Please37「心を揺るがす存在」―Akbar&Rainette Side―




「アクバール王太子」

 王宮内部を移動している時だ。名を呼ばれ振り返れば、オレは苦り切りそうになった。叔父上派の国土省に在籍するサザンが立っていたからだ。相手も露骨にオレを毛嫌いしているオーラを醸し出している。

「なんの用だ?」

 コイツがオレに声を掛けるなんて、余程の事なのだろう。

「緊急ではございますが、至急陛下の代理に承認頂きたい案件がございます」
「なんだ、いきなり」

 随分とストレートな物言いだな。オレの苦り顔が深まると、様子を察したクレーブスがオレ達の間に入ってきた。

「サザン殿、順を追ってご説明下さい。王太子に対して随分な態度ですよ」
「緊急だと申しました。こちらとて時間があれば順序立てて説明を致しますが、事は一刻を争います」

 サザンコイツ、自分より身分の高いクレーブスに対しても上からの物言いか。叔父上派の人間はつくづくどういった教育を受けているんだか。国の質が下がるレベルだ。だからオレはとっとと話を終わらせようとした。

「叔父上に言え」
「只今陛下は国交会議にご出席なさっています」
「緊急と伝えて話をつければ良いだろう?」
「そちらはなりません。本日の会議は例の機密会議です。あと数時間は連絡を取る事が出来ません」

 ――知るか、そんな事。

 思わず本音が零れそうになった。だが確かに機密会議が行われている間は如何なる理由でも取り次ぎは断られる。それだけ重要な会議なのだ。

「要件はなんだ?」

 オレは舌打ちでもしそうな気持ちを抑え、要件だけでも聞こうとした。

「オーベルジーヌ国と国境を結ぶ橋建設の件です」

 ――国境を結ぶ橋の建設か。

 それは大国オーベルジーヌと国境を結ぶ重要な橋だ。オーベルジーヌ国は数千の島から成り立つ大国の為、訪れるには船かまたは魔法移動を利用する他ない。ただ魔法移動はかなりの高額だ。

 魔法は無制限に利用出来るものではない。一人が使える魔力には限度があり、希少扱いとなり、おのずと高額となる。利用する殆どが裕福な人間であり、一般の民衆やまたは商業や貿易といったビジネスでは船が利用されていた。

 船は多く人や物資を運ぶ事が出来るが、長時間の拘束、船酔い、悪天候などリスクがあり、効率が悪い。そこで考えられたのが我が国とオーベルジーヌ国の港を繋ぐ橋だ。幸い、我が国の最東端と貴国の港は百キロほどの距離の為、橋を造る事が可能となった。

 そして橋から見られる景色はその山々でしか見られない類稀な花々や小動物、煌々と輝くエメラルドグリーンの海など、自然が作り出した景観美が広がっている。いくつか観光スポットを作れば、それなりの利益が生じる我が国に取って重要な橋なのだ。

「本日から工事が入る予定でございましたが、何かの手違いで工事の承認が下りておりません。この工事はオーベルジーヌ国の建設業者との共同作業ですので、相手側への迷惑を避ける為、至急承諾書にサインを願いたいのです」

 サザンは相変わらずの態度で淡々と申し出をした。

「断る。先程も言ったがそれは叔父上の案件だ。オレが手を出したら、後で何を言われるか分かったものではない。いくぞ、クレーブス」
「はい」

 考えるまでもない答えにオレはクレーブスへ声をかけ、その場から去ろうとした。ところが、サザンが食い下がってきた。

「王太子、お待ち下さい。共同作業する相手の建設業者はあのオーベルジーヌ国です。工事が始められなければ、国交問題にもなり兼ねます。陛下の代理が務められる王太子であれば、承認する事になんら問題もございません。どうか早急に願います」
「オレはその問題に関与する気はない。そもそもオマエはオレがいない頃であれば、どうしていたというのだ?」
「それは……」

