Loop9「命を懸けて愛する人を守ります」
剣呑な空気が躯に突き刺さるようにして襲ってきた。次の瞬間、キャメルが樹木から飛び降りた。けっこうな高さがあるというのに難なく着地し、身のこなしが軽やか過ぎる。あの高さからはさすがにオレでも飛び降りられない。
目の前まで来たキャメルとオレは対峙する。彼女はフードのついた真っ黒な外套に身を包み、美しい金色の髪はフードの中へと隠れている。あの金髪が太陽の女神のように彼女を輝かせて見せるのに、今は夜の闇化となっていた。
――キャメルからの殺気が凄い。
オレを殺すという言葉は本当のようだ。殺気だけで十分にオレの躯を突き刺している。
「オレを殺すって言ったか?」
「えぇ、言ったわよ」
オレの問いにキャメルはなんの躊躇いもなく答えた。そしてスッと外套の中から、キラリとした光るモノを取り出した。難なくキャメルが片手で構えるそれは剣だ! 取っ手部分が細微な浮彫で施された立派なもの。
そんな物を隠し持っていた事に驚くが、それよりも持ち方が手慣れている様子に、オレは目を見張った。剣を持つ事が許されているのは王国から認められた騎士だけだ。それはどの国でも一貫として守られている。
「貴女さすがね。こんな剣を目の前に突き出されて、逃げ出そうとも怯えたりもしないんですもの。実は見慣れているのかしら? それとも貴女も殺し屋だったりするの?」
キャメルはクスクスッと笑い、実に興味深げに訊いてきた。殺し屋として見られるなんて冗談じゃない、オレは元騎士だ。
「バカ言え、オマエと一緒にするな。オレは手を汚しちゃいねーよ」
「そう? 貴女の素性は気になるところだけど、ここでお別れとなるのだから、知る事も出来ないわね。そしてもう無駄話は終わりよ。貴女には死を覚悟する時間を十分に与えたわ」
「ふざけんな!」
オレは好き勝手な事を抜かすキャメルに怒号を上げた。その瞬間、キャメルはオレに向かって剣を振るってきた! 反射的にオレは躯を捩って攻撃をかわし、剣をもつキャメルの腕にガンッと拳を投げた。
鈍い音が響く。キャメルにはそれなりの痛みを与えたが、彼女は剣を落とさなかった。とはいえ、彼女にほんの少し隙ができ、その間にオレはさっき投げつけられたナイフを拾い上げた。
「そんなナイフで私に勝てると思っているのかしら?」
ナイフを手にするオレの姿を見たキャメルは鼻で笑う。
「やってみないと分からないだろ?」
と、オレはカッコつけたものの、かなり部が悪い事は分かっていた。せめてこちらの動きが有利であれば勝算もあっただろうが、キャメルとは互角……いや下手したら、彼女はオレ以上のスピードをもっている。
残るは体力か。キャメルが疲労して動きが鈍るまで闘うか。男の頃なら体力に自信はあったが、女となった今、どのぐらいの体力があるのか見当もつかなかった。体力に賭けるのはリスクが大き過ぎる。これは真っ向に闘って勝利する他ない。
「じゃあ、やってみましょうかね」
キャメルの言葉にオレはゴクリと息を呑んだ。
――本気で闘わないと死ぬ!
キャメルは剣を振り被り、夜闇を恐れない獣の如く疾走してきた。仄暗い街灯だけではキャメルの姿を完全に把握出来ない。オレは目を光らせ、耳を研ぎ澄ませ、彼女の動向を追う!
すぐに距離は縮められ、シュッと鋭い音と共に剣が来る方角を察し、オレはナイフで剣を交わす。思っていた以上にナイフには耐久性がなく、剣に押されていき、ギリギリと悲鳴を上げて震えていた。
――駄目だ! このナイフでは数秒しか持たない!
