Past1「麗しき高級花シャモア」




 宮廷魔導師のみが足を踏み入れる事が出来る開架書架で、オレはある古びた魔導書に目を通していた。深緑色のハードカバーの、およそ600年ほど前の書物である。

 ここにある書物は機密事項のものばかりだ。オレが読んでいるものはその中の一つ。ただこの書物、他のものとは異なる仕掛けがあった。隠された日記・・が記されている。

『私があの時、おこなった事は陛下の為であり、
なにより我がオーベルジーヌ国の未来を守る為であった。

一過性の熱で我が大国を危険に晒す訳にはいかなかった。
私は自分がおこなった事に間違いはなかったと思っている。
だが、望んでいた未来にはならなかった。
あるべき光の輝きを失った。

何を間違えたというのだ?
何故、私の心が苛なまれなきゃならない。
まるで罪を犯したとも言うように……。

歴史は刻まれた。しかし、あの事・・・が此処に刻まれる事はない。
あれは記憶をもつ我々の生が尽きれば白紙となり、歴史上に傷は残らない。

それで良いのだ。
では何故、私はそれ・・を此処に綴っているのだろうか。
いずれ何処かで明かされる日を自身が望んでいるのか。
その答えは分からぬまま、私の生は終えるだろう……。

                           サラテリ・アジュール』

―――未だに分からない。

 何度目を通しても、この綴られている内容の意味が。だが、祖先のサラテリ殿は何か・・に後悔をしていたのだろう。これは罪の意識のようにも窺える。吐露をしたくても出来ずに、この魔導書に仕掛けを作り綴った。

 ここに刻まれていない歴史とはなんだろうか。いずれそれをオレは知る時が来るのだろうか。もし知る事が出来た時……オレは思う。歴史は変わり、今世にも影響が及ぶであろうと……。

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「よしっ完璧!髪一本の乱れもない、さすがオレだ!」

 鏡に映っている自身の姿を讃える。毎日欠かさず手入れをしている髪はなめらかに波打って艶を際立たせていた。髪は女の命と聞くけど、男だって同じさ。髪型一つで見目みめの良さが全く異なるからね。

 魔導師の制服も洗い立ての物しか着用せず、清潔感のある香りを立たせている。下手なフレングラスより、よっぽど香りが芳しいと、周りからもお褒めの言葉を貰っている。

 立ち振る舞いや歩き方一つでも、品格が損なわれないよう気を遣っている。常に人から見られている意識をもち、上品に振る舞う事を忘れない。その頑なな意識は王族の貴婦人にすら負けないね。

 オレはどんな場面でも完璧を崩さない、それを続けられているのは日々の努力の賜物だ。そんな努力家のオレ以上に見目麗しい人間などいない!そうずっと思っていたのだが、この王宮にオレの自負心を揺るがす人間がいた。それも三人もだ!

 一人は何を隠そう、このオーベルジーヌ国の主アトラクト・ノティス陛下だ。王宮に訪れる以前から、度々陛下を耽美する声を耳にしていたが、オレには及ばぬだろうと過信していた。ところが、初めて陛下を目の前にした時、その自尊心は見事に砕け落ちた。

 陛下の絹糸のような髪は黄金の光に瞬く水面の如く輝き、あらゆる芸術の美を集結させた風姿、その美しさの下に隠れる肉体美。目眩めくるめくばかりの美に、人は魂までも蕩かされる。

 その美しさは外見のみならず、内面からも溢れている。穏やかな外見からは想像させないが、陛下はとても厳酷な方だ。この大国を背負う主として重い責任をよくご理解なさっている。

 有名な話だが、アトラクト陛下が国王になられてから、我が国の経済の数字が一桁増えたと聞いている。それ以前に我が国は他国を差し置く経済国であったが、よりトップを確固たるものにしたのだ。陛下は王として相応しい才芸器量を持ち、ご立派に国を支えている。

 そんな陛下の圧倒的な存在に、オレは気圧される。あの敗北感は今でも鮮明に憶えている。美しいという概念すら破壊するあの美は認めざるを得ない。美しさで燃えるお姿は人間を超越した神の領域であり、放たれるオーラは神官ゼニス様以上だ。

 とはいえ、元々陛下は別格なお方だ。周りの人間と異なっていて当たり前なのだと割り切った。陛下を除けば、オレ以上に美しい人間はいない!と、自身のモチベーションが回復した頃にだ。現れた、陛下に続く第二の神が!

