Truth1「我が主の為に」




―――西の大国シュヴァインフルトにて。

「まさか本当にやって来るとは」

 感心と驚きの色を含んだその表情さえも至極美しく、まさに「芸術の宝庫」と謳われる国だけに崇高美と呼べる人物を間近にしても、不遜な態度を向けている者がここに一人。

「冗談で他国の謁見の間までやって来るわけないだろ?」

 その者は相手が天蓋付き豪奢な玉座に腰掛けているにも関わらず、不平不満を抱いて文句を飛ばした。すると、相手の心にも負けじの炎が燃え始める。

「そもそもこちらは謁見を許した覚えがないんだけど?」
「なにもオマエに謁見しに来た訳じゃない。アクバール陛下にお会いしに来たのに、なんでオマエが玉座に腰掛けているんだ!クレーブス!」
「あ~煩い煩い。相変わらず子供っぽさが抜けてないんだね、エヴリィは」

 クレーブスと呼ばれた男はエヴリィを邪険にあしらう。彼は溜め息一つでもしなやかというのに、どうも言動が伴っていないような……と、思っているのはエヴリィのすぐ後ろに佇んでいる沙都とオールであった。

 少々話には聞いていたが、思っていた以上に目の前の二人は幼いようだ。沙都は隣に立つオールをチラッと見遣ると、視線に気づいた彼と目が合う。口にこそ出さないが、互いが全く同じ思いを抱いているという事は表情が物語っている。

「陛下に至急申し出たい事がある。どちらにいらっしゃる?」

 痺れを切らしたエヴリィは単刀直入にクレーブスへ問う。

「陛下はお忙しい身だ。知っているだろう?我が国は新制度導入に伴い、せわしない日々に追われている」

 クレーブスから戯れる様子が消え失せ、肩肘張る雰囲気が流れる。その豹変ぶりはエヴリィ達に緊張を走らせた。クレーブスの言う新制度とは魔女や魔法使いを人間社会へと受け入れる事であった。

 ここ近年、人間と魔女達は互いの世界に踏み入れるが無かった。魔物の存在が魔女達に多大な影響を及ぼし、魔女達はおのずと身を潜めるようになったからだ。だが、このシュヴァインフルト国で起きたあの事件・・・・が発端で、魔女達との垣根が撤退されつつある。

 とはいえ、その制度を完全に受け入れている他国はまだ存在していない。魔女達の魔力は人間よりも遥かに凌駕する為、人間社会へ悪影響を及ぼす危険性がある。この制度に関してはまだまだ時間が要するであろう。

 そんな事情があり、新制度を取り入れたシュヴァインフルト国だからこそ、沙都達はここまでやって来たのだ。この国ではなければ、沙都達の申し出・・・・を受け入れてもらえないと。

「知っているに決まってるだろう。それを理解した上でここへ来ている」
「へー」

 クレーブスは納得したのかしていないのか、よく分からぬ呟きを零した。それからやや間が流れると、

「そしたらエヴリィ、君が跪いてオレの足に口づける事が出来たのなら、申し出を聞こうじゃないか」

 またクレーブスの口から、とんでもない条件が出された。

「は?オマエ正気で言ってんの?」

 エヴリィはクレーブスを異常者とでも言うように顔を顰めるが、当の本人は顔色の一つも変えずにシレッとしていた。

「申し出がそれほど大事だと言うのであれば、それぐらいの事は出来るかと思うけど?」
「話にならない」

 エヴリィは言葉を吐き捨てるように返した。

「別に聞き入れなくても、こちらとしては構わない。……ただ一向に陛下と話が出来ないままになるけどね?」
「こっちはオマエの戯れに付き合っている暇はない!」
「こっちだって同じさ」
「オマエは個人的なオレへの恨みで卑劣な事を言っているだけだろう!」

 エヴリィとクレーブスの間になんとも言えぬ強烈な火花が閃光する。この二人、学院時代からのライバルであり、学年は離れていたものの、学院一を争っては連戦を繰り返していた。

 中でも二人が激戦となっていたのは恋愛面。どちらが意中の彼女の心をゲット出来るか、深刻な対立もあったとか。そのライバル心は学院を卒業した今でも続いているようだ。

「オレは真面目に言っている」
「何処がだ!」

 エヴリィとクレーブスの亀裂は益々深まるばかり。そんな二人の様子を見つめる沙都とオールは口を挟む事が出来ずに困惑していた。

「じゃぁ、申し出は聞き入れないという話で失礼させてもらおう」

 一向に進まない会話にクレーブスは余儀なく打ち切り、その場から立ち上がった。そこにエヴリィが身を乗り出して抗議する。

「待て!話は終わっていない」
「オレの足に跪いて口づけるのかしないのか、それだけの事なんだけど?」
「…っ」

 エヴリィは逡巡していた。申し出が自分の事であれば、とっくに踵を返しているとろだが、今回ばかりはそんな勝手な真似も出来なかった。沙都やオールも一緒に来ている。それだけこの申し出は大事・・なのだ。

