Prologue「―プロローグ―」
「レネット……」
彼の温かく大きな手が私の顔を包み込む。触れられた部分からジンワリと甘い痺れが胸の奥へと流れ込んできた。
――今の声は……アクバール……さ……ま?
私は打ち驚き耳を疑った。彼の声? それは有り得ない。今のは空耳だったのだろうか。しかし、ハッキリと目の前で耳にしたのだ。今この寝室には私とアクバール様の二人しかいない。
明かりを伏せた暗い室内の為、彼の表情は分からないのだが、寝台の上で仰向けになっている私の目の前には情熱を漲らせた双眸の光がハッキリと映っている。今、前屈みになっている彼から躯を覆われていた。
「今のお声はアクバール様ですか?」
「あぁ、そうだ」
私の問い掛けはすぐに返された。あぁ、やっぱり間違いない。「アクバール様」の声なんだ。そう思うと、なんとも言えない安堵感に優しく包まれる。思っていたよりも低く、そして甘く澄み通った彼の声に、私は胸の内を痺らせた。
――私の旦那様はこんなにも素敵な声をされていたのね。
美しい風采さながらの声に感動すら覚える。それはジワジワと胸の内に広がると、今度は喜びが湧き出る泉のように溢れ出る。やっと心も躯も一つとなった今宵、予想もしなかった出来事が起きたのだ。それは……。
――「彼の呪い」が解かれ、ようやく私は彼の声を聞く事が出来たのだ。
どんな有能な医師でも薬師でも魔導師でも、決して解く事が出来ないと言われてきた恐ろしい呪い、周りの人達から、ほぼ解呪は諦められていた。それが私との初夜で解かれるだなんて、まさに愛の力とも言う奇跡なのだろうか。
こんな素敵な事が起こるなんてこれは夢? 自分は夢でも見ているのかと訝しく思う。いいえ、頬をつねれば、しっかりとした痛みを感じる。あぁ、これは間違いなく現実なのだ。
――諦めずに信じてきて良かった。
目頭から熱いものを感じる。感動のあまり込み上げてきた涙は嬉しさの象徴だった。今までに何度彼の声を想像してきただろうか。想像をする度にいつしか彼の声が戻る事を夢みていた。その想いがとうとう報われる日が来たのだ。
良かった。本当に良かった。嬉しさのあまり、私は頬を包んでいる彼の手にそっと手を重ねた。すると彼から包まれている手に力が籠る。きっと彼も私と同じ気持ちなのだろう。重なり合う温もりがとても心地好い。
その温もりが、これからの私達夫婦の幸せな未来が約束されているように思えた。私は先程までの蕩けそうな甘美なひと時とはまた違う幸福感に満ち溢れ、大きく心を躍らせていた。
ところが……。
「これでやっとこの田舎暮らしともサヨナラだ。この二十年待った甲斐があったな。本当に感謝するぞ、レネット」
――え?
刹那、私は凍り付く。突然、降り落とされた意味深な言葉。それに只ならぬ剣呑を感じ取った。それからすぐに心臓の音がドクンドクンッと危険を知らせるように早鐘を打ち、冷や汗が流れる。
――なに今の……アクバール……さ……ま?