Please38「秘境の地で特別なひと時を」




 ヴェローナさんを見掛けて以来、不安な日々が続いていたが日は流れ、以前アクバール様と約束していた外出の日を迎えた。私は日頃の束縛から解放されると、この日を大変待ちわびていたのだ。

 当日は機能性を重視した薄紅色のドレスの上に真っ白なショールを羽織って、すっかりお出掛けモードとなり、アクバール様も外出用のジュストコートとトラウザーズで決めていた。今日はいつもと違う特別な気分だ。……ところが。

「あ~ら王太子、いらしてたんですね」
「……なんだオルトラーナ、オマエか。男声なのに女口調で気持ち悪いと思ったら、なるほどオマエなら納得だ」

 ちょうど馬車に乗ろうとした時、アクバール様に声が掛かり、振り返ればオルトラーナが不愛想な態度でアクバール様を睨みつけていた。そしてアクバール様も彼女の姿を見るなり、遠慮のない言葉で返し、ビリリと空気が鋭く強張った。

「妃殿下、その馬車は少々……いえかなりの毒気を感じますわ。出来ましたら私やサルモーネが乗る場所に乗って参りましょう」
「馬鹿言え、レネットはオレと一緒の馬車に乗る。それにこの馬車の何処に毒気があるという?」
「あらあら、毒気そのものに自覚ないのではあれば、益々こちらの馬車に妃殿下をお乗せする訳には参りませんわ」

 ――ど、どうしたんだろう、オルトラーナ!

 彼女の悪態ついた様子に、私は肝が冷えそうになる。確かに彼女がアクバール様の事を良く思っていない事は知っているが、本人を目の前にしてここまであからさまな態度を取るのは如何なものか。

「オルトラーナ、王太子に対してその態度は行き過ぎているぞ」

 注意をしたのはオルトラーナの背後から現れたサルモーネだった。

「あら? 私達は妃殿下の専属侍女なのよ? 妃殿下の危険を考えて行動を取るのは当たり前じゃない?」
「オルトラーナッ」

 サルモーネが剣幕なのも関わらず、オルトラーナはシレッとして答えた。

「おやおや、これから旅を楽しむというのに、これはまた険悪なムードが流れて。レネット様はどちらの馬車にお乗りすればいいのかお困りでしょうから、私の馬車の方に……」
「クレーブス様はしゃしゃり出て来ないで下さいませ」

 恐らくこれ以上、場の雰囲気が悪くならないよう手助けしようとしたクレーブスさんに、オルトラーナは冷ややかな視線で突き返した。

「え? ちょっと何それ? オルトラーナ、私にまでその態度は……」
「オルトラーナ、気は済んだか? さぁ、レネット。馬車へと乗るぞ」

 会話がわちゃわちゃしている途中なのに、アクバール様はさらりと私を馬車の中へといざなった。

「え? アクバール様は私を無視ですか?」

 キョトンとしてクレーブスさんがこちらを見つめているが、アクバール様は全く眼中にないようだ。それから豪奢に彩られた馬車の中で、私はおずおずとしていた。

「あのアクバール様、宜しかったのですか?」
「構わない。そもそもオルラーナアイツはオレの顔を見れば、嫌味を言わなきゃ気が済まないたちだ。気にする必要はない」
「そ、そんなんですか」

 アクバール様とオルトラーナにとっては、ああいったやりとりは珍しくないのかもしれない。ある意味、砕けた関係よね? そんなこんなん考えている間に、アクバール様がピッタリと私の隣に座られて、私はギョッと驚いた。

「あ、あの何故向かい合わせではなく隣に?」
「なんだ? 初めて王宮に向かった日もこんな風に隣り合わせだっただろう?」
「それはそうなのですが……」

 あの時は私がかなり緊張していたから、アクバール様が気遣って隣に座ったのかと思った。

「夫婦なのだから隣は当たり前だろう」

 アクバール様が私の心の声を聞いて答えたように思え、またまた私は目を剥いた。

「そ、そうですね」

 私は気恥ずかしくなって視線を逸らして答えた。密着し過ぎてアクバール様の体温がしっかりと感じる。そんなソワソワとした気持ちで馬車はゆっくりと動き出した……。

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

 芸術の都と称される王都を走れば、歌劇場、美術館、博物館など、それなりに娯楽の場はいくらでもある。しかし今回アクバール様が選んだ場所は高台にある風光明媚で有名なフュ―シャベールだった。

