Truth4「一つとなる時」




 ダーダネラ妃は困惑しながらも、あの世の番人から言われた事を遂行すると決めた。まずは残留死霊となって下界へおり、異界からやって来た天神沙都の傍に憑いた。ダーダネラ妃の姿は誰にも、すぐ傍にいる沙都にすら知られる事はない。

―――すべてが沙都にかかっている。

 ダーダネラ妃はダンスのレッスンを懸命に受けている沙都を見守りつつ、下界ここへとおりる前に交わした番人との会話を思い出していた。星型の花々に囲まれるあの幻想的な場所にて。

「残留死霊とおっしゃいますが、誰かに私の姿は見えているのですか?」
「生憎オマエの姿は誰にも見えぬ」
「さすがに天神には見えていますよね?」
「いや見えぬ」
「ではどうやってマアラニの暴走を止めろとおっしゃるのですか?」
「毎夜、異界の人間にアティレルとマアラニの過去を見させる事だ」

―――過去を見させる?

 ダーダネラ妃はそれ・・がどういう意味なのか、眉根を寄せて考え込む。

「それは夢見…という事でしょうか?」
「そうだ。それにオマエもアティレルとマアラニの過去を知りたいであろう」
「それは勿論です。出来事を知らなければ、道も開けませんので」
「夢見はあくまでもアティレルとマアラニの出来事を知らせるメッセージに過ぎない。その意図に気付くかどうかは異界の人間にかかっている」

 番人の言いたい事は理解出来るのだが…。

「姿を現せられない事がとても痛いですね」
「今のオマエは死人のようなもの。姿を見せられないのは当然だ。だが、マアラニを正気に戻せば、ヤツと融合が出来る」
「そう……ですか」

 「融合」、その言葉がダーダネラ妃の心に重く圧し掛かった。マアラニと融合をすれば、今の自分とは全く別人になるのではないかと懸念があったからだ。とはいえ、下界で生きるにはマアラニと融合する道しか残されていない。

―――マアラニとして生きても、道は険しいけれど。

 今、マアラニはオーベルジーヌ国の妃に呪いをかけた恐ろしい魔女として、処刑される身となっている。そのような魔女と融合したところでも、明るい未来は望めない。しかし、このままでは一番大切な陛下の心を救う事も出来ない。

 陛下はダーダネラ妃が亡くなってから、胸の一番奥深くに慟哭どうこくを秘め、その思いを決して人には見せまいと一人で背負っている。ダーダネラ妃は陛下をそのような状態のままにさせておきたくはなかった。

 例えマアラニの姿になったとしても、生きている事を陛下に知らせたいと願っていた。その為、希望となる沙都に毎夜、アティレル陛下とマアラニの過去の出来事を夢見させていた。

 共にダーダネラ妃も夢の映像を見ていたが、何処か他人の出来事に思えてしまい、これが本当に自分の身に起きた事なのか違和感さえ覚えていた。そして夢の世界を見るには必ず沙都と陛下の性交渉を見なければならない。

 愛する男性ひとが他の女性を抱く姿を目にする、身が切られそうな思いではあったが、ダーダネラ妃は知っていた。陛下が自分との御子を守る為に、沙都を抱き続けているという事を。

 その陛下の心を知っているが故に、ダーダネラ妃も自分の気持ちを押し殺していた。これは自分と陛下だけが抱いている秘密の思い。すべて自分が最後に残してきた陛下との愛の絆シャイン殿下の為である。

 毎夜明かされていくアティレル陛下とマアラニとの関係。二人は本当に心の底から深く愛し合っていた。そう、まるでアトラクト陛下とダーダネラ妃が刻んだ愛の歴史のように。アティレル陛下はアトラクト陛下と同じく、とても愛情深い男性であった。

 ダーダネラ妃は二人の姿を見ていく内に、他人であると思っていたマアラニに対して親近感を抱くようになり、やがて彼女が分身であると自覚するようになっていた。

 その頃からだ。ダーダネラ妃の中である思い・・・・が芽生えてきていたのは。それはとんでもない覚悟・・といえ、一歩間違えれば永遠の後悔を生む。それでもダーダネラ妃はその覚悟に賭けると意を決していた。

