Please41「未来を託す彼女と」




 再び起きたアクバール様の失声は想像を遥かに超える騒然となった。瞬く間に王宮内へと広がり、国中はおろか国外にも知れ渡る。表上は不治の病の再発という形になっているけれど、呪いの存在を知る者は酷く困惑していた。

 魔法使いの存在に戦慄く者もいれば、再発した呪いの原因を好奇な目で見る者もいた。それからアクバール様と愛情が重ならなくなった私が今後どうなるのか、呪いを知る者は誰もが興味を示していた。ただそれはごく一部の人間の話であって、こちらもまだ我慢が出来た。

 問題はアクバール様の今後についてだ。今のところ有能な臣下をバックに、仕事は支障なく行えているそうだが、ヴォルカン陛下派の人間から圧力を掛けられていると聞いている。そして再びアクバール様があの森の豪邸やしきに戻されるという話しも。

 そこに私も含まれていた。仮にアクバール様が戻されたとしても、私は一緒に住むつもりはなかった。離縁という形を取ってもらい、それぞれの道を歩むつもりでいる。そもそもアクバール様が素直にあの森へ戻るとは思えない。

 彼が王太子としての未来を残す道はあるのだ。きっと彼はその道を選ぶ。私の方は……離縁してからの人生は大変だろう。お父様の耳に入ったらどうなる事か。家族にはアクバール様が王太子だという話もせずに、私は王宮へと来た。

 あの体裁を気にするお父様が傷者となった私を快く受け入れるとは思えない。しかも王太子と離縁したなんて知れたら……考えるだけでも恐ろしい。しかし、それも覚悟の上だ。離縁するという事はそれだけのリスクを背負う。なのにいつも思う事がある。

 ――これで本当に良かったのだろうか、と。

 アクバール様がお声を失ったあの夜から、私達夫婦の仲は変わっていた。夜アクバール様が私を抱く事も、愛しているの言葉も言わなくなり、筆談も殆どする事もなかった。確実に私達の間の愛情は失われつつあった……。

「レネット妃殿下、そのような暗いお顔をなさらないで下さいませ」

 はっと我に返ると同時に、私は心底驚いた。重ねていた両手の上を大きな手に包まれていたからだ。

「あ、あのバレヌさん?」

 生々しい温もりが伝わってきて、私は動揺を隠せない。男性に免疫がない上に、アクバール様以外の男性からこんな風に手を握られた事がないのだ。今はバレヌさんとのレッスン中だった。
今後、王太子妃としてどうなるか分からない私だが、毎日のレッスンは続いていた。私の様子に気付いたバレヌさんが心配して声を掛けてきてくれたのだろうけれど、何も手を握らなくてもいいような……。

「今は周りからの目でお疲れになる気持ちも分かります。ですが、妃殿下がお選びになった道は決して間違いではございません」

 バレヌさんは私の手を握ったまま宥め始める。

「もう少しすれば事は上手く収まるでしょうから。賊の事件から確実にヴェローナ様は王太子との距離を縮めておられるようです。お二人の気持ちが重なるのも時間の問題でしょう」

 ――そう、すべてはヴェローナさんに掛かっている。

 アクバール様の王太子としての未来は彼女と心を通わせる事だ。そしてお声が回復すれば、あの森に戻される事もない。本来のアクバール様の目的も果たせるし、ヴェローナさんであれば、彼の力にもなれる。

 でもそうなれば、私のここでの存在意義は無くなるだろう。正直、淋しさや切なさがないと言えば嘘になるが、互いの未来の為にそれぞれ別の道を歩む方が良い。そう私は無理に気持ちを割り切っていた。

「妃殿下、差し出がましい質問をさせて頂きますが、 王太子とお離れになった後はどうなさるのですか?」

 突然答えづらい質問をされて、私は息を詰めた。

「え? ……そ、それはここにはもうおられませんので……実家に……戻ろうかと……考えています」

 ハッキリと決めているわけでもないし、私はしどろもどろになりながら答えた。するとバレヌさんからギュッと握られている手に力を込められた。彼のとても神妙な面持ちをしていた。そして……。

「妃殿下、このような状況の時に申し上げるのは不謹慎ではございますが、どうか私の事を考えては下さいませんか?」
「え?」

 ――な、何を突然この人は言い出すの!