そうすぐに判断したオレはありったけの力で剣を弾いて離れた。嫌な事に気付く。キャメルとの腕の力の差が歴然と出ていた。オレの力は男の頃と違ってだいぶ劣っている。今のこの力ではキャメルに敵わない!
完全に死と隣り合わせの闘いとなった。動きも体力はほぼ互角であるのに、武器と力の差が大きい。それだけじゃない。キャメルは夜行性動物のように暗い視界だろうが、しっかりとオレの姿を捉えていた。
オレはほぼ攻撃する機会がなく、キャメルの剣をかわす事で精一杯だった。完全に追われてしまっている。キャメルの方は余裕が出てきたのか、どんどん勢いが増していく。オレの方は焦りもあって、かなり息が弾んでいた。
――本気でヤバイ、このままでは切られるも時間の問題だ! どうすれば!
その焦りと動揺が隙を作ってしまった。
――ガッ
「ぐあっ!」
凄まじい力で首全体が押さえつけられ、オレは苦痛の声を洩らす。キャメルが背後に立ち回って、オレの首を腕で締め付けるように押さえていた!
――ぐ、ぐるぢぃ……。
骨を折るような勢いできつく締め付けられ、息が出来ない! 抵抗するにも既に力を奪われている! もう意識がもう途切れそうだ。
――死ぬっ。
「ふふふっ、これで最後よ。サヨナラ、レ・イ・ン・ちゃ・ん」
キャメルの囁きに死が迎えに来たように思えた。
「きゃあっ!」
キャメルから苦痛の悲鳴が上がった。オレは最後に渾身の力を使って腕を無造作に振るい、キャメルの躯に傷をつけた。彼女から解放されたオレはゲホゲホと咳込みながら、必死に酸素を求める。
グッタリと倒れたい気持ちにも負けず、オレはキャロルへと向かって走っていく! それに気付いたキャメルは剣を構えて振り下そうとするが、それよりも早くオレはスライディングキックをお見舞いした。
足の方向感覚を失ったキャメルは見事に頽れる。地に躯を預けていたオレはすぐに立ち上がり、キャメルの剣を遠くへ蹴飛ばす。その間にキャメルがフラリと立ち上がるが、オレはドガッと彼女のみぞおちに一撃を食らわせた。
「ぐっ!」
キャメルから苦し気な呻きが洩れ、ダラリと体勢が崩れる。微動だに一つせずに地の上に倒れたところをみると、完全に気絶したようだ。
…………………………。
「ふぅー」
数秒経ってからオレは安堵の溜め息を零した。さすがにキャメルとの闘いは死ぬかと思った。彼女が殺し屋だと聞かされたのが、ほんの一時間も経っていない前の事で、それから当の本人と闘う事になるなんて、なんの運命の悪戯なんだ。
――キャメルを担いで騎士に預けなきゃな。
オレは倒れているキャメルの腕を引き上げ、彼女の躯を自分の肩に担ごうとした。
――ガッ!
一瞬、何が起きたのか分からなかった。しかし、すぐに背中からとんでもない鋭い痛みが走り、刃物かなにかで刺されたのだと察した。
――ま、まさか!
そのまさかだ。気絶している筈のキャメルが動き出し、オレの躯から乱暴に離れた。油断したと後悔したとこで遅かった。キャメルはよろめくオレの腹に足蹴りを飛ばし、躯が噴き飛ばされた。
さらに運悪く後ろに樹木があり、傷ついた背中が強く打たれる。オレは苦痛の叫び声を上げると、ズルズルと躯が沈んでいった。背中の激痛に意識が霞んでいく。とんだ油断だった。キャメルがまさか気絶したフリをして、ナイフを所持していたなんて。
「甘いねー子猫ちゃんは。私に止めを刺さなかった事が命取りになったわね」
彼女の言う事は尤もに思えるが、どんな悪党でもむやみやたらに命を奪うわけにはいかない。そう騎士の頃に教えられたし、まして今のオレは一般人だ。より命を奪う事なんて出来ない。
「憎まれ口も叩けないぐらい苦しいようね。でも安心して頂戴、すぐに楽にしてあげるから」
キャメルの高らかな声に背筋が恐怖に凍える。霞んでいる視界に振り上げられるナイフの姿が映った。
――もう駄目だ! 殺される!
