Past10「咲き誇る花は美しく」




 心地好い夢の世界に包まれている感覚がある。オレは眠っているのか?何故、眠っているのだろうか?確かオレは…?

―――あぁ、そうか。オレは死んだのか。

 だからここは死の世界なのだろう。とても妙な感覚だった。意識があっても肉体が見えない。それが死んだという事なのか。

―――これでダーダネラ様の元へと行けるのだろうか。

 こんな時でもあるのに、オレは淡い期待を抱いた。彼女がこの世に旅立った時から、オレも切に願っていた。オレも同じ死の世界へと連れて行って欲しいと。

 …………………………。

 辺りは真っ新な空間だった。ここからどうやったら、ダーダネラ様の元へと行けるのだろうか。意識はこの空間の中を彷徨っている。

―――?

 ここから抜け出せるのか、不安を抱くよりも先に目の前に灰明るい光が灯された。なんだ、あれは?意識は導かれるようにして、その光の中へと入って行く。刹那、意識が猛スピードで引っ張り上げられていく感覚に襲われる。

―――なんだ、これは!

 次第に映像が霞んでいく。肉体的感覚でいえば、目を開けていられない程のスピードを感じている。さらにそれから大きな光の中へと呑み込まれていった……ような気がした。

 …………………………。

―――ここは?

 あの引っ張り上げられる感覚からは解放されたようだ。ここは何処だ?また別の世界へと移動してきたように思えた。視界が不明瞭で状況が把握出来ない。

―――……っ……っ………っ。

 何か雑音が聞こえてきた?なんだこの音?

「……リィ?」

―――ん?音というよりは声なのか?

 視界同様に聴覚もハッキリとしていないみたいだ。

「……ヴリィ!」

―――やはり人の声が聞こえる?……オレの名を呼んでいる?

 徐々に聞こえの通りが良くなっていく。誰の声だ?誰にオレは呼ばれている?

「エヴリィ!」

 突然視界が良好となり、ハッと意識を取り戻したような感覚があった。目の前には身に覚えのある人物がオレを見下ろしていた。

「オール?」

―――なんでオールがここにいる?あぁ、そうか。

「オマエも天に召されたのか?」

 魔女と戦いの末、オールもこちらの世界へとやって来たのだろう。そうオレは勝手に理解していた。ところが…。

「馬鹿を言うな。オレもオマエも生きている・・・・・
「え?」

 オールから返ってきた言葉に、オレは心底ぶったまげた。

―――オレは生きている?

 まさかそんな?最後の記憶を辿ってみると、オレは攻撃魔法を受けて即死だった筈だ。生きているなど有り得ない。だが、すべての五感を感じる。オレは横たわっている姿勢から上体を起こす。怪我をしているせいか、躯にダルさは感じるが致命傷は何処にも見当たらなかった。

―――そうか。オールの回復魔法ヒーリングでオレは死から免れたのか。

 あれだけのダメージをオールはここまで回復させたのか?どれだけオレの為に魔力を費やしたというんだ?まさか好かれていないと思っていたオールが、ここまでやってくれるとは。

 正直、オレは驚きを隠せなかった。そこにさらなる驚きを目にする。視線を巡らせると、まさかのアトラクト陛下・・・・・・・のお姿があったのだ。

―――どうして陛下がこちらに?

 陛下のお近くにはゼニス神官の姿もあった。そうか、神官はオレが海に飛び込む前に送った精神感応テレパシーを聞き、魔女とアティレル陛下の出来事を陛下にお伝えして、ここまで陛下をお連れしたのだろう。

 オレはオールに躯を支えられながら、状況を把握しようとした。陛下はあの魔女と向き合っていらっしゃった。魔女の方は人らしい姿へと戻っていた。陛下を目の前にして、落ち着きを取り戻したのか。

 魔女・・を視界に入れるだけで、オレの心はドス黒い憎悪の念が渦巻いていた。なんとかその激情を抑え込み、オレは様子を見守っていた。そして陛下と魔女の会話を耳にして、ある事に気付く。

