Birth73「永遠の至福を願い」




「沙都、貴女にはなんとお礼を申し上げれば、良いのでしょう。私達の一存で異世界にいる貴女を召喚し、代理出産だけではなく、魔女の討伐までと、なんとも無茶な大役を懇願しました」

 王妃様の少し決まりが悪そうなお顔から、言葉の真意が伝わってきておりました。

「しかし、貴女は異を唱える事もなく、すべてを受け入れてくれました。これにはみなも驚きが隠せませんでした」

 懇願を受け入れなければ、国が滅びると聞かされていましたからね。受けざるを得なかったと言いますか。改めて考えても、とんでもない話ではありますが、今となっては全く後悔をしていません。

「貴女のその寛容な心と、そして冷静な思考が事を上手く運んでくれました。そんな貴女だから、杖は天神に相応しいと認めたのでしょう。杖が認めた時から、貴女は私達の希望そのものとなりました。いくら力量と器があっとしても杖に認められなければ、意味を成しませんからね。そして今回の事件は天神の力なしではどうする事も出来ませんでした」

 そう伝えられた言葉が如何に重い意味をもつのか、改めて事の重大さを実感出来たように思えます。杖は無力な私に力を与えただけではなく、王妃様にも力を貸していたのです。杖は無くてはならない大きな存在でした。

 そのような杖から認められ、また王妃様から「杖に認められた時から、希望そのものとなった」というお言葉を頂けて、自身を誇りに思っても良いのでしょうか。ここまでの道のりは本当に大変な事ばかりでしたからね。とはいえ、道のりを作って下さったのは、やはり目の前にいらっしゃる王妃様のおかげです。

「天神の力だけではありません。ここまでの道のりを作って下さったのは王妃様です。ずっと私にアティレル陛下とマアラニの記憶を送って下さっていたのは王妃様だったのですね?」
「そうです。アティレル陛下とマアラニの記憶が真実を知る最後の希望でした。いずれ貴女なら気付くであろうと願い、夢の想起をおこなっていました」
「気付かれたのはエヴリィさんでしたが」
「貴女の発言で、エヴリィも気が付く事が出来たのです。彼が気付かなければ、ゼニス神官がこちらへ陛下を連れて来る事はありませんでした。今のこの結末とは全く異なるものになっていたかもしれません」

 まさにそうですね。陛下がこちらにいらっしゃらなければ、私達はマアラニと戦わざるを得なかったかもしれません。あの時の彼女は我を忘れていました。闘わなければ、こちらの命が危うかった事でしょう。

「陛下とマアラニの出来事は終わりを迎えました。沙都、私から最後のお願いです。貴女のお腹にいる御子を無事に誕生させて下さい。御子は次代のオーベルジーヌ国を担う大事な後継者です。それになにより、私は陛下との御子を世に残したいのです」

 そうお告げになった王妃様の切なるお気持ちを察します。御子は陛下と王妃様のお二人が愛し合った証です。王妃様は真に陛下を愛しておられるのですね。その愛を形として残しておきたいのだと思います。

 それは陛下も同じ望みを持っていらっしゃる事でしょう。お二人の繋がっている絆が私をこの世界へと導いたのですから。召喚がどれだけ大変な事であるのか、リスクを承知の上で召喚を決行されたゼニス神官様とエヴリィさんも、お二人の想いを守って下さっていたのですね。

 他の周りの方々も同じです。オールさんもエニーさんもナンさんも皆さんの思いが一つになったからこそ、出来た事だと言えます。そう思えば、アトラクト陛下とダーダネラ王妃様が如何に愛されていらっしゃるのか、身に染みるようにして分かりました。

 私自身も王妃様にお会い出来た事を心の底から嬉しく思っております。ここまで人の心を打つ高尚な女性かたと巡り合えた事に感謝しています。まさに善良の鏡というべき方です。

「分かりました。初出産という大役ではありますが、王妃様のお気持ちにお応えしたいと思います」
「感謝します、沙都。その言葉が聞く事ができ、安心して私は来世を迎えられそうです」

