Please9「お願いですから、離縁して下さい!」
「アクバール様」
「なんだ?」
「黙っておりましたが、これで呪いは完全に解かれました」
「は?」
アクバール様はギュッと抱き締めていた私の躯から離れる。両手を寝台につき、前屈みの体勢で私を見下している、その表情は呆気に取られている様子だった。
――何故そのようなお顔を?
ここは喜びに顔を綻ばせるところじゃない? もしかしたら、し終えた後に唐突に伝えたものだから、信憑性がないのかもしれない。その考えに妙に納得した私はよしっと気合を入れ、一から説明をしようと思った。
「実は今日デリュージュ神殿で例の魔法使いに会いました」
「例の魔法使い?」
アクバール様は眉根を寄せ、顔を顰める。ここでいきなりあの魔法使いの話を出され、彼もいい顔はしないだろう。
「あー見事な金髪で女みたいな顔をした男か?」
「そうです」
あれだけの美しい容貌をもつ魔法使いだ。アクバール様も彼の事をよく憶えている。いや、あんな卑猥な呪いをかけた人の事を忘れられるわけがないか。今のアクバール様の思案に暮れている姿を見ていれば、一目瞭然だ。
彼にとっては思い出しくない相手ではあるだろうが、さっきの私との行為で呪いは解かれた。早く喜んでもらわないと。そして離縁の話もある。私は気持ちが急 ぎ、話の続きを口にしようとした。そこにだ…。
「ふーん。まぁ、ソイツはオレの従者だけどな」
「はい?」
――え? なに今のアクバール様の言葉?
彼は不思議なぐらい落ち着いている、いや何処か冷めている様子に、私は妙な違和感を覚える。
――ソイツって……?
今の流れからしたら「魔法使い」の事? いやいや、それオカシイよね? だって呪いをかけた魔法使いがアクバール様の従者だなんて、そんな事ある筈ないし。
「あの、私が出会った魔法使いは赤い瞳をしておりましたが、まさかその人が従者とは言いませんよね?」
相手は魔法使いだもの。人間とは棲む世界が異なる生き物だ。そんな人が従者というのはやっぱりオカシイ。きっと私の捉え方が間違っていたのだろう。そう思い直した時だ。
「いんや、アイツは魔導師だ。だから瞳の色を変えるぐらいわけない」
――はい?
予想もしない言葉が返ってきた。えっと、ますます訳が分からないんですけど? アクバール様は何を言っているの?
「瞳の色を変える? なんの為にですか?」
「呪いをかけた魔法使いのフリをする為だ」
「はい?」
――フリってなに?
私が目をパチパチとさせ理解しようと試みる。えっと、今の話を順番に繋げてみようか。今日、私が出会ったあの男性は魔導師でアクバール様の従者?赤い瞳は人為的に魔法で変えていた?
――え? え? あの男性は例の魔法使い……では……な……い?
思考が理解に苦しむ、いや拒んでいる?
「そんな瞳の色も変化 をしない魔法使いが、容易く現れるわけないだろう?」
アクバール様から鼻で笑われる。なにそれは? えっと、そしたらだよ? 繋がらなかった事柄がようやく紡ぐ。その刹那、私はサッと血の気が引いていく!
「また私を騙したんですか!?」
信じられない! さっきまでの私にさせていた卑猥な事はアクバール様のからかいだったというの!? この人はとんでもないエロメンだ! 本当に最低! 有り得ない!! 私は激情に駆られ、涙を流しながら訴える。
「またとはなんだ? それに酷いのはどっちだ? 散々オレを愛していると言っておいて、離れようとしていたではないか?」
「そ、それはお声が出るようになってから、想像していたアクバール様とあまりにも違うので、騙されていたと思ったんです!」
「オレは初めから騙してはいないと言っているだろう? オマエが勝手に思い描いていたのだろう?」
「……っ」
酷い。思い描かせていたのはアクバール様の方なのに、非があるのは私だけみたいな言い方をして。
「だからといって従者に魔法使いのフリをさせて、私にあんな卑猥な事をさせるなんて最低です! もう見損ないました! 本当に大っ嫌いです! 離縁してもらいますから!」
悔し紛れに私は嫌悪感と決別の意思をぶつける! それなのに彼は呆れたと言わんばかりに深い溜め息を吐いた。なにその態度は! 腹立たしい!
