Birth78「咲きゆく恋の行方」
「あぁ、マアラニの件が事なきを得そうだ」
「それは真に良かったです。私も懸念から解放されます」
「あぁ。半年もかかってようやく望む結論まで至る事が出来た。私も胸を撫で下ろしている」
今だから話せますが、マアラニの処刑に関する賛否は陛下の独断だけでは決められませんでした。陛下は処刑を頑なに許す事はありませんでしたが、マアラニの犯した罪はあまりにも大きく容易に流す事が出来ませんでした。
ですので、結論に至るまで半年もの月日がかかり、ようやく終止符が打たれたのです。最後には陛下のお強い意志が通されたのですね。結果、マアラニの命を奪う事がなくなり、私達は共に心の底から安堵感を抱きました。
きっと、マアラニも私達と同じ思いをする事でしょう。彼女が前を向いて、この先を生きて行く事が今は亡き王妃様の願いでもありますので。そして願いを叶える事が残された私達の出来る王妃様への愛の証です。
「陛下、今宵からゆっくりとお休みが出来ますね」
この半年、陛下はマアラニの件を抱えられ、精神的な意味で休まれていませんでした。そんな陛下のお躯を私は心配で仕方ありませんでしたが、マアラニに対する陛下の想いを知っている私には見守る事しか出来ませんでした。その心配も今日で解き放たれたという訳です。
「沙都…」
美しく微笑む陛下の面差しがフッと真率な表情へと変わられました。名を呼ばれた時の口調に重みを感じたのは気のせいでしょうか。
「其方にきちんと話をしておきたい事がある」
「お話しですか?」
私は陛下の「きちんと」というお言葉が引っ掛かり、首を傾げます。
「半年も経ち、今更な話ではあるのだが…」
「なんでしょうか?」
深刻なお話しなのでしょうか。何処となく陛下の口元が重そうに見えるので、神妙な気持ちとなります。
「其方はこの世界へ参ってから、己の使命をまっとうに行ってきた。代理出産から魔女退治と、無理難題の事を押し付けられたにも関わらず、其方はよくやり遂げてくれた。今でもそれは感謝し切れない」
「陛下」
改めて陛下からお礼を言われますと、己の使命の重さと成し遂げた誇りを感じさせられます。それは半年が経った今でもしっかりと脳裏に焼き付いている鮮明な出来事ですから。
「シャインを出産してくれた後も、その手できちんと育ててくれておる。本来、専属の使用人に任せる仕事を其方は寝る時間までも割いて代わりを務め、誠に頭が上がらない事ばかりだ」
「私には身に余るお言葉です」
「いや、私は本当にそう思っておる。感謝しているぞ」
「陛下…」
心温まるお言葉です。陛下の感慨深い表情が真のお気持ちだと物語っていらっしゃいました。
「それから沙都、この先の事だが」
「え?」
「先の事」、そう陛下の口元から出たお言葉に、私の心臓が一段と跳ね上がりました。陛下は何をおっしゃるおつもりなのでしょうか。
「其方はこれからもこの世界におるのか?」
「え?」
―――それはどういう意味でしょう?
ドクンドクンと酷くゆっくりと打つ心臓の音に情感が揺さぶられます。私がこちらに残る事は陛下にとってご都合が宜しくないのでしょうか。私は妙に後ろ向きな考えを抱いておりました。ですが、その考えは無用だとすぐに分かります。
「私を含め、皆が其方には残って欲しいと願っておる。ただこちらの世界の住人としてやっていくのであれば、其方の今の地位はあまりにあやふやだ。そこをきちんとしたものにしてやらなければならないと思っている」
「陛下?」
―――ドクンッ!
強く波打つ心臓に息が詰まりかけます。陛下のおっしゃる「きちんとしたもの」という意味は…。私は胸の内にある「予感」が沸きました。この「予感」はきっと私の思い違いですよね。
―――ドクンッドクンッドクンッ。
脈打ちが速まり、私の躯が硬直となります。視線は陛下の口元へと縫い付けられます。まるで最後の審判が下されるような瞬間だったのです。その僅かな時が恐ろしく長く感じました。気が付けば手から熱が伝わり、陛下の大きな手に包み込まれておりました。
「私は正式に其方を妃…「陛下」」
私は恐れ多くも陛下に言葉を重ねていました。
―――やはり陛下は私を妃に迎えようとしているのですね。
陛下のお気持ちを察した私は無意識に瞼を閉じていました。この状況に私はとても驚いています。しかし、それよりも平静さを保とうとしていました。動揺しているだけでは大事な気持ちは伝えられませんもの。
「沙都?」
声色だけで陛下が瞠目なさっているのが分かります。私はゆっくりと瞼を開き、陛下の視線を捉えます。
「陛下、誠に恐れ多い事ではございますが、私にはおっしゃる地位は必要ございません」
私はギュッと手を握り返します。それはしっかりと意思をお伝えする行為でもありました。
「沙都?」
「陛下にはご自分のお気持ちに正直でいて頂きたいのです」
私の言葉に陛下はまるで心を覗かれたような反応をされ、言葉を失っているようでした。陛下からの「妃」にというお言葉に、偽りを感じた訳ではありません。陛下の真の誠意だと分かっております。
シャイン様を出産した私が今のあいまいな地位では体裁が宜しくないのかもしれません。いえ、体裁というよりも、陛下は私に対する感謝の気持ちを形に表そうとなさっているのかもしれません。
以前の私であれば、躊躇う事もなく申し出を受け入れた事でしょう。真に愛した陛下からの待ち望んでいた言葉ですから。ですが、今は違います。確かにこの上ないお言葉である事には変わりありません。しかし、それが陛下の真のお気持ちであればのお話です。
ふとここで思い出した事があります。ダーダネラ王妃様がお別れをなさる前、陛下にお伝えしていた、あの「この先、陛下がどのような道を選ばれたとしても、真に幸せでいらっしゃるのであれば、それは私の願う幸せでもあります」というお言葉。
あれはこの先、陛下が共に歩むお相手の方をおっしゃっていたのだと思います。私はあの時の王妃様のお気持ちを悟っていました。あれは私の事ではありません。それに王妃様のお気持ちを悟らなくても、私自身が妃を望んではいないのです。
陛下の隣にいるべき女性は私ではありません。今、陛下の心にいらっしゃる方はきっと…。それに私は心の底から陛下の幸福を願っております。陛下は私がかつて愛した大事な方です。共に歩む事が出来なくとも、彼の幸せを願わずにはいられません。
そして決して陛下は悲恋で終わる方ではありません。誰よりも愛する人を深く愛して下さる方です。そのような陛下ですので、これからの先、真に愛する方と共に人生を歩んで欲しいと願っております。
「陛下、そのお心だけで私は十分でございます」
私は決然たる語調でお伝えを致しました。今の私は晴れやかな表情をしている事でしょう。偽りのない気持ちを吐露致しましたので。
「沙都…」
「私もダーダネラ王妃様と同じ気持ちを持っております。陛下がどのような道を選ばれたとしても、真に幸せでいらっしゃるのであれば、それは私の願う幸せでもあります。陛下、どうかご自分のお気持ちに偽りなく、お進み下さいませ」
気持ちを伝えた私は陛下の手をそっと離します。それは陛下に対する想いを断ち切る意味でもありました。それからある決断が鮮明に浮かび上がります。いずれきちんとお伝えしようと思っていた事です。とうとうそちらをお伝えする時が来たのですね。
「陛下…」