―――きっと陛下であれば、私のこの願い・・・・を叶えて下さる。

 そう・・信じて……。

「とても上達なさいましたね、沙都様」

 沙都を褒める声が耳に入り、ダーダネラ妃は我に返る。沙都は日々王族が行うハードスケジュールを熟していた。周囲の人間も彼女の頑張りに感嘆の声を洩らしている。そのように頑張っている沙都が次第に陛下へ惹かれていく様子に、ダーダネラ妃は心を痛めていた。

 ところが、その恋愛沙汰も変化を遂げていく。いつの間にか沙都の中には陛下と同じくオールの存在が大きくなっていたのだ。その想いはオールの胸の内でも同じ事が起きており、二人は互いに恋が芽吹いていた。それがダーダネラ妃にとって心の救いとなった。
 それから暫くしての事だ。エヴリィが気付いた・・・・。アティレル陛下と魔女マアラニの関係に。それから事が上手く運ばれていく。一番危惧されていた沙都の神力も開花され、残るはマアラニの元へ行くのみ。その手段は実に慎重に行わなければならない。

 沙都でなければ、マアラニと向き合う事が出来ないと言われているが、彼女は陛下とダーダネラ妃の御子を身籠っている。とても無理な話ではあるが危険に晒す事も出来ない。エヴリィも好機の狙いに苦戦しているようであった。それから時は刻々と過ぎていく…。

―――感じる、魔女マアラニが近くにいる。

 次第にダーダネラ妃はそう感じるようになっていた。それはエヴリィも同じく感じていた。二人はマアラニが動き出す予兆・・と予期していた。それは間もなくして本当となる。一人テラスにいた沙都をマアラニは大胆不敵にも、自分の世界へと連れ去って行ったのだ。

―――ようやく時が来た。マアラニと融合する時が…。

 渦巻く海の中へと呑み込まれていく沙都と共に、ダーダネラ妃は覚悟を決めた。

◆+。・゜*:。+◆+。・゜*:。+◆

 マアラニは完全に自我を忘れ、狂気へと陥っていた。それだけ彼女の悲しみは計り知れない。そんな彼女とまともに話など出来ず、かといい戦って彼女の命を落とすような事があれば、ダーダネラ妃は生きて下界へ戻る事が出来なくなる。

 事態は思わぬ方向へと行く。エヴリィが瀕死状態となり、続いて沙都を庇おうとオールの命が絶たれそうになった。マアラニの思いを救う為に大事な者達の命が奪われていく、ダーダネラ妃にとって全く望んでいない事態を招いた。

 彼女の心が絶望色に染まりかけたその時、窮地を救ったのはアトラクト陛下であった。ゼニス神官と現れた陛下にはアティレル陛下の頃の記憶が蘇っていた。まさにそれは奇跡と呼べよう。

 ようやくマアラニはアティレル陛下の生まれ変わりアトラクト陛下と向き合う事が出来た。……だが、今のマアラニの状況下では陛下と寄り添う事は許されない。共に生涯を歩むにはダーダネラ妃がマアラニと一つとなる他ない。

 ところが、ダーダネラ妃は自分がマアラニと同一だと明かさずに陛下達と別れてしまったのだ。それも永遠の別れの言葉を残して……。彼女は時の人物なって人々の心の中で生き続ける事になった……。

 …………………………。

 …………………………。

 …………………………。

「アティレル陛下……」

 魔女マアラニは一人取り残され、その場で佇んでいた。ダーダネラ妃と別れた後、彼女はアトラクト陛下達とも別れを迎える事となった。陛下は最後マアラニに告げた言葉がある。「私に出来るのは其方の命を守る事だけだ。それ以上の事は何もしてやれぬ」と。

 ようやくアティレル陛下の生まれ変わりのアトラクト陛下と巡り逢う事が出来たのだが、マアラニは取り返しのつかない罪を犯し、陛下と結ばれる道は絶ってしまった。それは絶望の何ものでもない。600年もの待っていた歳月も何の意味ももたない。