―――アマラニ・・・・

 何故か陛下は魔女の事をそう呼んでいた。そこで気付いた。アトラクト陛下はアティレル陛下の頃の記憶が蘇ったのではないかと。そんな事が……まさに奇跡としか言いようがない。

「陛下、何故…」

 魔女の表情が何故、何故と陛下を咎め、その呵責に陛下は酷く身を切り裂くような表情をなさっていた。他者が踏み込めない魔女と陛下だけの域に、周りの者は誰も口を挟まず、耳を傾けていた。

 アティレル陛下は魔女を裏切った訳ではなかった。陛下はお亡くなりになる直前まで、魔女の事を気に掛けておられ、最後までどうする事も出来ずに息をお引き取りになった。

 そして魔女の方も陛下に何か事情があり、逢えなくなった事を察していた。ヤツの恨みは陛下と引き裂かれた事ではなかった。では何故、ダーダネラ様に呪いをかけにやって来た?それから話は現世へと移り、魔女の意外な気持ちを知る事となる。

「私は初めからダーダネラ王妃様に呪術をかける事を目的として姿を現した訳ではありません」

 この魔女の言葉に、オレは毒気を抜かれた。

―――ダーダネラ様に呪いをかけるつもりはなかっただと?

 陛下を目の前にして弁解を始める気になったのか!オレの胸の内が怒りに燃え始める。それでもオレは引き続き魔女の語りに耳を傾けていた。だが、ヤツの話が徐々に聞くに堪え難くなっていく。

 陛下が思い出して下さらなかった?だからダーダネラ様に呪いをかけた?どう見解しても、納得の出来る話ではなかった。人間は生まれ変われば、以前の記憶など持つ事はない。そんな事は分かり切っている事だ。

 呪いをかける筈ではなかった?陛下にただ一目だけご覧になって頂きたかった?何処がそうなんだよ!深く愛し合っていたが故に奇跡を信じていたのかもしれないが、それでダーダネラ様のお命を奪える理由にはならない!

 魔女に同情する余地もなく、嫌悪感を抱く。オレからしたら、かつて愛した人の幸せを願うのが本当の愛ってものじゃないのか!オレはダーダネラ様を愛していたが、彼女の迷惑になりたくなくて身を引いた。だから魔女の気持ちなど、到底理解が出来ない!

「陛下、何故…何故、私を見つけて下さらなかったのですか!どうして他の女性と愛を交わされてしまったのですか!私が貴方に逢いに行った時、どうして思い出しては下さらなかったのですか!あんなに深く愛して下さっていたのではありませんか!」

 魔女は自分の感情に素直に身を委ね、落涙していた。あれは自分の悲恋に酔っているだけにしか見えない。陛下も周りもみな魔女の感情に流されているが、オレは実に冷めた目で魔女を見ていた。

「アマラニ、許してくれとは言わぬ。其方を傷つけたい訳ではなかったのだ。本当に私はアティレルの頃の記憶も其方との思い出も何一つ残らずして生まれ変わった」

 陛下のお言葉は真だ。それに何故、気付かない。いや、気付きたくないのかもしれない。既にヤツは大罪を犯している。悲恋を押し通さない限り、自分の立場が危うくなるからな。決してオレはヤツを許さない。

―――例え周りが許したとしてもオレだけは許さない。

 絶対に処刑まで持って行く。それは魔女が受けるべき当然の報いだ。そうオレは思っていた。しかし…。

「陛下、私からのお願いがございます。どうかマアラニの罪を許しては下さらないでしょうか。どうかお願いです。ご慈悲を下さいませ」

 とんでもない懇願がダーダネラ様の口からお出になった。

―――魔・女・の・罪・を・許・す・だ・と?

 まさかそのような言葉が、ダーダネラ様の口からお出になるとは信じられなかった。いや、信じたくない!

―――冗談じゃないぞ!!

