Please61「真実の扉が開かれる時」
景色がブルーに染まっている。ここはパーティ会場 ではない。もっともっと澄んだ自然の青い世界に見える。
――ここは海の中?
視界が揺れて見えるのは水中だから? それとも不安定だから? やがて視界は安定していき、美しい青の世界が広がる。
『逃げ出したい、ここから逃げ出したい』
――え?
不意に耳に響く美しい女性の声。声色が酷く苦し気だ。悲痛を感じる。
――何から逃げ出したいの?
『逃げ出したい、逃げ出したい……あの人から』
――あの人って誰?
疑問が生まれると、次第に景色が変わっていく。
――ここは王宮の一室だろうか。
落ち着いた若草色を基調に金色の花のデザインが施された絢爛な寝室だ。そこにフッと目に飛び込んできた一つの影、それはすぐに人の形を作った。
――あれは……カスティール様?
今よりも少し顔立ちが若い彼女は寝台の上で俯いていた。依然としてさながら青い蝶のように美しいのだが、いつもの凛と佇んだ姿ではない。悲しみに打ち震えていらっしゃる。
「どうして……どうして……私を置いて先に逝かれてしまったの……フォクシー様」
カスティール様は震えた声で胸の内を零された。
――フォクシー様って……前国王陛下のお名前……。アクバール様のお父様だ。
カスティール様から嗚咽が聞こえる。私はそっと近づく。彼女は声を押し殺し、滂沱の涙を流していた。
「フォクシー様……フォクシー様……」
――カスティール様? ――これはアクバール様のお父様がお亡くなりになった時の記憶……?
前国王は過労からくる突然死だったと聞いている。私は今まで毅然としたカスティール様の姿しか見た事ない。これ程まで悲しみに打ちひしがれる彼女を見るのは胸が痛かった。前国王をとても愛しておられたのだ。憐憫に思う私は彼女の肩に触れようとした。
『憐れで、可哀相な、ヴィオレ』
何処からともなくネットリと耳に纏う不気味な声が響いた。
――こ、この声は!
背中どころか躯全体が凍り付く。
――例の魔法使いだ!
何故、彼の声が聞こえてきたの!
「……今の声はまさかデュバリー?」
カスティール様は驚きに弾かれたように顔を上げて呟かれた。
――デュバリーって誰なの? きゃっ!
吹雪のように靄が渦巻いて視界を遮る。途端、例の魔法使いがカスティール様の前に立っていて私は呼吸が止まりかけた。彼はフードで顔を隠す事もなく素顔を晒している。顔の一部が爛れた様子が生々しく血色の瞳が恐ろしかった。
――ど、どういう事!? な、なんでカスティール様の前にあの魔法使いが現れるの!?
「デュ、デュバリー……何故貴方がここに!」
カスティール様はガタガタと恐怖に身を震わせ、今にも倒れそうなほどに、お顔を真っ青になされていた。とても尋常じゃない。そして彼女は魔法使いの事を「デュバリー」と呼んだ。それが彼の名前なの?
――どうしてカスティール様が魔法使いを知っているの……?
じわじわと胸の内に嫌な渦が巻いていく。
「貴女の方こそ、何故こんな場所におられるのですか?」
無機質な表情で問う魔法使いだが、何処か怒気を含んでいる。
「そ、それは……」
カスティール様は魔法使いから視線を側めて言い淀む。
「貴女が姿を消してから、かれこれ三十五年もの月日が経ちました。やっと貴女を見つけられたと思ったら、まさかこのような事になっていたとは私は大変ショックですよ」
「……っ」
――魔法使いがいう「このような事」って何?
「まさか貴女 ほどの方が人間の許へ嫁ぐなど、予想もつきませんでした。それも強力な結界を張って、私 でも全く気付きませんでしたよ」
――人間の許?
その魔法使いの言葉が妙に引っ掛かった。それではまるでカスティール様が人間ではないような……。
――ドクンッ!
心臓に雷に打たれたような衝撃が走る。
――ま、まさか……ね。
私は頭に浮かんだある事柄をすぐに揉み消す。そんな筈ない。
「何故、私がここにいると分かったの?」
「お気付きではないようですね。貴女の作った堅牢な結界は弱っています。コントロール出来なほど、貴方の心は弱っているようですね。ですが、おかげで私は貴女を見つける事が出来ました。さあ、私と共に我々の世界へ帰りましょう」
魔法使いはカスティール様へと手を差し出す。だが、カスティール様は嫌悪感を剥き出しにされていた。
「帰らないわ! 私の居場所はフォクシー様と過ごした王宮 なのよ!」
「何をおっしゃるのです? 己の勝手な行いがこのような事態を招いたのですよ? 貴女が人間を選ばなければ、今のような悲しみに暮れる事もなかったでしょうに」
「……っ」
「愛する人間と別れる事になったのは貴方への断罪です。それにもう貴女がここに残る理由は何もないではありませんか」
「勝手な事を言わないで! 私にはフォクシー様との子がいるのよ! あの子を置いて自分の世界に帰るだなんて考えられないわ!」
「これはまた……」
不敵な笑みを見せる魔法使いにカスティールは「しまった」と蒼白となっていらっしゃる。
「貴女は何処までも私を裏切れば済むのでしょうか。三十五年もの間、私の傍を離れた貴女の罪は大きいというのに」
「貴方を裏切る裏切らないといった、そんな仲ではないわ! 私はずっと貴方から逃げたくて、この世界を選んだのよ!」
躯がゾワッと粟立つ。
――魔法使いはカスティール様に執心している!