 それでも今こうやって生きている事は幸福と言えるのだろう。自分の手で殺めてしまったダーダネラ妃に生かしてもらったこの命なのだが……もう決して陛下と共には生きられない、その打ちのめされた思いを抱え生きていかなければならないのだ。

 これこそマアラニに対する罰と言えるのではないだろうか。彼女は自身にそう言い聞かせていた。自分はそれだけの罪を犯したのだ、そう理解しているつもりであったのだが、彼女の頬には涙が止めどもなく流れていた。

―――アティレル陛下、アティレル陛下、アティレル陛下……。

 マアラニは心の中で何度も何度もアティレル陛下の名を呼んでいた。今どんなに後悔したところでも、彼女が望む事は起こらない。マアラニは両手で顔を覆い、嗚咽を上げながら涙を流し続ける。

 …………………………。

―――マアラニ、どうか泣かないで。

「え?」

 何処からともなく下りた声にマアラニは顔を上げた。気にせいであろうか?マアラニの耳に穏和な女性の声が聞こえたような気がした。

―――貴女は泣く必要がありません。

 マアラニの悲しみを包み込むような温和な声色である。

「え?この声は……まさか?」

 マアラニは声の主が誰であるか気付き、息を切った。

「ダーダネラ様?」

 名を零すとマアラニの前にその人物が現れた。揺蕩う光に包まれて浮遊しているダーダネラ妃の姿があり、マアラニは双眸が零れ落ちるのではないかという程に目を見開く。

「何故、ダーダネラ様がいらっしゃるのですか?」
「マアラニ、どうか私の話を聞いて、そして信じて。私は貴女から生まれた二分化の片割れです」
「え?」
「貴女は私。私は貴女。私と貴女は同一の存在なのです。ようやく一体化となる時を迎えました」

 ダーダネラ妃の口からとんでもない真実が告げられる。マアラニは驚きのあまり言葉を失うが、次第に真実を理解していく。やがてダーダネラ妃とマアラニは互いを受け合い、一つとなった……。

◆+。・゜*:。+◆+。・゜*:。+◆

―――ここは?

 不思議な感覚に身を包まれ、瞳を開いてみると……見覚えのある地に立っていた。星形の幻想的な花が広がっている。ここはあの世・・・だ。
―――どうして私がここに?マアラニと一つになったのでは?……もしかして融合が上手く行かなかったの?

 ダーダネラ妃が不安に身を震わせた時だ。何か・・違和感を覚えた。視線を落として自分の躯を凝視する。……髪の色が、肌が、服装が変わっている。ダーダネラ妃でもマアラニとも言えぬ違う姿。

―――融合は上手く行った?では何故、死後の世界に来ているの?

 ダーダネラ比の不安は募るばかり。

「融合が上手く行ったようだな?」

 聞き覚えのある声から問われ、ダーダネラ妃はホッと安堵を抱いた。隣に視線を巡らせると、例の番人・・が立っていた。

「貴方……。やはり私はマアラニと融合したのですね。ですが、ここに来てしまっているのは何故でしょう?」
「安心しろ。死んだ訳ではない。融合によって一時存在が不安定になっているだけだ。時期に下界へと送られる」
「そうですか、安心を致しました」

 ダーダネラ妃から不安の色が取り払われる。そんな彼女に番人は、

「随分と思い切った行動に出たものだな。このまま相手の生が尽きるまでに、気付かれずに終えたらどうするつもりだ?」

 皮肉を帯びた笑みで問う。ダーダネラ妃は番人が何を言いたいのか、すぐに察した。彼女はあやふやな面持ちをしており、それはうべなっているのか否なのか、いまいち読む事が出来ない。

 やがてダーダネラ妃は口元を綻ばせた。それに番人は訝し気に目を細める。心が甘美に蕩けてしまうようなダーダネラ妃の美しい笑顔も、番人の前では何も変化がない。生まれた時から彼には美しさを愛でる感情が存在していないのだから。