 宮廷内を歩いていれば、何処からともなく聞こえてくる黄色い声。「あの美声を聞けば腰が砕ける」だの「一夜限りでいいから抱かれたい」だの、女性が品格を捨ててでも身を捧げようとする、相手の男の名はオール・ライガード。

 当時のオールは爽やか笑顔で、女性を瞬殺させるキラーボーイだった。軍師という事もあり、精悍なる美を含んだ甘いマスクと、黒曜の髪から覗かせる黄金の双眸をもち、見つめられれば、瞳どころか胸の内まで焼き潰されると名声を博した美丈夫だ。

 初め女性達の黄色い声は自分に向けられているものだと喜んでいたが、とんだぬか喜びで己を恥じた。オレにそんな思いをさせたヤツは許せん!美の対決であれば負けん!と、あの日からオールはオレのライバルとなった。

 オールは今ではすっかり寡黙クールボーイに変わり、恋愛なんて興味ありませ~んって顔をしていたくせに、ちゃっかり天神の沙都様と将来を誓い合い、毎日リア充をしているようだ。チッ、オールのくせに生意気だ!

 まぁ、アイツも辛い想いをした過去をもつ。そこでオレは一人の女性の姿が浮かんだ。今は亡きダーダネラ・ノティス妃だ。今でも想いを馳せるだけで胸がグッと熱くなる。ダーダネラ様が亡くなられてから、どんなに月日が経とうとも、彼女に対する想いは色褪せない。

 それだけオレにとってダーダネラ様の存在は大きい。忘れたくても忘れられない。男性で最も美しい人がアトラクト陛下であれば、女性はダーダネラ様であると謳われる黄金の高級花シャモア

 彼女は美しいだけの女性ではない。陛下と同じく我がオーベルジーヌ国と民を心の底から愛して下さった、愛に溢れる女性ひとだった。今も尚、彼女はオレの心を、いや魂を揺さぶる存在である。

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「有難うございます。お気持ちは大変嬉しく思いますが、そちらを受け取る事は出来ません」

―――おっと、とんだ場面に出くわしたな。

 幾何学的きかがくてき庭園に足を踏み入れてすぐの事だった。女性の甘く澄み透った美しい声が聞こえてきたのだが、内容は穏やかではない。姿を見せては具合の悪い場面に出くわしたオレは庭の緑に身を隠した。どうやら愛の告白を断る場面のようだ。

「やはりもう貴女には心に決められた方がおられるのですか?」
「そうではありませんが、今日私は貴方を知ったばかりですし、何も知らないまま、お付き合いする事は出来ません」
「これから付き合っていく中で、少しずつ私の事を知って下されば構いません」

 いや、そりゃ無理だろうよ。姿こそ見えていないが、オレは男の言葉に心底呆れた。無理に頑張って押しているけど、ドン引きだろ。あれでよっぽど自分に自信があるんだろうな。

 オレはヒョコッと顔を覗かせてドン引き現場の様子を窺う。その瞬間、花吹雪にでも見舞われたような強い衝撃に打たれる。ほんの一瞬で魂を持って行かれた瞬間だった。

―――あの女性は…。

 こう間近で目にしたのは初めてだ。確か財務省に所属するダーダネラ・ディヴェールだ。彼女は若くして責任のある地位まで上がった有能な女性で、確かオレよりも年が8歳ほど上だったかな。

 抜けるような純白色の肌、川のせせらぎのように波打つ潤いのある髪、瞳は世にも珍しいローズクォーツの宝石、同じくピンク色の膨らみのある唇、それらすべては計算された彫刻美のように整っている。

―――さすが女性版アトラクト陛下と謳われるだけあって至極麗しい。

 歩く極上の高級花シャモアとも呼ばれているのにも納得がいく。ここまで強い衝撃を受けたのは陛下とオールの時以来か。女性では初めてだ。胸がドクドクと早鐘を打つ。オレはしけた男の方には全く眼中なく、黄金のシャモアだけに釘付けであった。

「お付き合いするという事は貴方の人生の時間を頂く事になります。ですので中途半端な気持ちのまま、お気持ちを受け取る事は出来ません。どうかご理解下さいませ」
「恋い焦がれていた美しい貴女がこんな近くにいるというのに、私はこのまま引き下がれません!諦めろだなんて酷な事をおっしゃらないで下さい!」

 あの男、なんか論点がずれているよ。シャモアが近くにいるからなんだというんだ。今の発言で彼女の気が変わるとでも思ったのか。何処までも勘違い野郎で憐れだな。

「お放し下さい」

 シャモアから冷徹な声が飛んだ。彼女の甘い美声には不似合いな声色だった。よく見てみれば、男がシャモアの腕を掴んで詰め寄っていた。その光景を目にした時、男が許せない!と、オレの心にドス黒い感情が渦巻いた。

 気が付けば、オレはシャモアと男の前に出ていた。二人は何処からともなく現れたオレに、虚を突かれたような表情をして見ていた。シャモアの腕を掴んでいる男の手を目にして、オレは男を睥睨へいげいする。

―――コイツはなんの権利があって、シャモアの腕を掴んでいるんだ!

