Please75「揺蕩う狭間の中で」
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――今の何?
あの意識は紛れもなくデュバリーのものだ。彼のカスティール様に対する執心の声が、まるで自分の思考のように思えた。私は彼の意識に呑まれてしまったの?
『大丈夫だ』
ふわりと躯が包まれる。心の底から安心出来る世界で一番の温かな場所に感じた。鼓動が忙しくなる。懐かしい感覚だった。温かで愛おしく、この感覚はアクバール様に対して感じる情愛と一緒だ。
――誰なの?
振り返ると見た事のある男性が立っていた。酷く懐かしい。その感情は途端に膨れ上がって胸の内を震わせた。怜悧に整った精悍な顔立ち、温かみあるマホガニー色の髪と双眸をもつ……。
『フォクシー様……』
何故ここに彼がいるのだろうか。
「フォクシー様がいらっしゃるという事は私は死んでしまったのですか」
「私は君を迎えに来たわけではないよ」
「でも私はデュバリーに……」
「大丈夫、君は死んではいない」
死んではいないと喜ぶべきなのに寂寥感が流れる。
「では一緒にはいられないのですか?」
何故、私はこんな事を言ったのだろう。こっちの世界にはアクバール様がいるからだ。
「私は貴方と一緒に居たいんです」
私はギュッとフォクシー様に縋るように抱きつく。離れる事が堪らなく切ないのだ。
――まるで自身がカスティール様になったような気がする。
意識が遠のいていく。
――この感覚は……。
再び意識が奪われるのか。
「ヴィオレ! 何をしているのです! 今すぐにその男から離れなさい!」
――え?
怒号が響き渡る。弾かれたように振り返ると、デュバリーが憤然して立っていた。
「貴女の居場所はその男の腕の中ではありません。私の中です! こちらに来て下さい!」
言う事を聞かなければ殺されるような殺気めいた気迫が感じられた。彼は悋気を隠さず憤怒していたのだ。
「嫌よっ、私フォクシー様といたいの」
ここは死後の世界、デュバリーは絶対に踏み込む事の出来ない領域だ。
「自ら死ぬなんて許しませんよ」
「私はフォクシー様を愛しているの。それはこの先の未来も変わらない。彼の傍に居られるのであれば死も怖くないわ」
私の幸せはフォクシー様にある。もうデュバリーだろうが死さえも怖くない。
「ヴィオレ……」
私の名を零すデュバリーは無機質な顔なのに切なげに見えた。構わず私は気持ちを吐露する。
「私の心はフォクシー様がいればいい。そこに貴方はいないの」
「何を言っているのです?」
少しずつデュバリーの顔が崩れていく。
「決して私は貴方を受け入れない」
恐々としていた声色に力強さが宿る。
「絶対に貴方を愛さない」
「ヴィオレ! 貴女は私のものだ! そんな男の許になどやりません!」
業を煮やしたデュバリーが腕を伸ばして私を触れようとしたが、それは叶わなかった。彼との間に目には見えない隔たりがある。デュバリーがいる場所は生の世界、私とフォクシー様がいる場所は死の世界。デュバリーの顔に絶望の色が浮かんでいた。
「ここは貴方が踏み込んでは来られない世界。やっと……やっと手に入れられたの。貴方に阻まれない世界を。そしてフォクシー様と共に生きられる世界。もっと早くにこの道を選んでいれば良かった」
「ヴィオレッ!」
言葉を挟もうとするデュバリーに得も言わさず、言葉を続ける。
「これでやっと貴方と永遠のお別れが出来る。至幸の世界だわ。……さよならデュバリー」
私は永遠の別れを彼に告げた。もう二度と彼の枷には縛られない、決して……。
「ヴィオレ!」
薄れていく私に向かってデュバリーは必死に手を伸ばす。隔たりで触れられる事が出来なかった彼の手が最後、私の躯に僅かに触れた!
――パァアア――――。
ダイヤモンドのような煌々と輝く光に引き摺り込まれる。刹那、
「有り得ない、有り得ない、有り得ない、有り得ない、有り得ない」
デュバリーが壊れた機械人形のように、何度も同じ言葉を繰り返していた。意識はカスティール様から離れて元の私へと戻っている。
「ヴィオレを失うなど有り得ない! やっとやっとやっと彼女を手にしたと思っていたのに!」
デュバリーは荒れ狂う嵐のような激情を剥き出しにしていた。
「彼女は私のものだ、彼女は私のものだ、彼女は私のものだ、彼女は私のものだ、彼女は私のものだ、彼女は私のものだ……」
同じ言葉を連呼するデュバリーの姿は異常であった。
「魔法使いの寿命は千年以上だ。あと何百年、彼女のいない世界を一人で生きていくというのだ! あぁああああああああ――――――――――――!! 私のヴィオレ、私のヴィオレ、私のヴィオレ、私のヴィオレ、私のヴィオレ、私のヴィオレ、私のヴィオレ、私のヴィオレ、私のヴィオレ、私のヴィオレ、私のヴィオレ、私のヴィオレ、私のヴィオレ!!」
いつでも冷徹であったデュバリーが理性を決壊し、狂が恐ろしく渦巻いている。
「彼女がいない世界など死んだようなものだ!! …………そうか、死か。死んでしまえばヴィオレの許へ行けるのか」
妙案だとばかりにデュバリーから笑いが零れた。
――死?
