番外編③「気がつかぬ想い」




私くわたくしはなにも悪くございません」
「は? 私は申し上げますでしょ?」
「私は申し食べます」
「千景、ふざけてんのも大概にしなさい! ここ数日の勉強、全く身が入ってないじゃない!」
「ふぇ?」
「ふぇ? じゃないわよ! 目も虚ろだし、意識も飛んでる感じ! おふざけに時間を使われるほど、私は暇じゃないんだからね!」

 また今日もシャルトから、ピシャリとお叱りを受けた。このお叱りも連日の三日目だ。勉強会のおかげで、だいぶこちらの言葉もマスターしてきたけど、今学んでいる敬語はまた別物で難しい。

 この宮殿で暮らしていく限り、お偉い方々との接触する機会も多くなる。失礼のないよう敬語はシビアに教えられていた。だけど、この三日間からっきし言葉が覚えられないのだ。原因は自分でもよくわからない。

「もう! まだキールと仲直りしてないの?」
「え?」

 シャルトは悟るように、そして何処か心配した様子で問うてきた。

「キールとなにかあったんでしょ?」
「べ、別になにもないもん!」

 シャルトにキールとの状態を知られているかと思うと、私は無性に恥ずかしくなって、プイッと彼から視線を逸らした。実は私がキールに穢わらしいと言ったあの日から一緒の寝室で眠らなくなり、それから3日が経つ。

 一切顔を合わせていない。キールはいつも朝から夜まで仕事がギッシリだし、夜寝る前ぐらいにしか顔を合わせていなかった。だから一緒に眠らなくなった今、一日も会う事がなくなった。

「今アンタ達、夜は別々の部屋で寝ているんでしょ? ここ数日キールの部屋に女子おなごが出入りするようになったから気付いたわよ」
「え? そ、それってキールはその女子達と夜な夜な過ごしていると?」
「そうでしょうね。まぁ、アンタが来る前はそういう生活だったから、おかしな事ではないけど」
「ふ、ふーん、べ、別に私は気にしてないし。そもそも私とキールは恋人同士でも夫婦でもないのに、一緒のベッドで寝ている方がおかしかったんだ!」

 妙に私は動揺していた。キールが他の女性とエッチしているという生々しい現実は三日前の出来事で十分に思い知ったけど、シャルトの話でよりリアリティさが深まった。

「気にしてないならいいけど。じゃぁ、次はこの問題ね……」

 ――気にしてないんだから、気にしてないんだから!

 私は異様に興奮しているせいか、シャルトの声が耳に入らず、ひたすら「気にしていない」を呪文のように唱え、自分に言い聞かせていた。その内にグルリと頭がグラついてきて?

「あんれ?」

 しまいには視界が歪み始めたと思ったら、そのまま意識が遠くへ呑まれていく。

「ちょっ、千景!?」

 シャルトから名前を呼ばれたような気がしたけど、既に意識の糸はプツリと切れていた……。

☆*:.。. .。.:*☆☆*:.。. .。.:*☆

 霞んでいた視界が鮮明に見え始め、ピンク色の天井が映し出される。

 ――ここは? 私の部屋だよね? 確か私はシャルトと一緒に勉強していた。それなのに、どうしてここにいるんだろう?

「気が付いたか?」

 まだ朦朧とする意識の中、聞き慣れた声から話かけられた。それに私は異様に反応をし、頭の中の靄が一気に吹き飛んだ。声の主の方へと視線を向けると、

「キール?」

 横たわっている私の隣で腰をかけているキールの姿があった。

「どうして?」
「シャルトからオマエが倒れたって聞いて来たんだ。寝不足からの目眩だってさ。ここ数日まともに寝ていなかったのか?」
「し、心配してくれたの? 今、仕事中でしょ?」

 自分の胸の内がポカポカとあったかく感じる。キールの質問をよそにだけど、彼が私を心配して来てくれたのかなって思うと、妙にドキドキしていた。

「シャルトからオマエがオレの名前を連呼しているって聞かされた。うなされたように呼び続けているから、少し様子を見てくれって言われてさ」
「え?」

 その言葉を聞いて、私の頬はみるみる紅葉色に染まっていく。なんか寝言で呼ぶのって恋しいみたいな感じだよね!

「よ、呼んでなんかないよ」
「でも実際さっきまで何度か呼ばれていたけど?」

 私の気持ちに気付いていないのか、キールはまた小っ恥ずかしい事を言ってくれる。それに私の躯はカァーと羞恥心で火照ってくる。
「よ、呼んでないって言っているでしょ! ここ数日キールと一緒じゃなくて、清々せいせいしていたんだから!」