 あまりの驚きに私は声を失ってしまう。

「健気に頑張る貴女を見ている内に、私は貴方への恋慕きもちが芽生えている事に気付きました。私は貴女をお慕いしております」

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

 ――まさかバレヌさんから想いを打ち明けられるなんて……。

 今まで彼がそんな素振りを全く見せなかったし、本当に驚いた。

「レネット王太子妃」

 ――え?

 王宮心ので声を掛けられるだけでも珍しいのに、午後のティータイムで声を掛けられたのは初めてで、私は過分に驚いた。

「急にお声掛けを致しまして申し訳ございません」

 おまけに声を掛けてきた人物がまさかのヴェローナさんで、余計に強張ってしまった。声を掛けてきたという事は何か私に用があるのだろう。

 ――なんだろう。凄く緊張する。

「いいえ。あの何か私にご用でしょうか?」
「妃殿下、恐れ入りますがご一緒にお茶を宜しいでしょうか」

 ――え?

 思いも寄らない申し出に、思わず私はサルモーネとオルトラーナの方へと目を向けると、彼女達も驚きの色を表している。そして私の視線に気付いたサルモーネがコクンと頷いた。

 ――ヴェローナさんとはお茶をしてもいいと言う事よね?

 許可を取ったという事で私はヴェローナさんの申し出を受け入れた。

「え、えぇ。どうぞ」

 そう答えたものの、さらに緊張が高まった。そして彼女が私と同じテーブルの真向かいに座ると、彼女専任の侍女達が手際良く、お茶と菓子を用意する。用意が終わると、すぐに侍女達は移動した。それを見た私は、

「サルモーネ達も少し離れた場所に移動して貰ってもいいかしら?」

 彼女達に移動を命じた。ヴェローナさんの用件はあまり人の耳に触れられたくない内容かもしれないし。サルモーネ達は私のめいに従い、少し離れた場所へと移動する。そしてヴェローナさんと二人だけのテーブルとなった。

 ――やっぱり緊張する。

 ヴェローナさんは美貌、仕草、雰囲気とどれをとっても美しい。これで内面まで完璧だから近寄り互いイメージがあって、私は気後れしていた。

「妃殿下、お時間を下さって有難うございます」

 彼女から改めてお礼を言われる。

「いいえ、こちらもお詫びを申し上げなければなりませんでした。先日は王太子を庇ってお怪我をさせてしまい、なんと申し上げたら宜しいのか」
「とんでもございません。当然の事をしたまでです。王太子は我が国にとって大事な方ですので」

 そう自信をもって答えたヴェローナさんの言葉に、私はズキンと胸が刺さった。

 ――その当然の事を私は躊躇って出来なかった。

「それに怪我の方はすぐにクレーブス様が処置して下さったので、傷になる事もございませんでした。どうかお気になさらないで下さいませ」
「そう言って頂けて身が軽くなります。それでご用は何でしょうか?」

 早速私は本題へと入った。用件が何かとても気になる。

「王太子のお声の件ですが、大変お気の毒に思っております」

 ヴェローナさんは、もしかして失声の原因が私にあると責めたいのだろうか。

「私が至らぬばかりでご迷惑をおかけしております」
「そのようにおっしゃらないで下さいませ。妃殿下はこちらにいらしてから、とても頑張っておられると窺っております。賊の件があった後に今回の王太子の失声と、とてもお辛いかとは存じますが、どうかお気を強くお持ち下さませ」
「有難うございます」
「話を戻しますが王太子の呪いは解かれていなかったのですね。かつてその呪いに私も悩まされました」
「あ……」

