Birth91「約束の先に」
「お待たせしました」
「あぁ」
最後のレッスンの部屋を出ますと、すぐにオールの姿が目に映り、声を掛けました。この後、彼との約束事があり、迎えに来てもらったところです。今日のレッスンは午前中で終了となり、午後から先生方は会議の集いに出席だそうです。
「けっこうお待たせをさせましたかね?」
「いや、そうでもない」
オールが返事をした後、私達は隣り合わせで自然と歩き出しました。
「お疲れだったな」
「はい。今日もハードでしたが、とても充実していましたよ」
「疲れているところに悪いな」
「大丈夫です。今日のレッスンは午前中のみでしたし、大して疲れていません。それに大事なご用ですものね?」
「…………………………」
―――あらら、オールはだんまりとなってしまいました。
行き先も伝えられず、一緒に来て欲しいと言われましたら、ある意味大事に思ってしまうのは私の考え過ぎなのでしょうか。先程のように少しでも内容に触れようとしますと、オールは私から目を逸らし、酷く真剣な面持ちへと変わります。
―――この深刻な表情、昨夜もしていましたよね。
今日、彼は仕事が休みにも関わらず、退魔師の制服を着用しております。何かお仕事に関係する事だと予測しますが、実際はどうなのでしょうか。私は約束をした昨夜の出来事を振り返ります…。
「沙都」
閨の情事が終わり、寝台でマッタリとしていた時です。頃合いを見てでしょうか、ふとオールから名を呼ばれます。
「なんでしょうか?」
「明日、一緒に来て欲しい所がある」
「…?」
沈黙が私達の間に流れ込みます。これまた急に来ましたね。
「明日ですか?明日は午前中までレッスンがありますので、その後で良ければ行けますよ」
「あぁ、終わった後で構わない」
「分かりました。どちらに行かれるのですか?」
「来てみれば分かる」
「またアバウトな」
私は半ば呆れてオールの表情を見つめ返します。口下手だから省略している、という感じではありませんね。敢えて言いたくないといったところでしょうか。
「分かりました。一緒に参ります」
私はそれ以上、深くは突っ込みませんでした。その場所に行ってからお話をしたい、そういう事なのでしょうね。そこはそっと悟ってあげましょう。
「助かる。レッスンの部屋まで迎えに行くから待っていてくれ」
私の従順な返答に、オールも安堵の笑みを浮かべ、伝えてきました。
「分かりました。お待ちしておりますね」
…という流れで今に至っている訳ですね。オールと他愛もない会話をしながら、回廊を進んでおりましたら、身に覚えのある螺旋階段が目に入り、私はハッと息を詰めました。
「地下廊へ行かれるのですか?」
私は立ち止まり、オールの背に向かって問います。
「あぁ」
遅れを取った私へオールも振り返って淡々と答えます。
―――もしかして、向かおうとしている場所というのは…。
「ジェオルジ神殿ですか?」
「そうだ」
私の問いにまたオールは簡素に答えましたが、私は立ち止まったままでした。
―――神殿と言えば、ゼニス神官様の所でしょうか。
それでしたら、わざわざ行き先を隠す必要もないかとは思うのですが。じとーと物言いたげな視線をオールに送りつけますが、むしろ彼から「早く行くぞ」と催促されるような無言の圧力をかけられ、私は急いで彼の元へと駆け寄りました。
ゼニス神官様の所であれば、目的は何でしょうか。まさかとは思いますが、また新たな試練を言いつけられる…なんて事はありませんよね? そもそも神官様の所には魔導師を通してでなければ行けない筈では。
聞きたい質問が次々に沸き起こり、オールをチラ見しますが、うーん、とても訊けるような雰囲気ではありませんね。仕方ありません。もう暫くしましたら、分かる事でしょうし、ここでむやみにせっつくのは止めにしましょう…。
※ ※ ※
「久しぶりじゃのう、天神殿」
「はい、お久しぶりです。ゼニス神官様」
予想していた通り、お会いしたのはゼニス神官様でした。格式のある方ですので、それでオールも退魔師の制服を着用してきたのですね。ゼニス神官様とお会いするのは、あのマアラニの件以来です。
シャイン様を出産した当日、行われたパーティに神官様は出席されたそうですが、私は休養中でしたので、お会いしておりません。神官様は神として崇められる方ですからね、その後もお会いする事はありませんでした。
「天神」、その名で呼ばれるのはいつぶりでしょうか。シャイン様を出産するまでしたので、もうかれこれ一年以上も前になりますかね。腰を掛けられているゼニス神官様を目の前にして、私はほのかに懐かしさに浸ります。
海の中にいるような青々としたこちらの場所を訪れたのはもっと以前になりますよね。最初に訪れたのは確か私がこの世界に来た翌日の事でした。またこちらの場所で神官様とお会い出来るとは光栄ですね。
こちらは特別に許された者だけが足を踏み入れられる場所です。通常は神官様と確執のある魔導師のみとお聞きしておりますが、オールは退魔師ですし、個人的に許可が得られたのでしょうか。そもそもオールと神官様に繋がりがあるとは知りませんでした。
「あの今日はオールと私を呼ばれましたのは何かおありなのでしょうか?」
私は自ら本題に入りました。ここまで来て未だ訪れた理由を知りませんからね。
―――まさか本当に新たな試練が与えられる、というお話ではありませんよね
そういった懸念もあって、正直気持ちが急いでおります。
「今日はゼニス神官に呼ばれて来たのではない」
「え?」
答えられたのは神官様ではなく、私の隣に立つオールでした。
「今日はこちらの要件で時間を頂戴している」
「そう、だったのですか」
と、私はイマイチな反応で返しました。こちらから神官様にお会いする目的が見えないのですが?