 フンッとした態度で言い返した。でも言った後にすぐに後悔する。キールの憮然とした態度の変わりに私は怯む。視線を合わせているのが辛くなって逸らしてしまった。

「あぁ、そうかよ。ここに寄った時間がとんだ無駄だったな」

 キールは吐き捨てるように言うと立ち上がった。その言葉に私はズキンッと胸が打たれる。

「フンだ! 私は別にキールに来てくれなんて、一言も言ってないだからね!」

 私も抑えればいいのに、つい言葉を返して状況を悪化させてしまう。

「そうかよ。なら二度とオマエの前には現れないから安心しろ」
「こ、こっちだって会う気ないんだから!」

 私が言葉を返した時には、既にキールは背を向けていて、そのまま扉を開けて部屋から出て行ってしまった……。

☆*:.。. .。.:*☆☆*:.。. .。.:*☆

 私は晩御飯を食べ終えた後、湯舟に浸かり、今は一人ベッドの中で物思いに耽っていた。早く寝たいのに寝られない。実はキールがこの部屋で眠らなくなったあの日から、私は寝るに寝られなくなっていた。

 だから睡眠不足が続き、勉強にも集中出来なかったんだって、倒れて初めて気付いた。別にキールと寝られなくなったのが淋しいとか、ショックとかで眠れないんじゃないもんね!

 あのコに対して恋愛感情なんてこれっぽっちもないし、キールだって私に対して全く興味がなさそうだもんね! 今日だって私が倒れて来たのだって、シャルトに言われたから仕方なくみたいな感じだったし!

 ……最近思うんだけど、このベッド広いな。キングサイズのベッドだから、広くて当たり前だけど。ベッドだけじゃなくて、部屋もこんなに広かったっけな? 室内も静寂としているし、なんだか急にシンミリとなってきた。

 それに今日、せっかくキールが部屋に来てくれたのに、私ちょっと言い過ぎちゃったよね?シ ャルトから言われたっていっても、仕事中にわざわざ抜けて私の様子を見に来てくれたわけだし。

 ――謝りに行こうかな……。

 でももう会わないって言っちゃったのに、会いに行ったら……。キールも二度と私の前には現れないって言ってたし、きっと嫌がるよね? また胸がズキンッと鳴る。だって二度と現れないって、よっぽどだよね?

 私、完全に嫌われたって事だよね。あんな可愛いげのない事ばっか言えば嫌がられるか。キールから好かれていないんだって意識すればするほど、胸が締め付けられて、気が付いたら涙で視界が滲んでいた。

 こんなに胸が痛いのは辛い。許してもらえるかどうかわからないけど、やっぱりキールに謝りに行こう。私は居ても立ってもいられなくなり、すぐにベッドから立ち上がって部屋を出た……。

 ………………………………。

 隣がキールの部屋で良かった。私はノックをしようとするけど、いざとなると躊躇ってしまう。キールが怒っているのでないかと思うと怖いし……それに夜な夜な女性が出入りしていると聞いているから、もし今日の女性と出くわしたら嫌だな。だけど、このまま部屋に戻っても、胸が締め付けられる思いは変わらない。

 ――勇気を出すんだ、千景!

 私は瞼をきつく閉じ、拳で扉をコンコンッと叩いた。

 ――ドキドキドキドキ。

 扉が開くまでの間、心臓の動きが激しくなって頭がクラクラとし始める。

「誰だ?」

 ドキンッと鼓動が飛び上がる。扉の奥からキールの声が聞こえた。

「わ、私、千景……」

 恐る恐るの震えた自分の声に驚く。すぐに扉は開かれて、ドクンッと心臓が胸の内側から飛び出しそうになった。部屋からキールが現れて、私は一瞬目を見張った。

 キールはガウンを羽織っていたけど、真ん中がはだけていて、私が来るまで寝衣を着ていなかったんだと思う。既に室内には今日のお相手の女性がいるんじゃないかって。そう思ったら言葉が出なくて、キールと視線を合わせられない。

「なんの用だ?」

 なにも言わずに顔を伏せる私に先駆けてキールが口を開いた。声の様子からして、あまり嬉しそうには見えなかった。それに私は益々と弱気になる。

「きゅ、急に来てごめんね」
「もう会わないんじゃなかったのか?」

 ズキンッと胸に突き刺さった。キールと視線を重ねると、すぐに私の眉根は下がった。キールの射るような視線は迷惑だと言わんばかりだ。私はここに来たのが間違いだったと後悔に苛まれる。でも謝りたい気持ちだけは伝えなきゃ……。

「そ、そう言ったんだけど……そ、その……昼間は言い過ぎたなって思って……。ごめんなさい」
「別に気にしてない。気にする余裕もなかったし」

 返された言葉に私は酷く傷ついた。私の事なんて気にする余裕もないって意味だよね。それにキールの口調も淡々として温かみが感じられなかった。

「そ、そっか」
「用はそれだけか?」
「う、うん」
「もういいか?」

 早く去ってくれと促されているように聞こえる。そして、さらに追い打ちをかけられる。

「キール様、まだですか? 早く来て下さい。待ちくたびれましたよ~」

 部屋の中から女性の甘えた声が聞こえてきて、私は凍りついた。

 ――や、やっぱり、今日の相手の女性がいるんだ!

 プルプルと躯中が震え出す。

「今、取り込み中だ。悪いが出てくれ」
「ご、ごめんね!」

 私は思いっきし頭を下げて謝る。込み上げきた涙が今にも頬へと零れ落ちそうになり、その姿をキールに見られたくなくて、すぐに背を向けて立ち去ろうとすると、間もなく扉は静かに閉ざされた……。





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