Please72「対峙する時はきたり」―Akbar Side―
「何処に隠れているのかと思いきや、ここでお姿を現すとは」
――コイツ……。
遠回しにオレが尻尾巻いて逃げていたのではないかと言っている。
「登場するタイミングを図っていただけだ」
「それは英雄気取りでしょうか」
デュバリーがせせら嗤う。
「次にお会いする時は貴方が処刑される時だと思っていましたが、見事に外れて残念ですよ」
奴はわざとらしく嘆息する。つくづく人を馬鹿にしないと気が済まないらしい。皮肉を吐きたいほど、オレが生きている事が気に食わないのだろう。
「そうか、逆にオレはオマエの鼻を明かせて気分がいいぞ」
皮肉を皮肉で返してやった。この場でこんな戯言を吐けるのは幸運に過ぎないけどな。
――正直今回ばかりは死を覚悟していた。それが覆される機会が来るとは……。あの人物に会うまでは。
昼前にオレとクレーブスは王宮の地下牢獄から出された。牢に入れられてから今日まで水分しか与えられず、完全にオレ達は憔悴し切っていた。意識は朦朧とし、覚束かない足取りの中で無理に馬車の中へと詰め込まれたのだ。
合わせて監視役に強靭な体躯をした兵士が乗り込んできた。ソイツをどうにかすれば逃げられると思ったが、そもそも兵士を倒せるほどの体力は残っていなかった。それでも隣に座るクレーブスは行動を起こそうとした、その矢先に……。
「せっかくの美丈夫が可哀相なほど残念だねー」
目の前の兵士が外見とは似つかわしくない陽気な声で話し掛けてきた。
――この声、何処かで聞いた事がある。
そう直感が働いた。この不審者は何者なんだ?
「もしかしてリヴァ神官ですか?」
クレーブスは双眸を零し落としそうなほど見開いて問う。
「私だと気付いたんだ。さすが宮廷の中の上級魔導師だね」
そう言いながら目の前の兵士はみるみると姿を変えていく。透明感のある美貌と独特の雰囲気をもつデリュージュ神殿の神官だ。
――どうしてここにいる?
オレは眉根を寄せて神官を警戒する。彼に会うのは二十年ぶりであった。
「……見事な変化ですね。ここにおられるのは私達を助けて下さるからですか」
クレーブスは神官の目的を聞き出そうとしていた。
「うーん、助けると言うには語弊があるかな。君達には人肌脱いで貰わないとならないし」
「どういう事でしょうか?」
目の前の二人が会話を交わしていくが、オレは度が超えた疲弊でまともに話が聞ける状態ではなかった。それに気付いた神官がオレとクレーブスに回復魔法をかけ、これまでの経緯を話し始めた。
――そうか、レネットとラシャが……。
彼女達の行動に驚かされつつも心から深謝する。彼女達が動かなければオレとクレーブスは処刑される道しか残っていなかった。
「君達は本当に愛されているね。彼女達の為にも君達には生きてもらいたいんだけど、闘わずにはいられないんだよね。今ラシャがカスティール様を連れてアムブロジア広場へと向かっているよ。計画通りカスティール様を表に出して磔にする。その後、魔法使いがどんな行動を取ろうと、彼とは闘わざるを得なくなるね」
――とうとう来たか。
いつかはアイツと闘わなければならないと、オレは覚悟を決めていた。
「どうやら覚悟は決めているようだね。でも力は圧倒的に相手の方が上だよ。その力も未知だから余計に怖い。このままだと君達は死ぬ。逃げた方が身の為だけど」
オレ達を試すような眼差しを向けられるが、
「いやオレは逃げる道は考えない」
「それは私も同意見です」
オレもクレーブスも答えは決まっていた。
「ではどうやってあの魔法使いを捕らえるのか……」
神官が腕を組んで神妙な顔つきをして問う。
「カスティール様から聞いた話では魔法使いは万能だそうだ。防御力も攻撃力も非常に高い。中でも闇魔法が得意みたいだね」
「闇魔法?」
オレは聞き慣れない言葉に引っ掛かる。
「人の心を惑わせる厄介な魔法だよ。特に人の負の感情を増幅させる」
「弱いところを付け込む厄介な魔法か」
「そういう事だね。闘う上で大事なのは恐怖心を露わにしない事。恐怖が大きければ大きいほど、闇の力に利用されてしまうよ。まぁ、得体の知れない魔法使い相手に恐れるなというのも無理な話だろうけど。とはいえ時間がない。それで完璧といえる相手をどう手籠めるつもりだい?」
「神官のお知恵を拝借したいのですが」
クレーブスは縋るように助言を求める。
「こればかりはどうにもね。知恵を貸すにも私は戦闘向きじゃないから助言が出来ないよ」
希望が持てる回答は返ってこなかった。神官なだけあって魔力は高いが、その力はすべて何かを護る為に使われ、戦闘向きとは言えないのだ。攻撃的な魔法について知識が乏しいのは事実だ。
…………………………。
クレーブスは酷く考え込んでいた。攻撃力も防御力もオールマイティの無敵と言える相手に策謀などあるのか。
「完璧と言っても魔力は無尽蔵ではありません。攻撃、防御、回復、どれを使っても魔力は削られます」
「もしかして相手の魔力が消耗し切るのを待って打とうとしてる? 相手の魔力が底を尽きる前にオマエの方が屠られるよ?」
