Birth75「新しい生命」




「ヒッ、ヒッ、フー、はい!もう一度、ヒッ、ヒッ、フー」

 白衣姿のナンさんは胸元の前で、両肘を曲げて拳を固く握り、私の陣痛の波に合わせて呼吸法を行(おこな)って下さいます。見ようにはナンさんが出産されるような真剣なレクチャーです。破水され極期へと入り、陣痛の間隔が狭まり始めて、私はより強い痛みに見舞われていました。

「うっ…ナ、ナン…さん…痛…すぎ…まして…で…出来ま…せん」

 分娩台の上で滲む汗で顔を湿らせる私は本気の無理をナンさんへとぶつけます。

「沙都様、お辛いのは分かりますが、ここはしっかりと呼吸法をおこなって下さいませ。でなければ、御子のお躯にもご負担がかかります」
「うー」

 ナンさんからピシャリと跳ね除けられてしまい、私はらしくもない弱音の声を洩らしました。言われた通りの事を行いたいのですが、この形容し難い痛みによって、ままならないのです。ご出産をなさいました世のお母様方、心の底より尊敬を…い、痛すぎます!

 痛みに耐え切れず、気絶してしまいそうです。一層、気絶出来たらどんなに良いのでしょう、いいえ、それでは御子の命に危険が!私がきちんと呼吸をしなければ、御子に酸素が届かず苦しんでしまいます。

「“ヒッ、ヒッ”は短く二回吐いて“フー”と深く長めに意識して吐いて下さい。多少のいきみはこの呼吸で逃す事が出来ます」
「は…はい」

 さていきなり出産場面と話が飛んでおり、さぞかし驚かれている事でしょう。私自身が一番そう思っていますから。実は予定より一週間早い出産の時期を迎える事となりました。一週間前ですし、それなりに準備と覚悟はしておりましたが、それにしても突然すぎます!

 朝食までは普段と変わらない日常でした。朝食を頂いた後、ナンさんと一緒に最初のレッスンのお部屋へと向かう途中、突然に猛烈なお腹の痛みに襲われて、私は動けなくなりました。なんと陣痛が始まっていたのです!

 慌てる私を前にナンさんは手際良く、出産の準備をおこなって下さり、無事に私は分娩の間まへと行き着けました。が!ここからが本当の闘いでした。室内はリラックス効果を上げる為の森をイメージさせる色調が黄緑色の壁で、木々のデザインが描かれていました。

 そして助産師さんがまさかのナンさんなのです!室内へと入った時、彼女がそのまま準備の指示に入られたので、疑問に思っておりました。彼女が女性以上に女性らしくいる為、出産についてまでお調べをしていたのだと感心していたところ…。

 なんと!ナンさんは家政業務のエキスパートならず、助産師さんでもあったのです!彼女が出産について詳しかったのも納得です。という事で、ナンさんには私の大事な部分が赤裸々ですよ。もうこの痛みで羞恥心なんて気にしていられませんが。

 とはいえ、お知り合いの中でナンさんだけに見られるのであれば良かったのですが、目の前にはオールさん、エヴリィさん、エニーさんと皆さんが立ち会って下さっています。それでもってエヴリィさんなんて、無遠慮に私の秘境の地を覗いていましたからね。

 今はヒョッコリと澄ましたお顔で、私の様子を眺めていますが。私は痛みとの闘い中ではありますが、これだけはエヴリィさんに確認しておきたい事がありました。確か以前に彼から聞いていたあのお話についてです。

「エ…エヴリィ…さん」
「なんでしょう、沙都様」
「御子は…私の…お腹に…合わせた…大きさ…なん…です…よね?」
「さようですよ」
「でしたら…何故…この…ように…身が…裂ける…ような…痛み…なの…ですか?」
「沙都様、陣痛は月のものの痛みより数億倍の痛みだと言われておりますから」

 いいえ、実際は数千億倍痛いですよ!