オレは瞼を閉じて死を覚悟した!
…………………………。
「ぐっ! 貴様が何故ここに!?」
キャメルの驚愕した声で我に返る。まだオレに意識がある? 視界を開くと、そこには信じられない光景が映っていた。
――ライ!?
彼はキャメルの背後で彼女の持つナイフの手を押さえつけている。
――どうしてここにライがいるんだ? 確か王宮に向かった筈じゃ?
「オマエ、レインに何やった?」
ライが静かに口を開く。酷く恐ろしい声色だった。こんな声は初めてだ。
「何って……」
キャメルはドスの利いた声で、なにか答えようとする。その時、オレは気付いた。キャメルのライに押さえつけられていない、もう一方の手の中にキラリとした刃物が握られていた!
「見りゃ分かるだろうが! こうやって殺そうとしたんだよ!」
キャメルは躯を捩り、背後にいるライに向かってナイフを切りつける!
「危ない!!」
途切れそうになる意識を紡いでオレは叫んだ!
「ガハッ!」
呻き声を上げたのは……腹を抱えて蹲るキャメルだった! ライは切られるよりも先にキャメルの腹部にドカッと膝蹴りを入れたのだ! キャメルは打ち所が悪かったのか立ち上がれないようだ。
その間にライはナイフを取り上げ、さらに鞘から長剣を抜いてキャメルに向ける。磨がれた鋭い剣は夜闇も切り裂くようにギラギラと光っていて恐ろしい。そしてライは低音の声でキャメルに怒りを放つ。
「レインを殺そうとしたオマエだけは絶対に許さない」
「はっ、あんな凡庸の女の何処がいいんだか? あの女さえいなければ、オマエを利用して計画が成功したってのに! 邪魔をしたのだから殺されて当然だ!」
キャメルはライを睨むように見上げ、とんだ間違った逆恨みをぶつける。
「レインに何も罪はない。逆恨みもいいところだ」
「それで私を殺すのか? はっ! 騎士とはいえ、オマエも所詮殺し屋と何も変わりはない! 殺したければ殺せばいい! ほらっ殺してみろよ! ほらっ!!」
ライに楯突くキャメルは気が狂っているとしか思えなかった。そんなキャメルをライは感情が剥落した顔で見下ろしていた。
「許さない=殺すと誰が言った?」
「法で裁いてやるとか、そんなありきたりなセリフでも吐くつもりか? そういう甘い奴は後で泣いて後悔するという事を教えてやる!」
キャメルの言葉に嫌な予感が過った。それは刹那、的中した。
「ぐっ!」
ライから息を詰める声が洩れた。キャメルが足元に隠していた小型ナイフでライの足を突き刺したのだ! ライが苦痛に身動きが取れない間にキャメルは立ち上がり、オレの方へと全速力で走って来る!
――オレを殺そうとしている!
そう全身が警告する。背中の怪我が酷くオレは身動きが取れない。あっという間にキャメルはオレの前にまでやってきて、ナイフを振りかざす。
――殺される!
オレは全身に力を入れて視界を閉じた。その時、
「キャメル! オマエの相手はオレだ!」
「ぎゃあっ」
おびただしい悲鳴が上がり、オレは反射的に視界を開いた。
――ドサッ!
目の前に身を転がしながら苦悶するキャメルの姿が入った。
――な、何がどうなって!?
