Please58「秘められた想い」




 私は茫然と絵画へいかを見つめる。金色に近い砂色の髪、夏に移り変わる前の瑞々しい葉色のような瞳、そして今よりもずっと表情が柔らかく、パッと見ると別人のようだ。今の厳かな陛下からは想像もつかない。

 ――どうしてこんなに多く陛下とアクバール様がご一緒の絵画があるの? この場所は一体?

 私ははっと息を凝らす。

 ――さっき通ってきた部屋は……ヴォルカン陛下の!?

 私はどうして陛下の部屋に!? ここに入った事がバレれば只では済まされないだろう。どんな処罰が待っているのか。さらにアクバール様の立場も悪くしてしまう! 急いで私はこの部屋から立ち去ろうとした。

 ところが……。

 急に視界に霞がかかった。原因不明の異変に身の毛がよだつ。

 ――な、何急に!?

 辺りの色素が薄れていく。不安定な視界のまま私は視線を彷徨わせると、突然目の前に人が現れた。

 ――え?

 半透明な姿をした男性。私は相手の顔を目にした途端、気絶しそうになった。まさかの「ヴォルカン陛下」だったからだ! 処刑される寸前の罪人になったような恐怖を抱く。

 陛下から何て言われるのか! だけど、こんな近くに私がいるのに、陛下は全く気付いていないご様子で、目の前の絵画を見上げていらっしゃる。私の姿が見えていない……?

 考えてみれば色々と妙だった。陛下も周りの光景も薄っすらとしていて、まるで幻想の中にいるような感覚だった。どう見ても現実味に欠けている。これはカスティール様に抱き寄せられた、あの出来事と似た感覚だ。

「アクバール……」

 陛下からアクバール様の名が出て、私は彼と同じ視線の先に目を向ける。今とさほど変わらないアクバール様の肖像画が映った。

「あれから二十年にもなるのか、立派になったな」

 ――え?

 陛下の慈しむような声色と優しい眼差しを目の当たりにして混乱が生じる。

 ――ど、どういう事?

 陛下は常にアクバール様には厳しいお顔を見せる。夢のような感覚がするのに、今の陛下のお声はとてもリアルに感じた。

 ――どうして今は我が子を見るような優しいお顔で肖像画をご覧になっているの?

 そんな疑問が生まれた時、急に視界が暗転した。一瞬で全く違う光景へと変わり、今度は陛下の姿が鮮やかに見えていた。状況が瞬時に一変して、私の思考は機能をしていない。

 そして光景は中庭に変わっていた。ここはエクリュに勝手に連れて来られた場所だ。そこで美しい上質な黒馬の姿を目にする。その馬に乗っていらっしゃる方は……。

「ヴォルカン陛下……」

 乗馬のスタイルの陛下だ。私は困惑していた。偶然に遭った事よりも、さっきの陛下の姿が脳裏に焼き付いていて離れない。もしかしたら私は陛下の「記憶」に触れたのではないかと考えていた。

 もしあれ・・が本当にあった出来事であれば……困惑と動揺が重なって躯が震える。陛下の方も言葉を失われて私を正視している。そんな重々しい空気の中で、エクリュは陛下の黒馬へと近づく。


「ちょっ、エクリュ!」

 これ以上、陛下に近づきたくない! 慌てて止めようとしたが、私は運悪くバランスを崩して躯が傾いてしまう!

 ――嘘!? 落ちる!!

 恐怖に私は固く目を瞑った。次の瞬間、ガシッと何かに躯を包まれた……ような気がした。曖昧な言い方なのは、またしても視界に目紛るしい変化が起きたからだ。

 ……………………………。

 ……………………………。

 ……………………………。

 いつの間にかまた陛下のお部屋にいた。目の前に人がいる。絵画の年齢と同じぐらいのヴォルカン陛下と、幼い姿のアクバール様だ。また十歳ほどのアクバール様は、す、凄く可愛い!

 絵画の中で見た彼もとても愛らしかったけど、実際に目にすると桁違いに可愛い! 私は目を潤ませて歓喜していたが、アクバール様のお顔は優れない様子で今にも泣きそうだった。

「おじうえ!」
「アクバール、どうした?」

 アクバール様は陛下に抱きついて泣き始める。

『小さくなんとも愛らしい』

 ――え? ……今の声?

 陛下のお声だ。直接頭の中へと響いてきた。陛下の口から出た言葉ではない。何が起こったのか分からず、私が瞬きを繰り返している内に会話は進んでいく。

「ち、ちちうえがボクをしかるんです」
「何があったんだ?」
「どうしてもブロリーがたべられなくて、クレーブスにあげたんです。そしたらクレーブスがちちうえにいいつけて、ボクちちうえからとてもおこられました」
「……アクバール、黙ってクレーブスの皿にブロリーを置いたのか?」
「……はい」
「それはオマエもいけないよ」
「でもクレーブス、ボクにちゅういしないで、かってにちちうえにいいつけました。ほかにもじぶんにできてボクにできないことがあると、すごくバカにしてくるんです。アイツ、すごくいやなヤツできらいです!」

『クレーブスは由緒ある我がダファディル家に仕える魔導師だ。兄上から厳しくアクバールを教育するように言われている』

 まただ。陛下のお声が……まさかとは思うけれど、心の声が聞こえているの?

「ちちうえだってなにかとボクをおこります。ボクいつもたくさんがんばっているのに、ほめてくれません。いつもダメだダメだとおこってばかりいて、ちちうえはボクのことがきらいなんです!」
「アクバール……」

 アクバール様は吐くだけ吐くと、わんわんと泣き出した。

『兄上が敢えてアクバールを厳しく躾けているのは知っている。まだ子供のこの子には分からなくて当然だ。せめて私だけでも心の拠り所にしてあげなければ、この子は息が詰まってしまう』

 ――陛下?

