Birth64「魔女と王妃」




 私は咄嗟に頭を抱え、その場にしゃがみ込みました。計り知れない数の破片に突き刺さる凄惨な光景が浮かんだ反射的な防御でした。

 …………………………。

―――?

 数秒経ち、意識がある事を確認した私は恐る恐る目を開きます。

「これは…?」

 目に映った光景は真っ新な白い空間でした。

―――あれらの鏡は何処にいったのでしょうか?

 まるで初めから何もなかったように、痕跡の一つも見当たりません。ですが、オールさんと離れてしまった事実が、変化のあった事を現していました。それに加え、この森閑とした空気が漂う時は危険の前触れを知らせる時だと感じるのです。

―――ドクドクドクッ。

 オールさん…。彼の安否、一人となった心細さ、動揺する心臓の音に比例して警告を知らせる杖の光り、そのような不安の荒波が幾度も押し寄せてきます。

―――サァアア―――。

「?」

 俯いていた顔を上げます。風圧が肌に当たり、これは変化の予兆なのでしょうか。

―――バクンバクンバクンッ。

 先程よりも強く打ち突く心臓の音が、より杖の輝きを強めているようでした。一体これから何が…。

 …………………………。

 ところが、覚悟を決めて待っていても、何も変化は起こらないのです。しかし、杖の光は収まってはいません。どういう事でしょうか。こちらの出所を見計らっているのでしょうか。

 …………………………。

 さらに数分と私はその場に立ち尽くしておりましたが、これ以上何もせずにいても、この心臓の音に耐え切れそうもなく、この場から離れる事にしました。

 その時です。

―――ブワッ!

 ひとしきり吹く風に襲われ、思わず目をすがめます。その刹那、目の前の宙からうっすらと靄のかかった何かが現れました。気のせいではないかと思わせる程の僅かなもの。純白の空間と同化しており、分かりづらかったのですが、徐々に形が露わとなっていきます。

―――あれは?

 ゆらりと揺れ動く黒いもの…。空中を流れるように舞い踊るそれは魔物なのでしょうか。緊迫感に見舞われる私はグッと杖を握り、前方に杖を翳します。そして靄が解かれていくと、その存在が明らかとなりました。

―――女性の後ろ姿?

 ふわりとした黒いものは「髪の毛」のようでした。艶を帯び流線的な長い髪は風に舞い、その美しさに私の視線は縫い付けられていました。モデルのように細身でスラリと背の高いその姿に、

―――私は見覚えがあります。

 よく知り得た姿であり、懐かしさに似た気持ちが私の心に広がります。心を奪われたかのように陶酔していましたが、女性の姿が揺らいだ時、私はハッと息を呑みました。ゆっくりと振り返るその姿はスローモーションで見る映画のワンシーンのようでした。

―――ドックンドックンドックン。

 何かを期待するように私の胸は鼓動が高鳴ります。薄紫パープ色のドレスの上で映える透き通った乳白の肌、眠り姫のように瞳は閉じられていますが、月光の下で輝く花のような神秘的な美貌は目も魂も吸い込まれそうな美しさです。

 互いの躯が向き合った時、女性の瞼がゆっくりと開かれます。そして視線が絡んだその瞬間、映し出される深紅の瞳に躯中が慄然としました。

―――ドックン!

 発作のように大きく波打たれた心臓に、息が止まりそうとなりました。恍惚状態から恐ろしい現実へと引きずり込まれていく感覚です。

―――こ、これは…毎夜見る夢の中で感じた事のある圧迫感!まさか彼女は…?

 ずっと紡げなかった破片がようやく一つの完成型として成り立ったように思えました。答えが現れた喜びよりも、ずっと混乱の方が勝っており、躯は大きく強く震撼しておりました。

―――彼女はあの夢の中に出てくる女性なのですか?何故ここに!

 ずっと彼女は自分を体現化した人物だと思っていました。しかし、実際は全くの別人だったという事ですか。まさか夢の人物が実在していたなんて、これが困惑せずにはいられますか。

 彼女は宙に浮遊したまま、私を見下ろしています。向けられる眼差しは冷たく憎しみの青い生気が燃えているように見え、それが何を意味しているのか理解出来ない私は怯える小動物のようになっておりましたが、彼女から視線を外す事が出来ません。

 ゾッとするような完璧な美しさとその絶対的な存在が私の魂を揺るがす恐怖となっているのです。そのような時に、いえ、そのような時だからこそ、気付いてしまったのかもしれません。彼女が…王妃様に呪いをかけた「魔女」ではないかと…。

―――ドックン!!

 心臓を鷲掴みされるような感覚に息苦しくなります。そして閉ざされていた彼女の口が微動すると、私は瞳を大きく見開きました。

「イ…マイ…マシイ」

―――え?

 美しい容貌からは想像のつかぬ、何かに重くのし掛かったような掠れた声でした。それよりも彼女の発した言葉の意味は…え?

