Please33「それは救いか見えざる毒か」




『王太子の元から離れるべきです』

 あのバレヌさんの言葉が脳裏に焼き付いて離れない。温室ハウスで私は躯を休めるつもりが悪化させてしまい、結局午前のレッスンを休む羽目となった。そして今は寝室のベッドで休んでいる。

 考える事はずっとバレヌさんとの会話の事ばかりだった。彼はアクバール様の呪いの事も知っていて、他に愛する女性がアクバール様に出来れば、私は王宮ここから自由になれると言った。

 その話を出された時、私は現実的に考えられなく、胸の内がモヤモヤとして落ち着かなかった。私の存在は他国の王達にも知られている。今更結婚を取り止めになんて無理だ。あの時のバレヌさんとの会話が再び浮かんでくる。

「アクバール様に他の女性を愛して頂くなんて、そんな人の気持ちは勝手に変えられません」

 ――バレヌさんは人の気持ちを軽んじているように見える。

 そんなすぐに変わるわけがない。

「軽率に聞こえてしまったようですね。ですが、私は純粋に貴女をお助けしたいと思っております」
「え?」

 私を助けたいという言葉に驚いたが、それよりもグッと距離が縮まった事に、私は息を呑んだ。

「ですので、先程のお話も……」

 そうバレヌさんが言い掛けた時だ。

「レネット妃殿下」

 鋭い声で名を呼ばれ、私の意識はバレヌさんから引き離された。声が聞こえた方へ視線を向けると、

「サルモーネ」

 囲い正面の入り口にサルモーネと彼女のすぐ後ろには数人の近衛兵がいた。サルモーネの表情がとても厳しい。切るような鋭い眼差しをしている。

「ブリュス様、我々の許可なしに、妃殿下と個人的な話をされるのは困ります」

 真っ先にサルモーネはバレヌさんを咎めるものだから、私は慌ててフォローに入った。

「サルモーネ、バレヌさんは祝宴会の時に私を助けてくれたの。そのお礼を伝えていただけよ。そう目くじらを立てないで」
「どんな事情があろうとも規則は規則です。守って頂かなければブリュス様が処罰を受けられます」

 うぅ~サルモーネは頭が堅い。でもここは穏便に事を済ませる為に、私が頑張らないと。

「そうね、規則は大事だわ。でも今回は大目にみてあげて欲しいの。助けて下さった恩人に不快な思いはさせたくないから」

 私は懇願してはみたけれど、サルモーネは温みのない顔のまま。私の言葉に賛成出来ないとみた。

「サルモーネ殿、勝手な行いをして申し訳なかった。そして妃殿下にも不快なご気分にさせてしまい、申し訳ございません」

 この場を収めようとバレヌさんが頭を下げた。彼を助けるつもりが逆に助けられてしまった。情けない。

「以後はお気を付け下さいませ」
「あぁ、肝に銘じておこう」

 サルモーネの念押しにバレヌさんは素直に従われた。それからサッと立ち上がって、私だけに聞こえる声で言葉を残した。

「では妃殿下、先程の続きは次の機会にでもお話致しましょう」

 ――え?

 私は息を切った。今サルモーネから忠告を受けたばかりだというのに、バレヌさんはまだ私と話をしようとしているの?

 ――あの人は何を考えているのだろうか。

 私は妙な警戒心を覚えた。その間に彼は私達の前から立ち去って行った。その時の出来事が鮮明に思い出されて、ちっとも私の気は休まらない。

 ――私を助けたいというのは私を自由にしてやりたいという意味だろうか。

 バレヌさんとは会って間もないというのに、彼がそこまでしてくれる理由が分からない。それに話の続きは次の機会にと言われても、他者には聞かせられない内容だし、誰かに付き添って貰う事も出来ないから、もう彼と話をする事はないだろう。

