Please74「熾烈な闘いの末」―Akbar Side―
「せめて本物のヴィオレに役目を負わせれば良かったのに……と思いましたが、彼女は私が眠りの呪術をかけましたので、私以外に目覚めさせる事は出来ません。ですので本物が現れるなど不可能ですね」
「母上はオマエを殺せば解呪されるのか?」
「えぇ、解かれますよ」
「では殺すまでだ」
「おや、クレーブスを失った貴方に何が出来るのでしょうか。それとも何か秘策でもお持ちなのですか?」
「…………………………」
「そんなに死に急がなくても、すぐにクレーブスの元へ連れて差し上げますから」
――これ以上アイツの好き勝手にさせて堪るか。
オレは怒りと憎しみに染まっていた。
「そのように冷静さを失っては次期国王として相応しいとは言えませんね」
「オマエを殺せるのであれば、冷静さなどどうでもいい」
「あぁ、貴方が国王陛下として迎える日は永遠に来ないでしょうがね。……さて最後に相応しい最高の舞台をおもてなしする事にしましょう」
デュバリーの戦闘態勢にオレは神経を集中し魔力を搔き集める。まだまだ力は不安定だが意思に合わせて魔術を発動する事は出来る。ところがこの時、魔力は発動されず、オレは見えない風圧に吹き飛ばされた。
「ぐあっ」
地面に背を酷く打ち付けられ仰け反る。背から焼かれたようにジリジリとした痛みが走り、身動ぎ出来ない。防御のない生身では相当堪えていた。
「まさかお忘れですか? 先程説明したばかりですよ。貴方の魔力は眠らせています。今の貴方は赤子の手を捻るようなものですよ」
奴が真上からオレを見下ろしている。このままではいいように嬲り殺されるだろう。
「すぐに殺してしまうには惜しいですね。何せ私は貴方の存在に二十年もの間、苦しまされましたから。貴方は私が愛するヴィオレが生んだ不義の子供です。絶対に赦せません」
奴はオレの胸部に片足を乗せ、押し潰すように固定する。このままオレの心臓を潰す気だ。奴がグッと足に力を入れたその瞬間、異変が起きた。
「!!」
綽然としていたデュバリーの表情がグシャリと歪む。
――ようやく効果が出て来たのか。
これはクレーブスが神官に頼んでいた酸素を増やす魔術だ。
「神官、一つお願いがございます」
策謀を立てる中でクレーブスは神官に願いを申し出た。
「何?」
「聖獣が棲むハウッホの森と同じ空気を作り出して欲しいのですが」
「それって魔法使いに酸素中毒を起こさせたいから? それの効果は期待しない方がいいよ。魔法使いはもう二十年以上も地上の生活をしているし、耐性が出来ているでしょ」
「構いません。ちょっとした助力程度に考えています。そして酸素ですが少しずつ増やしていく形にして欲しいのです。いきなり空気が変わっては魔法使いに気付かれてしまうでしょうから」
「分かったよ、言う通りにやってみよう」
「恐れ入ります」
「やれやれ。本当はカスティール様を出すところまでが私の仕事にするつもりが、つい君達の手助けまでしてしまうとはね」
神官は不本意そうではあったが、心底嫌がっているわけではなさそうだった。
「国の一大事なのでお力添えを頂けるのは有難いです」
クレーブスは丁寧に礼を告げた。こうして神官の力で聖獣が棲む森と同じ空気を作り出しておいた。それがデュバリーに効果があるか定かではなかったが、このタイミングで現象が起きたのはまさに僥倖だった。オレはこの機会を逃さない。
――パァン、パァン、パァア――ン!!
隠し持っていた拳銃の引き金をひき、奴の心臓目掛け連続して発砲した。至近距離のおかげで外す事なく見事に打ち抜いた。デュバリーの胸元から緑色の血が噴き出し、よろめいて頽れる。
「魔力が使えないのであれば、物理的な方法で使うまでだ」
拳銃はかつて我がシュヴァインフルト国の従属国ソレントが歩兵兵器として秘かに生み出した凶器である。戦を示唆する拳銃は発覚した時点で闇へ葬られた。その一部がデリュージュ神殿に保管されていたのだ。
それをオレは神官に無理やり頼んで手にさせてもらった。魔力が安定していないオレが有力な武器として使う唯一のものだと考えた。当然神官は渋っていたが、相手はあの万能なデュバリーだ。
あらゆる可能性を懸けてみなければ勝ち目がないとオレは押し切り、最終的に神官が甘んじた。あの時ようこそ押し切った。まさか魔力が封じられるとは思わず、本当に拳銃が最終的な決め手となるとは。
――あの策謀の話し合いでオレは自分なりに何が出来るか考えた。
「クレーブス、オレは何をすればいい? まだオレは魔力を安定して使う事は出来ないが、せっかく芽生えた力だ。これはアイツと闘う為に使いたいと思っている」
オレは自分の使い道を訊く。封印が解かれた力を使わないわけにはいかない。この力はアイツを倒す為にあるとすら思っていた。
「王太子として志がご立派です。ですがアクバール様がお闘いになる必要はありません。私が必ず貴方をお守りし、二十年もの無念を必ずや晴らしてみせます」
オレの申し出をクレーブスは受け入れなかった。奴の忠誠心がオレを危険に合わせないと頑なになっている。
――その意思は果たして正しいのか……。
クレーブスは何もしなくていいと言ったが、オレは自分なりに出来る事を思案した。拳銃は一度も使用した事はなかったが、自分が的を射る弓が得意であった事と至近距離であれば確実に狙えると思った。
フラリとしながらもオレは立ち上がって体勢を逆転させる。奴の躯に弾は見事に貫通していて、これ以上に打つ必要はないだろう。瞳を開いているがピクリとも動かぬデュバリーを見下ろし、オレは静かに物語る。
「心臓を打ち抜いたんだ。いくら魔法使いでも生きてはあるまい」
このままデュバリーの死に行く様を見届ける。
――?