「確かに私は母体の大きさに合わせて胎児は育つとは申し上げましたが、だからと言いまして、出産時に痛みを伴わないとは一言も申してはおりませんよ」

 うっ、言われてみればそうですが、飄々ひょうひょうと澄ましたお顔で言われてしまい、そちらの無駄に綺麗なお顔を八つ裂きにしてやりたい!と思ってしまいます。あ~、普段ならこのような悍ましい気持ちにはなりませんが、これもすべてこの痛みから逃れたいからですよね!

「エ…エヴリィ…さん…この…痛みを…魔法で…緩和…して…下さい」
「それはなりませんよ。自然分娩が一番安全なご出産です。下手に魔力を取り入れて、万が一の事があっては一大事です。ましては陛下の御子ですからね」

 最もなお応えなのかもしれませんが、私がこの痛みから開放して欲しい事には変わりありません。どうしようもないと分かっているつもりでも、痛みに耐えらそうもない私は涙をボロボロと流していました。

「ちょっと!エヴリィ、沙都様に余計なストレスを与えないで頂戴!今は弛緩法が大事なんだから、もう、アンタがいると出産に障りがあるから出てってよ!」

 私の涙する姿に、ナンさんがエヴリィさんを叱責されました。

「え、そうかな?そもそもオカマのナンが助産している方が、沙都様のストレスになっているんじゃない?」
「なんですって!」

 エヴリィさんの応えにナンさんが憤慨されてしまいました。ナンさんも相当神経を尖らせているでしょうから、怒りが爆発されたのでしょう。それからナンさんとエヴリィさんのああだこうだと言い合いが始まってしまいました。

―――やかましいです!

「二人とも目障りだ。今は出産に集中しろ」

 私の煩わしい気持ちを悟ったように、エニーさんが目頭を立てて、お二人に注意をして下さいました。

「ふっわぁ!」

 あぁ、再び強い波が私のお腹を襲いギュッと締め付けます。あまりの衝撃に意識が飛び掛かり、瞼を閉じてしまいました。

「沙都様、娩出期へ入ります!いよいよいきみ始めますよ!顔に力が入らないよう目を開いて下さいませ!」

 言い争いから戻られたナンさんから指示を受けますが、とても目を開けられる余裕などありません!

「う゛ぅぅ…む…無理です!」

 痛みが大きすぎて思わず力んで呼吸を止めてしまいます。それが如何に御子の負担になっているのか分かってはいるのですが、躯は楽な方へといこうとするのです。

「沙都様、しっかりなさって下さいませ」

 落とされた声と共に、スッと手に何か大きなものが包み込まれ、温もりを感じました。何かと反射的に瞼を開きますと、

―――う、美しすぎる、ひゃ、百万ドル宝石が間近に!

 温もりはオールさんの大きな手でした。彼は膝を床へとつき、心配そうな面差しを向けて、私の手をギュッと握って下さっていたのです。

―――凄絶な痛みではありますが、眼福です!

「え?なんかオール、オイシイポジションに入ったよね?君は沙都様の何?ご主人かい?」

 オールさんの背後から、エヴリィさんが突っ込まれたような気がしましたが、空耳と思いましょう。あぁ~!痛いです!強烈な痛みが幾度も波寄せてきます!

「沙都様、陣痛の波に合わせて二回深呼吸して、三回目で息を止めて、臀部でんぶからグッと押し出す感じでいきんで下さい!陣痛が遠のいている時はリラックスして下さいね!」

 ナンさんの指示通りにやりたいのですが、痛みと共にズンズンと重くなる下肢に呼吸が上手く整えられません。私はオールさんの手を握り潰すのではないかとぐらい、ギュッと掴んでおりました。

―――ナ…ナン…さん…私…には…で…出来…ません。

 もうそれを口にする事すら出来ませんでした。い、意識がもう保ちそうもありません。

「沙都様!」

 オールさんが必死で私の声を呼ばれたような気がしました。その時です!

―――バァアアン!

「沙都!」

―――え?

 乱暴に開かれた扉の音と共に名を呼ばれ、一気に意識が現実へと引き戻されました。扉から現れた人物に、私は瞳が零れ落ちそうな程に吃驚しました。





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