「オール、其方は天神殿にこちらへ参る理由を述べておらなかったのか?」
「はい」
「其方らしいのう」
厚めの眉やお髭で神官様の表情はお読み出来ませんが、呆れられている事にはお間違いないでしょうね。オールの口下手をよくご存じのようです。当の本人は微かに罰が悪そうな表情を見せておりますが。
「ここに天神殿を連れて参ったので、婚姻でも結んで報告に来おったのかと思えば」
「えっ?」
神官様からとんでもない言葉が飛んできました。こちらの場所にオールと参る事と私達の婚姻がどう関係あるのでしょうか。今の段階で私とオールとの間で正式な婚約話は出ておりません。全く話の形が見えない私は困惑し、オールを打ち見します。
…………………………。
―――相変わらず、黙然としておりますね。
と言いますか、彼もまた困惑をしているようです。私はオールと神官様を交互に見つめ様子を窺っておりましたが、連なる間に、神官様はやれやれといったご様子で再び口を開かれます。
「以前、オールに申した事があった。再び笑みを見せられるようになった時、またここに顔を見せに参れと」
「え?」
一驚した私は瞳が大きく揺れました。今は自然と笑みを見せるオールですが、以前は事情により、笑みを見せる事がありませんでした。そこは繊細な部分でもありますので、突然に触れられていまい、私は驚きを隠せません。
「笑顔を見せる、それは失った希望をまた取り戻したという事に繋がる。つまりオールの隣には希望の光がおるという意味だ」
―――それはもしかして…?
神官様のおっしゃる「希望の光」というのは私の事を差して下さっているのでしょうか。
「気付いたようじゃのう。その通りだ。希望の光とは其方の事だ」
そう神官様から改めて口に出されますと、とてもこそばゆい気持ちになります。チラッと隣に立つオールへと視線を上げますと、彼の表情は特に変わっていませんが、私と同じ気持ちになっているのではないでしょうか。
そして、うんともすんとも言わないところをみますと、神官様のおっしゃった事を否定する気はなさそうですね。「肯定」と受け止めて良いのでしょうか。余計歯痒くなりますね。
「神官様もオールの事を心配して下さったのですか」
笑みが戻った時、こちらに足を運べとおっしゃって下さったという事は、そのような意味に受け取れました。
「気に掛けてはおった。オールの人が変わったという話を耳にした後、ちょうど彼もここには足を運ばなくなった。この神殿はダーダネラ妃が気に入っており、時折二人で顔を見せに来ていたのだが、オールだけパタリと姿を見せなくなったのじゃ。気にもなるじゃろう。ただ一度だけ顔を合わせた時があってな。その時、また笑みが戻る事があれば、足を運べと申したのじゃ」
「そうだったのですね」
―――そういえば…。
ふと思い出した事があります。初めてこちらで神官様とお顔を合わせた時でした。
―――オール、久しゅうな。
このように神官様がオールに、挨拶をなさっていましたね。何処となく二人にしか分からない「何か」があるのだろうと察した覚えがあります。それは久々にオールがこちらへお邪魔したという意味だったのですね。
―――まさかこんな後になって分かるとは不思議なご縁です。
「その希望の光と一緒に参ったという事は既に将来を誓ったものばかりだと思っていたのだが」
神官様の視線がオールへと移ります。彼に事実の確認をしているのでしょうか。互いに想いを打ち明けた時、オールから将来を誓う言葉をもらっておりましたが、正式にはまだなんですよね。
「これからです」
―――え?
ずっと口を噤んでいたオールがそう一言、返しました。
―――こ、これからとは?
変に意識する私だけが動揺としており、オールは至って平静です。
「そうか」
オールの答えに、神官様は感慨深いご様子で頷かれました。そこに、
「もう一方、お会いをしてからと考えております」
―――?
新たな言葉を紡いだオールに、私は驚きました。
―――もう一方とは、どなたの事でしょうか?
神官様がお聞きなさらないところをみますと、どなたの事を差しているのか、察していらっしゃるようです。一体、どなたでしょうか?
「であれば、早く行くが良い」
「はい」
神官様はオールの話の意図にまで気付かれたようで、彼に行動を促しました。オールも素直にまつろい、神官様へと頭を垂らします。
「参ろう、沙都」
そしてオールは私に声を掛けますと、背を向けて歩き出しました。私は彼の後を追う前に、慌てて神官様へご挨拶をします。
「あの、神官様…「天神殿、オールを頼みましたぞ」」
挨拶も言わぬ内に神官様から驚きの言葉を重ねられ、私は胸を突かれました。
「は、はい。神官様もどうかお躯には十分にお気を付け下さいませ」
どうにかお伝えをしますと、神官様はコクンと頷かれ、そちらが「幸せにな」と、そうおっしゃっているように見えたのです…。
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「もう一方、お会いするのですよね?どなたですか?」
神官様の元から離れ、部屋を出てすぐに私はオールへと問いました。
「…………………………」
「まただんまりなんですね」
彼の横顔をじと目しながら、私は軽く溜め息をつきました。どなたに会うのかも気になりますが、それよりも…。
―――これからです。
先程、オールが神官様に伝えたあの意味は…。ほのかに期待を抱いていても宜しいのでしょうか。わざわざ私を神官様の元へ連れていき、「希望の光」というお話をしていましたよね。私の方はとっくに意を決しております。
―――オールも同じ気持ちを持ってくれていれば良いのですが。
「沙都」
物思いに耽ていますと、オールから名を呼ばれ我に返ります。顔を上げ視線が絡みますと、オールは静かにこう言います。
「もう一箇所、来て欲しい所がある」