 オレの返しにサザンは得も言われぬ顔に変わる。聞いていて呆れるレベルだ。何もせずに最初からオレを頼りに来たわけか。しかもオレが代理を行う事が当然だとでも言うような態度で。普段は敵視を向けられ、こんな時だけ都合良く使われるのはゴメンだ。

「最善を尽くしてから来るべきだったな」

 オレはサザンに追い打ちをかけ、背を向けて歩き出した。

 ――随分と舐められたものだ。

 心の中で舌打ちをする。そもそもだ、国にとって重要な案件にミスがあるなど、治世に問題がある。そしてミスもカバー出来ないような臣下を傍に置いておく意味も分からん。それでよく叔父上が施政者として成り立つ。

国境を結ぶ橋ブロイスィッシュの件でございましたら、ご心配なさらなくても大丈夫ですわ」

 ――?

 背後から透明感ある美しい女性の声が聞こえた。いや声より内容だ。オレは既に歩き出していたが振り返ってみれば、いつの間にかサザンの前に圧倒的存在の女性がいた。まさに傾国の美女という名に相応しいほどの……。

 ――何処かで見たか?

 瀟洒なドレスに身を包んだ凛とした佇まい、艶やかなストロベリーブロンンドの髪、クレーブスと比較しても謙遜のない美、こんな人間をそうそう忘れるとは思えないのだが……いやよく見てみれば、あの頃・・・の面影が残っていないか?

「お久しぶりでございます。アクバール王太子」
「……ヴェローナか」

 もう一度、彼女の声を聞いて思い出した。元婚約者のヴェローナだ。最後に会ったのは二十年程前だが、だいぶ容姿が変わったな。あの頃も鍾美しょうびであったが、今はさらに美に拍車がかかり、存在が際立っていた。

 ――これまで積み上げてきた自信からくるものか。

 オレが森に住んでいた頃も彼女の活躍ぶりは耳に入っていた。こうやって対面するのは実に二十年ぶりか。

「えぇ、わたくしです」
「久しいな、二十年ぶりか。会って早々だが先程の橋の件、問題ないというのはどういう意味だ?」

 懐かしさで和むよりもオレは先程の彼女の言葉の方が気になっていた。

「えぇ、誠に僭越ながらブロイスィッシュの件は私の方で対応させて頂きました。実はオーベルジーヌ国側の建設責任者と知り合いでして、少々お話しをつけた結果、こちらの工事の承認が下りるまで、先方にはお待ち頂ける事になりました。陛下へのご報告は父から致す予定です。ですので事は問題なく終えますので、どうぞご安心なさって下さいませ」

 オレの問いにヴェローナは柔らかな微笑と鷹揚な態度で答えた。そして彼女の言葉を聞いたサザンがオレ達の間を割って入ってくる。

「それは真でございますか! ヴェローナ様!」
「えぇ。一刻を争うとお聞きし、国土省長官の許可を取って行いました」
「誠に有難うございます!」

 サザンはオレの存在など無いもののように、堂々とオレの視界を遮って礼を伝える。ヴェローナに命拾いしてもらい、感情が高ぶっているのは分かるが、こちらに対する敬意の欠片も感じられないな。

「サザン様、もうお言葉は十分ですわ。背後には王太子がおられますので」

 ヴェローナの気遣いの言葉で、ようやくサザンはオレの目の前を空けたが振り返った時の「もうオマエには用無しだ」と、言わんばかりの奴の顔が不快感極まりない。

「ヴェローナ様、此度のお礼は後日改めてさせて頂きます。ではこれにて私は失礼させて頂きます」

 サザンはヴェローナに頭を垂れた後、オレには随分と雑な挨拶をして去っていた。

 ――なんなんだ、アイツは。

 テラローザ辺りにクレームでもつけてやろうか。

「アクバール王太子、改めてお久しぶりですね」

 不快な空気を打破させたのは嫋やかな笑みを見せるヴェローナだった。

「あぁ、さっきは悪かった。切実なサザンを目の前にして挨拶が粗末になっていたな」
「構いませんわ」
「それと橋の件も礼を言う」
「とんでもございません。自分に出来る事をしたまでです」

