Birth60「始まりの扉」




「ここは…?」

 目を凝らすようにして辺りを見渡すと、驚く事に記憶にある光景が広がっており、私は棒立ちとなっておりました。もしかして…?

「執務の塔から目にする光景と似ていますね」

 私の隣で目を細めて言うオールさんも同じ事を思われていたようです。そうです、確かにオーベルジーヌ国の宮殿、執務の塔のテラスから目にする光景と相似しています。ですが、似ているようで何処か違和感を感じるのです。

 空は陰鬱な影の雲が広がり、いつもであれば、微風に踊らされ煌くエメラルドブルーの水面はまるで油を流したように動かず輝きを失っていました。辺りは不気味なほど静まり返っていて、生命の気配を感じさせません。ここは私の知る執務の塔からの景色なのでしょうか。

 …………………………。

 私もオールさんも共に口を閉ざしておりました。頭では何か行動を起こすべきだと思ってはいても躯が思うように動きません。

―――ドクンッ。

 何かに反応したように胸が波風を立てました。危険を警告するように動悸が高鳴り、不安が汗という形で流れ出てきます。畏怖が隙間なく纏わり付くような感覚です。

「あれは?」

 オールさんの不穏な兆候を現した声が、私の胸の内に強い緊張を走らせます。彼と同じ前方の空へと視線を向けると、私は息を呑みました。…あれは何でしょうか?形容し難い「何か」が私達の方へ向かって来ていたのです。

―――いえ、迫って来ている?

 それらは飛んで次々と姿を現していきます。近づいていく内につれ、それらの姿が明確に見えてきました。全身が影のように真っ黒であり、背中からは大きな翼を羽ばたかせていました。とても人とは言い難いものです。

「どうやら魔物どもが近づいて来ているようですね」
「え?」

 茫然とする私とは違い、オールさんは殺気立った様子で状況を口にします。

―――あれらが魔物?…た、大変です!

 数が相当いるのです!さすがにオールさんが優れた退魔師でも、私の天神の力が発現しようとも、あの数と戦うのは部が悪過ぎます!

「オールさん、早く逃げ…」
「始まりに過ぎなかったのかもしれません」
「え?」

 言葉を重ねられ、私はその意味が把握出来ずに彼を見つめますが、真意は読み取れません。

「あの…?」
「先程のドラゴンはこの場所へといざなう為の扉に過ぎなかったという事です」
「え?」

 あの恐ろしかったドラゴンが始まりに過ぎない?胸の内でオールさんの言葉を繰り返した時、私はハッとある事に気付きました。何故、私は攫われたのか?何故ドラゴンが私を襲って来たのか?何か「目的」があった筈です。それこそまさに…?

 そして魔物達は確実に私達へと迫って来ていました。今はドラゴンの目的の事よりも、まずはここから逃げ出す事を先決に考えなければなりません。私はオールさんへと呼びかけます。

「オールさん!この場から早く逃げましょう!さすがにあの数では太刀打ち出来ません!」
「いえ、戦わなければ我々は先には進めません」
「え?」

 返ってきた答えがあまりにも私の意と反していたので、どう反応をしたら良いのか困惑とします。

「あの数とどのようにして戦えというのですか?」
「沙都様、我々の目的は魔女討伐です。あれらは全て魔女の手で作り出された手先なのでしょう。逃げていては到底魔女の所には行き着きません」
「それはそうかもしれませんが、多勢に無勢ではありませんか?」
「私が全面的に戦います。沙都様も可能な限り、お力添え願います」

 戦う前の意を決した軍人のように、力のある眼差しを見せるオールさんを見て、私は覚悟を決めざるを得なくなります。確かにこれで逃げ切る方が至難でしょう。いつかはこのような覚悟をする時がくるとは思っていましたが、こうも予兆なしに訪れるとは…。

 私の運命は唐突にやって来るものばかりで、正直恨めしく思います。そして私は懐から杖を取り出しました。案の定、杖は姿を見せた時から輝くばかりの青白い光を放っており、危険度の高い事を表していました。

 その光りを目印にされたのか魔物達はスピードを上げ、私達を目掛けて飛行して来ます。オールさんは彼の姿を映す鋭利な長剣を構えて戦闘態勢へと入っており、私も杖に願いを込め、戦いへと構えておりました。

 思いが通じたのか、私の手の中で微動した杖は黄金色の光りへと変わり、尖端で渦を作っていました。私は杖が力を発動すると確信します。そして魔物達が間近に迫ってきますと、私は目を疑いました。確かに人ではないと思っていましたが、驚きは隠せません。

―――あれは一体?

