Please56「見えざる真実を手繰り」―Akbar Side―
「どうだったか?」
「やはりああいった記述はありませんね」
「そうか……」
そう一言だけ答えたオレは腰を椅子に戻した。結果だけを聞き、それ以上は問わなかった。
――あの大国オーベルジーヌですら記録がないのか。
ヴェローナとバレヌの記憶の一部が消されてから、オレはずっと気になっていた事があった。これまでに魔法使いや魔女が人間の記憶を消したという実例があったであろうか。少なくともオレは目にした事がない。
自国は勿論、他国の魔法史や魔導書など虱潰しに調べてみたが、やはりそういった記録はなかった。記録をすべて消すほど、奴等は用意周到なのか。いや思うにかつてにない異例ではないだろうか……。
――記憶の一部を操作出来るのであれば、恐らく……。これは究極論ではあるが考えられない話でもない。
可能性があるならば、徹底的に調べ上げる。オレの中である仮説が成り立ち、その可能性を探る為にオレはクレーブスに調べ事を依頼した。が、望んだ結果は得られなかった……。
「アクバール様の方はどうでしたか?」
クレーブスから問われる。オレは奴への依頼と同時に自分も調べ事を行っていた。
「顔を見せに行ったら、祖父上も祖母上もどちらも喜んで下さった」
「良かったですね」
「あぁ」
オレの方は半日ほど、母上の祖国ガードゥン・プールに足を運だ。失声快復の報告を名目に、裏では調べ事を目的としていた。
「それで何か思うところはありましたか?」
「疑う余地がないほど見事だったぞ」
オレは苦々しい思いを抱きながら、皮肉めいた言葉で答えた。
「何もないという事ですか?」
「強いていうならしっくりこないという違和感ぐらいか?」
「という事はやはりあの可能性がおありという事ですね」
「あくまでも個人の直感だ」
あそこまで遡って調べる必要はないと思ったが、僅かでも究極論の可能性があると疑えば調べざるを得ない。何処に糸口があるか分からないのだから。
「直感ですか……」
オレの不確かな物言いにクレーブスは釈然としない様子だ。
「オマエはどう思う?」
敢えてオレはクレーブスに問う。オレの直感を信じるのか疑うのか。
「カスティール様の祖国の方々とはあまり接する機会がございませんので、なんともですが……そうですね、毛色が違うというのは確かに感じたかもしれません」
「例えば?」
「雰囲気、仕草、話し方、癖といった天性的なものでしょうか」
「それにオレも同じだ。表上は何の問題もない。ただ天性的なものがしっくりとこないんだよな」
「もし仮説が本当であれば……」
「とんだ厄介事だ」
オレの言葉にクレーブスは目を細めた。
――それが魔法使いが言う真実に繋がるのかもしれない。
それはアイツが言っていた通り、自身だけの問題では済まされない。アイツは真実を知れば、オレを殺すと脅かしてきた。きっとそこに奴の触れられたくない部分も秘められているのだろう。
――オレは絶対にアイツを地獄へと引き摺り込む。
その為に真実を見つける材料として、オレは母上の母国へと足を運んだのだ。
――コンコンコン。
ノックの音で意識が弾かれる。
――誰だ?
「王太子、ラシャです! お伝えしたい事があって参りました!」
扉の向こうで切羽詰まった声が聞こえた。オレはクレーブスと顔を見合わす。奴は窺いを立てるような表情をしていた。ラシャを入れてくれという事だろう。
「入れ」
オレは扉に向かって答えると、すぐにガチャリと扉が開いた。
「失礼致します! あ、やっぱりクレーブス様もこちらにいらしていたのですね」
「ラシャ、今はレネット様の傍についている時間だろう。何故、離れた?」
能天気なラシャに容赦なくクレーブスは叱責する。任務に対してヤツはオレ以上に厳酷だ。
「スミマセン! スミマセン! どうしてもすぐにご報告したい事がございまして参りました!」
「クレーブス、いい。レネットの事で何かあったのだろう?」
「そうなんです!」
オレが口を挟んでラシャに問うと、彼女は力んで答えた。
「話してみろ」
「はい!」
ラシャはぴゅぅと飛んでやって来た。
「先程、妃殿下から頂いたお話なのですが……」
ラシャはレネットとの出来事を話し始める。話を纏めるとこうだ。レネットが東屋で休憩をしている時、母上が現れ不意にレネットを抱き寄せた。その時、レネットに不思議な現象が起きたという。
レネットの事を心配して侍従達と話をする母上の姿を見たと。その光景は夢の中にいるような感覚で、現実で目にしたわけではない。そしてレネットが夢から醒めたように意識が戻った時、彼女は母上の腕の中にいた。
そんな状況でレネットが眠れるわけがない。ラシャは常にレネットの傍にいたが、不思議な現象には気付かなかったそうだ。ラシャ曰くレネットは母上の記憶に触れたのではないのかと言う。
「カスティール様の記憶に触れた?」
「そんな馬鹿な……」
クレーブスとオレは同時に呟いた。
――母上の記憶に触れるなど有り得ない。
そもそもレネットには魔力がないのだ。人の記憶に触れられるわけがない。
「魔力を持たないレネットが母上の記憶に触れる事は出来ないだろう?」
「はい、普通はそうですね」
仮にもラシャは魔導士だ。いくらドジっ子と呼ばれる彼女でもレネットに魔力がない事は百も承知。なのに何故、馬鹿げた発言をする?
