Please43「もたげる真実」




 そう死を覚悟した時、

 ――アクバール様!!

 固く閉じた瞼の裏に彼の姿が浮かんだ。その時だ。

「とりゃぁあああ――――!!」

 何処からともなくドスのきいた掛け声が響き渡り、

 ――ドカッ!!

 鈍い音と共に突然、男性の躯が宙を舞って吹き飛んだ! 彼は何かに衝突されたのだ!

 ――え!?

 一瞬の出来事で私には何が起きたのか分からなかった。すぐにドスンッと耳を塞ぎたくなるような大きな音が響き渡り、私は目を眇める。それからフッと視界が翳り、

「大丈夫ですか、妃殿下!」
「え?」

 ――誰?

 耳をくすぐる可愛らしい女性の声に問われる。聞き覚えがある声だった。女性はクレーブスさんのような魔導師の制服を着ている。

 ――この女性は……確か?

 私は記憶を辿ってパッと思い当たる人物を縫い止めた。

「貴女はラシャさん?」
「わぁあああ~、妃殿下に名前を憶えて頂けるなんて光栄です!」

 ラシャさんは私の手を握ってブンブンと上下に振り、この場には不似合いな明るい元気な声を上げた。思わず私は拍子抜けしそうになる。

「あ、あのどうして貴女がここにいるの?」

 私がラシャさんに疑問を投げた時、空気がビリッと鋭く強張った。数メートル先で倒れていた男性が起き上がっていて、彼は私とラシャさんの姿を捉えると、真っ先にこちらへ駆け出してきた!

「ラシャさん! 後ろ危ない!」

 私が指を差して叫ぶと、反射的にラシャさんは振り返り、

「え――い!」

 男性へ向かって右手を翳した。彼女の掌からピカッと稲妻のような光が閃く。

「ぐあっ!」

 男性から呻き声が上がった。同時にピタッと動きが止まって、その場にへたり込んだ。

 ――な、何が起こったの!

 男性は動きたくても身動きが取れないといった様子だ。

「オ、オレに何をした!」

 声は出せるようで、ラシャさんに向かって罵声を飛ばす。

「オマエは魔導士か! 勝手に魔力を発して許されると思うのか!」
「心配ご無用! 妃殿下を守る為の魔法は許可されていますから!」

 エッヘンとラシャさんの態度は大きかった。

 ――わ、私を守る魔法って?

 素朴な疑問が浮んだが、ラシャさんが男性をどんどんとなじり始める。

「そもそも許されない行為をしたのは貴方の方です。今、捕縛魔法をかけましたから、自由には動けませんよ。観念して洗いざらい吐いて貰います!」
「ふざけるな! 誰が吐くか!」
「ふむ、仕方ありませんね。強硬手段です、自白魔法をかけます!」
「やめろぉおお~~!!」


 男性が半狂乱になって叫ぶが、ラシャさんはボソボソと呪文のような言葉を発する。すると室内がパッと明るくなり、視界が良好となった。私の隣には少女のような可愛らしいラシャさんと、目の前には例の男性がいた。

 男性が思ったよりもずっと身なりが良くて驚いた。何処かの貴族の人間だろう。金色に近いブラウンの長い髪を一つに束ね、顔立ちも品があって美しかった。とても人攫いをするような人には見えない。

 彼は今ボーッと熱に浮かされたような表情をしていて、さっきまで怒鳴っていたのが嘘みたいに大人しい。それは魔法にかかったから? そこにラシャさんが仁王立ちして男性の前へと立つ。

「さぁ、洗いざらい吐いて貰いましょう。これから私が言う質問にきちんと答えて下さいね」

 ラシャさんの強制的な言葉に、男性はコクンと首を縦に振った。凄い、やっぱり魔法にかかっているんだ。

「まずは貴方の名前は?」
「私の名はフィヨルド・ドゥーブルだ」
「うーん、私は貴族の世界には疎いので、どなたなのか分かりませんが、妃殿下はお分かりになりますか?」
「いえ、私も知らない人だわ」