 ――ただ彼の言い掛けた言葉が気にならない訳でもない。

 何を伝えたかったのだろうか。アクバール様に他の女性を愛してもらう話だろうか。

 ――もし本当にそんな事が起こり得るなら、私はここから解放されるのだろうか。

 確かに今の私の状況は辛い。この先もずっと同じ生活が続くのかと思うと、不安で堪らなくなる。私よりももっと前向きに頑張れる女性の方が、アクバール様には相応しいのではないかと、そんな考えにさえ至ってしまう。

 情けない、楽になりたいから逃げるだなんて嫌だ。でも立ち向かう勇気もない。そんなどうしようもない葛藤が私の心をどんどん蝕んでいく。この先、私はどうしたらいいのだろうか……。

*✿*。.。・*✿*・。.。*✿*

 ――予想外の展開だ。

 今日から政務に関するレッスンが始まるというのに、その教師がまさかバレヌさんだったなんて。法務省の中でも期待の星と言われている彼はレッスンの教師として駆り出される事もあるそうだ。

 この間の温室ハウスでの出来事があるのに、よくサルモーネが許したものだと驚いた。どうやら彼女は合理的に割り切るタイプのようだ。私としてはバレヌさん相手だと気まずくてやりづらい。

 特に政務の勉強は法が絡んで難易度が高く、かなり緊張するところにバレヌさんが教師として来るだなんて、なんの運命の悪戯だろうか。彼とはもう二人で話をする機会なんてないと思っていたのに、とんだ出来事だ。

 政務のレッスン形式は分厚いハードカバーが教科書で、説明を受けながらノートに綴っていく。声さえ大きくなければ、内緒話も余裕で出来る。だから私はバレヌさんから、この間の話の続きをされるのではないかとヒヤヒヤしていた。

 ところがレッスンは問題なく行われていった。教師としてのバレヌさんは私の知る彼とは別人だった。仕事モードの彼はとても厳しい。でも私がきちんと理解するまで、何度も丁寧に教えてくれた。

 教え方が上手で、これなら教師として抜擢される理由も分かった。レッスン中は勉強以外の話は出来る様子もなく、私は集中する事が出来た。あの件は私の杞憂に過ぎなかったのだろう。

「本日はここまでにしておきましょうか」

 バレヌさんから終わりの言葉を言われて、私は心の中でホッと安堵の溜め息を漏らした。

 ――もう終わりの時間だったのね。

 とても難しいレッスンだったけれど、あっという間だった。

「終了までもう少し時間がありますね。せっかくですので、この間・・・のお話の続きを致しましょうか」
「なっ」

 私は露骨に驚いてしまった。人がホッとついたところをバレヌさんは狙ってきたのだろう。私は警戒心を剥き出しにするが、彼は顔色一つ変えていない。この私の反応も予想通りといった様子だ。

「バレヌさんは私の教師になる事をご存じだったのですね。だからこの間、私と別れ間際に“先程の続きは次の機会にでも”という言葉を残された」

 あの時、彼の「その機会はまたやってくる」とでも言うような余裕の雰囲気に納得した。

「えぇ。ただあの話は一早くお伝えするべきだと、今日の機会を待たずにお話致しました」
「そんなに私をアクバール様から、お離しになりたいのですか?」

 それほどまでに私を追い出したいのだろうか。彼が教師になると分かっていれば、アクバール様に相談したのに。あれっきり話をする事もないと思って、私はバレヌさんとの出来事をアクバール様に話していないのだ。

「何も貴女を排斥したい訳ではありません。以前にも申し上げましたが、純粋に私は貴女を助けたいと思っております」
「…………………………」
「やはり警戒心がおありですね」

 バレヌさんはやれやれとでも言うように苦笑していた。

 ――無条件に人助けをするなんて怪しく思わない方が変だもの。

「では私の話をお聞きになってから、お考え頂いても宜しいでしょうか」
「考えるも何も既に私とアクバール様は書類上せいしきに婚姻を結んでいます。他国の偉い方々にも挨拶を終えていますし、今更結婚を取り止めにするなんて出来ません」

 私は尤もらしい理由をつけて、バレヌさんの話を阻止しようとした。

「確かに祝宴会で大々的にご紹介されていらっしゃいましたが、書類上では貴女と王太子の婚姻は受理されておりませんよ」
「え?」

 またバレヌさんの口から飛んでもない事実が飛び出して、私の頭の中は真っ白に塗り潰される。

 ――わ、私とアクバール様は正式に婚姻していない?

