Please42「予期せぬ出来事」




 パカ、パカ、パカと、ゆっくり歩く馬の蹄鉄の音が鳴り響く。いつも当たり前に着ているドレスから、乗馬用のパンツスタイルとなって私は乗馬のレッスンを受けていた。抜けるような青空の下で乗る馬は爽快な気分にもなりそうだが、私は真剣過ぎて他の事は何も考えられなかった。

「だいぶお慣れになりましたね、妃殿下」

 同じく馬に乗って隣に並ぶ教師が微笑みを浮かべて褒めた。私はコクンとだけ頷いて反応を見せる。馬に緊張が伝わらないように必死だった。馬は繊細な生き物だから、こちら側の緊張が分かると警戒してしまうのだ。

 初めは見慣れない馬を見ただけでおずおずとしてしまい、それから背中に跨るのも手綱を引いて歩くのも、すべて緊張してしまっていた。おかげでこのエクリュに心を開いて貰えず、私には乗馬の才能がないと何度嘆いた事か。

 それでも少しずつ少しずつ歩み寄って、今ではゆっくりと歩いて乗れるところまできた。もう少し慣れてきたら本格的に走りも覚えて行く予定だ。本当はこの高さから味わえる景色を堪能出来ればいいのにね。それにはまだまだ時間がかかりそうだった。

 ――?

 何処からともなく蹄鉄の音が響いてきた。すぐに美しい毛並みを靡かせた純白色の馬が颯爽と走る姿が目に入った。馬に目を惹かれるが何よりも馬に乗る人物が存在感に溢れていた。

 ――もしかしたら、あれはヴェローナさん?

 乗馬用のパンツスタイルで、いつも下ろしているストロベリーブロンドの髪を無造作に一つに纏めている。いつもとはまるで異なるスタイルの彼女だが、存在感ですぐに分かった。

 そして彼女の乗馬を見事であった。馬と一体化したように風を切って軽やかに走っている。乗馬まで彼女は完璧だ。暫く彼女の走る姿を惚けて見ていたら、ラウンドを回った彼女がこちらへと向かって来た。

 ――やっぱりヴェローナさんだ。

 そして私達の存在に彼女も気付くと笑顔が広がった。その笑顔が美しい。それに彼女が乗る白い馬も近くで見ると、ホゥと讃嘆する。一目見ただけで上等な馬だと分かる品の良さが滲み出ていた。

 ――凄く綺麗な白馬。

 私の乗っている馬も毛並みが良く愛らしい見目みめをしているが、ヴェローナさんの白馬と比べて小柄だ。ヴェローナさんは女性なのに、男性が乗るような大きな馬に乗れるのが凄い。

「これはレネット妃殿下。こちらで乗馬ですか?」
「えぇ、私はレッスン中です」
「それはお邪魔してしまいましたね」
「いえ、大丈夫です」

 チラッと教師の方を見遣ると、彼女もさほど気にしている様子はない。

「あのとても綺麗に走られるのですね」
「えぇ、この子は本当に足が速くスマートに走ってくれるので」
「馬は勿論ですが、ヴェローナさんも慣れているご様子で走る姿がお綺麗です」
「まぁ、勿体ないお言葉を有難うございます。すべてこの子のおかげです」
「とても美しい馬ですね」
「えぇ、お気に入りの愛馬です」
「そうですか、凄いですね。女性で愛馬をもって乗りこなせるのは」
「とんでもございません。ただ昔から乗馬は好きですね。この子に乗って走るとスカッとした気持ちになります。今日も息抜きのつもりで走りに参りました」
「そうですか」

 さすがヴェローナさん。馬に乗るのが好きだなんて今の私にはとても同じセリフは言えない。

「私は始めて一ヵ月も経たないので、未だに走る事も出来ず羨ましいです」
「まだ始められたばかりなので仕方ありませんわ。何回か学んで行かれる内に、すぐに走れるようになります。それに現時点でそちらの馬はとても妃殿下に懐いているようですね」
「そ、そうでしょうか。私にはそうは見えないのですが」
「馬の表情を見ていれば分かります。妃殿下をきちんと主だと認めておりますわ」

 ――そんな事までヴェローナさんは分かるのか。本当に凄いな。

 そして私は無意識の内に、そっとエクリュの背中の毛並みを撫でた。至らない私なのにエクリュは主だと認めてくれているようで嬉しかった。

「そうだ。妃殿下、宜しければ少しご一緒しませんか?」
「え?」

 ヴェローナさんから思わぬ誘いを受けて、私は目を丸くした。今、私がレッスン中だと知っているわよね?

「この先に乗馬で歩ける庭園がございます。馬の上から見る景色は普段とは違ったもので、きっとお気に召すと思います。宜しいでしょうか、アカプルコ師」
「ヴェローナ様からのお頼み事では仕方ありませんが、あくまでもレッスンの一環という事でお願い致します」
「勿論ですわ」

 す、凄い。教師まで窘めてしまうなんて、ヴェローナさんって本当に凄い。

「ではご一緒に参りましょう」
「えぇ」

 私が返答すると、ヴェローナさんはすぐに隣へ来た。

 ――そういえば……。

 私は何気に背後へ視線を泳がせた。先日のサルモーネとオルトラーナが言っていたヴェローナさんの近衛兵だが四人もいる。確かに近衛兵二人の私よりも多い。彼女なのか、それとも彼女を守る周りの人間が用心深いのか。

 確認してみたものの、その後は特に気にせず私はヴェローナさんと共に庭園へと向かう。私の馬のスピードに合わせて、ヴェローナさんはゆっくりと進んでくれていた。優しい人だ。エクリュも特に警戒しなくて良かった。

 ――そう思っていたのに。

「ヒヒィ――――!!」

 エクリュに異変が起きた。突如体勢を反って声を上げたのだ。グラッと躯がズリ落ちそうになった私はエクリュにしがみつく!

