Truth3「王妃と魔女の秘密」




「ダーダネラとマアラニの関係だと?」

 陛下の黄緑ペリドット色の宝石ひとみが大きく揺れる。

「さようです」
「それはどういう事だ?」

 混乱は深まるばかり。目の前の女性は確かにマアラニと認め、彼女の面影を感じさせつつも、何故かダーダネラ妃ととても近しい容貌をしていた。陛下は彼女を訝し気に凝視する。

「はい。まずは……」

 彼女は陛下の疑念を晴らすかのように柔らかな声色で語り出す。そして事はダーダネラ妃の死期に遡る。今から二年と少し前の事。陛下とエヴリィに見守られ息を引き取ったダーダネラ妃は天へと召された。

 人間は命が尽きれば死の世界へと行き、そこで浄化を受け来世に旅立つと言われている。ところが、ダーダネラ妃の場合は例外であった。その理由は…。彼女は息を引き取った後、確かに死の世界へと導かれた。そこは澄み渡った青緑色エメラルドブルーの神秘的な世界。

 オーベルジーヌ国の海を彷彿させ、ダーダネラ妃に安らぎを与えた。とはいえ、殺風景で草花一つも生えていない。そこに突如現れた人物が……果たして人と言えるのか疑問であったが。

 男性だろうか。身長の高さだけで見たらそう思えた。少し青みのかかった透明感のある白い髪は彼の踵よりもずっと長い。耳はとんがっており、明らかに人間とは異なる。衣服はオーベルジーヌ国の王族が着るような上質な素材のものを纏っているが、模様の一つもない無地シンプルなもの。

 そして顔立ちがとても美しかった。アトラクト陛下のように煌々と輝く麗しさではなく、秘境の地にひっそりと身を隠す風光明媚のような美しさ。物静かに佇むその姿は何処かしら妖艶に映る。

 そんな人間離れした不思議な彼に、ダーダネラ妃は気後れする気持ちが生じたが、今は目の前の彼しか頼れる者がいない。彼女は迷わず声を掛けようとしたのだが、それよりも先に相手から話しかけられた。

「オマエはなんだ?」
「ダーダネラ・ノティスです」

 ダーダネラ妃は「誰だ?」ではなく「なんだ?」と問われた事に違和感を覚えたが、ここは無難に名乗っておいた。しかし、相手はすぐに顔を歪める。

「名を聞いたわけではない」
「なんだと言われましても、問われている意味が分かり兼ねます。それにまずは人に問う前に、ご自分が何者なのかおっしゃるべきではありませんか?」

 ダーダネラ妃の言葉に、相手は実に煩わしそうに顔を顰め、それから軽く溜め息を吐いた。

「私はこの世界の番人だ」
「この世界というのはここは死後の世界ですか?」
「そうだ」
「番人の貴方はここで何をなさっているのです?」
「死者の魂を浄化させ、来世へ送り出している」

 あぁ、やはり自分は死んだのだと、ダーダネラ妃は改めて実感した。

「何故、オマエはここへやって来た?」
「何故って…死期を迎えたからではありませんか」

 ダーダネラ妃は眉根を寄せて答える。番人と名乗った男の意図がまるで見えない。

「オマエはこちら側・・・・の人間ではない」
「?……それはどういう意味でしょうか?」

―――こちら側・・・・の人間ではないと言われても、私は天へと召された。それにここは死後の世界なのでは?

 ダーダネラ妃はやや茫然となっていた。何かの手違いで別世界にでもやって来てしまったのではないかと困惑する。だが、番人から冷ややかな面差しを向けられ、終いには盛大な溜め息まで吐かれた。

「そもそも何故、二分化・・・している?」
「あの……おっしゃっている事すべてが私には理解が出来ないのですが」
「はぁー」

―――なんなのこの人は。……「人」と呼べないのかもしれないけれど…。

 思わずこちらが溜め息を吐きたいぐらいだと、悪態ついてダーダネラ妃は相手を注視する。

「……どうやらオマエ自身が全く気付いていなかったようだな。そもそも知らずにこの世へやって来たのか。それも片割れによって命を絶たれてやって来たとは例外も例外だ」
「…………………………」

 この時点でダーダネラ妃は完全に口を閉ざしていた。これ以上突っ込んだところでも、番人の言う意味は何も理解出来ない。であれば話が見えてくるまで口を噤んでいようと思ったのだ。