 ヴェローナは謙遜しているが笑みを深めた。満更でもなさそうだな。確かにあそこまでやれれば上出来だ。サザンのように使えない人間を置くより、よっぽどヴェローナの方が役立つ。今回の件で彼女は大いに評価されるだろう。

 ――だが……。

 オレは胸に抱いた思いを追及せずにはいられなかった……。

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

 朝食を終えた後、私は付き人のサルモーネ達と共にレッスンの場へと向かっていた。今日の一番は乗馬であった為、私はいつも以上に緊張していた。王宮ここに来るまで馬に乗る経験なんてなかったから、乗馬のレッスンはかなり四苦八苦している。

 緊張する中、ふと回廊の一角で今朝寝室で別れたばかりのアクバール様の姿を見かけ、少し緊張の糸が解けた私は彼に声を掛けようとした。ところが私より先に声を掛ける人物が現れ、私はシュンとなる。

 すぐに話は終わるかもしれないと様子を窺っていたが、彼等の様子から只ならぬ雰囲気が漂っていて、結局オルトラーナから「行きましょう」と催促され、渋々私はその場から離れようとした。

 その時、アクバール様達の前に新たな人物が入って思わず私は足を止めた。絵画にえがかれる女神のような極美な女性で、私は一瞬にして目を奪われる。その女性が入った事により、張り詰めていた場の雰囲気が変わっていく。

 ――あの女性はもしかして……?

「妃殿下?」

 サルモーネから声を掛けられ、私は我に返る。あの女性に目がいってしまって、自分の目的を忘れていた。今あの二人に気付かれたくない。咄嗟にそんな思いを抱いた私はその場から逃げるように去って行く。

「妃殿下、どうかなさいましたか?」

 隣に付いて歩くオルトラーナから心配の色を含んだ顔で問われた。

「さっきアクバール様とお話しをしていた女性はどなたなの?」
「彼女はマルベリー公爵夫人のヴェローナ様ですわ」

 やっぱりと私は心の中で思った。一目見ただけで彼女だと思わせるほど、存在が際立っていた。

「ヴェローナ様の事はお気になさらなくても大丈夫ですわ。先程のお話もプライベートではなく、これから建設されるブリッジの件でした。なにやら問題が生じていたところをヴェローナ様が手助けをして事を上手く治めたようですね」

 私の顔が曇ってでもいたのだろうか。オルトラーナが気遣いの言葉をかけてきた。

 ――仕事の話をされていたのね。

 プライベートではなく安堵感を抱いたものの、今度は別の煩悶が生まれる。

「国境を結ぶブリッジの件は大きな案件でしょうに、問題を対処するヴェローナさんは尊敬に値するわね」
「さようですね。彼女は様々な面で活躍される優秀な方ですから」

 ――さすが元王太子の婚約者だ。

 今まで噂で彼女の事は散々聞いていて、何処か他人事だと割り切っているところがあったが、彼女の活躍ぶりを目の当たりにすれば、自分の存在がとても乏しく思えてきた。

 ――逃げるようにしてあの場から去った自分が情けない。

 後悔の念に苛まれる。でも彼女と対面しても優雅に挨拶なんて出来ないのも確か。それにアクバール様といる彼女の姿が、私の心を突き刺すようで堪らない気持ちにさせた。さらにバレヌさんから言われたあの言葉が蘇る。

『元婚約者であれば、王太子の次のお相手に一番有力です。その女性と王太子が復縁されれば、晴れて貴女は自由になれるのですから』

 あの言葉がジワジワと私の心を侵食していく。私には国の問題を手助け出来る力なんてもっていない。私は本当にアクバール様の隣に良いのだろうか。本当に相応しいのはあのヴェローナさんではないのだろうか……。





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