Please44「蜜のような甘い罠」―Akbar Side―




 王宮と同一敷地内にはあるが、滅多に人が近寄らぬ塔の一室にオレは監禁されていた。扉の向こうにはオレを監視する守衛が数人立っている。当たり前だが容易に抜け出す事は出来ない。今は脱走を考えるよりも大人しくしている方が賢明だ。

 ――それにしても監禁とは予想外だったな。

 オレは寝台の上に腰を掛け、数時間前の出来事を振り返っていた。

「アクバール様」

 クレーブスと近衛兵を引き連れ移動していた時だ。朝から嫌な顔を見たと思ったテラローザから声を掛けられた。声を出せないオレは立ち止まって奴の顔を見遣ると、相変わらず人を冷ややかに見ている、不快だ。

 ――何の用だ?

 オレが視線で伝えると、それをテラローザは汲み取り、

「本日から執政に関与する仕事を一切禁じます」

 とんでもない内容を告げてきた。

 ――は?

 オレは不快な表情を露骨に表した。執政を行えないなど、王太子として何の価値がある?

「これは王命です」

 テラローザが決然たる態度で言う。

「テラローザ殿、これはまた随分な態度じゃない? 前触れもなくそんな事を告げられて、はいそうですかと素直に頷けるわけ……」

 オレの感情を読み取ったクレーブスが、テラローザの言葉を跳ね避けようとしたが、

「クレーブス、私からのめいという言葉を聞かなかったのか?」

 そこにまさかの叔父上が現われた。さすがのクレーブスも叔父上が相手では強く出られない。それから叔父上が徐にオレに視線を移してきた。

「アクバール、オマエは王宮ここに戻ってから少々好き勝手にやり過ぎた。王政に手を出し、人間関係も含め、随分と乱してくれおったな。それに加え、先日外出した際もとんだ騒ぎを起こした。そんな度を越した行いが下って、再びオマエは失声となったのだろう」

 ――は? なんだ、その無理矢理なこじつけは?

 叔父上の過ぎた言葉にオレは睨みつける。オレの行いと声は全く関係ないだろ。

「これ以上、オマエの好き勝手にされては困る。今日からオマエのすべての行動を謹慎する。これは王命だ」

 叔父上の取りつく島もないめいにオレは納得するわけがなく、楯突こうとした。

 ――クレーブス、叔父上にふざけるなと伝えろ。

『お待ち下さい、アクバール様』

 頭の中にクレーブス声が直接届く。

『なんでだ?』

 焦らされるような感覚にオレは苛立った。

『只今、あ奴・・から報告が入りました。先程ですが……』

 横槍の話にオレは息を呑んだ。

『なんだそれは? こんな所で叔父上と下らん話をしている場合ではない! 今すぐに……』
『お待ち下さい。アクバール様、まずは陛下のめいをお受けになって下さいませ』
『何を言っているんだ、オマエは?』
『私の方で裏を確認してきます。それまで下手にこちらから行動するのをお控えになった方が宜しいかと思います』
『そんな悠長な事……』
『アクバール様、どうか冷静になって下さいませ』
『…………』

 オレはり上がっていた感情をどうにか押し殺す。

『分かった、ではその件はオマエに任せよう』
『はい』

 オレが答えると、クレーブスは叔父上へ伝える。

「陛下、アクバール様は自粛すると申しております」

 そこで思わぬ事態が起こった。

「ではアクバールを連れて行くぞ」

 ――は?

「どういう意味ですか、それは?」

 クレーブスが叔父上に警戒心を剥き出にし、オレを庇うようにして前へ立つ。

「こ奴が大人しく自粛しているとは思えぬ。暫くの間、こちらで用意した部屋で自粛して貰う」
「陛下、それは王太子を監禁なさるという事ですか?」
「言葉が過ぎるぞ、クレーブス」

 叔父上の声色と双眸には怒気が含まれており、周りの空気が震えたように感じた。

『クレーブス、オレは構わない』

 内心では叔父上の命になど従うかと反抗心で埋め尽くされていたが、今はそれよりも優先しなければならない事がある。

『アクバール様、宜しいのですか?』
『オレの事より、急いでさっきの件を調べろ』
『畏まりました』
『調べ次第、報告と共にすぐに監禁部屋からお出し致します』
『あぁ。叔父上に命に従うと伝えてくれ』

 オレの言葉にクレーブスは静かに頷き、叔父上へ伝える。

「では陛下、アクバール様をお連れするお部屋まで私も同行致します」

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

 ――唐突に荒波を立ててきたな。

 目立った行動を起こさないと思いきや、オレのこの声・・・で行動に出たか。オレを追い出すに絶好の機会だからな。レネットから「愛していない」と告げられた翌日にはこの声が王宮全体へと知れ渡っていた。

 二十年前のようにズルズルと僻地へ追いやられては堪るかと、変わりなく事を熟していたつもりだったが……。とはいえ、いずれ公務等で支障が出る時はくる。そういったハンデにつけ込まれ、余儀なく謹慎を要された。

「ふぅー」

 オレは軽く溜め息を吐く。

 ――レネット……。

 胸中で彼女の名を零す。こんな所で叔父上のめいに従って大人しくしているのは不本意だが、今は機会・・がくるまでの辛抱だ。あれこれと思案を巡らせている中、もう一人気になる人物の姿が浮かんでいた。

 ――母上……。

 オレがこんな所に監禁されたと知ったら、また心を苦しませるな。この声の事で真っ先にオレの元に飛び込んで心配していた母上は涙を流しながら嘆いていた。そしてあの時、

「貴方は必ず私が守るわ」

 彼女は使命感のような強い意志を見せた。オレは母上の手を取り掌に、

『貴女は何をご存じなのですか?』

 と、文字を綴って訊いてみたが、母上は何も答えなかった。オレの声に彼女は何か秘め事を抱えているのではないか、そう察したのだが……。

 ――コンコンコン。

 静寂とした室内にノック音が響き、集中していた意識が弾かれた。

 ――誰だ?

