Birth89「託される希望」




「相変わらず、ここからの景色には圧巻させられますね」

 混ざり気のない紺碧一色に染められた高い空のもとで、私は最上階テラスへと足を運んでおりました。オーベルジーヌ国を一望出来るここからの眺めは何度目にしましても、本当に心地好い気持ちとなります。

 エメラルドグリーン色の海は満天の夜空から星々が零れ落ちたようにキラキラとし、舞う風によって水面の輝きが波の動きに合わせて揺れ踊ります。そして孤島から孤島へと渡る舟が今日も数多く移動をし、とても活気づいていますね。

 この場所は時折、ナンさんと一緒に訪れていました。気持ちが浮かない時や発散させたい時に、この壮大な海と空を見る事で、心が洗われスッキリとした気持ちになるんですよね。

 今日は午後のレッスンが一つお休みになり、空いた時間を利用してシャイン様に会いに行きましたが、生憎スヤスヤとお休みをされていました。寝顔を見ているだけで、時を忘れてしまう程の愛らしいのがシャイン様です。

 ずっと眺めていたかったのですが、私がおりますと、世話係の方も気を遣われるでしょうから、結局お別れをして、ここに足を運んできたのです。ナンさんもご一緒でしたら良かったですが、彼女もお仕事がありますからね。

 お気づきかとは思いますが、ナンさんは私の世話係役を継続中です。オールと付き合いを始めてからも、ナンさんとは変わらず良い関係を築いています。嫉妬をされる事はありませんよ。ナンさんは心から私とオールの事を祝福して下さっていますからね。

「私にとって大切なお二人の幸せですので、心から祝福しますわ」

 そう彼女からお言葉を頂いた時は涙がポロリと零れ落ちました。それから暫く感動の余韻に浸っておりましたら、

「これはもう私が陛下のお慰め役に回り、かつシャイン様の母になる他ありませんわね」

 と、リアルに言われました時にはお返しする言葉が見つかりませんでした。その後も彼女はちょいちょいとそちらのお話をされます。本気でお考えのようですね。陰ながら応援をさせて頂きます。

―――あら?

 何気なく目を向けた場所に、知り合いの方の姿が見え、思わず足を止めました。

―――あちらは?

 フェンスに肘をつき、景色を眺めていらっしゃる軍服姿の女性はエニーさんで間違いないでしょうね。テラスでエニーさんを見かけるのは今日で三度目でしょうか。彼女もこちらのテラスがお気に入りなのかもしれませんね。

―――せっかくですので、一声掛けて行きましょうか。

 エニーさんの背中へと向かって歩き出します。彼女はとても身長が高く、格式のある深緑色ダークグリーンの軍服が華やかで、一際と目を引きますね。コツコツと私の歩く音が近づきますと、エニーさんも気付かれたようで、後ろへと振り返ります。

「お疲れ様です、エニーさん」
「沙都様…」

 彼女と視線が合いますと、自分から挨拶をしました。エニーさんも軽く会釈をされた後、ほのかに視線を泳がせます。どうされたのでしょうか?

「ナンが一緒では?」

 あぁ、なるほど。ナンさんの姿を気にされていたのですね。

「急に私のレッスンがお休みとなり、ここには一人で参りました」
「そうですか」

 何気にホッとされていませんか、エニーさん?私の勘違いですかね。今のは見なかった事にしまして、少し彼女とお話しをしてみましょうか。

「エニーさんもこちらの場所テラスがお気に入りですか?」

 私はさり気なく彼女の隣に並んで質問を投げてみました。彼女の表情は変わりませんが、考えに身を置かれている様子です。

「特に好んでいる訳ではありませんが、時折、足を運んでいるのは確かです」
「ふふっ、それを気に入っているというのですよ」

 思わず私は破顔しましたが、エニーさんは何処となく困惑をされているような気がします。

「私もここからの眺めはとても気に入っており、よく足を運んでいます」
「そうですか」
「今、休憩のお時間ですか?」
「はい」

 私のどんな言葉にも、エニーさんは淡々とした口調でお返事をされます。彼女は基本口調が硬く、人との会話があまり得意ではないと聞いておりますので、彼女との会話で不快感に思った事はありません。

 エニーさんは若くも軍人を取り締まる軍師です。今現在、女性の軍師は彼女だけのようですし、大変実力を認められた方ですよね。軍師のお仕事はそうですね、騎士のような役割を果たしていらっしゃいます。

 王族や宮殿の警護から王都の警備、退魔士と共に国境や王都以外の主要都市の警備など、他にも様々な場所で活躍をされています。エニーさんは私がこの世界に来てから、私の補佐役でしたが、目に直接触れない場所で守って下さっていました。