「……なるほど。実に面倒な案件だ」
「片割れが生きている限り、こちらの世界へと行かせる訳にはいかぬ」
「如何なる理由があれど、あちらの世界に戻らせなければ」

 ところが一向に待ったところでも、番人の話は全く見えないままであり、とうとうダーダネラ妃は痺れを切らしてしまう。

「…あの、私に分かるようにお話し下さいませんか?」
「率直に言おう。ダーダネラ・ノティス、オマエは死者ではない。生者(しょうじゃ)だ」
「何をおっしゃるのです?私は確かに…」
「二分化した片割れが生きている限り、オマエを死者として扱いが出来ぬ」
「あの先程から二分化とか片割れとかおっしゃいますけど、私には何の事だかさっぱりと分かりません」
「あぁ、オマエは知らなかったのだな……それは片割れも一緒のようだが。オマエは……その前にだ、一つ先に話をしておく事がある」
「何でしょうか?」

 何の前触れもなく青緑色の景色が切り替わる。辺り一面には幻想的な花が咲き乱れ、花の形は星型で、その中心部には光を宿した何とも幻想的な雰囲気が広がっていた。

「事はある魔女・・・・とオーベルジーヌ国を黄金時代へと築き上げた国王アティレル・ノティスの悲恋話から始まる」
「え?」

 ダーダネラ妃の心臓が大きく波打った。魔女が人間と?それも国王陛下と恋仲になるなど、いやそれよりもダーダネラ妃が驚いたのは「アティレル陛下」という名を聞いて心が騒ぎ立った。

 アティレル陛下はダーダネラ妃が最後まで愛してやまなかったアトラクト陛下と瓜二つの彼の祖先に当たる。そしてアティレル陛下は生涯誰とも婚姻を結ばず、王位継承権を放棄した異例の人物でもある。

―――まさかとは思うけれど……。

 ここでダーダネラ妃は重要な事へと思い当たる。

「アティレル陛下が生涯誰とも愛をお交わしにならなかったのは、その魔女との愛を貫く為だったのですか?」
「そのようだな」
「まさか本当に?」

 ダーダネラ妃は驚きが隠せなかった。ただあの時代は今とは異なり、魔女や魔法使いという生き物も難なく人間が暮らす世界まで姿を現せた。アティレル陛下は何処かで魔女と出会って恋に落ちたのだろう。

「何故、二人は悲恋に終わってしまったのですか?」
「アティレルの側近達に猛反対を食らって阻まれたようだ」
「そう……だったんですね」

 いくら魔女達が地上に出やすかったとはいえ、人間との垣根までは崩せなかったのだろう。阻まれて終えた恋はアティレル陛下の一生涯の恋にしてしまったようだ。失ったものほど人は美化して胸の内で息づいてしまうもの。

「アティレルはその後、魔女を想いながら死期を迎えた。だが、未だに魔女の方は生きている」
「ですがアティレル陛下の時代から、既に600年もの月日が経っておりますが?」
「魔女の寿命は人間よりも遥かに長い。……話を戻そう。魔女はアティレルが世を去ってから、彼が生まれ変わるのをずっと待ち続けていた」

 ダーダネラ妃は心臓の音に酷く打たれ、息苦しさを覚えた。

「な、なんですって?……まさかと思いますが、アティレル陛下の生まれ変わりがアトラクト陛下であったなんておっしゃいませんよね?」
「そのまさかだ」

 ダーダネラ妃は言葉を失う。喉元が何かに執拗に纏わりつかれ、上手く言葉が発せられない。ただ一つ彼女の中で、とんでもない事柄が浮かび上がった。それが事実であって欲しくないと心の底から願う。

「もう一つお訊きします。その魔女というのは私に呪いをかけた魔女ではありませんか?」
「察しが良いな。その通りだ」

 ダーダネラ妃の願いは見事に決壊され、目の前が真っ暗闇に染め上がる。彼女の心に大きく絶望が圧し掛かる。

「やっと、やっと……腑に落ちる事が出来ました。何故、私に呪いがかけられたのか、それも分からずに私は息を引き取りましたので」
「なんとも皮肉な話だな。自分で生んだ片割れの命を絶つというのは」


 ダーダネラ妃は不穏の色を滲ませる。会話が噛み合わず、それも番人が妙な言葉を言い始めたからだ。

「?……あのそれは先程もおっしゃっていましたが、どういう意味ですか?」
「言ったであろう?オマエは二分化された人間だと。オマエはオマエに呪術をかけた魔女マアラニと同一なのだ」
「失礼ですが、貴方の気は確かでしょうか?」