 オレはシャモアから男の腕を離し、無言のまま眼力めぢからで男を圧迫する。今のオレの目には殺意の念が込められている。それに気圧された男は酷く狼狽えていた。なんだ、この男。

 シャモアの前ではあれだけ自信満々だったくせに、オレの前では狩られる前の小動物のように縮こまっている。おまけに外見も凡庸どころか乏しいチープだ。これで極上の花を手に入れようだなんて、ちゃんちゃらオカシイ。

 男の額に汗が伝った時、ヤツはオレの手を不器用に離して、その場から逃げるように去っていた。オレの威圧感に、いや美に戦慄おののいたようだ。男の気から負けたという諦念が読み取れた。どうだ!オレぐらいの美をもってから出直して来い!

 男の姿が完全に視界から消えると、オレはシャモアに視線を移す。彼女は呆れ果てている様子だった。勿論さっきの男に対してだろう。そして彼女と視線が交じり合うと、オレは自然と柔らな笑みが零れた。

「お邪魔をしてしまいましたね」
「私は構わないのですが、先程の彼が…」

 オレはシャモアの言いたい事を察する。

「そうですね」

―――ぶっちゃけ、あの男は気の毒だわ。

 見も知らずのオレに見られていた挙句、最後は不格好に去って行ったわけだ。

「それよりも先程は助かりました、有難うございます」

 シャモアから大輪の花が咲き誇ったような美しい笑みが広がる。

「お美しい女性ひとは色々と大変ですね」
「ふふっ、それはご自分の経験からのお言葉かしら?」

―――おっと。

 オレは驚きの色を露わにする。オレの美しさを立てつつ、しっかりと皮肉が込められていた。侮れないな、この歩く高級花シャモアは。

「とんでもありませんよ。オレはそういった苦労をした覚えがありませんから」

 オレは紳士らしい答えを返した。…が!実際、色恋沙汰の華やかさを隠すのは大変なんだよ!後先考えずに手を出すと危うく命取りになるから、相手はかなり慎重に選んでいる。

「そうですか」
「はい」

 良かった、信じて貰えたようだ。

「器用になさっているのね」

―――って、おい!

 思わず声にして突っ込みそうになった。オレは目の前の零れんばかりの極上の笑み見せているシャモアを注視する。その何食わぬ美しい笑顔の下にはとんでもない悪魔が潜んでいるんじゃないのか。

 訝しげなオレの視線にも彼女は素知らぬ顔をしている。彼女の荒風に揉まれた事のない深窓なお姫様というイメージがとんだ間違いだったな。さすが財務省のホープだ。可憐なだけで荒波をくぐって来られる訳がないか。

「貴女ほどの女性はお眼鏡に適う相手を見つけるのも一苦労でしょうに」
「貴女ほどの女性って?私の事を知っているのですか?」

 意外とも言うようにシャモアが訝しむ。

「勿論ですよ。あの美しいアトラクト陛下と並んでも遜色ない方だと名が知られていますよ」
「陛下と遜色ないだなんてとんでもない。私は普通の人間です」
「いえいえ、そんな謙遜を」

 あれだけ麗しいと騒がれているんだ。少なからず意識はしているだろう。現にさっきだって美しいと告られていたところだし。

「貴女のお眼鏡に適いたいという相手は多くいますよ」
「謙遜で言ったつもりはありません。それにお眼鏡に適いたいという相手が多くいても、摘めない花はありますから」
「?」

―――摘めない花っていうのは…?

 これだけ美女でも手に入らない男がいるという意味か。その男はどんだけ良い男なんだか。シャモアの意味ありげな言葉に、オレは彼女に妙な関心が湧いた。

「貴方のお眼鏡に適う相手がどんな男なのか興味が湧きますね」
「ふふっ、それは私自身が一番興味がありますね」

 今の答えはリアルで言っているのか社交的で言っているのかわからなかった。そもそもこんな美女に恋人がいないってのも考えづらいしな。

「そろそろ私は仕事に戻ります」
「あ、はい。ではオレも戻ります」
「それでは…」
「はい」

 挨拶をして踵を返す彼女の背をオレは見つめる。歩くシャモアと称されるダーダネラ・ディヴェールか。抱いていたイメージと全く異なったが、色々な意味で興味深い。オレはこの日を境に彼女の事を自然と目で追うようになる。

 それから暫くしてオレは偶然にも知ってしまった。ダーダネラシャモアの摘めない、いや摘めなかった相手が誰なのか。事もあろうにオレがライバルだと認めた軍師のオール・ライガードだ!

 しかもオレが二人の関係を知った時には既に二人は婚約していた。完全にオレはオールに敗北したのだ。だが、シャモアを諦め切れないオレは奪略愛という馬鹿な考えすら起こした。二人の関係を知る前までに、オレの心は相当シャモアへと持っていかれていたからだ。

 だが、その先でとんでもない事が起きた。シャモアがアトラクト陛下から求婚を受けたという話だ!彼女はオールの婚約者だ。その求婚を受け入れる筈はない……そう思っていたのだが、間もなくして彼女は正式に王妃として迎えられた……。





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