「離縁などしないと何度言ったら分かる? オマエがオレを愛していないのであれば、とっくにオレの声は失っている」
「うっ」
言われた事は尤もだ。確かにアクバール様に対して愛情が冷めているのであれば、呪いが舞い戻っている筈だ。でも私は認めたくなかった。こんな簡単に人を騙すような酷い人とこれからの先もやっていくだなんて。
「互いに愛し合っているのだから、離縁する必要はないだろう?」
アクバール様は決然と言い放った。なんて傲慢なの。私はすぐに「必要があります!」と、言葉を返そうとした時。
「思ったよりもいい根性をしているな、レネット」
そう言って綺麗に笑う彼の姿に、私は息を呑んだ。
「え?」
「漠然とした情報にも関わらず、諦めずに魔法使いを探し出そうとしていた、その根性だ。普通ならとっくに諦めているだろう。ましてオマエは箱入り娘で難なく暮らしてきた身だしな」
――な、なに急に褒めて!
思いがけない言葉を言われた私は動揺を隠せず、思わずはにかんでしまう。
「それとそう焦って魔法使いを探す必要はない。アイツは必ずオレの前へと現れる。なにせオレの声が元に戻ってしまっているからな」
「え?」
――それはどういう意味? 戻って来るって?
今の言い方だと魔法使いが誰か分かっているような言い方じゃない? え? え? 本当にどういう意味?私はポカンとして口を開けたまま、アクバール様を見返す。そんな私を見て可笑しいのか破顔した彼は寝台から、サッと離れて寝衣に手を掛ける。
「それだけの根性があれば、王太子妃としてやっていけるだろう」
「はい?」
尻目で告げられた今の言葉はなんだったんだろう? 王太子妃って聞こえたんだけど? 次から次へと訳の分からない言葉を落とされて、私はどうしたらいいの?
「どちら様が王太子妃様なのですか?」
「オマエの事だ、レネット」
「……はい?」
なんのご冗談で? 私は間髪入れずに瞬きを繰り返す。その間にもアクバール様は軽やかな動きで着衣し、着終えた後、クスリと嫌な笑みを浮かべる。
「オレはシュヴァインフルト国、王位継承者のアクバール・ダファディルだ。宮殿で暮らしていた頃は王太子と呼ばれていた」
「え? ……え?」
――ちょ、ちょ、ちょっと待って? なに今の突然のカミングアウト!
宮殿? 王位継承者って何? アクバール様が王太子? 唐突過ぎて事情が呑み込めない! 突っ込みたいのに口がパクパクとしか動かす事も出来ない。誰かに話を止めてもらいたいのに、そんな事が起こる筈もなく、話は進んでいく。
「さて夜(よ)が明ければ、宮殿から従者達がオレ達を迎えに来る。これでここの生活ともオサラバだ。宮殿に帰ったら、王太子帰国の前夜祭を始めるか。翌日には結婚祝いの披露宴も挙げてもいいな。後 に待たせていた式も挙げよう」
「え? え? ……あの? お話が見えて……いない……のです……が?」
――王太子帰国の前夜祭? 結婚祝いの披露宴? 結婚式って?
見えない、話が全く見えないんだって! あ~もう! 考えれば考えるほど、頭の中は収拾がつかなくなり、考えの糸が絡み合ってパンクしそうになる。いきなり難解な迷路に放り投げられた気分だ。それなのに尚も話は進んでいく。
「次期に例の魔法使いが現れる。まぁ次にヤツを目にした時には息の根を止めてやるけどな。それまでに祭り事は終わらせておいた方がいいだろう。色々と忙しくなるぞ、レネット王太子妃殿」
最っ高に美しく嫌な笑みがアクバール様から波紋のように広がる。今、彼はなんと私を呼んだ? レネット王太子妃…………?
――え、え、えぇえええ!?
い、いきなり上質な言葉を叩きつけられたって、はいそうですか♪ なんて納得がいきますか! こんな事があって……? そ、それに、わ、私には王太子妃なんて荷が重すぎる! 無理無理無理です!
この気持ちの錯綜をどう表現すれば良いのだろうか。心の中でどんなに叫声を上げたところでも、驚愕の方が遥かに勝っていて声を発せられなかった。今のこの瞬間はそうだ! 現実ではない!
そう私は自分には言い聞かせていた。しかし、それは現実逃避に過ぎなく現実は甘くなかった。夜 が明けたら、アクバール様の言う通り、宮殿から華やかなお迎えが上がって来たのだ……。
その後は面白いぐらいにトントン拍子に事が進んで行った。色々と言いたい事はある。だけど、今はこれだけを言わせて欲しい……。「お願いですから、離縁して下さい!」もう本当に無理ですから!