 闇のように禍々しい黒一色であり、以前、オールさんが獣に変貌した時のように躯全体が影に覆われています。コオモリを思わせる小さな顔立ち、顔の大きさには似つかわしくない骨格が隆起した獰猛な躯は人間に近しい形をしています。極めつけは切れ味が鋭そうな有翼を広げ、身長は二メートル弱あります。

 さらに手には真っ黒な槍を持っており、尖端が三方向に別れていました。観察出来たのは数秒の事で、気が付けば魔物達は私達の目の前まで来ており、槍を振り被っていました!オールさんも私も攻撃へと構えます!

―――シャキーン!!

 隣で剣と槍が弾き合う音が鳴り響きました!そして私は前へと翳した杖の先から漲る力を湛えた光が突風のような音と共に放たれました。

「ひゃっ!」

 驚きを見せた私ですが、放光し質量感をもった杖を必死で放さず、魔物達へと差し向けておりました。放たれた光は前方にいる魔物を突き抜け、さらに後方へと伸びていき、光を受けた魔物達は苦痛の叫声を上げて姿を消していきます。

「「「「「ギィァアア―――――――!!」」」」

 戦闘中にも関わらず、私は茫然としてしまいます。たった一回の杖の振りで、思っていた以上の力が発揮されたのです。天神の力の偉大さというのはこの杖の力があってこそであると実感しました。

 そう長くは呆けてはいられませんでした。魔物からしたら仲間が一瞬にして姿を消したのです。彼等はより殺気立てて、私へと目掛けて来たからです!私はもう一度、杖を振り落として放光します。

 再び光は魔物達へ疾風の如く流れて行きます。手前にいた魔物の殆どは直撃を受けていましたが、後方にいた者達は避けられたようです。先程の様子を一度見て知恵をつけたのでしょう。とはいえ、二度目の私の攻撃で、魔物達も心なしか私と距離を取るようになりました。

 下手に私の前に来れば、散らされてしまいますからね。状況は緊迫としたままですが、私は少しばかりの余裕が生まれます。これも杖の強大な力のおかげです。そんなほんの少しの余裕もあって、辺り全体を見渡してみました。

 それにしてもなんという数の魔物達でしょうか。何百、いえ何千といるのではないでしょうか。どんよりとしていた白い空がいつの間にか魔物達によって暗闇化となっていたのです。改めて数を認識した途端に、余裕という気持ちが一掃されてしまいました。

 いくら杖が万能とはいえ、本当にこの数を相手にして戦えるのでしょうか。再び私は打ち震えが襲ってきます。あれらの魔物はすべて魔女が作り出したと聞きましたが、どれだけの魔力をもつ魔女なのでしょうか。話を耳にした時から彼女の恐ろしさを把握していたつもりでしたが、考えが甘かった事を思い知らされました。

「ギィァアア―――――――!!」

 近くで魔物の悲鳴が響いていました。考えに集中しておりましたが、そうです、オールさんは必死で魔物達と戦っているのです。彼もまた人の身体能力を超えた目も留まらぬ速さで、魔物達を次々と切り伏せていきます。

 魔物に剣が貫くとオレンジ色の光が放たれていました。あちらはノーマルな剣ではなく、魔力を宿した魔剣なのかもしれません。お一人で、よくあそこまで相手に出来るものかと、私は大きく驚駭きょうがいします。

―――はっ!

 彼に気を取られ、隙を与えてしまった私の眼前には槍を振り下ろそうとする一人の魔物の姿が見えました。





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