 さすがにこればかりはオレも大人しくしている事は出来なかった。

「ダーダネラ様!何をおっしゃるのですか!」

 オレは胸の内の思いが爆(は)ぜ、ダーダネラ様へと向かって叫んでいた。

「エヴリィ…」

 ダーダネラ様と視線が鋭く交わった。

「ダーダネラ様!お考えを改めて下さいませ!何故、魔女をお許しになるのですか!その魔女は何の罪もない貴女のお命を奪った張本人です!いくら辛い前世を持っているからといって、決して許される事のない大罪を犯したのです!その罪は己の命をもって償うべきではありませんか!」

 かつてダーダネラ様の前でオレはこれほど感情を露出した事はなかった。ましてや愛しいダーダネラ様の前だ。常に冷静沈着を演じていた。だが、魔女だけは生かして欲しいという願いはいくらダーダネラ様とはいえ、納得が出来ない!

「エヴリィ、陛下の想いを考えなさい。貴方は愛した者の命を自らの手で絶つ事が出来るのですか?」
「…っ」

 オレの剣幕に押される事なく、ダーダネラ様は冷静に言葉を返され、オレを問われた内容に答えを窮する。愛した者の命を自ら絶つ、オレの場合であれば、ダーダネラ様のお命という事になる。

―――それは出来ない。

 だが、どんな理由があろうともオレは魔女だけは生かしておきたくはない!オレは尚もダーダネラ様に自分の思いをぶつける。

「ではダーダネラ様、貴女を愛した者の想いはどうなるのです!報われないまま生きていけと言うのですか!」
「…エヴリィ、この話を貴方にするべき事ではありませんが、“サラテリ・アジュール”を記憶にしていますか?」

―――え?

 ダーダネラ様の口から、思いも寄らぬ人物の名を出されてオレは狼狽える。どうしてダーダネラ様からサラテリ殿の名が出たのだ?

「エヴリィ、アティレル陛下と魔女マアラニが離愁を味わう事になったのはサラテリの魔力で作り出した結界によるものでした。それにより、お二人は生涯逢う事が出来なくなったのです」

―――え?

 さらに何故、ダーダネラ様がサラテリ殿の罪をご存じなのだ?あの日記は魔導師のみしか入れぬ部屋の書架にあり、かつあの日記は特殊な加工があり、普通の人間には分からないようになっている。

「先祖の行いを引き合いに出し、さぞ狡猾な手口だと思うでしょう。ですが、ここはサラテリの行いを考慮し、どうかマアラニの罪を免じて欲しいのです」
「…………………………」

 これ以上、オレは何も言えなくなった。確かに元を正せば、あのような方法でアティレル陛下と魔女を引き離さなくとも、もっと他に方法があった筈だ。あんな強制的なやり方をおこなわなければ、現世まで惨事が及ぶ事はなかった。

―――サラテリ殿は後悔していた。だからあの日記を残したのだ。

 彼の罪を許すのであれば、マアラニの罪も許すべきだと、そうダーダネラ様はおっしゃりたいのだろう。何処までも寛容なお方なのだ。ここまでくると感服する。オレの反論が止むと、話は綺麗に纏まっていく。

「マアラニの600年以上待ち続けたその歳月に免じ、陛下、どうかご慈悲を下さいませ。これは私の最期の望みです」
「其方の思いが無駄にならぬよう、最善を尽くそう」

 ダーダネラ様の願いを陛下は聞き入れられた。そして…。

「決して許されぬ罪を犯しました!私は…私は!」

 ここで魔女は己の罪を深く悔やみ始め、ダーダネラ様が優しく宥めていらした。やはりダーダネラ様には頭が上がらない。あの憎悪の塊であった魔女の心をお変えになった。ダーダネラ様がこの場にいらっしゃらなければ、魔女との戦いは避けられなかった筈だ。

 オレやオールだけではなく、沙都様や御子のお命も危険が及んでいた。最悪な結果もあったかもしれない。オレは魔女を倒す事でダーダネラ様の無念をお救いする事が出来ると思ったが、逆に彼女に助けられたのだ。

