番外編⑪「愛しい彼女はトンチンカン」―キール視点―




 ――そろそろこの辺で終わりにしておくか。

 膨大な書架が並ぶ室内で目を通していた書物を閉じると、緊張の糸が切れたかのように深い溜め息が出た。一つの案件を処理しても、また次から次へと問題が湧き起こる。

 政を司る王である限り、この役目から逃れる事は出来ない。外交、軍事、治安、裁判、経済、人事、祭事等、様々な案件の処弁と決裁が求められる。国を民を守る為にはそれらと常に向き合わなければならないのだ。

 とはいえ、自分一人の力で裁いているわけではない。側近であるアイリはオレの三倍の量を熟してくれている。アイリのもつ豊富な知識、難局をも切り抜ける知恵、臣下・民衆からの厚い人望があってこそ、今のバーントシェンナ国は存在している。

 アイツがいなければ、今のバーントシェンナ国は存在していないだろう。むしろアイリの方が王として相応しい。アイツにほんの少しでもそんな欲があったならば、とっくにその座は奪われているだろう。

 しかし、アイリにはそんな欲が全くといってない。それは今は亡き、父上との「オレを偉大な王として育てる」という約束を頑なに守ろうとしているからだ。

 アイリの父上に対する絶対的な忠誠心と思慕は計り知れない。オレへの愛情はすべて父上に対する尊き想いからきている。それでもオレを大事に思ってくれている事には変わりはないのだが……。

 ――そういえば、アイリは先に茶のへと行ったんだよな。

 茶の間には確かシャルトと……千景も来ている筈だ。オレはアイリやシャルトに続いて、最も愛しいかけがえのない女性の顔を思い出すと、自然に笑みが零れ、そして部屋を後にした……。

☆*:.。. .。.:*☆☆*:.。. .。.:*☆

「千景のシフォンケーキ、美味しそう! ボクのムースケーキを半分あげるから、そっちのを半分頂戴」
「いいよ」

 茶の間の扉を開くと、目に飛び込んできたのはアイリと千景のやり取りだった。どうやら用意されていた茶菓子を分け合っている様子だ。ふと気になったのが分け合っているフォークは互いに一度使用しているようだ。菓子から食べた後の様子が窺えた。

 基本的にオレは妬く事がない。その時間もないぐらい仕事にせわしないのが事実だ。それに千景はそれなりに衛兵や使用人から慕われていた。誰に対しても屈託のない明るい接し方をする為、好かれている。それをいちいち妬いていては切りがない。

 そもそも千景はオレに対して偽りのない真っ直ぐな想いを寄せてくれている。だが、相手がアイリともなれば、懸念がないと言えば嘘になる。アイリを一言で表すなら「才貌両全」。いわば完璧な人間だ。

 彼を初めて目にした者すべてが「心を奪われる」と、口を揃えて言うほどだ。千景も初めてアイリに会った時、魅了され恋心を抱いていた。そしてアイリも千景に好意を寄せていた。しかし、千景はオレとの契りがある為、アイリが引いていた間にオレは千景の心を奪った。

 今となってはアイリも千景も互いに恋愛感情がない事ぐらい恋慕の花を見ればわかる。だが、さっきのような仲の良さを目にすると、正直オレの心がざわつくのは確かだ。千景はオレよりもアイリとの方が年も二歳差と近く話しやすいのもある。

「あ、キール!」

 アイリの声に千景もオレの存在に気付く。二人はまるで主人を見つけたペットのように、キラキラした眼差しをして、こちらへと寄って来る。

「あんれ? どうしたの? なんかボーッとしてた?」

 物思いに耽っていたオレの様子に気付いたアイリが覗き込んで訊いてきた。

「あ、そっか。キールも食べたかったんだよね。はい、あーん!」

 なにを思ったのか、アイリが突然自分の持っていた菓子をフォークに刺し、オレに差し出してきた。すると……。

「あー! アイリ、なにやってるの! その行為をキールにやっちゃダメじゃん! それは私がするんだからね!」

 そう言って身を乗り出してきた千景は自分の菓子を差し出して来たのだが……オレが千景の方へ目を向けている間に、オレの口の中にはアイリからの菓子がパクッと入ってしまった。半ば強引にだが。

「あ~~~~~~!! オーノォー!! オーマイガッ!!」

 千景が今にも泣き崩れそうな表情で雄叫びを上げた。彼女はこの食べさせる行為=肉欲を求めると思っている。相手がそれを受け入れれば、求めに応えた事になると。しかし、それは女性が男性にやった場合に限る。

 男性からやったところで、行為の意味はもたない。千景は以前、オレに食べさせる行為をしてから、万人共通だと思い込んでいるようだ。この行為は内気なバーントシェンナ国の女性の為に作られた文化の一つだ。

 男は基本、積極的な性格が多い為、こういった回りくどい行為をする必要がない。千景の国では非積極的な男が多いらしいが(それを草食系男子と言うらしい)。千景にも本当の意味を教えてやろうとは思うのだが……つい面白くて口を噤んでしまう自分がいる。

「アイリのバカバカバカ!」
「と、言われてもキールはボクのお菓子を食べちゃったからね~」

 その気持ちはアイリも同じようだ。きっと今、アイツの心の中では腹を抱えて高笑いしているに違いない。シャルトは呆れ過ぎているのか、全くといって会話には介入してこず、マイペースに茶を食していた。

 後でアイリ共々、シャルトから叱咤されるだろうが。シャルトは千景本人の前だとスパルタで厳しいが、裏ではかなり千景贔屓だったりする。それでもからかい甲斐のあるのが千景だ。