ここで違和感を覚えた。
――何故だ? 奴を殺したというのに……。
「……アクバール様」
ここに居る筈のないレネットの声が聞こえ、気を取られた。視線をデュバリーへ戻した時、オレは心臓の音は止まりかけた。赤い血を流して倒れていたデュバリーの姿がレネットに変わっていたからだ。
「……レネット、どうしてオマエが?」
オレは腰を落として彼女の躯を抱き上げる。蒼白とした彼女は今にも命の灯が消えそうに見えた。
「それは……アクバール様が……私を……打った……から……です」
「何を言っている? オレが打ったのは魔法使いだ」
「いえ……私だったのです」
「アイツはオレに幻覚でも見せ、オレが打ったのはレネットだったというのか?」
「は……い」
今にも死に行く姿のレネットを見てオレは血の気が引いていく。その一方で猜疑心もあった。このレネットは本物なのかという疑い。本来であれば疑って警戒していた筈だ。しかし……。
――魔力が戻っていない。
デュバリーが死んでいるのであれば、オレの魔力は戻っている筈だ。奴を打ったと時に感じた違和感をそれだった。
――まさか本当に目の前にいるのがレネットなのか?
サーッと全身の血の気が引いていく。
「おやおや、これは……」
――!!
この声……視線を上げると目の先にデュバリーが立っていた。何事もなかったような平然とした姿であった。
――どういう事だ?
「何故オマエはそこにいる? 打たれて死んだ筈だ」
「それは貴方が打ったのは私ではなく、レネット王太子妃だったからですよ」
「!?」
――まさか本当にレネットなのか……?
いつの間にレネットとデュバリーが入れ替わった? いや今はそんな事はどうでもいい! オレは目の前のレネットの躯を抱き上げ確認をする。
「レネット! レネット!」
彼女の躯を揺すって何度も名を叫ぶ。静かに瞼は閉じられ、顔は青白く血が通っていない。これではまるで……。
「呼んでも無駄でしょうに。貴方が彼女を殺したのですから」
奴から追い打ちの言葉をかけられる。
「……っ」
とんでもない己の過ちに心が決壊していく。
――何故こんな事になった……。
この時のオレは冷静さを失っていた。その隙を狙われていた事に気付かなかった。
「嘆く必要はありませんよ。貴方もあの世に行かれるのですから」
――!?
死んだ筈のレネットの瞳が開かれた。真っ赤に染まった瞳から光の矢が放たれ、オレの心臓を貫いた。
「ぐあっ!」
ドサッとオレが倒れ込むと、レネットの姿はデュバリーへと変わったのだ。それを目にした時、自分が謀れたのだと気付いた。
「魔女の血筋のおかげで心臓を貫かれても即死しませんが、残り僅かで貴方はあの世行きです。それにしても結局、騙されてしまいましたね。闇の魔術に」
――闇魔法……。
神官に警告されていた闇魔法にまんまと嵌まっていたのか。オレの弱みはレネットだ。そこは利用された。猜疑心を抱いたにも関わらず、己の浅慮を呪いたい。
「何故……オマエは……生きている?」
レネットの姿で幻覚を見せていたとしても、本体はデュバリーだ。確実に奴の心臓は打ち抜かれていた。
「私の心臓には強力な防御魔法が張ってありますので、派手に血を噴いたように見えても致命傷にはならないのですよ。後は回復魔法をかければ、すっかりこのように元通りです」
心臓を打ち抜いても死なないとは、とんだ化け物だ。
「私を相手にここまで努力なさった事は認めますよ。そこそこ楽しませて頂きましたしね。ですが、そろそろ終盤へと移りましょうか」
ギラリとデュバリーの目の色が冷酷に光る。オレを闇へ葬る気だ。
「貴女を生かし、一生苦しみを味わわせる事も考えなくもありませんでしたが、それではヴィオレの心は貴方から離れる事がないでしょう。ですから貴方には潔く死んで頂きます」
オレは死を覚悟した。途切れかかる意識が暗闇へと引き摺り込まれる。脳裏に浮かんできたのは誰よりも愛おしい彼女の姿だった。
――レネット……。
「アクバール様!!」
名を呼ばれたような気がした。その声にかろうじて意識を手放さずにいられた。その声が愛しいレネットの声に聞こえたからだ。
――またオレはアイツの幻覚を見させられているのか。
徐々に霞んでいく視界の中で確かに彼女の姿が映った……。