 …………………………。

 時間ばかりが過ぎていく。顔を伏せ逡巡するエヴリィの後ろ姿を目にしていて、沙都もオールもエヴリィが思い詰めている様子に気付いていた。二人は申し出を何としてでも聞き入れてもらうつもりでいたが、沙都はここまでエヴリィが追い詰めて条件を呑む必要はないと思っていた。

 彼女はオールに視線を向けると、彼は静かに頷いた。彼には沙都が何をしたいのか察したのだ。それから沙都はエヴリィの隣に並び、声を掛けようとした……その時だった。

―――ギィ―――。

 何の前触れもなく出入口の扉が開かれ、沈黙に支配されていた広間へ響き渡る音に注目が集まる。そして、そこにいる誰もがハッと息を切った。優美な足取りでこちらへと向かって来るその人物は存在そのものが明らかに他者とは異なっている。

 純白の雪のように光り輝くプラチナの髪、夕日が誘うような琥珀色の双眸、何処を目にしても透明度の高い美が散りばめられ、彼を一言で表すのであれば全美という言葉が相応しい。

 沙都達はアトラクト陛下以上に異彩を放つ人間はいないと思っていたが、これはまた陛下と並ぶ存在感の溢れる人物がいたものだと、度肝を抜かされていた。一体この人物は誰なのか…?

「あ!アクバール様!」

 クレーブスからなんとも言えぬ喜々とした声が上がった。

―――アクバール。

 この名を耳にして、沙都達はあの見目麗しい男性がシュヴァインフルト国の陛下だという事が分かった。陛下が現れた事によって、より場が緊張に漲るように思えたが、陛下は真っ先に沙都の前で足を止めた。

「待たせてしまったようで申し訳ない。私はシュヴァインフルト国の主アクバール・ダファディルと申す」

 陛下は嫋やかな動作と美しい笑顔で挨拶をした。

「お、お初目にかかります、アクバール陛下。沙都・ライガードと申します」

 珍しく沙都の声は随分と上擦っており、彼女が緊張しているのが丸分かりだ。遠目で見ただけでも畏怖する存在が、間近で自分の瞳を捉えているのだ。緊張しない訳がない。それも見事に整った彫刻美と女性が好みそうな硬質な低音ヴォイスまでもって。

「やはり貴方が天神の沙都殿か。噂は兼ね兼ね聞いておる」
「さ、さようですか。こ、光栄です」
「それにレネット妃とも親しく付き合いをくれているようで感謝している。今日お会い出来て良かった」
「と、とんでもございません。こちらの方こそ……え?」

 沙都の瞳が大きく揺らぐ。陛下から手を取られ、さり気なく甲に口づけを落とされたからだ。

―――!?

 口づけられた部分からジワジワと熱が孕む。沙都が驚愕していると、すぐに視界が遮られた。

「え?」
「これは失礼したな」

 陛下は沙都の前へと出たオールに詫びた。そして沙都はオールの横顔を目にして酷く驚く。礼儀を重んじるオールが国王陛下の前で無機質な表情で、心なしか怒気を孕んでいるようにも見えたからだ。彼らしくもない行動に沙都は内心ヒヤヒヤとしていた。

「先程の行為は我が国の挨拶の一つだ。気にする必要はない」

 陛下のオールを宥めるような言葉を耳にした沙都は気付いた。

―――アクバール陛下が私の甲に口づけを落とされたのを見て、オールは機嫌を損ねてしまったのでしょうか?

 オールが嫉妬する姿は滅多に見られるものではないので、沙都は思わず口元を緩みかけたが、国王陛下の前という事で気を引き締めた。そして陛下の弁明によってオールの表情が緩和される。

「其方はもしや沙都殿の伴侶かな?」
「はい。オール・ライガードと申します」
「其方の事はアトラクト陛下から優秀な臣下であると聞いた事がある」
「身に余るお言葉です」
「謙遜する必要はない」

 陛下とオールが挨拶程度の会話を交わす、その姿は白と黒といった対称的コントラストとなっており、場の雰囲気が美しく映えていた。次に陛下の視線はエヴリィに向けられた。

「其方は……エヴリィ・アジュールかな?」
「名をご存じで?とても光栄です」

 エヴリィは素で驚いた。アクバール陛下と会うのはこれが初めてだからだ。

「それはそれは其方の事はね」

 陛下は意味深な言葉を零して微笑を浮かべ、颯爽とした足取りで玉座へと向かう。そして、

「クレーブス、邪魔だ。何故オマエが玉座に座っている?処罰を与えるぞ」
「え~!何でですか!あんまりです!」
「煩い。そこは王の場所だ」
「ケチケチケチ!ちょっとぐらいお借りしたって減るものではありませんよ!」
「いいから早くどけ」