「うわ~ん! キールもなんで食べちゃったのぉー!」
「今夜キールはボクと過ごす事になっちゃったな~」

 アイリの勝ち誇ったような妖艶に微笑む姿は……まさに悪魔だな。

「うー! 前から思っていたけど、アイリはキールの事が好きなんでしょ!?」

 は? また千景は突拍子もない事を抜かしてくれる。

「うん、キールの事は愛しているよ。キールはボクのすべてだからね」

 またアイリも誤解を招く言葉を言ってくれる。アイツの言う愛しているの意味は家族愛であり、すべて父上との結束の為に思っている事だ。

「キィ~!! キールは私のものなんだから、絶対にあげませんからね!」

☆*:.。. .。.:*☆☆*:.。. .。.:*☆

 急遽、今日の晩御飯は部屋食へと変わった。千景から珍しくその提案に誘われた。普段はこちらの仕事の都合をわかっているからか、そういった事は口にしてこないのだが、なにか話したい事でもあるのだろうか。しかもだ。

「千景、どうして隣に座っているんだ?」
「わ、私の世界では恋人同士は隣で座るんだよ」
「そうなのか? 向かい合せの方が話しやすいし、なにより顔を合わせていられるのにか?」
「隣にいる方がドッキドッキしていいんだって!」
「そうか……」

 まぁ、千景の世界の文化も尊重してやらんとな。こちらの世界のしきたりばかりじゃ、彼女も窮屈になるだろうし。オレは特に気にせず、ナプキンを敷いて食事に手を伸ばした。

 ――数分後……。

 千景の食が進んでいない事に気付く。見るからにソワソワと焦燥感に駆られている様子だ。千景に用意された料理はオレの三倍はある。これでも彼女の世界では少食らしい。いつもその量の料理は難なく満足げに食べる千景が手をつけずにいるのだ。

 ――これは明らかになにかあるな。

「千景、食が進んでないな。どうした?」

 オレはちょうどメインディッシュを食べ終え、一旦フォークとナイフを置いて千景に問いかける。

「う、うん。今日はたくさんケーキを食べたからか、思ったよりも入らないみたい」

 毎日菓子をたらふく食っても、ディナーまで完食している千景がどうした? あまり重く捉えてはいなかったが、これは思ったよりも深刻ではないか? オレは顔を伏せがちの千景を覗き込もうとした。

「あ!」

 いきなりオレの料理に目を向けた千景が短く呟き、

「キール、もうメイン食べ終えているんだ! じゃぁ、次はデザートだね!」

 オレの前にあったデザートを手に取った。

「?」

 なにをする気だ? と、千景を凝視していると、彼女は何故か顔を真っ赤に染めていた。

「せっかくだから、私がこのデザートを食べさせてあげるね!」
「は?」

 いきなりどうした? 食べさせる行為は肉欲を求める意味をもつ。千景はその行為の意味を知ってから、一度もオレにやった事はない。さらにだ。

「キール、目を瞑ってくれない?」
「は? なんで?」

 また突拍子もない事を言ってくる。なんだ? 食すのに何故目を瞑る必要がある?

「い、いいから! わ、私の世界では一般的に目を瞑るの!」

 今それ勝手に作ったよな? って事にオレは気付いていたが、そこは敢えて突っ込まなかった。千景が顔を真っ赤にしながらも、必死な様子が伝わって来たからだ。それにとんだ珍しい事をしようとしてくれている。

 千景は肉食系のくせにセックスアピールが苦手だ。すぐに恥ずかしがる。そんな彼女が自ら求めるというのだ。思ってもいない好意に、オレも喜ばないわけがない。オレは素直に受け入れる事にした。

「わかったよ」

 オレは淡々と応えて目を瞑る。

「ちゃ、ちゃんと口開けてね」

 千景に言われた通りに口を開けた。すぐに甘い菓子が口の中へと入る。今日のデザートはクリュゼだ。千景は自分の世界にあるトリュフに似ていると言っていたな。アルコールが含まれた大人の甘さが蕩けて広がる。

 クリュゼを完全に口の中に入れたオレは次の瞬間、口元に違和感を覚えた。甘く柔らかいものが当たっているようだったからだ。思わず目を開けると……? 千景が口づけていた……。

「?」

 状況が把握出来ず、そのままの体勢で受けていると唇を離される。オレから離れた千景はさらに顔を朱色に染め、

「お、美味しかった?」

 と、訊いてきた。

「千景、今オマエ……もしかして口移しした?」
「きゃっ! 言っちゃ恥ずかしいじゃん!」

 恥ずかしさのあまりか、千景は両手で顔を覆ってしまった。ちゃっかり指と指の間から目を覗かせて(見ようにはチラ見しているようだ)。

「今のしっかり食べちゃったんだから、今夜は私とだからね!」

 そう言った千景は指の隙間を塞いで、オレからの視線をシャットアウトした。オレはポカンとしたが、途端に吹き出しそうになった。そっか、わざわざ部屋食にして、オレの隣に座った理由は食べさせる行為をして、今夜オレをアイリの所に行かせない策だったんだな。

 彼女の食が進まずにソワソワしていたのも納得だ。千景なりに考えていたわけか。彼女の突拍子のない事はこれまでに何度も目にしていたが、これまた可愛らしい事をしてくれる。オレは胸の内が温かくなるのを感じると、千景を愛おしく見つめ、願いを口にした。

「残りの菓子も食わせてくれよ、さっきみたいに口移ししてさ」





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