「そうですね、望まない物語にならない事を祈る外ありません」

 結果、こうダーダネラ妃は答えた…。

「オマエは…」

 愚か者なのか……そう番人の喉元から零れ落ちそうになったが、彼は寸前で抑え込んだ。

―――それだけ相手を信じている・・・・・・・・と言う事か。

 番人はダーダネラ妃から視線をそばめて遠くを見渡す。辺り一面に幻想的な花が咲き乱れており、花の形は星型で中心部には煌々とした光を宿している。全体的に通して見れば、星空のように美しいのだが、目を凝らして見れば力強かったり儚かったりと、光の強さは花によって異なっていた。

「いつ見ても幻想的で美しい花々ね。あれらは命の灯だというのが信じられないわ。暫くは見られないでしょうから、瞼に焼き付けておきましょう」

 独り言のように呟いたダーダネラ妃だが、彼女の言葉を耳にした番人は嘆息した。

「もう時間だ。オマエは戻れ・・
「わかりました。あの…」
「なんだ?」
「最後にお会いする事が出来て良かったです。またいずれお会いするのでしょうが」
「その時はオマエが誰か分からんだろうな」
「え?」

 番人の言葉にダーダネラ妃は可愛らしい表情で首を傾げていた。今のはどういう意味であったのか、彼女は思考を巡らせる。

―――今のって……そういう事!次に私がここに来る時は年を取って、姿が変わっているから分からないと言いたかったのね!

「それは少々失礼ではありませんか?」
「本当の事だ」

 皮肉ばかりを言う人だと、今度はダーダネラ妃が呆れて溜め息を零した。そんな彼女の様子を目にした番人がボソリと言う。

「…オマエのような厄介者が以前にもいたな」
「そうなのですか? 」」

 ダーダネラ妃は少しばかり目を瞠った。この番人がらしくもない・・・・・・話題を持ち掛けてきたからだ。

「オマエと同じく王族の人間だった」
「その方の名を憶えていますか?なんという方でしたか?」

 王族と聞き、親しみが湧いたダーダネラ妃は興味深く問う。だが、

「…………………………」

 番人は記憶を辿ってみるのだが、なにせ何百年もの前の事ですぐに呼び起こせない。

「確か名はサラテリ・アジュールと言っていたな。オマエのように願望を聞き入れろと煩わしい人間だった」
「え?」

 ダーダネラ妃は番人から口から出た人名に腹の底から驚駭(きょうがい)した。

―――まさか本当に知っている名であったとは。

 ダーダネラ妃とは違う年代で時を過ごしていた人物である為、直接の繋がりはない。だが、彼女にとってサラリと流せる人物ではなかった。

「それではなんて貴方に要望を出してきたのですか?」

 ダーダネラ妃は立ち入って聞ける話ではないと分かり切っていたが、訊かずにはいられなかった。

―――どうせ彼は答えてくれないであろう。

 そう予測していたのだが、意外にも番人は答えてくれたのだ。

「後世に残したいものがあると言っていた。それは……アティレルとマアラニの物語を綴った本だ。それは時を経て、マアラニと一つとなったオマエとアトラクトが再び出会って恋に落ちるところまで綴られている。まさにあ奴の願いを込めた本という訳だ」

 その内容にダーダネラ妃の心が揺れ動いた。

「彼は何故、ダーダネラとマアラニが同一だと知っていたのですか?」
「ヤツの魂は600年もの間、ずっと彷徨っていた」
「え?」
「成仏したくても出来ずにいたのだ。それだけあ奴の心は罪の意識に縛られていた」
「……そうだったのですか。彼はとんでもない歳月を苦しんできたのですね。彼の残してくれた本も、大きな望みの一つとなりますね」
「オマエの賭けと一緒だな。気付かれなければ意味をもたない」
「そうですね」

 ダーダネラ妃は相槌を打ったが、その心境を番人には汲み取れなかった。それよりも時間が迫っていた。番人は再度ダーダネラ妃に戻るよう催促をかける。

「さぁ、もう行け。これ以上オマエはここにはおれん」
「……最後に貴方のお名前を教えて下さい」
「今更か?」
「良いではありませんか。最後の手土産です」
「意味がわからん。……ヒュアランだ」
「ヒュアランですか。ではまたいずれお会いしましょう」





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