神官は容赦なく辛辣に言葉を返す。
「そうですね。では秘策を使おうと思います」
「秘策? って何?」
限られている時間の中でオレ達は策謀を練り、今に至っている。クレーブスの力を信用していないわけではないが、奴と母上の二度目の危険を前にして、オレは動かずにはいられなかった。気が付けば咄嗟に二人の前へと躍り出ていた。
「随分と派手にやってくれたな」
オレはデュバリーと対峙して嫌味を零した。奴は狂っている上に今暴走していて質が悪い。公共の場にクレーターを作り、石化した人間を粉々にし、臣民の身を震わせ、辺りは大惨事となっていた。
師達の死には本当に痛感する。彼等は見慣れない魔法使いに動揺し、適切な判断が拾えなかった。デュバリーは闇魔法が得意だ。奴に対して怯えれば怯えるほど、その感情は増幅され、奴の闇魔法に呑み込まれてしまう。
「えぇ、正体を明かした以上、遠慮する必要がありませんからね」
「そうか。これでオマエは地上で生きる場所が無くなったな」
「人間界などどうでも良いですよ。私の目的はヴィオレのみですから。彼女さえ手に入れば、住み場所など考えていません」
「それは残念だな。オマエに母上はやらない」
「そのセリフはそっくりそのままお返ししますよ」
「オレは決してオマエの手には渡さないと言ったのだ」
「……そうですか。では貴方はクレーブスと共に死んで頂きましょう」
物騒な叫び声を上げたデュバリーから剣呑な空気が放たれ、本能が危険の警鐘を鳴らした時には視界が暗黒の世界へと変わって、全身が震え上がった。
――!?
突然、闇は弾かれたように霧散して姿を消した。
――何だ今の?
幻でも見たように茫然となるが、目の前に立つクレーブスの背を見て察する。
「今のは……」
忽然と消えた自分の魔法にデュバリーは険阻な顔でクレーブスを睨み上げる。クレーブスの方は視線だけこちらへと向けてきた。
「アクバール様、ここは危険です。カスティール様と一緒にここから離れて下さい」
「しかし、オマエ一人では」
「カスティール様の安全が第一です。魔法使いに奪われては元も子もありません」
クレーブスの言う事は尤もだ。一人で闘わせるのは忍びないが、今は母上の安全を優先にするべきだ。
「……分かった」
オレは母上を抱きかかえたまま、その場から離れようとした。ところが……。
「させるかっ」
デュバリーが阻もうと攻撃を放つ。螺旋状に渦巻く大蛇が現れ、宙をくねりながら、こちらへと飛来してくる。オレの頭上まで来ると、口元を大きく開け、巨大なハサミの形をした舌が左右に開いて牙を剥けてきた。咄嗟にオレは母上の躯を庇う。同時に大蛇の姿が煙化となって消えた。
「無効化……いや吸収か。そんな魔法を人間が操れるのか。それもただ吸収しているわけではない、己の魔力に換えているのか」
さすがのデュバリーも驚きを隠せずにいると、クレーブスは口角を上げた。あれこそクレーブスが言っていた秘策の一つだ。馬車の中でクレーブスは突拍子もない策を上げてきた。
「……神官、何でも構いません。私に何か攻撃魔法を使って下さい」
「急にどうしたのさ?」
クレーブスの急な要望に神官は驚きの色を見せるが、すぐに掌から炎のように燃え盛る黒い煙を生み出しクレーブスへ向けて放った。煙はクレーブスの顔面に直撃する寸前、忽然と消え失せた。クレーブスが反撃の魔法で消したのか。
「今のは打ち消し?」
神官が物珍しげに瞳を揺らし驚いていた。
「いえ、吸収です。相手の魔力を吸収し、自分の魔力に変換しました」
「それはまたとんでもない魔法だね。さすがの私でも出来ない術だよ」
神官はほぅと感嘆の溜め息と零す。オレは魔法に関して知識は無知に等しいが、言葉の通りに理解すれば神官が感嘆する意味も分かる。クレーブスの魔力の高さは周りの評価で知っていたが、ここまでとは思わなかった。
「魔導書にも記されていない私が作り出した魔法です」
「なるほど、今のところオマエだけが使える魔法という事か。それは努力の賜物だね。魔物の増加によって魔法の研究が深くされるようになったけど、まさかそんな術を生み出すとは」
「まだ私の中でも未知ではありますが、これを利用して相手の魔法を吸収し、魔法使いの魔力が底を尽きるまで闘います」
どうやらクレーブスの秘術は上手く行ったようだ。
『アクバール様、今の内にカスティール様をお連れし、この場から去って下さい』
クレーブスの声が頭の中へ直接響く。
『分かった。……クレーブス、死ぬなよ』
『最善を尽くします』
オレは母上を連れて出入口の扉まで逃げ込むと、扉の前に神官が立っていた。
「いよいよ闘いが始まったね。陛下に市民の非難を指示するように伝えておいたよ。これで一先ず市民には被害が及ばないね」
オレの顔を見るなり神官が伝えて来た。
「手間をかけたな」
「それも策戦の中に入っていたから手間ではないよ」
「感謝する。そして頼みがある。母上を安全な場所に連れて行って欲しい」
オレは神官に母上を託す事にした。彼は力強く頷く。
「王太子、レネット妃殿下の為にもどうかご無事で」
そして神官は母上を抱き上げ、オレの無事を願って去って行った……。