 そうだ、ヴェローナさんもアクバール様の婚約者でいた頃、呪いの苦労を経験している。でも私と違うのは彼女はアクバール様と相思相愛だったのに、呪いは解かれなかった。私の場合、想いが離れたという理由がある。

「妃殿下が私と同じ想いをなさっているのではないかと勝手ながら心配となり、お声を掛けさせて頂きました」
「心遣いを有難うございます」

 彼女の用件を聞いて私は自分を恥じた。勝手に私を責めにきたのかと疑った事や私の気持ちが離れてアクバール様を失声させてしまった事とか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「私は大丈夫です。それよりもアクバール王太子の方が余程心配です」
「さようですね。王太子は気丈夫な方なので、お声を失ってもお変わりはありませんが、やはり陛下派の人間からの風当たりが強く、ご苦労なさっているかとは思います」
「え?」

 今のヴェローナさんの言葉、聞きようには陛下派を非難するような言い方で私は吃驚する。そんな様子を目にしたヴェローナさんが気付く。

「ご安心下さいませ。私の家柄は中立派ではございますが、私個人は王太子派の人間です」
「そ、そうなんですね」

 そ、そうよね。考えてみればアクバール様を愛している彼女であれば、陛下派を良く思わないのは当然だ。

「ここぞとばかりに苦言を呈する陛下派ですが、こちらとしても二度も王太子を追い出させは致しません」
「ヴェローナさん、どうか王太子のお力になって下さい」
「勿論です。私も出来る限りの最善を尽くします」

 嫋やかに微笑むヴェローナさんの表情には自信が含まれているように見えた。

「宜しくお願いします」

 私が言う力と彼女が思う力の意味は異なる。彼女は補佐的な意味で捉えているだろうが、私の言う力はアクバール様の隣で支えて欲しいという意味だった。

 ――すべてはヴェローナさんに掛かっている。

 複雑だ。次のアクバール様の伴侶になるかもしれない女性にお願いするなんて。

「妃殿下も私に出来る事があれば力添えを致しますので、おっしゃって下さいませ」
「有難うございます」

 最後まで私への気遣いも忘れないヴェローナさんに私は脱帽した。

 ――この人には敵わない。

 彼女は話しにくい人だと思っていたが、実際はとても話しやすく人が良い。彼女の人望が厚いのが分かった気がした。この人であればアクバール様を任せられる、そう素直に思えた。

「ヴェローナ様」

 突然、ヴェローナさんの専属侍女の一人が声を掛けてきた。

「お話し中のところ恐縮ではございますが、そろそろお時間でございます」
「まぁ、もうそんな時間なのね、分かったわ。……では妃殿下、慌ただしくて申し訳ございませんが、そろそろわたくしは失礼させて頂きます」
「えぇ」

 申し訳なさそうにして立ち上がるヴェローナさんは、結局一口もお茶や菓子には触れずに、あっという間に去って行った。

 ――本当に多忙な方だな。

「妙に多かったな、守衛の数が」
「それは私も思ったわ」

 ――え?

 いつの間にか私の隣へと来ていたサルモーネとオルトラーナが妙な事を零した。

「守衛が多いって?」
「ヴェローナ様の守衛です」

 私が問うとサルモーネが答えた。

「部屋の外に近衛兵がおりましたが明らかに多かったですね」

 続いてオルトラーナが答えた。二人とも凄く不思議がっている様子だ。

「それは……彼女ほど出来る方だと厳重に守られるのではなくて?」
「妃殿下の守衛よりも多いのは少々行き過ぎではないでしょうか」
「そ、そう」

 オルトラーナの表情が怪しんでいるように見える。そんなに気にする事なのかな?

「まるで何かから身を守るような態勢だな」

 ――え?

 呟くように言葉を零したサルモーネの表情も神妙で、二人ともどうしたのだろうか。他人の事であるし、さほど私は気にも留めていなかったのだが、この何気ない事がのちに大きな事件へと発展するのだった……。





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