恐ろしさにオレはワナワナと震え上がるが、すぐに大きく温かなものに包まれる。
「レイン、大丈夫か! 背中から血が流れているぞ!?」
オレはライの腕の中にいた。酷い痛みも震えもあるというのに、不思議と不安が拭えていく。とても安心出来る腕の中だ。
「なんとか……大丈夫。それよりも……キャメルは?」
「彼女のアキレス腱を切った。もうこれ以上の好き勝手はさせない」
「ライ……」
オレの為に心を鬼にしてキャメルのアキレス腱を切りつけたのか。キャメルから今もなお毒々しい叫び声が出されていた。その声は痛みというよりは悔しさのように聞こえた。
「レイン、すぐに傷の手当てをするぞ」
「オレよりも……ライも……怪我を……しているだろ?」
「オレの方が軽い。先にオマエの手当てだ」
「それに……キャメルも……連れて行かなきゃ」
いくら腱を切られたとはいえ、あのキャメルをあのままにしたら、いつまた逃亡するか分かったもんじゃない。そこにバタバタとこちらへと向かって来る複数の足音が!
「セラス副団長!」
誰かがライの名を呼んだ。現れた王国騎士達だ。タイミング良く彼等が駆けつけてくれたようだ。そこでオレは極度な安心を抱いたからか、一気に躯の力が抜けていき、意識が遠のいていく。
「おい、レイン!」
ライの焦る声が聞こたような気がした。オレは大丈夫だと答えたかったのに、もう意識が深い微睡みの中へと沈んでいっていた……。
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――ん? 何処だ、ここ?
今、眠りから目覚めたようだ。まだふわふわと浮遊している意識で、辺りを見回してみると、自分が真っ白な世界に一人佇んでいる事に気付く。
――え? マジここ何処だ?
殺風景通り越して、妙な空間の中に閉じ込められているように見える。ブルッと肩が震え上がった時、目の前で眩い閃光が飛び散った。
「うわっ、なんだ!」
訳も分からなくオレは視界を閉じ、光を遮断した。
…………………………。
暫くすると眼裏に眩しさを感じなくなり、オレは恐る恐る視界を開く。
「?」
さっきと同様真っ白な空間だった。でもなにかが違う。なにかを感じる。
――この感覚……。
以前も感じた事のある気配を察して、オレは背後へと振り返った。すると身に覚えのある人物が立っていて度肝を抜かれる。
「貴女は……」
黒曜石のような艶やかな長い髪と赤紫の双眸をもつ浮世離れした神々しい姿のあの女神が立っていた。
「十日ぶりだな」
女神はオレと顔を合わせるなり、以前と変わらぬ無機質な顔で声を掛けてきた。
「もう会えないかと思ってたのに、どうしてまた? ……もしかしてオレ死んでないですよね!?」
考えてみればオレはキャメルから背中を刺されたんだ! 思っていたよりも深手であの世まで来てしまったのだろうか!
「大丈夫だ。とはいってもまだ意識は戻らぬみたいだが」
「えぇ!?」
大丈夫と言っておきながら、その後にサラッと怖い事言うなよ!
「落ち着け。時期に其方は目覚める」
「ホッ、良かった。それとライも無事ですよね!?」
「あぁ、死んではない」
「良かった。オレ、無事にライの命を守る事が出来たんだ」
オレは胸の内に安堵が広がり、目頭が熱くなる。
「其方が約束通りの時間までに幼馴染と身も心も結ばれたからな。もし条件を満たす事が出来なかった場合、彼はまた同じ死ぬ運命を辿っていた」
「ループする前のあの反乱軍が攻めてくる出来事は、やっぱりライがキャメルを王宮に連れて来てしまうから?」
「そうだ、其方が男だったあの世界で幼馴染はあの殺し屋と恋人同士となり、彼女の甘い誘惑に乗せられ、自分の部屋へ招くのだ」
「……まさかとは思いますが、そこでエッチな事はしていませんよね?」
「してたぞ。部屋に招くなんてそんな事だろうが」
「くぅうう~~~~」
な、なんだよ! ライの奴、ヤル事ヤッてたのかよ! 今日オレの部屋に来た時も、オレを食べたからもしかしてと思ったら!
「まぁ、色事をして丸腰のところにグサッと刺されたわけだ」
「え? まさかライはキャメルに殺されたんですか!?」