 真顔で語る番人に失礼だと思いながらも、ダーダネラ妃はこう・・訊かずにはいられなかった。
「オマエはマアラニから二分化されて生まれた世にも珍しい人間だ」

 番人は真剣に言葉を返している。彼の言う事は紛れもなく真実なのだろう。

「い、意味が分かりません。そんな事があって!」
「あるから告げている」
「そんな事、魔女だから出来るというのですか!」
「魔女とて二分化は稀な事だ」
「何故そのような事が起きたのですか!」
「アティレルが生まれ変わるまでの歳月、魔女は寂寥感せきりょうかんに押し潰され、己も知らぬ内に別の自分を生み出した、と考えるのが無難だろうな」

 番人に食い下がっていたダーダネラ妃だが、魔女の寂寥感という言葉を耳にした時、勢いを鎮めた。魔女はいつ転生するのかも分からぬ相手をずっと待ち続けていたのだ。それも600年という歳月をかけて。だがそれに憐情を抱けても、二分化という話は信じ難い。

「二分化だなんて信じられません。そもそも私は普通の人間でした。人間の両親から生まれています」
「マアラニは人間に憧れていた。人間であれば、それも身分のある女に生まれていれば、アティレルと生涯を共に歩む事が出来たと切望していたからな。その願いがオマエという形を生み出したようだ。確かにオマエの両親は普通の人間だった。その両親の間に生まれた赤子の魂に、マアラニの分身が宿ったのだ。つまりそれがオマエだ」
「は?」

 ダーダネラ妃は頭では信じ難い話であると思っても、現実味が帯びてくるのを感じていた。同時に心臓の音が妙に生々しく鼓膜を刺激する。

「わ、私はすぐにアトラクト陛下と恋に落ちた訳ではありません。他の男性とも恋をしました!もしかしたら陛下でない方と結婚をしていたかもしれませんし!」
「だが、最終的にオマエはアトラクトを選んだではないか」
「そ、それは陛下が素敵だったからです!」

 ボワンッと陛下の姿を思い浮かべたダーダネラ妃はまるで初めて恋を知った女子おなごのようであった。

「惚気はいらん」

 番人から透かさず鋭い突っ込みが入ったが。

「惚気ておりません!事実を言ったまでです!」
「オマエが信じようと信じまいが事実は事実だ」
「では事実として話を進めましょう。であれば、魔女は何故自分で生み出したこの私に呪いをかけたのです?おかしい話ではありませんか?」 「マアラニも知らぬ内にと言ったであろう。それにオマエはマアラニが恋い焦がれていたアティレルの生まれ変わりと将来を誓い合った女だ。少なからずオマエに対する嫉妬や憎しみから、マアラニが冷静さを失っていたというのもある」
「そんな……」

―――私があの呪いをかけた魔女自身だなんて、そんな事が……。

 ダーダネラ妃は頭を抱えたくなっていた。身に覚えのない出来事を受け入れろだなんて無理な話。それも二分化を起こしたマアラニ本人ですら自覚がないのだ。どの局面から見ても信憑性に欠ける。

「どうしたら互いが同一だと認識する事が出来るのですか?」

 ダーダネラ妃は縋るように番人へ懇願する。

「まずはマアラニを正気に戻す事だ。アイツはもう自我を忘れ暴走している。あのまま野放しにしていれば、いずれオマエの愛した者達もここへ来る事になるぞ」

 番人はサラリと告げたが、ダーダネラ妃は血の気が引く思いがした。愛した者達と聞いて真っ先に思い浮かんだのは…。

「魔女は陛下やシャインまで手を掛けると言うのですか?」
「このままでいけばいずれな」
「ですが、私はこちらの世界に来てしまっていて、どうする事も出来ません」

 愛する者達をこの手で守りたいと思っても、死人となった自分には手の施しようがないのだ。
「オマエは本当に稀な人間だな」
「あの話が噛み合わない返答はやめて下さい」

 ダーダネラ妃は半ば苛立ちを番人へとぶつけていた。

「下界にオマエと実に近しい人間がおるな」
「え?」
「それも異界から来た人間だ」
「もしかして天神の事をおっしゃっているのですか?」

―――何故、ここで彼女が出てくるの?

 ダーダネラ妃は呆気に取られて番人を見つめ返す。

「オマエ達がどう呼んでいるのかはわからんが、その近しい人間の傍にオマエを送ろう」
「それはどういう意味ですか?」
「オマエはまだ死んでおらんが、残留死霊という形で下界へと送る。常に天神という人間の近くにおり、マアラニを正気へ戻すのだ」
「な、なんですって?」





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