陛下はまた口を重く閉ざされる。神官も陛下からご決断を頂くまではここから立ち去るつもりはないだろう。陛下のお気持ちを待っている間にも、ダーダネラ様に万が一の事があれば、一番悔やまれるのは陛下ご本人だ。

 オレは陛下のお気持ちも神官の気持ちも痛いほど、分かっていた。だからこの澱んだ空気の中にいるのは非常に堪え難かった。ご決断を頂くまで長期戦となるだろう。今、オレに出来る事は陛下からイエスの言葉を待つのみ。

「私はダーダネラの命を諦める事が出来ない。今でも御子の命と共に助けたいと思っている」
「我々も最善を尽くしました。ですが、陛下のお望みすべてを叶える事は叶いませぬ。御子だけでも他の女体へと移し、生かす事が我々に出来る唯一なのです。どうか今一度ご理解下さいませ」

 ゼニス神官の意思は固い。どんなに陛下が懇願なさっても意見を変える気はないだろう。神官(かみ)は偽りなく真実を告げなければならない。優しい嘘という一時的な気休めを与えてはならない。

 陛下がお顔を伏せられる。美貌に憂悶の影が広がっていた。そして瞼を閉じられる。ご決断をなさるのだろうか。オレの心臓が早鐘を打つ。正直に言わせてもらえば、陛下からイエスというお言葉を聞きたくない。オレにとっては絶望そのものだ。

―――コンコンコンッ!

 強張った空気をノックの音が切り裂いた。陛下の執務室だというのに、随分と荒々しいノックの仕方だった。誰だ、そんな無礼なヤツは。

「入れ」

 陛下は不快なご様子を見せずに返事をなさる。すると、すぐに扉が開けられる。

―――ギィ―――!!

 また荒々しい開け方だ。姿を現したのはダーダネラ様に仕える女官長の一人だった。


「失礼致します!陛下、王妃のご容態が急変し、高熱に見舞われております!呼吸もままならないご様子で、とても危険な状態です!」

 オレはみぞおちを打たれたような衝撃が走り、頭の中が真っ白に染め上がる。普段、落ち着いている女官長の緊迫した声が生々しく耳朶を震わせた。

「なんだと?」

 陛下の顔色も失われて行く。

「ゼニス神官様とエヴリィ様もいらして、王妃のご容態をご覧になって下さいませ!」
「すぐに向かう!」

 オレの返事に女官長は踵を返して去って行った。オレも後を追って向かおうと動いた時だ。

「陛下、ご決断をなさる時です」

 神官の冷徹な声が死神を見たような気分にさせた。

「ゼニス殿!」

 オレは肩をそびえ立たせて一驚する。あの冷静沈着な陛下がお声を荒げたのだ。陛下はすぐに神官とオレの前へ来られた。

「お願いだ!ダーダネラの命を救って欲しい!私の命を引き換えにしても構わない!どうかどうかお願いだ!ダーダネラを救ってくれ!」

 陛下は神官の手を強く握って懇願なさった。オレは息を呑む。

「私は……私はダーダネラ無しでは生きていけぬ。生(せい)があっても彼女のいない世界は死んでいるも同然だ。であれば私の命を引き換えにして、ダーダネラの命を救ってくれ!」

 陛下の頬に光の雫が伝う。それはしきりに姿を現し流れ落ちていく。あの陛下が泣いておられる。常に凛となさっている陛下が素の感情を出されるのを初めて目にした。

 陛下が如何にダーダネラ様を愛しておられるか、その愛情の分、どれだけの悲しみを抱えていらっしゃるのか、その心の叫びがオレの胸の内へと打ち響く。

「お願いだ、ゼニス殿!私の命を引き換えにダーダネラを救ってくれ!」

 陛下は肩を震わせ、泣き崩すお顔で何度も何度も血を吐くように願いを口になさった。そのお姿にオレの胸の内と目頭が熱くなる。

「…っ」

 グッと堪えてなければ、オレの瞳からも涙が溢れ出てきそうだった。だが、どんなに堪えても瞳の潤いは拭えない。陛下のお気持ちはオレ気持ちでもある。オレだってダーダネラ様を失いたくない!失いたくないんだ!!

 何故、ダーダネラ様のお命が奪われなければならないのだ!彼女が魔女に何をやったというのだ!彼女は純粋な人間で先祖の代からも魔女との関りはない!我が王族も魔女から恨まれるような禁忌は犯していない!

「…………………………」

 さすがに神官も言葉が出ないようだった。陛下の今のお姿を目の前にして、救える手立てがないなど、口には出来ないのだろう。

「陛下、ゼニス神官、今はダーダネラ様のご容態を先決に考えるべきです。急ぎましょう」

 オレは神官から促されていた陛下の答えを待たず、ダーダネラ様の元へと行く事を先決させた…。

◆+。・゜*:。+◆+。・゜*:。+◆

 オレの目の前にダーダネラ様が確かな寝息を立て眠っていらっしゃる。オレは彼女が眠る寝台の前へと腰を掛け、様子を窺っていた。ダーダネラ様は今は落ち着かれていて、オレも生きている心地を感じる。

 彼女の悪い知らせを聞いてから、すぐに処置を行い、奇跡的に苦しみを拭う事が出来た。呪いの病を緩和する事は難しいのだが、今回はダーダネラ様の生きる力が奇跡を起こしたのだろうか。

 だが、奇跡はそう何度も起きないだろう。そして今回のような危険な状態が今後も続く。場合によって御子の体内移動が出来なくなるかもしれない。神官の言う通り、今であれば御子を安全に移動させる事が出来る。