 クレーブス……いやテラローザ辺りか。オレは扉の先を警戒する。ところが実際はどちらでもなかった。

「アクバール王太子、私です、ヴェローナです」

 ――ヴェローナ?

 思いも寄らぬ人物の登場でオレは目を剥いた。

 ――何故、彼女がここに?

「お入りしても宜しいでしょうか」

 そう一言彼女が添えると、ゆっくりと扉が開かれた。華やかな姿をした彼女が現われると、ふわりと甘やかな花の香りが漂う。

「王太子、ご無事でしょうか?」

 ヴェローナはオレの顔を合わせるなり、心配の声を掛けてきた。オレは立ち上がってコクリと頷いた。

 ――何故ここにいる?

 そんな視線を向けると、彼女は察したようだ。

「何故ここに私が来たのか? と、問うておられますか? それはこのような場所から、王太子をお出しする為です」

 ヴェローナの思い切った発言に度肝を抜かれる。唖然となりかけたが、それよりも先にオレはそっとヴェローナの手を取って掌に文字を綴った。

『そんな事をしたらオマエは罪に問われるぞ』

 オレがここにいるのは王命だ。勝手にオレをここから出そうものなら、いくらヴェローナでも確実に罰せられる。彼女もそれが分からないわけではないだろう。

「ご心配なさらないで下さいませ。何も勝手にここからお連れしようと考えてはおりません。きちんと陛下にはお話を通します」

 ヴェローナはいつになく真剣な顔をして答えた。

『気持ちは嬉しいが、叔父上は聞く耳をもたないぞ』
「何度でもお話をするつもりです。今回の件はあまりにも理不尽ですもの。もう二十年前の二の舞にはしたくありません」

 彼女の言葉を聞いてオレは不思議でならなかった。そこまでオレの為にするのは何でだ? いくら昔の婚約者というよしみがあっても、それはもう過去の話だ。危険を犯してまで彼女がオレを助けるメリットは何もない。

『何故そこまでしてオレを助けようとする?』
「お気付きではありませんか? 私は王太子をお慕いしておりおます。二十年前のように貴方を失う後悔はしたくありません」

 ヴェローナの告白にオレは息を詰めた。思い返せばここ数日の間、彼女には多くの事を助けて貰っている。それは単に彼女の親切心からだと思っていたが、まさか恋慕があったのか。

『悪いがオレは妃を迎えた。オマエの気持ちには答えられない』
「王太子、私は決して貴方への気持ちを離れたりしません」

 さらにオレは息を呑む。今の発言はオレとレネットの想いが交わらなくなった事をオブラードに伝えていた。

「私は必ず王太子の力となりますし、呪いの事もご不安にさせません。どうか、どうか私をお選びになっては下さいませんか!」

 尚も彼女はオレの手を握って熱くアピールする。確かに彼女は優秀で人望もあり、さぞ人から愛される王妃となるだろう。ハンデがあるとすれば一度結婚している事ぐらいだが、それも彼女の人徳で問題視されないだろう。

 ――とはいえ、彼女は中立派の人間だ。

 今は爭いに巻き込まれない派に属し、彼女は多方面で活躍をしている。

『オレと一緒になれば、叔父上を敵に回す事になるがいいのか?』

 オレを選べば大きなリスクを抱える。それだけの覚悟が彼女にあるというのか? そんな懐疑心は次の彼女の言葉で退けられる。

「構いませんわ。私は生半可な気持ちで王太子をお慕いしているわけでありませんもの」

 ヴェローナは僅かな躊躇いもなく即答した。それを聞いたオレの心は決まる。

 ――やはりヴェローナはオレにとって……。

『そうか。オマエを愛せばオレの声は戻せるのか?』
「えぇ勿論ですわ。一生涯、貴方を愛する事を誓います。ですので私を選んでは頂けませんか、王太子」

 ヴェローナの双眸は大いなる期待が含まれ潤っていた。オレはその瞳を捉え、彼女の手を強く握り返す。彼女は零れるばかりの笑顔で躯を抱き寄せてきた。妖艶な花の香りがオレの鼻腔をくすぐる。

「嬉しいです、私を選んで下さって」

 ヴェローナは腕に力を込めて身を寄せる。しかし、喜ぶ彼女とは反対にオレの心は不安の闇に覆われていた。オレはヴェローナの腕をそっと離し、彼女の掌に文字を綴る。

『声が出ない』

 文字を読んだヴェローナは硬直する。それから顔を伏せ、ワナワナと小刻みに震えていた。

『ヴェローナ?』

 何か彼女の様子がおかしい。

「……王太子、どうか悪くお思いにならないで下さいね」

 ――なんだ急に?

 ヴェローナの声はいつもの澄んだ美しい声とは変わって低く硬質なものだった。ゆっくりと彼女が顔を上げると、先程の花が咲き誇るような笑みとはかけ離れた悪魔の微笑みを見せていた。

「お声が戻らないのは当り前ですわ。何故なら私達の気持ちは交わっておりませんもの」

 ――!

 オレは視線で「どういう事だ?」と、訴える。

「何故? と、おっしゃいたいのですよね? それは私の王太子を愛しているという話が偽りだからです」





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