 これまで私は閉鎖された世界で生きてきたし、ましてや数週間前にここに来たばかりだから、貴族の人間の名前なんて殆ど分からない。

「では何故、貴方は妃殿下を攫ったのですか? もしかして貴方は誰かの命令で動いたのですか? だとしたらその背後にいる人間の名前を答えて下さい」

 次のラシャの質問に私はゴクリと喉を鳴らした。私が攫われた理由と一体それは誰が犯人なのか……。

「誰かの命令? 背後にいる人間?」

 フィヨルドさんは自問するように、ゆっくりとラシャさんの言葉を反芻している。奇妙な光景だった。そして彼から予想外の答えが返ってくる。

「ははっ、そんな奴は誰もいやしないさ。私は自分の手で王太子妃を罰してやろうと思ったのだから」
「罰する?」

 フィヨルドさんの不穏な答えに、ラシャさんの可愛らしい顔が険しくなる。それを目にした私は口を挟んだ。

「この男性は今回のアクバール様の失声の原因が私にあると責めていたの。それで私を恨んでいるんだと思う」
「……そうですか」

 何処か腑に落ちない様子のラシャさんは男性に真意を問う。

「妃殿下がおっしゃる通りですか?」
「はははっ、まさか!」

 ――え?

 フィヨルドさんの嘲笑いに私は息を呑んだ。彼はアクバール様の失声で私を恨んでいたのではないの?

「確かに王太子妃がしっかりと王太子の心を繋ぎ止めなかったが為に、私はとんだ苦しむ羽目となった」

 ――どういう意味なの?

 私にはフィヨルドさんの苦しむ理由が全くといって分からない。

「私の大事な大事なあの方・・・を今度こそ手に入れられると思ったのに、王太子妃の魅力が不足していた為に王太子の心が離れ、あの方・・・へと毒牙がかかったのだ!」

 ――また出た。さっきからフィヨルドさんが言う「あの方」って誰の事を言っているの?

 知りたいようで知りたくないような掻痒感に心臓の音が乱れていく。

「あの方とは誰の事ですか?」

 同じ疑問を抱いたラシャさんがフィヨルドさんに問う。

「決まっているだろう、ヴェローナ様だ!」

 ――え? ヴェローナさん? なんで彼女の名前が……。

 思わぬ人物の名が出て私は硬直した。その間にもラシャは質問を重ねていく。

「毒牙とは何ですか?」
「王太子の心はヴェローナ様へと移っているだろう! ヴェローナ様は相手が王太子だから邪険には扱えず、お可哀想に!」

 フィヨルドさんは神にでも捨てられたような絶望的に物語っているが、どうも信憑性が感じられなかった。私から見てヴェローナさんは明らかにアクバール様を好意的に思っている。

 しかし、フィヨルドさんはあたかもアクバール様が一方的にヴェローナさんへと近づき、彼女が嫌がっているといった言い方だ。フィヨルドさんはヴェローナさんに好意を抱いていて、アクバール様に嫉妬しているのだろう。

「ヴェローナ様が王太子を迷惑がっていると思って、怒りの矛先を妃殿下に向けたという事ですね?」
「怒りをぶつけて当然だろう! ヴェローナ様に多大な迷惑をかけ、さらに私まで苦しめたのだから!」

 凄く正論のように話すフィヨルドさんだが、かなり被害妄想が入っているよね? 私とアクバール様の心が一つのままでも、ヴェローナさんがこの彼を選ぶかどうかはまた別の話だし。

「客観的な意見を挟みますが、ヴェローナ様は王太子に対し、迷惑なさっているご様子はありません。寧ろ好意的に思えます。それに今回の王太子の失声がなかったとしても、ヴェローナ様が貴方をお選びになったかは分かりませんよ」

 私が思っていた事をラシャさんが的確にフィヨルドさんへ伝えてくれた。

「何を言っている! ヴェローナ様が王太子を愛してるわけがないだろう! 彼女が愛しているのはこの私なのだから!」

 彼は図星を刺されて腹が立ったのか、それとも素で言っているのか。素であれば、かなり重症な妄想癖だ。

「それに彼女に近づきたくても護衛が厳重で近づく事が出来ない! 断固私との接触を拒まれている。それは王太子が私を彼女に近づけさせまいと嫌がらせをしているからだ! 何処まで私を苦しめればいいのだ!」

 ――え?

 何今のフィヨルドさんの発言は? ヴェローナさんの守衛が堅いのとアクバール様は全く関係ないわよね?