「消エロォオオ――――――――――!!!!」

 人の声とも言えぬ恐ろしい叫び声、ガッと開かれた異様に殺気立った深紅の瞳と共に、彼女の手が私へと翳されたのです。攻撃と思った私は咄嗟に杖を向けようとしました。ところが…。

「きゃっ…ぁああ――――!!!!」

 死を思わせる断末魔の声が辺りに響き渡ります。

「え…」

 稲妻が爆発して現れた閃光が頭上で放散し、とても目を開けてはいられない筈なのですが、私は瞳が零れ落ちそうな程に大きく見開いておりました。頭上で黄色い閃光に襲われ叫び声を上げる一人の女性に恐懼きゅうくしていたのです。

―――この女性は何処から?いえ、どなたなのでしょう!


 攻撃は私ではなく目の前の彼女へだったのか、それとも私を庇って彼女が攻撃を受けてしまったのか、そもそも何故このような状況になっているのでしょうか!

 混乱が混乱を招き、尚も続く女性の叫び声と恐ろしい光景に、足が竦み、額からは汗が流れ、私はどうする事も出来ずに立ち尽くしていました。

―――ど、どうしたら良いのでしょう!

「くっ…」

―――え?

 私が躊躇している間に、目の前の女性が瞼を開きました。最後の渾身の力といった様子で意識を取り戻され、私は息を止めて見入っていました。

「ひゃあっ!」

 私は短い悲鳴を上げます。女性の全身から青白い光が放たれ、彼女を覆っていた黄色い閃光を瞬く間に遥か彼方へと跳ね退けたのです!その一瞬の出来事に漆黒の髪をもつ女性の表情にも驚きの色が現れていました。

「はぁはぁはぁ」

 私の頭上から全身で息をする声が聞こえてきます。

「え?」

 頭上へと視線を向けた私は躯が動かなくなりました。揺れる陽炎かげろうのような光りに包まれたこの世の者とは思えぬ程の美しい女性がおり、そして私は彼女を知っています。

 陶器のような真っ白い肌、ペールブロンド色のフェミニンカールがされたフワフワの長い髪、瞳はローズクォーツの宝石のようなピンク色、ピーチのような色と膨らみのあるプルンとした唇、そしてサーモンピンク色をした花柄のシフォンドレスを着たこの女性は…。

「貴女はダーダネラ王妃様…?」

―――何故、ここに王妃様がいらっしゃるのでしょうか!

 先程まで恐ろしい光に覆われていた女性がまさかのダーダネラ王妃様だったというのですか!もう私は何がなんだか分からず、思考回路が塞がれておりました。王妃様、そして目の先には毎夜夢に現れていた美女。何故、彼女達がここに?

 …………………………。

 それぞれの警戒する念が辺り一面の空気を淀ませておりました。ダーダネラ王妃様と漆黒の髪の女性は互いをきつく見据えています。牽制し合う彼女達からビリビリとした視線の糸が見えるようでした。

「やっと姿を現しましたね、私に呪術をかけた魔女」

―――え?

 この世界に訪れる前に一度耳した事のある王妃様のソプラノ声。それは今も変わらず美しいお声でしたが、口調はとても厳酷なものでした。

―――魔女?

 私は王妃様から漆黒の髪の女性へ視線を移しました。射抜くような鋭い眼光を宿す彼女はやはり例の呪術をかけた「魔女」だったのですね。やっと彼女の元へ。しかし、これからの事を考えれば、新たな緊張の糸が張り、私はグッと杖を握り返しました。

「残留…死霊…ト…ナッテ…マデ…存在…シ…続ケル…忌々…シイ…女メ」

―――え?

 王妃様の声に、魔女は不可解な言葉を返しました。残留死霊とは…?

「オマエ…サエ…イナ…ケレバ…」

 さらに続く魔女の言葉に、まるで呪いの言葉をかけられているような恐怖を感じます。

「アノ人ハ…ワタシノ…モト二…キテイタノ二…オマエサエ…イナケレバァアア―――――!!!!」

―――ピカッ!!

 再び魔女の叫び声と共に、閃光が放たれました!私は杖を翳し、その攻撃を跳ね退けます!閃光は火球のような速さで魔女の元へと返りますが、見事に逃れられてしまいます。私の反撃に魔女は恐ろしい形相を見せていました。あの魔女の様子は、あれは憎悪、怨恨、厭忌、そういった負の念で渦巻いているように見えました。

―――魔女は一体何をあそこまで恨んでいるのでしょうか。それに先程の言っていた「あの人」とは…?

 いえ、今はそれを考えている余裕はありません!魔女の攻撃をやめさせなければ!

「王妃様、私は魔女と戦います」
「それはなりません」

 私は覚悟を決め、戦う意思を伝えましたが、王妃様はそれを否定されたのです。その表情は凛呼りんこした真剣そのものです。

「何故ですか?魔女を討伐しなければ御子の命も」
「魔女を退治しても事は終えられないのです」
「え?」
「根本的な事が未解決のまま終わってしまうのです」
「それはどういう?」
「彼女と戦ってはいけません。沙都、よく聞いて下さい。次の攻撃が掛かった時、それを跳ね退け、そして私と一緒に彼女へと向かって下さい」
「え、あの?」
「何も考えずに彼女の元へと走るのです。私を信じて、本当の終焉はそこから始まります」

―――え?





web拍手 by FC2


inserted by FC2 system