それにカスティール様はずっと怯えていらっしゃった。
「……そうですか。では貴女はここに残って構いません。ただし、私もこちらの世界の住人となりましょう」
カスティール様が本音をぶつけたというのに、魔法使いはまたとんでもない返しをした。
「何を言って……。そんな事で出来るわけ……」
「出来るでしょう? 現に貴女はここに居座っておられるのですから。そうですね、まずはこういったシナリオを作りましょうか。貴女の子は……あぁ男子 のようですね。という事は次期国王となる。残念ながらその輝かしい未来を潰して差し上げましょう」
「なんですって!」
「彼には貴女の罪を被って頂きましょう。呪いと称し“失声”とさせます。声を失えば多くの物を失うでしょうね。とはいえ、呪いを解く方法も与えます。相思相愛の女性を見つけた時、呪いは解かれる。ですがその方との愛を失えば、再び呪いはかかる事でしょう」
――!! こ、これがアクバール様が呪いをかけられた真実!
躯がガタガタ震える。ヴォルカン陛下の私欲に呪いが掛けられたわけじゃなかった。魔法使いの身勝手な思いでアクバール様の二十年間も苦しい思いをする事になったんだ!
「何馬鹿な事を言っているの!」
「これでも慈悲を与えているのですよ。醜い姿にする事や決して治療出来ない病に侵された躯にする事だって出来ます。失声なんて可愛いものです。加えて呪いを解く方法までお教えする。こでほど生温い罰などありませんよ」
「絶対にそんな事させないわ!」
「邪魔をなさったら、どうなるかお分かりになりませんか? 今の人間界で本当 の貴女を受け入れてもらえるとお思いですか?」
「!」
「火炙りか首を跳ねられて命を落としますよ。貴女だけではない、そう愛する男から授かった男子も一緒に命が絶たれます。それでも宜しければ、どうぞ阻止なさって下さいませ」
――え? 火炙りに首を跳ねる?
それはまるで……?
――本当のカスティール様? 人間界?
まさか? 一度打ち消した事実が再び脳裏に浮上してきた。
「出来ませんよね? 貴女の魔力は相当ですが、本気を出した私には敵いません。私は魔女の世界で最高の魔力をもつ王者です。そうですよね、魔女ヴィオレ ?」
――!?
カスティール様の琥珀色の双眸が深紅色へと変わった。まさかの事実が確信した瞬間だった。
――や、やっぱりカスティール様は魔女! そ、そしたらアクバール様は……?
さらにここで私はまた信じられない光景を目にする。魔法使いの姿がみるみると変化を遂げていく。黒曜の髪はくすんだグレイ色に、深紅の瞳は黄色に近い金色へ、爛れた顔もシミ一つもないきめ細やかな肌、容姿のすべてが変わる。
――!? あ、あの男性は……う、嘘!!
姿を変えた魔法使いは私が知る人物へと変わったのだ。
「私はこれからこの姿 で貴女を監視します。貴女が約束を違 えないように。あぁ、これからは近くで貴女を見守れるなんて、なんと嬉しい事でしょう。ねぇ、ヴィオレ……いえ今はカスティール妃ですかね?」
――きゃっ!!
刹那、靄が嵐のように渦巻く。完全に視界が遮られ、私は身を守るようにして、その場にしゃがみ込んだ! 数秒後、硬く瞑った瞼を開いた時、私は海の世界にいた。
――こ……こ……は? …………祝宴会の会場 ? ……はっ!
目の前には背を向けているカスティール様が、さらにその前にはアクバール様とクレーブスさんが! 二人とも酷く放心状態だった。
「アクバール様!」
私は急いで彼の元へ駆け寄る。私の声にアクバール様が我に返る。
「アクバール様も記憶を見られたのですか?」
「あぁ、クレーブスの魔術でオマエの記憶に触れて見ていた」
「母上とオレは……」
アクバール様はカスティール様と自分の真実にショックを受けていた。それは私も同じだ。まさか前国王の妃が魔女で、アクバール様も魔女の血筋が入っているなんて。
「あ、貴方達はさっきから何を話して……」
――はっ!
振り返ると、お顔のカスティール様が映る。
「ま、まさか私の記憶に触れたのでは? 何故、何故触れる事が出来たの!?」
彼女に気が付かれた。平静を装うつもりが、あまりの衝撃な事実を知って出来ない。
「だ、駄目よ! 真実を知ってしまったら貴方はっ!」
突然取り乱すカスティール様はアクバール様の腕を強く掴んで揺さぶる! その時、サッと私達の前に現れた人物に、私は凍り付いた。
「これはどうなさったのですか。今宵の主役の顔色がお悪い……」
私だけじゃない。カスティール様もアクバール様もクレーブスさんも誰もが顔色を変えていた。私達の前に現れたのは……テラローザ さんだ。彼はカスティール様をアクバール様から引き離して躯を支える。
「無粋な方々ですね。何もめでたい祝いの席でこのような事をなさらなくても。カスティール様が気の毒でなりませんよ」
テラローザさんの表情は氷のように冷たい。そして私は彼の言葉に引っ掛かりを感じだ。
――このような事 って彼は私達がカスティール様の記憶に触れた事を知っているの!
私はその場に立っているのもやっとなほど、足が竦んでいた。
――だって……だって彼は……。
さっきカスティール様の記憶の中で現れた男性なんだもの! 彼の前にアクバール様は躊躇いもなく躍り出た。
「テラローザ、オマエ……オマエがオレに呪いをかけた魔法使いだな」
