Please16「兆候」―Akbar Side―
内部へ進んで行くほど、騒めきが大きくなっているようだ。オレは先程から口元が緩みそうになるのをグッと抑えていた。なにせ騒ぎの原因がオレ だからな。突然の王太子の帰還に響 もす声が王宮の内部に広がっていた。
二度とこの王宮に戻る事はないと言われていた人間が意図もなく現れたのだ。それも失声という不治の病に侵されていたあの王太子だ。二十年もの歳月を森の離宮で過ごしていた人間が、今更目の前に現れるなんて思うまい。
――門扉にいた守衛が泡を吹き出したような顔をしたのには笑えたな。
今、すれ違う人間もまるでオレを死んだ人間でも見るような顔を向けてくるが、オレは気にもせず、事なげない態度で進んで行った。
「さすが麗しき王子様ですね~。あっという間に注目の的となっていますよ~」
「言われなくとも知っている」
「うわっ、謙遜のけの字もない!」
「事実だからな」
そんな軽口をクレーブスと言い合いながら、オレは執務室へと向かっていた。オレは今のこの状況を楽しんでいるが、それはクレーブスも同じようだ。だからヤツは軽口なんて叩いてきたのだろう。
王宮 に戻って来た時、一番反応を見たいと思っていたヤツが早々に現れ、笑えたな。わざわざこちらから赴く手間も省け、期待していた反応まで見せてくれた。オレとクレーブスの気分も上々となるわけだ。
そして瞬く間にこの王宮にオレの帰還の知らせが吹聴された。噂を聞いて祝宴会に飛びつく人間も多いだろう。その祝宴会まで時間がある。礼装の試着よりも優先にしたい仕事が山ほどある。いち早くアイツ を退ける為の……。
「アクバール!」
背後から甲高い声で名を呼ばれた。周りにいる護衛達の頭 が一斉に垂れる。彼等のこの態度といい、オレを敬称なしで呼ぶ人間なんて僅かしかいない。オレは振り返って声の主の名を呼んだ。
「母上」
まっしぐらにこちらに駆け寄る母上を抱き留める。艶を帯びて輝くプラチナの髪から、花のような甘い香りが漂い、鼻腔をくすぐった。いつも冷静沈着な母上のこんな慌てた様子は珍しい。
「お久しぶりですね」
オレを見上げる母上の瞳を真っ直ぐと捉えて挨拶をする。
「まさか声が戻っているの? あぁ、なんて事でしょう! 奇跡が起きたのね!」
オレと同じ琥珀色の瞳が潤いを帯びていく。眦に涙を浮かべて喜ぶ母上がオレとの再会を心から喜んでいるのが伝わってきていた。
「はい、おかげさまで」
そう答えると、オレの腕を掴んでいる母上の手に力が籠った。さらに力強い眼差しを向けられる。
「もう陛下とはお会いになったの?」
「えぇ、偶然にもエントランスでお会いして、簡単にですが挨拶をしています」
「そう……」
母上から視線を外される。彼女の瞳が憂いに翳っているように見えるのは気のせいだろうか。母上は叔父上の事をよく思っていない。そもそもオレを森の離宮に追いやったのはあの叔父上だ。
母上の子はオレ一人だけであり、その一人息子と離れ離れにさせた叔父上をよく思っているわけがない。たが、母上は叔父上の前ではとても従順だ。腹の中ではどんな思いを抱えているのかを隠して……。
「貴女がここに来ている事を聞いて、まさかと思っていたけれど、本当だったのね」
「ほんのさっき来たばかりですよ。もうそのような噂が立っているのですね」
「私が知った時、既に貴方の話題で持ち切りになっていたわ」
「良い意味での噂であればいいのですが」
「私は話を聞いた時、とても嬉しかったわ」
「私もこうやって母上を目の前にして嬉しく思っております」
母上は溢れるばかりの笑みを零す。オレが離宮にいた二十年間だが、母上とは指折りの数しか会っていない。いつぶりの再会だろうか。ここ最近、長らくは会っていなかったような気がする。そんな事を考えていた時だ。
――不快な視線を感じる。
クレーブスだ。尻目でアイツを見遣ると、ヤツの顔はこう言っていた。
『実母 様とラブラブですか?』
人をマザーコンプレックスとでも言いたげな顔だな。まぁ、他人が居る前で実母と抱き合っているような体勢をとっていれば、そう思われても仕方ないのか。ただこれは純粋に母上との再会を喜んでいるだけだ。
「こちらに来るのであれば、事前に知らせて欲しかったわね」
「申し訳ございません」
母上から本当に咎めている様子は窺えなかったが、オレは素直に詫びた。
「いいわ。声が戻って知らせに来てくれたのでしょう?」
「えぇ。声も無事に戻りましたし、私は王としてこちらに戻って参りました」
「え?」
刹那、喜色に溢れていた母上の顔色が失われ、躯が小刻みに震えていた。その豹変ぶりにオレは違和感を覚えつつも、母上の腕をしっかりと支えていた。
「今の陛下はヴォルカン様よ?」
母上は怯えるような眼差しを向けて問うが、逆にオレは冷徹な態度でいた。母上の言いたい事は分かる。あの叔父上が簡単に退位をするわけがないと。それは誰よりオレが一番よく知っている 事だ。