 それをオレの口から伝えるべきなのだろうか。オレがダーダネラ様に死の宣告をするのか。愛しい人を絶望へと導く……出来ない、オレには出来ない!あらゆる感情がい交ぜとなり、答えを出せずにいた。

「ん…」

 ダーダネラ様の口元から吐息が零れ、オレは我に返る。椅子から立ち上がって、ダーダネラ様へと声をかける。

「ダーダネラ様、ご気分はいかがですか?」
「……エヴリィ…ね?……えぇ、大丈夫よ」

 彼女は小さく微笑み答える。大丈夫だとおっしゃっても、だいぶ憔悴し切っている。病との闘いは並みならぬ体力が必要だ。ましてや魔女の呪いだ。より体力の消耗は激しい。最近は食事もままならないご様子で、だいぶ痩せ顔色も優れない。

 だが儚いように見えても、それでも美しい花である事には違いない。それにこれまで彼女の口から弱音の言葉を聞いた事がない。彼女は生きようと前向きな気持ちでいる。オレは救いたい、なんとしてでも。

「エヴリィ、色々と尽くしてくれて有難う」
「とんでもございません。当然の事をやっているまでです」

 オレは素の笑顔を見せて応える。手間だなんて一度も思った事はない。ダーダネラ様とこうやってまた会話が出来るだけで心が華やぐのだ。

「今日の事だけじゃないわ。私の病を治す為に、貴方がどれだけ時間を費やしてくれているか、知っているわ」
「え?」

 オレは息を呑んだ。何故、それをダーダネラ様がご存じでいらっしゃるのか。オレが病を治す方法を血眼になって探している事は誰にも話していない。

「でももういいのよ。これ以上は頑張らなくていいわ。貴方のほうが先に倒れてしまうもの」
「ダーダネラ様、何を…?」

 オレはダーダネラ様がおっしゃりたい事を察し、嫌な予感がしてならなかった。

「気付いているのよ。この病が治らないという事を。貴方がこんなにも頑張ってくれているのに治らないんですもの。さすがに気付くわ」
「何をおっしゃるのですか!病は治ります!少々お時間がかかっているだけです!」
「本当にもういいのよ」

 こんな事をダーダネラ様に言わせてしまったオレは何をやっているのだろうか。どうして助ける事が出来ない?苦しんでいる愛しい人を助けられない魔導師の力とはなんだ?肩書とはなんなんだ?

 ダーダネラ様は優しく微笑んでいらっしゃった。その笑顔がすべてを察しているのだと物語っている。ドクドクドクと耳の奥が痛いぐらいに脈打つ。ダーダネラ様が心の何処かで生きる事をお諦めになっているのかと思うと、胸に強い衝撃が走った。

 ダーダネラ様がいなくなる。それが現実になるのかと思えば、涙が滲み出てきそうだった。駄目だ!ここで涙したらダーダネラ様が助からないと言っているようなものだ!それに何よりオレが彼女の死を認めてしまう事になる。そんな事があって堪るか!オレはまだ彼女を救う事を諦めていない!

 オレは唇を噛み締め、必死に涙を堪える。反対に何故、ダーダネラ様は笑顔を見せて下さるのだろうか。オレに暗い気持ちにさせたくないという気遣いなのか?こんな時でも彼女は人に気遣えるのか。普通の人間なら行き場のない感情をぶつけてくる筈だ。

 何故、彼女はこんなにも気高いのだろうか。今にもお心が折れそうな筈なのに、どうしてこんなにも力強く真っ直ぐな心をお持ちなのだろうか。比喩で高級花と讃えられていた彼女だが、オレには本当に大輪の花が輝いているように見えた。

「エヴリィ、お願いがあるの。私のこのお腹にいる御子を助けて欲しいの。もう母体はいつまでもつのか分からないのでしょう?」
「ダーダネラ様!」

 死をにおわす言葉を口に出され、思わずオレは語気を荒げてダーダネラ様の名を呼んだ。

「お願いよ、エヴリィ。私は陛下に御子を残してあげたいの。陛下から愛されていた証を残したいのよ。せめてもの願いを聞き入れては貰えないかしら?」

 ダーダネラ様から笑顔が消え、切なる表情へと変わられる。切望をなさるその必死なお姿に心は打たれるが、イエスとは答えられない。ダーダネラ様から生きる希望を奪ってしまうからだ。

「ダーダネラ様、そのような事は陛下がお許しにはなりませんよ。陛下は貴女が生きて、御生みになる事を望んでおられます」
「それは痛いほど、分かっているわ」
「でしたら!」
「それが出来るのであれば、このような願いを口にしない。分かるでしょう?」
「…っ」
「陛下には私からお話をするわ。陛下ならお分かりになって下さる筈よ」
「……………………………」

 本当にそうなるのだろうか。ダーダネラ様から御子を移動させる。それはダーダネラ様と死別を覚悟する事になる。陛下はどうご決断をなさるだろうか。オレには分からない。だが、陛下がお決めになった時には…。

「陛下が望まれるのであれば、そちらの願いをお受け致します」
「有難う、エヴリィ」

 とても綺麗な笑顔だった。その安心なさっている笑顔から、オレへの信頼を感じた。その笑顔をオレは永遠に見ていたいと願った。どうか陛下から、我が国の民から、そしてオレからダーダネラ様を奪わないでくれ、そう願わずにはいられなかった……。





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