Please10「すべてはここから」―Akbar Side―
「誰だ、オマエは?」
オレは瞳を鋭く光らせ、相手を見澄ます。空気さえも強張るような剣呑な雰囲気を散らしている目の前の相手が尋常でないのは外貌からして分かる。
ここは大国シュヴァインフルトのデリュージュ神殿の内部であり、この主祭壇を目の前にし、顔を覆うように身を纏う愚か者をかつて一度も目にした事がない。
この神殿では顔は素肌を見せなければならない。それがこの国が崇高する神官 フュリボンに対しての敬意である。それに反するこの愚弄者は……。オレは無遠慮に相手を物色する。長身で深紫の上質な素材のローブを着用している。おおかた魔導師といったところか。
しかし、師の称号をもつ者が礼儀を知らぬなど、一体どういうつもりか。いや、そもそも何故、今ここにいられる? オレは瞬かず、相手を射るような鋭い視線を送りつける。
睥睨 したその様子は相手に変化をもたらせた。相手は頭上まで覆っていた布を剥ぎ、同時に黒曜石のような漆黒の長い髪が宙を舞った。一瞬、オレは瞠目としたが、すぐに顔の片側を歪めた。
相手の顔の一部が酷く爛れていたからだ。パッと目にした時、思わず目を見張る程の焼け跡であった。だから相手は顔が見えぬよう覆っていたのか。いやそれよりも、もっと目を引くのが……。
――深紅の双眸……。
厄介だ。魔導師かと思っていたが、この瞳の色は魔法使いだ。だが、ありのままの色を見せているのは故意か、それとも単純に愚かなのか。魔法使いであるならば、皮膚の爛れも難なく綺麗な肌に戻せるだろうに、コイツは一体……。
この世界の魔女と魔法使いは海底に棲んでいる。そして魔物がむやみに地上へと徘徊するようになった近年、人間の魔力が強化し、その影響によって魔法使い達は表へと出現しなくなってきていた。
そんな世にも関わらず、変化 一つもせず、この神殿へ堂々と現れるこの魔法使いは……。よりによって今日だ。数時間後、この神殿では王位継承の戴冠式が行われる。既に内部は式の装飾に彩られていた。よって今ここは王位を継承するオレ以外の者は立ち入り禁止となっている。
目の前のコイツが現れるまで、オレは戴冠式の前の祈りを捧げていた。その神聖なる場にコイツは足を踏み入れて来たわけだ。内部へと入る各扉には衛兵が立っていた筈だ。その者達が何も騒がず、容易くコイツを入れる訳がない。
「何をしに来た?」
オレは率直に用件を問う。胸の内に危険という波紋が広がっていたが、それを表には出さず、平静を装っていた。
…………………………。
相手は何も答えない。その代わりにゾッとする冷笑的な顔でオレを見つめている。
――コイツは何かをしでかす。
ある種の予感に身の危険を感じ、額から汗が滲み出た。そんなオレの様子を感じ取った相手は見据えるよう微笑んだままでいる。不気味極まりない。
…………………………。
数秒、対峙するように視線をぶつけ合う。相手の紅の瞳が毒々しい血色にも見えていた。それも束の間、魔法使いは軽やかに身を翻し、オレへと背を向けた。
「?」
オレは眉根を寄せ、魔法使いを注視していると、ヤツは氷のような嘲笑を浮かべた横顔だけを覗かせる。その不敵な笑みが何を意味するのか。
「これは助言です。呪術を解く方法は“愛する女性と相思相愛で身も心も結ばれなければなりません”」
――呪い? なんの話だ?
魔法使いは男とも女とも言い難い中性的な声で、訳の分からん内容を諭し、尚も言葉を紡ぐ。
「ただし、その想いは未来永劫でなければ意味がありません。片方でも想いが崩れるのであれば、再び呪いが降りかかる事でしょう。では貴方様に光のある未来を心よりお祈り致しております」
――は?
「だからなんの話を……」そう言葉を投げようとした。そこでオレは気付いた……。「声」が出ないという事に。
――声を失っている……? まさか、呪いと言うのは……!