 そう満足げに笑みを深められる王妃様はどの宝石よりも美しく煌いていらっしゃいました。ただ来世というお言葉に、胸がチクリときました。やはりこの後、王妃様の魂は浄化をされてしまうのでしょうか。居た堪れない気持ちに駆られ、私はおのずと顔が沈みます。

「最後にアトラクト陛下」

 陛下の名を呼ばれた王妃様のお声にドキリとした私は視線を戻します。他の方を呼ぶ時とは何処か異なる温かみのある声色でした。そして、お二人の周りは水が合うように和やかな空気が流れていらっしゃいました。

「陛下、この度は容易ならざる出来事でございました。それも時を超えた綾なす思いではありましたが、結果このように収める事ができ、そしてもう一度、陛下とお逢い出来た事をとても嬉しく思っております」

 嬉しさにはにかんで頬を赤く染める王妃様はまるで可憐な少女のようでした。そのような喜色に溢れる王妃様を前にして、陛下は何処かしら憂色ゆうしょくを浮かべていらっしゃいます。

「其方はずっと傍にいたのか?」
「沙都がこちらの世界に来てから、彼女の傍におりました」
「そうだったのだな。其方が近くにいたというのに、私は全く気付く事が出来なかった。例え死霊の其方でも逢えれば、どんなに良いかと願っておったのに」

 陛下の睫毛に翳られた黄緑ペリドットの双眸は切なさを湛えておられるようでした。そのお気持ちは分かります。愛する人が間近にいながら、知らずに過ごしていた事に無念を感じずにはいられないのだと思います。

「無理もありません。私の存在はゼニス神官やエヴリィですら、お気付きではありませんでしたkら」

 王妃様は優しく陛下を宥められますが、陛下の憂いのお顔は深まっていきます。

「そうか。だが、私は其方に顔向け出来ぬ行為をしていたな」

 その言葉を耳にした私は後ろ髪を引かれる思いが生じました。そうです、王妃様がずっと私の傍にいらっしゃったというのであれば、当然、陛下とのねやの諸事をご覧になっていた筈です。陛下と同じく私は具合の悪さに心痛となっておりました。

「何をおっしゃるのです。陛下のおこなった事に誤りはございません。すべては御子の為と存じて…」
「それだけではない。マアラニの事もそうだ。結果、其方を失った事にはなんの変わりもない」
「陛下…」
「私は其方が生前の頃、生涯を歩む事を誓っていたにも関わらず、それを守る事が出来なかった。その上にアラニとの約束も果たせていなかったという事実、私は常に愛する者を不幸にしてしまうのだな」

 陛下は強い自責に心を痛めておられるのです。今回の事件は運命に翻弄されたとしか言いようがありません。それでも陛下はご自分を責めずにいられないのですね。

「陛下、マアラニの件は手の施しようのない外的要因でした。ご自分をあまり責めないで下さいませ」
「それでも私は…「陛下」」

 心を痛まれているのは陛下だけではなく、目の前で見ていらっしゃる王妃様もご一緒です。

「陛下がそのように悲しいお姿をなさっては、私は天へと向かいたくはありません」
「ダーダネラ、お願いだ。私を置いて逝かないでおくれ」
「陛下?」

 陛下のお気持ちにぐご様子が感じられました。滅多に目にする事のないそのお姿に、王妃様も息を呑まれたご様子です。

「お願いだ。傍にいてくれるのであれば、死霊でも構わない。私は其方を愛している。其方なしでは生きている心地がしないのだ」

 身を震わせ切望をなさる陛下はお手を延ばしますが、王妃様のお躯にお触れになった途端、スッと躯をすり抜けたのです。気が付けば、先程よりも王妃様のお躯は薄くなっておられました。

「ダーダネラ?」

 陛下は茫然となさっています。それは他のみなも同様でした。王妃様のお躯の薄さが残された時間の僅かさを表しているように見えたからです。そのような緊張の糸が縫う中で、王妃様は涙ぐましいご様子になりながらも、懸命にお伝えになろうとなさっています。