何を思ったのか自ら死の道を選ぼうとしている。叡智ある彼が何という愚案を生んだのか。
「あの世では今度こそ離さない」
それほどまでに彼の精神は蝕まれていた。
「今からすぐに貴女の許へ行きますよ。ああ、私の愛しい愛しいヴィオレ……」
――ま、まさか、本気で命を絶とうしているんじゃ!
意識が夢から醒めていくように遠のいていく。私はデュバリーの行動を最後まで目にする事はなかった……。
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長い長い眠りから目覚めたような感覚。瞼に焼き付くような光に照らされ、意識が覚醒する。世界がとても色鮮やかに見える。
――この光は……。
暗闇の世界から光のある外へ出たような感覚だった。私は仰向けの体勢で陽射しに照らされていた。眩い光の心地好さに身を委ねていたかったが、すぐに心は黒く塗り潰される。
――はっ! デュバリーは!?
私は起き上がって辺りを見渡す。眠るアクバール様、クレーブスさん、そしてラシャさんの姿が映って泣きそうになったが、倒れているデュバリーの姿を目にした途端に躯が酷く強張った。
――なんでデュバリーが倒れているの?
生きているのか息を絶えているのか、この距離からでは分からなかった。死んだフリをして、こちらを油断させる気かもしれない。そんな危険を私は考え恐る恐る彼へと近寄る。
…………………………。
暫く彼を見つめていたが身動きする気配は感じられなかった。何故彼が眠る事になったのか、脳裏に浮かぶカスティール様とフォクシー様の出来事など、気にする事は沢山あるけれど、私はアクバール様の許へ駆け寄った。
――アクバール様!!
グッタリと眠る彼から生気は感じられず、息絶えているのが分かった。毒々しく流れた血は地面に滲んで一体化していた。私はその場に頽れる。
「アクバール様、どうして逝かれてしまったのですか。約束したではありませんか。私を置いて逝かないと。なのに何でですか?」
胸の内の思いを出したら次々と涙が溢れ咽び泣く。涙で視界が歪む。
「アクバール様、お願いです。私を置いて逝かないで下さい」
――今更アクバール様を失って、どう生きろというのですか? もう私は貴方なしでは生きられません。
私は血が滲むのも気にせず、アクバール様の胸の上に身を預けて慟哭する。
「……っ」
突然に下腹辺りが急な熱を持ち始め、両手で押さ込む。その部位は熱かった。
――な、何?
どんどん下腹は熱をもち、その熱は爆発したように外気へと流れ出た。躯から赤い光が放出され、私は訳も分からず混乱する。どんどん光は輝きを増してアクバール様の躯を纏っていく。
――な、何なの!
何か凄まじいエネルギーを感じる。生命力のように力強く、そして温かい。光の行動を私は魅入られたように見つめていた。光はアクバール様の躯を完全に包み込んだ。
――ドクン、ドクン、ドクン、ドクン。
心臓が早鐘を打つ。
――アクバール様? ……う、嘘?
私の目はおかしくなったのだろうか。目の前でアクバール様の瞼が開かれていく。絵画に描かれるような美しい夕日の色をした双眸が輝いていた。彼の目が完全に開かれると、光は役目を終えたように鎮まった。
「ア、アクバール様?」
――ほ、本当に?
今この瞬間は現実なのだろうか。夢なのではないかと躯がフルフルと震える。そしてアクバール様の瞳が動いて私を映し出す。
「レネット……なのか?」
「アクバール様!」
彼の声を聞いて私はこの現実が夢ではないと確信し、目頭が熱くなる。さっきとは違う意味の涙が溢れた。
「オレは生きているのか? オレはデュバリーに胸を貫かれて死んだ筈だ」
「でもアクバール様は生きています!」
ギュッとアクバール様の手を握って現実だと教える。
「きちんと温もりを感じます。貴方は生きています!」
「長い眠りから醒めたような感覚だ。レネット……」
アクバール様は握られていない、もう片方の手で私の頬に触れる。
「あぁ本当だ。オレは生きている」
アクバール様は笑顔の花を咲かせ、私は彼にギュッと飛びついた。でもすぐに傷口が気になった。
「ご、ごめんなさい、傷が!」
「いや大丈夫だ。傷は塞がっているみたいだ」
「それは本当ですか」
「あぁ」
アクバール様は上体を起こした。その様子に苦痛はなさそうだ。
「これは本当に奇跡だな」
――まさか本当にそんな奇跡が……。
「夢の中に何かに守られているような感覚だった。それが何かは分からないのだが……」
「アクバール様!」
私は再び彼に抱きついた。世界で一番幸せな場所だ。もう二度と触れられないと思っていた。確かにアクバール様の規則正しい心臓の音が聞こえてくる。夢じゃない、確かな現実だ。
「あの、お二人の世界に浸る前に私達の存在にも気付いて頂けませんかね?」
――え? 今の声は……。