 ――ど、ど、どうしたというの!?

「レネット妃殿下!」

 ヴェローナさんが私の名を叫ぶと、エクリュは再び驚愕し駆け出した!

「きゃぁああ」
 今まで経験した事のない猛スピードで走られ、私は振り落とされないよう必死でエクリュにしがみつく。ガクガクと躯が大きく揺れながら、風圧が躯を突き刺す。内心は恐怖で埋め尽くされてしまい、今にも気絶してしまいそうだった。

 でも視界を閉じてしまったら、確実に振り落とされてしまう。このスピードから落ちたら怪我だけでは済まない、命を落とすかもしれない。だから嫌でも視界を開いていなければならなかった。

 ――は、早く誰か助けて!!

 目尻に涙を溜めて私は助けを求めた。しかし、周りの人間もこれほどのスピードで走る馬に対し、助けたくとも助けられないのだろう。それから私は次々と巡り変わる景色に目が回ってきてしまい、無意識の内に何度か視界を閉じていた。

 それもスピードがより速く感じて恐怖心を煽った。その恐怖がどんどん胸の内へと広がって行き、私はもう駄目だと諦めかけた。すると急に眠気が襲ってきたように瞼が重くなり、私はおのずと視界を閉じ、記憶がプツリと切れたのだった……。

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

 ――? ……あれ?

 意識が彷徨っている。途切れていた意識が何かの拍子に繋がった感じだった。

 ――……私は? それにここは何処?

 意識は朦朧としているが、視界が暗い事だけは分かった。辺りは仄暗い。数ヵ所に燭台の灯りが揺れる姿が見えるが、殆ど辺りは何も見えていない状態だった。それから少しずつ意識が回復してくると、自分の躯に違和感がある事に気付く。

 ――何これ?

 私は尻もちをついた体勢で手足を縛られていた。

 ――な、なんで! 何故、私が縛られているの!?

 ドクドクと心臓が騒ぎ出し、頭が混乱の渦を巻く。それでも私は記憶を辿る。そもそも私は乗馬のレッスンを受けていて、そこにヴェローナさんが現れて一緒に庭園を見て回ろうとしていた。

 ところが急にエクリュが弾いたように驚き、暴走を始めた。何故そうなったのか全く原因が分からず、ひたすら走り続けられ、私は恐怖のあまり意識が途切れてしまった。であれば私に訪れたのは……。

 ――ここはあの世!?

 私はモソモソと躯を動かす。生存していた頃のように意識や感覚が明確にある事に驚くが、なんで縛られているの? 人は死んだらみなこのような状態になるというの?

 ――カツカツカツ。

「え?」

 突然こちらへと向かってくる靴音。かなり響きが良いところをみると、ここは地下室のような場所なのだろうか。それから角灯カンテラらしき灯りが見え、私はその方向を注視する。

「どうやらお目覚めのようですね、王太子妃」

 ――誰?

 角灯カンテラを片手に持って立つ一人の男性がいた。仄かに見える顔だが全く見覚えのない人だ。声から判断しても全く知らない。そして私を王太子妃と呼ぶのに違和感を覚えた。あの世でもそう呼ばれるのか。

「貴方は誰なの?」

 ――あの世で最初に出会う番人とか?

「そんな事を貴女が知る必要はありません。貴女はご自分の罪だけを知っていればいい」

 男性は私の質問を悪意が感じられるネットリした口調で突き返した。

「私の罪?」

 ――って何?

 いや待って、この人の言う私の罪というのはもしかして……。

「王太子の失声の原因が私にあると言いたいのですか?」
「その通りですよ。貴女が不甲斐ないばかりに、とんでもない事態を招いてくれました」
「……っ」

 私は何も言い返せなかった。言われた内容は紛れもない事実なのだから。男性は少しずつ私の方はへと向かって来る。近づくにつれ私の緊張が高まっていく。

「その件に関しては申し訳なく思っています」
「詫びの言葉をおっしゃったところで、貴女はもう許されない罪を犯したのですから」
「きゃっ」

 いつの間にか私の前まで来ていた男性が、私の髪をグッと乱暴に引っ張り上げた。痛みが伴い、私は短い悲鳴を上げて視界を閉じた。

「せっかく……せっかくあの忌々しい公爵がこの世から消えたというのに!」

 ――この人は何を言っているの!?

 薄っすらと視界を開くと、ゾッと背筋が凍り付いた。キラリと鋭利に光るハサミが目に映った。完全に死を匂わせた。

「それを……それをオマエが!!」

 ハサミが私の顔目掛けて振り落とされるのを目にして、私は顔を伏せた。

 ――殺される!

 恐怖に身を震わせ、私は死を覚悟した!

 ――ジョキッ!

 ハサミで切られた音が響く。同時に引っ張り上げられていた髪を解放され、妙な感覚を覚える。瞼を開いてみると、躯の何処も刺されていなかった。しかし、私は酷く身を震わせた。足元にバッサリと髪の毛が広がっていた。これは私の髪だ。

「あっ……あっ」

 私は声にならない声を洩らす。アクバール様を失声させた罪で私は地獄へと堕とされたんだ。どんなに後悔しても涙も流しても罪は消えない。

「怖いですか? 苦しいですか? 辛いですか? それで良いのです。貴女は罪人なのですから。それにもう怖がる心配はありません。次はこれは・・で貴女を切り裂き、あの世へ導きますので」
「!?」

 ――私はまだ生きているの!?

 私は心臓を抉られるような恐怖を抱く。そして男性は再び大きなハサミを振り落とした!

 ――今度こそもう駄目!!





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