―――格好がつかないな。

 オレは苦笑した。ダーダネラ様は王妃になられて、我がオーベルジーヌ国を、民を心の底から愛して下さった、心優しい方だった。ここまで慈悲深いのも彼女が愛に溢れる素晴らしい女性だからだ。名誉あるダーダネラ様の行動に、感慨深い気持ちとなっていたところだが、

「目的を果たし、私に与えられた時間も残り僅かとなります」

 また新たな現実が舞い込んでくる。

―――ダーダネラ様との別れの時がやってきた。

 ダーダネラ様は一人一人に挨拶をお始めになる。まず初めにゼニス神官からだった。オレは神官との話を聞きながら、なんとも言えない胸の締め付けがされ、息苦しさを覚えた。だが、ダーダネラ様と最後の言葉を交えて心が一変する。

「エヴリィ」
「ダーダネラ様」

 ダーダネラ様はオレの行動のすべてをご存じでいらっしゃった。

「最後まで私の為に行動を起こしてくれた事、その貴方の頑張りを賛美します」
「そのようなお言葉を頂き、誠に有り難き幸せです」

 これほど心が満たされた事はあっただろうか。ダーダネラ様からお心を頂く事は出来なかったが、今のお言葉はオレにとって一番の幸せだった。目頭が熱くなってきた。泣いては駄目だ、笑顔でいなければ。

 それからダーダネラ様はオール、沙都様と挨拶を続けられて、最後にアトラクト陛下の前へと行かれる。やはりダーダネラ様は陛下の前では輝くばかりの極上の花を開花なさる。だが、別れという現実が悲しみの花までも生む。

「陛下がそのように悲しいお姿をなさっては、私は天へと向かいたくはありません」
「ダーダネラ、お願いだ。私を置いて逝かないでおくれ」

 オレはハッと息を切る。あの時・・・と同じ場面フィードバックされる。今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。ダーダネラ様が息を引き取ったあの日のアトラクト陛下のお姿が。

「お願いだ。傍にいてくれるのであれば、死霊でも構わない。私は其方を愛している。其方なしでは生きている心地がしないのだ」

 陛下が切望なさってダーダネラ様へとお触れになった時、陛下のお手がダーダネラ様のお躯を通り抜けた。陛下と共にオレは息を切った。

「今、其方を目の前にしておるというのに、別れるなど私には出来ぬ!お願いだ、ダーダネラ。傍にいてくれ!」

 陛下の二度目のお嘆きになるお姿に、オレは唇を噛み締めて堪えていた。陛下の想いはここにいるみなも同じく抱いている。しかし、それでもダーダネラ様のお考えは変わらなかった。そしてお躯がふわりと上昇なさっていく。

「ダーダネラ!」
「陛下、笑みをお見せ下さい。最後は貴方の笑顔を見てお別れを致したいのです」

 それは本当に最後のダーダネラ様からの陛下への願いであった。一度目の別れは涙したものであったが、二度目は笑顔での別れを望まれる。陛下はいつでもダーダネラ様の願いを聞き入れて下さる。だから今も陛下から笑みが零れる。

「ダーダネラ、私は其方と出逢い、愛せた事が本当に幸せであった。私に幸福な時間を与えてくれ、そして愛を残してくれた事を感謝している。沙都に託した御子は必ずや幸せにし、次期国王として立派に育てていく事を約束しよう」
「はい、約束です。私はずっと陛下と御子を、そしてオーベルジーヌ国を見守っております」

 この約束がお二人のお別れの覚悟だ。お二人とも花が咲き乱れるような美しい笑顔をお見せになっていた。とてもとても美しい笑顔だと思った。

「もう逝かなければなりません。最期に真に真に愛しておりました、アトラクト陛下」

 ダーダネラ様は最後まで陛下に愛を告げ、そして去って行かれた。これでダーダネラ様との思い出は最後となった……。





web拍手 by FC2


inserted by FC2 system