Birth66「600年前の出来事」




 どうやらここはブロンズ像が建つ何処かの庭園でしょうか。例のお二人の姿を目の前にしておりましたが、いつものような微笑ましい光景ではありませんでした。

「とうとうそのような日が訪れたのですね」

 深刻な面持ちを伏せる女性の姿に、私は釘付けとなっておりました。彼女の瞳は悲しみの翳に縁取られ、目には見えない悲しみが伝わってきます。

「私は今回の婚約の話を受け入れるつもりはない。初めからそのつもりでいた。だからそのように顔を沈ませるでない」

 俯く彼女の顔を覗き込むようにして、陛下は力強い口調で応えられます。

―――婚約?そういえば、国王陛下様でいらっしゃいますものね。

 時代へと歴史を紡いでいくには結婚は必須と言えるでしょう。ですが、目の前の女性とはそちらが叶わないのでしょうか。

「陛下、何をおっしゃるのです?」

 顔を上げた女性の訝し気な表情は心底に驚いている様子でした。

「陛下は次代を担う後継者を誕生させる義務がおありなのですよ?」

 女性の言葉に陛下は顔を横に振られます。強い意志を含んだ決然たる眼差しに、女性も身動みじろぎせず、陛下の瞳を見つめ返していました。

「私は其方と共に生涯を歩んでいくと誓った。其方と歴史を紡いでいきたいという言葉を信じてはくれなかったのか?」
「そのようには思ってはおりません。ですが、現実の出来事が訪れる前のひと時の夢であると、私は割り切っておりました。陛下、私はもう十分に夢を見させて頂きました。どうか私の事は忘れ、陛下の歩むべき道へと進んで下さいませ」

―――これは…別れの会話でしょうか。

 切実に伝える女性ですが、胸の内にある本当の想いを押し殺しているではないでしょうか。愛する人を手放す勇気のある決断は相手の立場を想ってこその真の愛と言えます。

 そんな彼女の必死な想いを陛下もお分かりになっていらっしゃるのでしょう。彼はそっと女性の左頬に手を添えられ、口を開きます。その様子がとても真剣で、見ているこちらまでも強い緊張が流れました。

―――この光景を私は何処かで見た事があるような気がします。何処で…。

 記憶の欠片を掴みかけようとしましたが、それはスルリと逃れてしまいます。

「私は其方にひと時の夢など見させた覚えはない。私の命がある限り、ずっと傍にいると申した筈だ。何故、身を引こうとする?」
「私は…私は陛下のいらっしゃる表の世界で暮らす事が出来ません。私は周囲には認められぬ存在、“魔女”であるのですから」

―――え?

 私は目を剥きました。この女性はまさか魔女なのですか?確かに海に棲んでいると不可解な言葉を話されていた記憶はありますが。外見は人間となんら変わりありません。とはいえ、種族が違うというのは複雑な問題であり、禁断の恋なのかもしれません。

「住む世界が異なるのです。陛下はこのオーベルジーヌ国の歴史を担う大事な大事な方です。陛下の世継ぎを生めぬ私と一緒にいては、陛下の今後の未来に大きな支障をきたします」
「私は其方以外を受け入れるつもりはない。いずれきちんとした場で其方を迎い入れるつもりでおる」
「陛下…」

 揺るぎのない陛下のお言葉に、女性は言葉を失っていました。嬉しさと複雑さが紙一重といったなんとも言えぬ気持ちなのかもしれません。

「必ず周囲には認めさせる。私の言葉を信じて待っていてくれぬか?」
「陛下…」

 それまで張り詰めていた女性の表情が弛緩され、みるみると安堵の色を広めていきます。それは傍はたから見ていた私も、彼女と同じ気持ちになりました。このままお二人の幸せを心の底から願いました。

 そしてまた突然に変化が訪れます。辺りの光景がスッと真っ白に薄れていくのです。きっとまた光景が変わるのでしょう。今度は不思議と不安がありませんでした。慣れたのでしょうか。次第に開けていく視界に次の展開を期待する自分がおりました。

―――どうか、あのお二人の明るい未来が見られますように…。

 そう願いを込めて私は次の光景を待ちました。ところが…。

「陛下!いつになりましたら、お心を決めて下さるのですか!」

―――ビクッ!