「以前はあんなに守衛の数は多くなかった! それなのに私との接触させない為に!」

 ――も、もしかして……。

 私は気付いてしまった。

 ――ま、まさかヴェローナさんはフィヨルドさんから身を守る為に護衛を強化していたの?

 私はサルモーネの言葉を思い出す。

『まるで何かから身を守るような態勢だな』

 もし本当に原因がフィヨルドさんであれば、やはり彼は相当な危険人物だと言える。何せ私を攫うほどの人物だ。彼はヴェローナさんに対する愛情が歪んだ方向へと行ってしまったのだろう。

「すべて貴方の思い込みではありませんか?」
「思い込み? ふざけるなっ!」

 ラシャさんの鋭い問いがフィヨルドさんにとって辛辣だったのか、彼は激昂する。

「私とヴェローナ様は愛し合っていた! 現に……」

 フィヨルドさんの口から、とんでもない事実・・が飛び出す。

 ――な、なんですって……?

 私は言葉を失った。フィヨルドさんの言葉はすべて彼が生み出した妄想に過ぎないと思っていたが、彼はアクバール様の呪い・・の事を知っている。あれはごく一部の人間しか知らない話だ。それを彼が知っているという事は……。 「マルベリー公爵が亡くなり、ようやく彼女と一緒になれると思っていたのに、そこに王太子が割り込んできた!」

 未だ舌を巻いて憤るフィヨルドさんの言葉はもう私の耳には入っていなかった。何故なら私は恐ろしい事実に気付き、ワナワナと震え上がっていたからだ。

 ――もし彼の言う事が真実であれば、アクバール様は……!

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

 私はラシャさんと共に捕らえられていた部屋をで、ラシャさんはフィヨルドさんの対処がある為、途中で別れた。別れる寸前、彼女はフィヨルドさんから切られた私の髪の毛を魔法で元に戻してくれた。

 結局、ラシャさんがタイミング良く助けてくれた理由が訊けなかった。私は人知れぬ王宮のある地下に捕らえられていた。フィヨルドさんはある魔導士の力を借りて私のエクリュを暴走させ、私を眠らせた後、地下室まで運び込んだ。

 悪事に手を貸す魔導士が誰なのか、その背景に潜む人間がいるのではないかとラシャさんがフィヨルドさんを詰問したが、残念な事に魔導士が誰なのかフィヨルドさんは知らなかった。

 相手は突然フィヨルドさんの前に現れ、彼に手を貸すと言ってきたそうだ。疑わしい話だが自白魔法で喋らせていた為、偽っている方が低かった。そして私はアクバール様に呪いをかけた魔法使いの姿が浮かんでいた。

 得体の知れない存在と聞けば、どうしてもあの魔法使いと結びつけてしまう。彼は今も見えない場所で私を監視しているのだろう。あの魔法使いの事はなるべく考えないようにしていたのだが、意識してしまえば、また恐怖に身が縮む。

 しかし、今は自分の事よりアクバール様の事が心配・・でならなかった。王宮に戻った私は自分の安否を知らせるよりも先に、アクバール様の元へと急いだ。今の私に彼と会ってもどうこう言える立場はないけれど、私は取り返しのつかない過ち・・・・・・・・・・・を犯している。

 ――今すぐにアクバール様と話がしたい!

「もしやレネット妃殿下ですか?」

 名を呼ばれて私は我に返った。

「バレヌさん?」

 目の前に彼が驚いた顔で立っていた。

「妃殿下、ご無事だったのですね! 馬が暴走してお姿が無くなったと、王宮では騒ぎが起きておりましたよ! 私も心配で心配でなりませんでしたよ!」
「ご心配をかけて済みません。急な出来事で色々とありましたが、この通り私は無事ですので」

 安易に誘拐されたとは言えない。私は言葉を濁らせて簡潔に話をした。

「ご無事で安心致しましたが、近衛兵もお付けせずに慌てたご様子で、どうなさったのですか?」
「王太子にすぐに会いたいのですが、今どちらにいるのかお分かりになりますか?」

 余計な事は言わずに手短に問う。

「王太子ですか?」

 王太子と耳にした途端、バレヌさんが険のある顔へと変わる。

「あの、どうされましたか?」
「妃殿下。大変申し上げにくい事ではございますが、王太子は只今監禁されております」

 ――え?





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