「ならオマエの仮説は却下だ」
「ですが……あの」
ラシャにしては珍しく否定的な態度を見せる。
「なんだ、言ってみろ」
「妃殿下のお話を聞いて思い出した事がありました。以前、ヴェローナ様が用意された偽賊の人間が王太子を襲った事件の時、実は妃殿下、賊の一人に気付かれて襲われそうになりました。ところが、襲ってきた賊がいきなり姿を消したんです」
「は?」
突拍子もない話にオレは間抜けな声を洩らした。今更あの賊の事件が出されるのもおかしいが、レネットが賊に襲われそうになっただと?
「私は魔力で賊を撃退していません。近くにクレーブス様もおられませんでしたし、となると妃殿下自身が魔力を発したのではないかと推測しております」
「おいラシャ、オマエは自分が何を言っているのか分かっているのか?」
オレの問いにラシャはショボンと口を閉ざした。答えに窮しているようだ。
「レネットが魔力を隠しているとでも言いたいのか? それも魔導師達の目を欺けるほどの?」
「そ、そういうわけではございません」
さらにオレの責めにラシャはタジタジとなっていた。ここでずっとオレ達の会話を聞いていたクレーブスが口を割る。
「ラシャ、まずは報告漏れがあった事を罰するぞ。先程の話は重要な事だ」
「は、はい。スミマセン」
続いてクレーブスに咎められ、ラシャは悄然と躯を小さくする。
「そして憶測で王太子に報告する事も赦さない。レネット様は魔力を持っておられない。今の報告は遠回しにレネット様が魔女だと言っているようなものだ」
「そ、そのようなつもりでは!」
クレーブスの言葉にラシャはとんでもないと首をブンブンと横に振る。彼女が悪気があって口にしたのではないと分かっている。だが、クレーブスの言う通り、魔導師ですら気が付かぬ魔力をもつ者など、魔女だと言っているようなものだ。
「クレーブス、そう固くなるな。間違った事を言っていないが、ラシャを罰する時間があるなら、レネットついて調べるのが先決だ」
「ですが、アクバール様……」
「レネットは間違っても魔女ではない。しかし、何が起きて彼女の周りに魔法が放たれているのか、調べる必要はある。まずパッと浮かぶのが例の魔法使いか」
「それは私も思い当たりましたが、賊の件もカスティール様の件もどちらも魔法使いにとってのメリットがありません。関与している可能性は低いかと思います」
クレーブスに言われ、それもそうだとオレは思い直す。
――となると別の魔法使いか、それとも魔力をもつ人間なのか。
ここで新たな者が関与しているという仮説を出したところで、全く意図が見えない。
「報告の件は分かった。オマエは引き続きレネットの護衛に戻れ」
「わ、分かりました。……あ、もう一つご報告があります。カスティール様がレネット様におっしゃっていたお言葉が気になりまして」
「なんだ?」
「カスティール様はレネット様に王太子の事を“私が守ってみせる、自分の命よりも大切な宝”だと、おっしゃっていました。気圧される勢いで私も妃殿下も恐縮としてしまいました」
「母上がレネットに?」
――オレを守る?
何から? ……叔父上から? 母上の守るはオレから叔父上を遠ざけたがっている。彼女の守るはオレの望むものとは異なる。
「何故、そんな話になったんだ?」
「レネット様が王太子の名前を出された途端、カスティール様がそうおっしゃいました」
――意味が分からないな。
今の話だけでは母上の心情が全く読めない。思わずオレは溜め息が出そうになったがグッと堪えた。
「王太子?」
思案に暮れるオレをラシャは不安げな表情をして覗いていた。オレはすぐに平常心を戻す。
「報告は以上になるか?」
「は、はい」
「ではもう下がっていいぞ」
「わ、わかりました」
オレはラシャをこの部屋から退出させる。下の者に神妙な姿を見られるのは好ましくない。部屋はオレとクレーブスの二人だけになった。
「レネットの身に妙な事ばかり起きるな」
オレは少し気が抜け、溜め息を吐いた。
「そうですね」
――帰還祝いの祝宴間の時、意図的に姿を現したわけではない魔法使いと遭遇した件、賊を撃退した件、母上の記憶に触れた件……確かにどれも魔力が働いている。一体誰が何の為に……。
無意識に作った神妙な顔がクレーブスに思わぬ感情を抱かせた。
「もしやレネット様をお疑いになっているのですか?」
「まさか、レネットに魔力はない」
レネットを疑っているなど心外だ。
「それに魔女であれば、オマエは彼女を薦めていなかっただろ?」
「そうですね」
レネットはクレーブスの推しだ。オレに相応しいと思って選んだ女子なのだから、彼女を疑うつもりはない。
――何にせよ、厄介だな。
ぶっちゃけた話、レネットの周りで起きる怪奇現象の原因はクレーブスでも分からないだろう。魔法使いの存在が分からないと同様な難レベルだ。そんなのに時間をかけても無駄だ。
「クレーブス、例の件を考えるぞ」
「畏まりました」
――もっと確実なものを攻めて堕とす……。