「王太子ですからね。結婚ともなれば、いくつもの書類を受理する必要があり、それもすぐに処理はされません。そして王太子が書類をご提出したのはほんの一週間ほど前です。ですので、まだ正式に貴女と王太子は夫婦めおとになっておりません」
「そ、そんな……」

 躯がガクガクと震える。婚姻届けの提出はアクバール様に任せていた。あれを彼はきちんと届けていなかったというの? 今、私とアクバール様は形だけの夫婦?

「王太子は形だけでも固めようとなさったのでしょうが、法はそんなに単純ではありません。今であれば、貴女は王太子から離れようと思えば離れられます」
「そ、そんな事を急に言われましても……」
「お気持ちは察します。ですが、これは紛うことなき事実です」

 私は泣きたい気持ちになった。ショックだからか、それとも安堵からなのか、全く区別がつかない感情に支配されていた。

「それを踏まえてのお話ですが」

 私はとても話を聞ける気分ではなかったのだが、バレヌさんの方は進めていく。

「王太子は失声を患われる前に婚約者がいらっしゃいました」
「え?」
 私は虚を衝かれたように目を丸くする。

「驚かれましたか? ですが王太子ともなれば世継ぎの事もあり、早くから婚約者がおられるのは当たり前の事です」
「そうですね」

 ――そ、そうよね。王太子なんだもの。

 そう理解しているのに、なんだろう胸の奥が軋むように疼いているのは。

 ――あれ?

 シュンとした気持ちになる一方で、ある事にも気付いた。

「では何故、アクバール様の呪いは解かれなかったのですか?」

 婚約者の方がいれば、呪いは解けた筈ではないの?

 ――政略絡みで本人の気持ちは関係なかったとか?

 そんな考えが思い浮かんだ時、少しだけ心が軽くなったように感じた。ところが、

「どちらかのお気持ちが欠如なさっていた……と、考えられますが、当時のお二人を知る人間からは相思相愛だったと聞いております」

 再び心に重荷が圧し掛かってきた。この浮き沈みは何なんだろうか。

「そ、そうですか。では何故、呪いが解けなかったのか、ますます不思議ですよね」
「我々に知らない何かがおありだったのでしょう。その後、呪いがきっかけで、お二人の婚約は解消されたようですね。その後、女性は公爵の男性とご結婚したようですが、今からほんの数ヵ月前に公爵とは死別なさっています」
「お気の毒に」
「えぇ。しかし、王太子がこちらにお戻りになってから、女性は頻繁にこちらへ顔を出されているそうです」
「そ、そうなんですか」

 私はサッとバレヌさんから視線を逸らした。今の彼の言い方は女性がアクバール様に会う為に来ていると、そういう意味に聞こえたからだ。

「ご理由を知りたくはありませんか?」

 複雑な私の心を読み取ったのか、バレヌさんは私を挑発するような口調で質問してきた。

「噂によれば女性は王太子との復縁を求めていらっしゃるようです」
「ですが、アクバール様は私と!」

 勝手に話がおかしな方向へと進んでいる。それに私はとても不快な気持ちになって苛立っていた。

「妃殿下、これは絶好の機会ですよ。元婚約者であれば、王太子の次のお相手に一番有力です。その女性と王太子が復縁されれば、晴れて貴女は自由になれるのですから」
「そ、そんな事を言われましても、私はアクバール様本人ではないので、気持ちをどうこうする事は出来ません」
「えぇ、おっしゃる通りです。ですが、王太子のお気持ちを移す為に、貴女がやるべき事もある筈です」





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