Please59「見えない愛に抱かれて」―Rainette & Akbar Side―
「王太子、クレーブス様、レネット妃殿下を連れて参りました」
扉の奥から「入れ」と、アクバール様の声が返ってきた。扉を開けて中へ入るラシャさんの後に私は続いた。
――ここは?
茶色のアンティークで統一された豪奢な調度品が設えられていた。左の壁側にはガラスショーケースの書棚が並び、中央には豪華な応接セットが、その奥には立派な机を前にして腰掛けるアクバール様、彼の近くにはクレーブスさんが立っていた。
――ここはアクバール様の執務室だろうか。
慣れない環境に緊張が走る。どうして私はアクバール様とクレーブスさんの元へと連れて来られたのだろうか。彼等は今、仕事中の筈だ。
「ラシャ、見えなくなる 前に始めろ」
アクバール様が立ち上がって命令を下す。
――え? 見えなくなる前って何が?
私はキョトンとなって首を傾げていたが、
「承知致しました。妃殿下、こちらへお掛け下さい」
ラシャさんに手を引かれて、私はカウチのソファに座らせられる。隣にちょこんとラシャさんも腰掛け、アクバール様もクレーブスさんが近くまでやって来て不安を覚えた。
――何が始まるの? 報告しに来たわけじゃないの?
「では妃殿下、失礼します」
「?」
ラシャさんは私の手を握ったまま瞼をそっと閉じる。その瞬間、周りの光景が一変した。
――何!?
モクモクと薄い靄が現れ、それらはあっという間にすべての光景を埋め尽くした。
――これはラシャさんが見せているの?
疑問も束の間、フッと揺蕩う人影が現れる。
――あれは?
既視感を覚えた。ほんの数十分前まで目にした絵画を見つめる陛下の姿があった。あの時の映像が再現されていく。アクバール様の絵に想いを馳せる陛下、続いて幼いアクバール様が陛下へと泣きつく、あの出来事が流れた。
私はもう一度目にして胸が苦しくなる。陛下のアクバール様への確かな愛情とアクバール様もお義父様よりも陛下をお好きだと伝えている。昔は陛下の事をとても慕っていたのだ。それなのに何故、今の二人は……。
一通り映像が流れると靄は薄れていく。執務室の光景が見え、現実の世界に引き戻されるのが分かった。夢から醒めたような感覚でラシャさん達の姿が映る。アクバール様を見ると、彼は茫然となっていた。
――アクバール様?
「今のはなんだ?」
彼がポロリと呟いた。
「レネット妃殿下が触れた陛下の記憶です!」
ラシャさんの答えに、私は虚を衝かれたように驚く。今の映像をアクバール様達も見ていたというの?
「そんな事は分かっている」
アクバール様が憮然とした態度で返す。ラシャさんは意味が分からないようでキョトンとした顔をしている。
「今のは叔父上の記憶なのか?」
訝しむ様子のアクバール様を見て私は気付いた。彼は陛下が敵視していないかもしれないという事実を受け入れられないのだ。ラシャさんは、え? え? といった様子で、アクバール様の言葉の意味が分からないようだ。
「本当だと思います」
私はラシャさんの代わりに答えていた。
「陛下と少しだけ会話をしました。私が陛下のお部屋に飾ってあるの絵画の事を口にした時、陛下は“何故それを?”と、聞き返されました。陛下の記憶である事には間違いないかと思います」
私の答えにアクバール様はさらに顔を顰め、口を噤んでしまった。受け入れ難い事実に戸惑っているのだろう。でもこれはとても大事だ。今まで私達はとんでもない勘違いをしていたのだから。
「陛下は今でもアクバール様の事を愛しておられるんだと思います。記憶に触れた時、アクバール様に対する陛下の強い愛情が伝わってきました」
私は思い切って真実を口にした。それにアクバール様は何も答えない。クレーブスさんもラシャさんも彼の様子を窺っている。
「その件は整理させてくれ。レネットの言う事が事実であれば、根本的に考えを改めなければならない」
アクバール様は淡々と答えた。今は陛下の事について触れられたくないのだろう。
「分かりました」
私は重い空気を変えようと抱いていた疑問を出した。
「あの、ラシャさんが私を連れて来た理由は……?」
ピンと動物が耳を立てるような反応をラシャさんが見せる。
「はい、妃殿下と陛下の会話をお聞きして察しました。妃殿下が陛下の記憶に触れられたのではないかと。記憶は数十分前であれば、魔力で触れる事が出来ます。妃殿下のご覧になった陛下の記憶を読み取れるのではないかと思い、急いでクレーブス様に報告をして、妃殿下をお連れ致しました!」
「あれ? でもラシャさんはずっと私の傍にいたから、クレーブスさんに報告する時間はなかったのではない?」
「魔力で意思疎通です!」
ラシャさんは満面の笑みで答えた。まるで愛の力だとでも言うように嬉しそうにだ。魔力ってそこまで出来るんだ。……って、重要な事を見落とすところだった!
「あ、あの、どうして私はカスティール様に続いて陛下の記憶にまで触れる事が出来たのでしょうか。無意識に事が起きてしまって……」
記憶に触れるには魔力が必要だ。一度ならず二度も触れるだなんて、自分の事なのにまるで分からない。
「レネット、オレ達は誰も魔女だと疑っていない。安心しろ」
「は、はい」
アクバール様に不安を気付いてもらう。疑われていないのならいい。
「他者の魔力が働いているのかもしれません。現在調べております。……それにしましても、カスティール様といい、陛下といい……」
クレーブスさんは最後まで言葉を続けず、アクバール様に意味ありげな視線を送る。アクバール様は視線の意味を気付いている感じだ。
――心で会話をしているように見える。……けど、そんな筈ないわよね?