 そこに私が行くのは初めてであった。でも森に住んでいる時からフュ―シャベールが自然溢れる美しい場所だという事は知っていた。フュ―シャベールの山々はオレンジ、黄色、朱色が主で見事なグラデーションが広がっている。

 さらに原子や分子が電子を得てマイナスに帯電する為、清廉された空気が生み出される。呼吸をする事で空気が血液中に吸収し、ナチュラルキラー細胞が活性化されて、鎮痛作用、精神安定、アンチエイチング、免疫力向上など様々な効果を与えてくれる。

 そしてもう一つ躯に良い効果を与えてくれるのが葉の香りだ。爽快な香りが気持ちをスッキリさせる作用があり、血圧・心拍数や自律神経の安定、快眠効果、集中力の向上、心のリフレッシュなど、リラックス効果が抜群。最近、忙しない私とアクバール様には最適の場所だった。

 実際に訪れた時、温色のグラデーションに広がる山々を目にして圧巻し、やはり空気の質が王都とは比べ物にならないほど澄み切っている。そして到着した時、昼の時刻となっていたから、最初にランチにしようと思っていたのだが。

 その前にアクバール様から、どうしても最初に見せておきたい場所があると言われ、一緒にその場所へと赴いた。そこは草原から少し離れた森の中にあるという。途中、目にする温色に彩られた森がとても神秘的で気持ちを高揚とさせた。

 暫くするとザァアア――と水が流れる音が聞こえてきて心が躍った。ひらけて来た視界に飛び込んできたのは煌々と光って広がるエメラルドブルーの池だった。そこに水に反射し滑らかに流れる滝が絹糸のように美しく、私は素で息を呑む。

 周りは温色の木々に囲まれ、上から木漏れ日まで差し込み、より美しい景観が作り出されていた。美しい妖精エルフでも棲んでいそう。なんとも言えない幻想的な場所で、こんなに景美を目にしたのは初めてだ。ただただ美しい。

「とても……とても美しいです。このような場所が存在するのですね」

 私は感動のあまり潤んだ瞳でアクバール様にお礼を伝える。アクバール様も綺麗な笑みを零す。

「本当に自然だけで作り出された秘境の地だ。オレもここに初めて訪れた時は別世界にでも来たような感覚を起こした」
「分かります。もう讃嘆の溜め息しか出てきません。ここを私に見せようとしてくれたのですね」
「あぁ」
「有難うございます。このような美しい場所は一生忘れません」

 人工的ではなく自然が生み出した秘境の地、本当に私は心の底から感謝した。生きていて良かったとまで思わせるような、見目麗しい場所。

「ここの風景に浸りながら昼飯にしたいところだが、生憎景観を損なう訳にもいかないからな。ここは目に焼き付けるだけで我慢して欲しい」
「勿論です。神聖な場所に思えますものね。お昼は草原で致しましょう」
「あぁ、そうだな」

 名残惜しさはありつつも、しっかりと胸に焼き付け、私達はこの場を後にした……。

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

 私とアクバール様は草原の美しい花々が咲き誇る一角で腰を下ろし、持って来た昼食を広げた。そこで私はキョロキョロと辺りを見渡す。

「あの、こんなに見目麗しい風景だというのに、私達以外に人がいないのが不思議でなりません」

 実はここを訪れた時から不思議に思っていた。私達一行しか人の姿がないのだ。ここまで素敵な場所であれば、常に人がいてもいいような?