一瞬で頭の中が真っ白となる。そのほんの瞬きに魔法使いは忽然と姿を消し、そして神殿内部には黒い影に覆われるオレの姿と静謐 な空気が戻っていた……。
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「アクバール様ぁ~! 窓の外をご覧になって下さいよ! 早く早く~!」
朗らかな陽射しが部屋の隅々へと広がり、眩く思わず目を眇 めた時だった。
――そんなすぐに見れねーよ。
オレはソファに腰掛けたまま、相手へ恨めし気な視線を送りつけた。そんなオレの様子に気付いていてもシカトだろうな、コイツは……。新緑が華やかに森を彩る季節だった。何気ない日常に一つの新たな風が舞い込んできた。
「女のコなんですよ! 可愛い可愛い、金髪の天使! こんな森深くにあんな可愛い女のコが来るなんて、これは運命のコですよー、きっと!」
やかましい。言っているオマエも見事な金髪で女みてーな顔をしているけどな。目を輝かせ、無駄に息を弾ませている従者、魔導師のクレーブスとは逆に、オレは冷静な気持ちで窓の外を覗いてみる。
…………………………。
益々オレは表情が冷めた。というか、呆れたという方が正しいだろうか。
――言葉の通り、本当に女のコだ。
目に映った少女は幼女だった。年は十二歳~十六歳といったところだろうか。
「えぇえぇ、ですから女のコなんですってば。かっわいいですよねー? もみくちゃにしたい❤」
変態的に聞こえる。コイツが言うと、性的な意味に聞こえるから危険だ。実際、頬を紅潮させ、頭の中で何を想像しているのか分かったものではない。
――あのコの何処が運命のコなんだ?
もう一度、オレは窓の外へと目をやる。
「え? どうせなら可愛いコの方がいいですよね?」
――オレはオマエみたいに幼女の趣味はない。
「気長に待てばいいじゃないですか?」
――何年待てばいいんだ? オレはこんな檻の中で、何十年といるつもりはない。
「と言われましても、こんな森奥深くに早々女性は現れませんよ?」
――んな事は分かっている。
オレは舌打ちをし、嫌気が差した表情をクレーブスに叩きつけ、元いたソファ へと戻った。それから深い溜め息を吐く。オレは厄介な「呪術」にかけられている。それによって「声」を失っているのだ。
事の始まりはシュヴァインフルト国で行われる王位継承の戴冠式の日であった。王太子のオレは式の前に行うデリュージュ神殿の大祭壇の前で祝詞 を捧げていた。この時の内部は清めの意味で、王太子のみしか許されていない。
そんな聖なる場に、只ならぬ人物が現れた。血の色の双眸をもつ「魔法使い」だった。深紫色の上質なローブを身に纏い、顔の一部が深く爛れた、見てくれからして不気味なヤツだった。
目にした瞬間から剣呑さを感じ取ってはいたが、案の定、ヤツは狂気を孕んだ事をしでかした。呪いと称し、それはオレの声を奪った。それを解くには「愛する女性と相思相愛で身も心も結ばれなければならない」しかも「想いは未来永劫でなければ意味がない。もし片方でも想いが崩れるのであれば、再び呪いが降りかかる」という。
馬鹿げている。愛する女と身も心も結ばれる、まるでおとぎ話のようなロマンチックに聞こえるかもしれないが、実際そんな甘いものではない。声を失う事によって、様々な内容に支障をきたした。まずは執政が円滑に行えない事だった。これは王政社会としてとんだ致命的であった。
それでも始めの頃は魔導師らと魔力を使い、以心伝心しながら他者と会話を行っていたが、それもある程度の時間のロスが生じる。執政は一刻を争う場合が多く、いかに捌いていくのかが重要だ。オレが虐げられる存在になるのも時間の問題であった。
結局、オレは使い物にならないと判断され、王宮から遥か遠く離れたこの森へと追い出された。こんな所に追いやられたのも、周りの厳しい目から悲愴感を背負う生活を少しでも緩和させようという気遣いらしいが。
そんなオレの事を想っているように思えるが、実際はてんで違う。何故なら今回の呪術は予め仕組まれた目論見だったからだ。そして「黒幕」が誰か検討はついている。ソイツはあろう事に、とんでもない魔法使いと手を組み、今回の出来事を起こした。
今の時代、魔法使いは地上には姿を現さない疎遠な存在の筈だ。それが人間に手を貸すなど、黒幕はよほどの対価を与え要望したのだろう。そんな事が出来るヤツなど限られている。オレはソイツを絶対に許さない。いつか必ず法の前で裁いてやる……。