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「アクバール様、緊急です」
「なんだどうした?」
これから執務に取り掛かろうとした時だ。クレーブスが神妙な面持ちをして現れた。
「たった今、ラシャから連絡が入りました」
「レネットの身にまた何かあったのか?」
オレは鋭い眼差しでクレーブスを見つめ返す。
「レネット様がヴォルカン様と接触し、彼の記憶に触れたようです」
「は? レネットが何故、叔父上と接触したのかも謎だが、記憶に触れるなんて馬鹿な……」
「えぇ、そうなのですが……。一先ずラシャがレネット様を連れて、こちらに向かっております。今の内であれば、レネット様が触れた記憶を読み取る事が出来るかもしれません」
「それが叔父上の廃位に繋がる情報だといいな」
「それが……」
「なんだ、こちらが不利にでもなる情報か?」
「実際にお目にした方が宜しいかもしれません。私もラシャの情報だけでは少々信じ難いものですから」
クレーブスは確信のないものを口にするのを嫌いタイプだ。内容は気になったが、間もなくラシャがこちらにやって来る。そこで真実を見る方が手っ取り早い。
――数十分後。
ラシャがレネットを連れてやって来た。レネットが少し緊張気味であるのを察していたが、今は彼女から叔父上の記憶を見るのが先決だ。
――さてどんな真実が待っているのか。
「ラシャ、見えなくなる 前に始めろ」
オレはすぐにラシャに記憶の巻き戻しをするよう命令を下した。彼女はすぐにレネットをソファへ座らせ、魔術を放つ。一瞬で周りの光景が白い靄の世界に覆われる。オレは期待を膨らませていたが……。
予想とは全く異なる出来事を目の当たりにして目を疑う。叔父上がオレの幼き頃からの肖像画や二人一緒の絵を飾って想いを馳せる姿を誰が想像出来ただろうか。おまけに叔父上を慕っていた、あの子供の頃の出来事まで流れて絶句する。
オレの中ではとうに忘れていた思い出と感情であった。それを叔父上は今でも記憶に残しているというのだろうか? 何故だ? あれではまるで……。そんな筈はないと否定する自分と冷静に肯定する自分が鬩ぎ合う。
そして何故、レネットが叔父上の記憶に触れる事が出来たのか? そもそも接触する事が出来たのか? ありとあらゆる疑問が湧き、正論を導き出せずにいた。魔術が解かれた時、オレは間抜けな言葉を洩らした。
「今の映像は叔父上の記憶なのか?」
分かり切っていた事だが口に出さずにはいられなかった。
「本当だと思います」
答えたのはレネットだった。
「陛下と少しだけ会話をしました。私が陛下のお部屋に飾ってあるの絵画の事を口にした時、陛下は“何故それを?”と、聞き返されました。陛下の記憶である事には間違いないかと思います」
直 に叔父上の記憶に触れた彼女の言葉はとても真実味があった。
「陛下は今でもアクバール様の事を愛しておられるんだと思います。記憶に触れた時、アクバール様に対する陛下の強い愛情が伝わってきました」
オレを排斥した叔父上がオレに愛情を持っているなど信じられるわけがない。そう否定した思いはレネットの言葉で認めざるを得なくなる。
「その件は整理させてくれ。レネットの言う事が事実であれば、根本的に考えを改めなければならない」
言葉の通り一から考え直しが必要だ。オレの気持ちを汲み取ったレネットは話題を変えた。急にここに連れて来られた彼女も疑問に思う事は多々ある。
「あ、あの、どうして私はカスティール様に続いて陛下の記憶にまで触れる事が出来たのでしょうか。無意識に事が起きてしまって……」
やはりこの話は彼女にとっては恐怖であり、オレ達にとっても上位の難題だった。
「レネット、オレ達は誰も魔女だと疑っていない。安心しろ」
「は、はい」
オレが言葉を掛けると、レネットの表情がホッと緩んだ。
「他者の魔力が働いているのかもしれません。現在調べております。……それにしましても、カスティール様といい、陛下といい……」
チラッとクレーブスがオレの表情を窺ってきた。心の中で会話をしなくても奴の言いたい事は分かる。
――叔父上はあの二人 以上にガードが固い。記憶を読み取れるなんて不可能だ。
それをレネットは触れる事が出来た。この力は魔女レベルだ。しかし、彼女をどう調べても魔力は感じられない。他者の力……魔法使い が見せるわけない。寧ろ見せたくない内容の筈だ。
――誰かがオレ達に真実を見せようと している?
それは前向きに捉えていいものか。だが真実を知った時、魔法使いはオレを殺すと仄めかした。敢えて真実を教え亡き者にしようと考えている可能性もある。
「オレはこれからクレーブスと今後の事について考え直す。レネットはラシャを連れてレッスンに戻ってくれ」
オレはこの場からレネットとラシャを離れさせた。二人は素直に部屋から去って行った……。
「オマエが言いづらかった理由があんな事だったとはな」
クレーブスと二人になった時、オレは真っ先に奴に声を掛けた。
「アクバール様がどうお取りになるか、懸念しておりましたので」
「今は現実だと認めて事を進めるぞ」
「潔いのですね」
「半信半疑だ。しかし、今は認めるとして仮説を立てる。叔父上は王の座を奪う為にオレに呪いをかけたのではない。となれば誰が何の目的でオレに呪いをかけたのか……」
――叔父上は事情を隠さざるを得ない状況にいるのだろう。
それはきっと彼女 も……。
「クレーブス、予定を変更するぞ。一つ試したい事がある」
策戦を変えて決行だ。これで例の二人から必ず真実を炙り出す……。