「フュ―シャベールは観光地帯ではあるが、この辺りは王族の所有で一般の民衆は立ち入り禁止となっている」
「え? そうなんですか?」

 どうりで人がいないと思った。少し山奥にあるし、王族の方達がそう頻繁に訪れる場所ではないのだろう。

「少しズルイ気もしますが」

 つい本音が零れてしまった。

「そうだな。だが、万人が訪れられる場所ともなれば守衛も大変だ。いつ何処で良からぬ相手に狙われるか分からないからな」
「あ、そうですね」

 アクバール様に言われて気付いた。王族ともなれば、何処でも好きな場所に行ける訳ではない。

「とはいえ、王族も人間だ。純粋に景美を愉しみたい気持ちもある。エゴではあるが一部を所有させてもらったわけだ」
「考えなしに発言してしまい、スミマセンでした」
「別に謝る必要はない。それよりも早く腹ごしらえをしよう」
「はい」

 私はバスケットの蓋を開けていく。今この場には私とアクバール様の二人だけしかいない。勿論、少し離れた場所にクレーブスさんやサルモーネ、そして近衛兵はいるが出来るだけ私達の邪魔をしないよう、気を遣ってくれているようだ。

「こちらはサンドウィッチです」
「随分と種類が豊富だな」
「はい、シェフが腕を振るって作ってくれました!」

 肉から魚、または野菜からフルーツと色とりどりの具が揃えられていて、食欲をそそるように美しく作ってくれている。……一部を除いては。実はフルーツだけ私の手作りなのだが……他と明らかに浮いていた。

 今まで料理をする機会なんてなかったから、初の手作りはイマイチな形になった。でもピクニックの定番といえば、女性の手作り弁当とか、ひ、膝枕をしてあげるとか、そんな事を聞いた事があって。

 さすがに膝枕はしてあげられないけれど、手作りの料理ならいけるかなって初チャレンジしてみた。でもパンに具を挟むだけなのに、中々綺麗に入れられなかったのよね。クリームがはみ出ちゃうし。

 見た目が歪になって持っていくのをやめようと思ったのだけれど、シェフがせっかく作ったのだから、アクバール様に召し上がってもらってはと押してくれた。でもこうやって改めてみると、入れなきゃ良かったと後悔の念しかない。

「オレはこれを貰おうか」
「え?」

 アクバール様が手をつけたのはまさかのフルーツのサンドウィッチだった。どう見ても他より美味しさが見劣るのに何で?

「そ、そちらで宜しいですか? 他にも美味しそうなものがありますが」
「これが一番食べたいと思ったからな、いいか?」
「も、勿論です」

 ――どうしよう、嬉しい。

 もしかしてアクバール様は私の手作りだと気付いたのだろうか。笑みを浮かべて口にしてくれて、それがとても幸せに感じた。私も同じくフルーツのサンドウィッチを選んだ。見た目はイマイチだけど、味は素材が良いだけあって美味しかった。

「美味しいですね」
「あぁ」

 おまけに美しい景色にも囲まれて、いつも以上に食事が美味しく感じる。

「こちらのおかずもどうぞ」

 私はおかずの入ったバスケットをアクバール様に差し出す。彼は唐揚げパンジャブを一つ掴んで咀嚼した。

「美味いな……ほれ、レネット」
「はい?」

 アクバール様はもう一つパンジャブを手に取り、それを私の口元へと近づける。

「あ、あの?」
「美味いものは一緒に共有だろ?」
「そ、それは有り難いのですが、じ、自分で食べられます」
「遠慮するな」
「うぅ」

 チラリと少し先に視線を向ければ、クレーブスさん達もお昼に入っているから、見られてないわよね? 私が素直にパンジャブを口に入れると、アクバール様は満足げに笑みを深めた。それからおかずは何故かアクバールの手から給餌される事になる。

 ――うぅ、さすがに誰かに目に触れたわよね。

 私は始終顔を真っ赤に染めて食事を終えた。

 ――一時間後。

 食事を終えた私達はその場でまったりと過ごしていた。このまま風景を眺めているだけで心は弾み、私は十分に満たされていた。

「レネット……」

 ふと会話が途切れた後、アクバールがフッと笑みを消されて私の名を呼んだ。

 ――なんだろう、空気が変わった?

 不思議に思った私はアクバール様の双眸を見つめ返す。彼の方も私をしっかりと瞳に映し出していた。

「レネット……オマエはオレの事を愛しているか?」

 ――え?





web拍手 by FC2


inserted by FC2 system