 一人の男性の叱咤される声に、まるで自分が怒られたように肩を竦めてしまいました。何事かと私は声が聞こえた方へ視線を移します。

「そう怒鳴るでない」
「これが声高にならずにいられますか!今回ばかりははぐらかされませぬぞ!」

 玉座に腰掛ける陛下と、彼と対面して立っている一人の男性の姿がありました。陛下は相変わらず見目麗しい姿で威風堂々と落ち着いた雰囲気でいらっしゃいましたが、反対に男性は苛立っている様子です。

 男性は臣下の方でしょうか。年は私の世界でいえば50歳前後に見えます。身長はさほど高くはなく、褐色肌の全体的に顔のパーツが細く尖がっています。ただ陛下ほどではありませんが、絢爛な身なりからして格式の高い方だと窺えます。

「一生涯を共にする相手なのだ。候補された相手ではなく、私自身で決める」

―――これは…。

 内容は陛下の結婚についてでしょうか。これはまたとんでもない場面に出くわしたものです。

「お言葉ですが、陛下。お考えの方がおられるご様子ですね。ですが、その方との婚姻を認める訳には参りません」

 澄み切った落ち着きのある声が入りました。いつの間に現れたのでしょうか。50歳前後の男性の隣には私よりも年の若い男性が立っていました。背は高く、黒曜石のような色をした髪の一部に、オリーブ色のメッシュが入られているのが印象的です。

 透明感のある肌の白さと端正な顔の作りは間違いなく美形の部類に入る方です。ですが、表情に色味が感じられず、何処かひんやりと冷たい感じを受けます。あちらの服装はローブでしょうか。紫色のものを着衣されています。

「勝手に何を調べたのだ?」

 たわやかな陛下からの空気が鋭く豹変されます。確かに若い男性の言葉はとても意味深であり、まるで陛下の想いをご存知のように見えました。

「陛下、どうかお許し下さいませ。貴方様は我がオーベルジーヌ国の大事な主でございます」

―――オーベルジーヌ国?何処かで耳にした名前です。

「種族の異なる魔女とは我々王族どころか民衆にも受け入れられる筈がございません」

 若い男性が謝辞を入れつつも、伝えた言葉は厳酷なものです。やはり、彼は陛下の想っている女性を、しかもその方が魔女いう事までもご存じだったようです。

「魔女ですと!?そ、そんな事があってたまりますか!そのような事が周囲に知られでもしましたら、我が国は他国から非難され、見捨てられてしまいます!絶対に許しませぬぞ!」

 もう一人の男性が過敏に反応し声を張り上げ、陛下への叱責に拍車がかかります。相手の女性を断固反対をしているようでした。

「陛下!お耳を傾けていらっしゃるのですか!いいですか、陛下には我々が用意した縁談の方と婚姻を結んで頂きますぞ!」
「勝手に決めるでない」

 強要を促された陛下の表情には怒気が孕んでいらっしゃいました。周りの空気も只ならぬ淀みが渦巻き、私も息を詰めて見届けます。

「陛下、一存で国を衰退させるおつもりですか?」

 陛下の逆鱗に触れても、尚も冷静に言葉を返す若者です。

「そうです!これは紛れもない陛下の我儘ですぞ!私は断固反対です!認めませぬ!」
「陛下、フューシャ様もこうまで申しているのです。どうかお考えを改めて下さいませ」
「ならん。私は考えを変えるつもりはない」

 …………………………。

 これ以上は何を言われても、陛下は口を閉ざしていらっしゃいました。私は居た堪れない気持ちとなって、様子を見守っていましたが、一方通行の会話で何も先には進まず、とうとう痺れを切らした褐色肌の男性は美形の若者を連れて、部屋を後にしてしまいました。

 その後の情景は陛下ではなく、臣下のお二人に向けられました。部屋を後にした彼等の表情それぞれがとても複雑であるのが分かります。褐色肌の男性はイライラされていますし、美形の彼も無表情ではありますが、何処か不満げな様子に見えます。

「サラテリ、何か対策を考えるのだ!」
「分かっております。ではオーベルジーヌ国宮殿へは魔女が顔の出せぬよう、結界を張る事に致しましょう。そうすれば、今後は陛下が例の魔女と顔を合わせられる事もなくなるでしょう」
「それは良い考えだ!それであれば、陛下も諦めがつき、縁談を受け入れるかもしれぬ!」
「少々、陛下がお気の毒にも感じられますが」
「何を言っている!これもアティレル陛下の為、いえ、我がオーベルジーヌ国の未来の為だ!陛下も後になれば気の迷いであったと理解される」
「さようですね」

―――アティレル陛下?…オーベルジーヌ国?

 耳に纏う陛下の名前と国名…。ジーンと胸に浸透するその二つの言葉はもやがかかっていた大事な事柄を表へと出現させました。

―――思い出しました!私はオーベルジーヌ国へと導かれ、出産と魔女退治を任されたのです!

 そして王妃様が現れて魔女の元へと向かい…。あの陛下と一緒の女性は魔女だったのですか?陛下はアトラクト陛下ではなく…アティレル陛下だと!そうしましたら、ここは600年前の世界だと言うのですか!

「では早速、主要大臣と師達を呼び集め、結界の件を実行致します」

 驚愕して固まっている私の前で、若者は優美な笑みを浮かべて、意を決します。

―――大変です!

 彼等の言う通りになってしまえば、陛下とあの魔女じょせいは二度と会えなくなってしまいます!あれだけ愛し合っているお二人なのです。そんな惨い事をするだなんて!

―――なんとかしなければ!

 私は心にそうに強く思っていたのですが、次の光景へと移った時、既に出来事は流れており、状況は一変していたのです…。





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