 先程から聞こえる心の声からアクバール様に対する強い愛情を感じる。

「兄上も何もオマエを嫌って叱っているのではないよ」

 陛下はアクバール様を見据えて諭される。

「オマエが兄上のような立派な国王陛下になる為に、厳しく教育をしているんだよ。本当はオマエの事が可愛く可愛くて仕方ない筈だ」
「しんじられません。……おじうえがボクのちちうえだったらよかったのに。おじうえはボクにとてもやさしい。ボクはちちうえよりもおじうえのほうがだいすきです」

『何て可愛い事を言うんだ、この子は』

 陛下はアクバール様をとても溺愛なさっている。それは手に取るように伝わってきて、私の胸の内をじんわりと温かくする。

「アクバール、滅多な事を言うものじゃないよ。もし私がオマエの父親だったとしても、きっと兄上と同じく厳しく躾けていたぞ」
「うぅ……」

 アクバール様はまたポロリと涙を流す。陛下は眉根を下げて、そっと小さなアクバール様の躯を抱き寄せた。その表情は親そのものだ。

『この子が我が子ならどんなに良いか。わたしとて何度思った事か。私は子供が作れぬ躯だ。我が子のように可愛くて仕方ない。甘えん坊のところがあるが、将来兄上には負けない立派な国王となるだろう。その日が来るまで私はこの子を支えていこう』

 私は茫然と陛下を見つめる。幼き頃のアクバール様に愛を注いで下さっていた陛下が何故王位を奪ったの? 何があったの?

 ――!!

 疑問を追究する間もなく再び視界が暗転した。一度目と同じく一瞬の出来事で、今は晴天な青空が視界を埋め尽くしていた。

 ――何がどうなって?

 視界が鮮やかに見えるところ、ここは現実の世界?

 ――そういえば私……落馬したんじゃ?

「大丈夫か?」
「え?」

 上から私を気遣って見下ろしているのは……ヴォルカン陛下だ!

 ――嘘!? なんで陛下に抱きかかえられているの!?

 落馬しそうになった私を陛下が助けて下さったの? 陛下は私が王宮ここに来た初日とアクバール様の帰還祝宴会ぐらいしかお会いした事がなく、他に接点がなかった。アクバール様派の私は陛下にとって疎ましい筈なのに、何故助けて下さったの?

 この時、私は今までとんでもない勘違いをしていたのではないかと震えた。本当は……本当の陛下は……。だって陛下はあんなにもアクバール様を……。気が付けば私はしどどに涙を流していた。

「陛下、何故ですか?」

 声を震わせながら私を陛下へと問う。彼は瞠目する。

「昔はあんなにアクバール様を我が子のように愛して下さったではありませんか! いいえ、現在もそうですよね? 今のアクバール様の肖像をお部屋に飾っていらっしゃいますもの!」
「何故それを知っている? あの部屋は誰も入れない筈だ」

 陛下から問われるが、感情が高まっている私はそのまま問い質す。

「今も昔と変わらず愛していらっしゃるのに、どうしてアクバール様と仲違いになられたのですか! 何故、何故ですか!」

 本当は心の何処かでアクバール様と陛下の仲が良くなる事を願っていた。その希望が見えた今、私はその希望に何が何でも縋りたかった。

「ヴォルカン陛下!」

 陛下から答えを貰う前に第三者が介入してきた。私の涙はピタリと止まる。

「レネット妃殿下、これは何事ですか!」

 視線を横に逸らすと、テラローザさんが立っていた。彼と顔を合わせた時、私はゾクッと底冷えを感じた。彼の表情は酷く険しく血の気が引く。国の主に抱きかかえられながら、彼に詰め寄る私の様子を異常だと思ったのだろう。

 ――咎めているを通り越して殺意を抱いているように見える。

 事の重要さは分かるけれど、何故そこまで睨む必要があるのか。

「妃殿下、お答え下さい。私が見ていたところ、陛下に詰め寄っていたご様子でしたが?」
「それは……」

 詰めていたのは本当だから二の句が継げない。

「テラローザ、大した事はない。彼女は落馬しかけて気が動転していただけだ」
「ですが……」
「もういい、下手に騒ぎ立てるでない」

 私を手助けして下さったのは陛下だ。テラローザさんは全く釈然としない様子だが、陛下にピシャリと言われてしまえば、何も言えないのだろう。

「私の事より早く彼女を安静させてやれ」


 そうおっしゃった陛下は私の背後へ視線を向ける。私の教師や近衛兵の姿を探しておられるのだろう。

「失礼致します! 妃殿下はわたくしがお連れ致しますので、ご安心下さいませ!」

 ――え?

 聞き慣れた可愛らしい声が響く。いつの間にか目の前にラシャさんが一陣の風如く現れた。周りは驚愕していたが、ラシャさん本人は深々と頭を下げた後、私を連れ出した。

「あ、あのラシャさん! 私はまだレッスンの途中で勝手に抜け出しては!」
「妃殿下、今はお躯の方が大事です! 教師と近衛兵の方達には許可を取りました」
「でも護衛をつけずに出歩いていたら、サルモーネ達に怒られてしまうわ」
「大丈夫です! クレーブス様にお力添えをして頂き、お赦しを貰いましょう」

 ズンズンと彼女は私の手を引いて進んでいく。凄く彼女が急いでいる様子だ。

「ラシャさん! 何処に向かっているの!」
「ご説明はの後ほど致します! 今は王太子とクレーブス様の元へ急ぎます!」

 ――え? 急にどうして……?





web拍手 by FC2


inserted by FC2 system