「叔父上はあくまでも私が戻るまで代理でいらっしゃいますから」
「何を……言うの?」
母上の大きな目がみるみると開かれていく。オレがとんでもない発言をしたとでも言うような顔をして絶句している。
「母上、実は今宵に祝宴会が開かれます。是非、母上もいらして下さい」
オレはわざと話題を変えた。今ここで叔父上との話は必要ない。それよりも母上には祝宴会に出席して貰う話の方が重要だ。
「祝宴会? そんな急に……」
「母上に会わせたい人がおります。私の番いです」
オレの紡いだ言葉に母上は息を切った。番いといえば母親として気にならないわけがないだろう。
「え? ……そ、そうよね。声が戻っているのだから、そういったお相手がいて当たり前だわ。……もう番いとなっているのね?」
「はい、紹介が遅れて申し訳ございません。これから私は彼女とずっとこちらにおりますので、どうかご安心下さいませ」
「え、えぇ」
母上の顔が強張っている。何か不都合でもあるのだろうか。オレは母上を気遣いつつも、彼女の真意を探る。
「母上、大丈夫ですか? 顔色が良くありませんよ」
「そんな事はないわ。急な話で少し驚いただけ。ねぇ? 今の話だけど、勿論陛下はご存じなのよね?」
オレが王宮 で過ごす事が叔父上に伝わっているかどうか……という話しか。そんな事は決まっている。
「いいえ、叔父上には話を致しておりません。ですが、私は王となるのですから、主がここに住む事になんら問題もありませんよ」
オレは母上に極上の笑みを広げ、決然と言い切った……。
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「腹黒王子~」
「王太子だ」
オレはクレーブスのふざけた呼び方にガンを飛ばして言い直す。ヤツは悪そびれた様子もなく、飄々と執務室を眺めている。ここに来るまで、オレの帰還を聞いてこぎつけて来た人間が絶え間なくいたが、すべて追っ払って今はクレーブスと二人だけだ。
「人を呼んでおいてなんだ?」
オレはクイッと顎を上げてヤツに問う。
「いえ、急にそう呼びたくなっただけです」
「そうか、では処罰を与えよう」
「何でですか! カスティール様との対応とあまりにも違いますよね!」
「オマエはオレの母親ではないからな」
「私はアクバール様が生まれた時から、ずーっと一緒にいるではありませんか! 事実カスティール様より、私の方がずっとアクバール様と一緒にいる時間が長いんですよ! 私と貴方は家族も同然ですよね!」
「そう思っているのはオマエだけだ」
「アクバール様もそうお思い下さい!」
「無理だ。下らない話はこれぐらいにしろ。なぁ、王宮に入ってここまでで、何か気付いた事はあったか?」
オレはふざけた空気を切り裂くような鋭い視線をクレーブスに向けて問う。ヤツはすぐにオレの言いたい事を汲んだようで真顔に変わった。
「えぇ、二点 ほど」
やはりクレーブスも気付いて いたか。まぁ、そうでなくては困るが。
「そうか。これで何もないと言うようなら、オマエを本気で捨てるところだったぞ」
「フッ、この私を誰だとお思いですか?」
「ドが付くほどの変態魔導師だろう?」
オレはドヤ顔のクレーブスに毒気を含んだ言葉をお見舞いしてやった。ヤツの実力は認めるが、いちいち鼻高々な態度が目につく。コイツはもっと謙虚さを覚えた方がいい。
「アクバール様はもう少し品性というものを養って下さい。その甘い王子顔で毒舌ばかり吐いて、気品が損なわれています」
逆にオレに養えなんて言ってきたぞ。オマエこそ謙虚さを覚えろと言い返そうとなったが、もっとオブラードな責め方でいくか。
「オレを育てた側近の魔導師に問題があったんだろうな」
「遠回しに人のせいにするなんて最低ですね!」
「オマエ相手だから、気品もへったくれもないだけだ」
「はいはい、そうですか~」
「オマエな、それが主に対しての態度か? オマエは敬う心と謙虚さを覚えろ」
「わっかりました~」
棒読みで誠意のない返事がクレーブスから返って来た。
「はぁー」
オレは盛大な溜め息を吐く。何故、コイツがオレの第一側近をやっているのか不思議でならない。こんな態度のでかい従者を見た事ないぞ。
「クレーブス、下らん事に時間を使わせるな。話を始めるぞ」
今も扉の向こうではオレと話をしたいという多くの人間が待ち伏せをしている。いつ何処で時間を割かれるか分からないのだ。オレが応接用のソファに腰を沈めると、机を挟んで真向かいにクレーブスが座った。
「さてオマエの気付いた点を聞こうか。今後相手がどう出るのか見物だな」
オレは思い出し笑いをする。オレの姿を見たアイツのあの時の反応は面白かった。きっと今頃血相を変えてオレをどうするか模索中だろうな。今宵の祝宴会にアイツが不参加するのは分かっている。
さらさらオレの帰還を祝う気もなければ、そんな時間があれば、オレを排除する方法の一つでも考えるだろう。ではこちらはこちらでパーティを存分に楽しませてもらおうか……。