「私も真に陛下を愛しております。私は陛下に愛されて生涯を送る事ができ、この上ない至福を頂きました。肉体が無くなり死霊となった後も、改めて愛されている事を目にし、最後まで幸せを実感する事が出来ました。その私達の愛は御子の誕生で残ります。陛下、どうか悲しまないで下さいませ」
「ダーダネラ!御子は確かに私達の愛そのものだ。だが、御子と其方は他者だ。私は其方と共に御子の成長を見守っていきたいと思っておる。今、其方を目の前にしておるというのに、別れるなど私には出来ぬ!お願いだ、ダーダネラ。傍にいてくれ!」

 陛下から瞼を焼くような熱い涙が流れておられました。掠れたお声で一心に哀願される悲しみがヒシと伝わってくるさまに、王妃様は涙眼を浮かべ、グッとこらえていらっしゃり、見守っているこちらの落涙らくるいは止まりません。

 陛下の必死なお気持ちが私の胸の内側へと流れ込み、切なさで痺れるその想いに酷く胸が焦がされます。この感情の持って行き場のない痛みをどうすればよいのでしょうか。共感をしているのは私だけではありません。

 そこにいる皆が同じ苦しみを伴っておりました。マアラニはやるせない気持ちで啼泣ていきゅうし、神官様は微動だに一つされず、オールさんはうれいの色で目を細め、エヴリィさんは顔を伏せて唇を噛み締めていました。

 なにより今、陛下が思っていらっしゃるそのお心は王妃様もご一緒ではないでしょうか。陛下のお傍を離れたくはない筈です。それでも王妃様は決して陛下のお言葉には同調をなさいません。お気持ちを重ねてしまえば、天との約束を、掟に反してしまうからでしょう。

「陛下、どうかお聞き下さいませ」

 王妃様は悲しみに負けず、陽光のような美しき笑みを陛下へと向けて、手を差し伸べられます。陛下も手を重ねようとなさいますが、やはりスルリと通り抜けてしまいます。触れ合う事が叶いませんが、王妃様は言葉で触れ合おうとなさいます。

「この先、陛下がどのような道をお選びなさっても、真に幸せでいらっしゃるのであれば、それは私の願う幸せでもあります。陛下は我がオーベルジーヌ国の主であり、そして象徴でもあります。民衆は貴方を誇りに思っております。行く末はご自分の気持ちに偽りなく、しっかりと前を進んで下さいませ。そして御子と共に幸せを歩んで行って下さい」

 想いを告げられた王妃様の手は離れ、お躯がフワリと上昇して行きます。

「ダーダネラ!」
「陛下、笑みをお見せ下さい。最後は貴方の笑顔を見てお別れを致したいのです」

 別れ際に笑顔を切望なさる事は酷ですが、もし私が王妃様であれば、同じ事を申し上げていると思います。愛する人の悲しむ姿を見て別れたくはありません。幸せを実感なさっている笑顔を求めると思うのです。

 王妃様に与えられた残り僅かな時間の中で、願いが叶えられるのは今この瞬間だけです。陛下にはきちんと王妃様の想いが伝わっていらっしゃいました。繕う笑みではなく、安堵を感じさせる温かな笑顔をお見せになります。

「ダーダネラ、私は其方と出逢い、愛せた事が本当に幸せであった。私に幸福な時間を与えてくれ、そして愛を残してくれた事を感謝している。沙都に託した御子は必ずや幸せにし、次期国王として立派に育てていく事を約束しよう」

 私は陛下の笑顔の裏に、別れの覚悟をなさっている事に気付きました。

「はい、約束です。私はずっと陛下と御子を、そしてオーベルジーヌ国を見守っております」

 約束を交わされた陛下と王妃様のお顔から幸福な笑みが零れていらっしゃいました。お二人は決して悲しみには呑まれず、交わされた絆はこれからもずっと紡がれて行く事でしょう。そして王妃様のお躯がフワリと上昇なさります。

「もう逝かなければなりません。最期に…」

 王妃様のお躯は薄れていきながら、天へと昇って行かれます。

「真に真に愛しておりました、アトラクト陛下」

 そう残されたお言葉を最期に、王妃様のお姿は消散されました。最後の最後まで陽だまりの笑顔を見せて下さり、それは散りゆく桜のように儚い美しさではありましたが、王妃様の気高さが私達の心の奥へと深く刻み込まれていったのです…。





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