 私は異界の人間ですからね。何も問題がない訳ではありませんでした。これまで難なく過ごせていたのは、実は裏でエニーさん率いる軍の方々のご配慮があったからです。

 あまりエニーさんとは関わりがないものだと悠長な考えをしていた自分がとても恥ずかしいですね。振り返れば、私がこの世界で暮らせられているのも、多くの方々に支えられているからです。今、エニーさんを目の前にして、改めて感謝の気持ちに溢れます。

「エニーさんはお若くして軍師の職に就かれ、本当に凄いですよね」

 何気なく私は素直な持ちを吐露しました。彼女の軍師のお話を聞いた時から、純粋にそう思っておりました。

「何故、軍団に入ろうと思われたのですか?」

 彼女は女性ですし、危険を伴うお仕事ですからね。よほどの理由がない限り志願はされないのではないでしょうか。

 …………………………。

 沈黙が降りて来てしまいました。エニーさんは私から視線を外し、口を噤まれてしまいました。これは立ち入ったお話しだったのかもしれません。考えなしに質問をしてしまった事にお詫びを入れなくては。

「子供が出来にくいと言われていた両親から、命を授かって生まれてきたのが私でした」
「え?」

 ところがエニーさんの方が早く口を開かれ、その内容に私は瞠若としました。ですが、内容は喜ばしい事ですよね。

「それはもうご両親はさぞ喜ばれた事でしょうね」
「母親だけですが」
「え?」

 レスポンスの速さに驚きですが、それよりもお母様だけと言うのは?

「父は息子が欲しかったそうです。自分が叶える事の出来なかった軍人の夢を息子に託したかったようです」
「エニーさんはお父様の夢を叶える為に、軍人になられたのですね」
「はい」

 男性でも軍人になるのは大変厳しいと聞いております。ましてや女性であれば、尚の事。実現するまでにどれほどのご苦労があった事でしょうか。

「今は女性の軍人も増えておりますが、私が入る以前は女性の入団はとても厳しいものでした」

 やはりそうですよね。エニーさんの語られている表情から、ご苦労が手に取るようにして分かりますもの。

「容易な道のりではありませんでしたが、無事に入団する事が出来ました」
「そうだったんですね。一番お父様が喜ばれたのではありませんか?」
「はい、父が一番喜んでおりました」

 微かにエニーさんの口元が綻んだように見えました。表情を崩さない彼女がこのように嬉しさの色を現したのです。よほどお父様から喜ばれたのでしょう。その時の様子を思い出されて綻んだのでしょうね。

「入団されてからも、短期間で軍師の地位まで上がられたのは、またご立派な事ですね」
「入団して指揮官がオール様という事もあり、恵まれた環境のおかげで、今の地位まで上がる事が出来ました」

 彼女の努力が何よりの糧となり、夢の花を咲かせたのでしょう。夢を追うお話を耳にした時から、伝わってきておりましたが、エニーさんはとても家族想いですよね。

「託された希望以上の事を遂げたエニーさんは本当に素晴らしいですよ」
「有難うございます。とはいえ、私よりも沙都様の方が託された希望以上の事をされましたが」
「え?」

 思いがけないお言葉が向けられ、私は目をしばたかせます。真っ直ぐと私を見据える彼女の双眸には力強い光が湛えられていました。

―――エニーさん?

「沙都様はこのオーベルジーヌ国の為に、出産と魔女退治という大役を引き受けて下さり、無事に事を成し遂げられました。とても名誉な事には違いありません」
「身に余るお言葉ですよ」

 まさかエニーさんからもこのようなお言葉を頂けますとは。

「いいえ。そして貴女は我が国だけでなく、オール様のお心にも光を翳して下さいました」

 さらに思いもよらない言葉が上塗りをされ、私は心底に驚きます。

「オール様は沙都様にお逢いしていなければ、再び笑みを見せられる事はなかったでしょう」
「エニーさん…」

 以前、エニーさんと塔でお会いした時、笑顔を見せなくなったオールに、以前のような笑顔をまた見せて欲しいと願っていて下さいました。今は以前のように爽やか…とまでは言い難いですが、時折、素直に笑みを零すようにはなりましたよね。

 彼と出会った頃は既に笑わないスタイルでしたから、私は違和感なく接しておりましたが、確かに本当に笑わない人でしたからね。エニーさんがずっと心配をされていた気持ちも分かります。

「そのような勿体ないお言葉を下さり、嬉しく思います」

 私ははにかみながら、お礼をお伝えしました。すると、エニーさんのお顔からも笑みが広がります。これまでに私は彼女の笑顔を目にした事がありませんでした。オールの笑顔を取り戻した事によって、彼女の心にもまた何か響いたものがあったのでしょうか。

「沙都様には誠に感謝をしております。どうかこれからもオール様のお心の支えとなって、いつまでも幸せにお過ごし下さいませ」

 彼女が見せるこの笑顔は本当に私とオールの幸せを望んで下さっているのが分かります。そして今、私の心の中に暖かな春風が優しく舞い込んできました…。





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