 陛下とクレーブスのやりとりを見ていた沙都達は唖然とした。二人の会話があまりにもフランクで、友人関係のように見え、一驚したのだ。クレーブスはブーブーと文句飛ばしながら、渋々と玉座から離れた。すぐに陛下が入れ替わりで腰掛ける。

「さて、わざわざ我が国までやって来たその理由を聞こうか。なんでも申し出をしたい事があるようだが?」

 陛下は足を組み、話に耳を傾ける体勢に入った。その存在を強く刻み付ける姿は実に国の主らしい。陛下の隣にクレーブスが立つ。そして沙都達は事前に正式な文書を送って要件を伝えていた。

「早速要件を申し上げる事をお許し下さい、陛下」

 すぐに話を切り出したのはエヴリィであった。

「貴国の新制度をお聞きしております。そちらの件で折り入ってお願いしたい事がございます」
「申してみよ」
「私達はある魔女・・・・に会いたいのですが、生憎魔女の世界まで行くを存じません。アクバール陛下であれば、そのすべをご存じでおられるのではないかと思い、貴国まで参上を致しました」

 エヴリィ達が言うある魔女とは……マアラニの事である。そもそも何故、彼等がマアラニの元へ行く事を望んでいるのか。それは数日前、オーベルジーヌ国にはレネット妃が滞在しており、王妃から借りた恋愛小説が発端である。

 本の内容はアトラクト陛下の前世アティレル陛下と魔女マアラニとの恋物語が書かれており、物語は何故かこの現世まで続いていて、沙都達は気付いた。これは紛れもなくマアラニからのメッセージ・・・・なのだと。

 その為、当の本人に確認する必要がある。もしこの物語に綴られている出来事がこれから起こるのであれば、とんでもない内容だ。恐らくアトラクト陛下の心を…いやオーベルジーヌ国全体を揺るがす大事になる。

 これは絶対に確認しなければならない。そう意気込んで沙都達はこのシュヴァインフルト国までやって来たのだ。エヴリィの申し出に暫し陛下は考えている様子だ。ややあって射抜くような鋭利な視線を向けられる。

「なるほど。話はわかった。だが、その申し出をアトラクト殿はご存知なのか?」
「そ、それは…」

 エヴリィは伏し目がちとなる。実に痛いところを突かれたからだ。その様子だけで陛下には答えが分かっていた。

「アトラクト殿の許可がなければ、こちらも考えようがない」

 それは至極当然の事。本来臣下の身分で他国の陛下へじかに申し出など、あってはらならない。ましてや自国の王を通していないなど言語道断。今、この謁見の場が設けられている事自体が稀である。

「陛下!お言葉ですが、私達は我が主アトラクト陛下の為に魔女と会う必要がございます!どうか私達にお力添え願います!」
「それはならぬ。主の許可なしに勝手に事を進められぬ事ぐらい其方達であれば、理解しておるだろう?何か問題が起これば国交問題になり得る。私は自身の身分を理解し国を背負っている。軽率な行動は起こさぬ」

 陛下の言う事は最も理に適っていた。エヴリィ達も申し出が通らぬ事ぐらい承知の上であったが、もし自分達の予測が外れていた場合、陛下を愕然とさせてしまう。

 陛下の幸せを願って起こした行動が却って悲しませてしまうのだ。彼等達は陛下にこれ以上の悲しみを背負わせたくなかった。その為、先に魔女に確認を取りたかったのだ。あの小説に書かれている出来事が真であるのかどうか。

「承知の上です。ですが…「エヴリィよ」」

 エヴリィが何としてでも承諾して貰おうと言葉を続けようとしたが、陛下に遮られてしまう。

「アトラクト殿を思うのであれば尚の事、彼にその思いをぶつけてみよ。アトラクト殿であれば、必ず其方達の思いを理解するであろう」

 その陛下の言葉にエヴリィは口を閉ざした。もうこれ以上は何を伝えようとしたところでも、陛下は聞き入れぬだろうと察した。エヴリィ達に落胆の色が滲んでいく。抱いていた希望が遠ざかり、暗闇が舞い込んできたように思えた。

「そう愕然とするな。アトラクト殿と向き合った時、思いも寄らぬ出来事が待っているかもしれぬぞ」

 その陛下の言葉に沙都達は息を呑んだ。何処か確信を得たような意味ありげの言葉のように聞こえたからだ……。





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