Birth59「芽吹く情花」
まだドラゴンの姿が明確に見えるか見えないかの時でした。氷の剣はまるで矢の如く目にも留まらぬ速さで、ドラゴンへと向かって行ったのです。私は息をつくのも忘れ、矢の行く先を追います。
永遠に長いようで、刹那の瞬間でした。ドラゴンの姿が完全に現れた頃、疾風のように飛び掛かる氷の剣をドラゴンは眼前にし、咄嗟に素早く口を大きく開き、喉元を覗かせたのです!
「ギィァアア―――――!!!!」
―――!?
私は息を押し殺し、視線はドラゴンへと釘付けになりました。ドラゴンは反射的に炎を噴き出そうとしたのかもしれません。しかし、それが却って痛手となり、氷の剣が喉元を貫いたのです。
「ひゃっ!」
突然、私の躯が浮遊しました。何が起きたのか分からず戸惑っておりましたが、すぐにオールさんの腕の中に包まれている事に気付きます。私は彼に抱えられたまま、なんと宙へと浮遊していたのです。オールさんの魔力はここまで出来るのですか。驚きを隠せませんが、今は何よりもドラゴンの事が先決です。
地上から距離をとり、オールさんと共に様子を俯瞰しておりました。氷の剣はドラゴンの喉元に突き刺さったまま、ピクリとも動きません。ドラゴンは激しく踠いて咆哮し、その場にのたれ回ります。どんなに蠢いても剣から逃れる事は出来ません。
距離があるとはいえ、あまりにも凄絶な光景に、私は言葉を失っておりました。あれでは地上にいても身の危険を及びます。だからオールさんは上空へと避難された訳ですね。そんな茫然とする状況の中で、新たに吃驚する出来事が起こりました。ドラゴンを苦しめる氷の剣が突如、青白い光を放ったのです。
―――!?
「あれは…?」
光りが増していくと同時に異変が起こります。ドラゴンは喉元から躯全体へと氷づいていくのです。私は視線を縫い付けたままでした。氷漬けとされていくドラゴンの躯は拘束され、ピタリと動きが止まっていきます。
まるで映画を観ているような感覚ですが、これは現実なのです。そして瞬く間に氷化していき残されているのが首から顔のみとなりますと、口元から咆哮が上がりました。
「ギィァアアアアア――――――――――!!!!」
私達へと向ける恨みつらみを含んだ怒号の叫声に聞こえました。目が焦がされそうな恐ろしい光景に、戦慄が躯中へ駆け巡りますが、しっかりと抱かれているオールさんの腕によって、なんとか気丈を保られておりました。
…………………………。
そしてとうとうドラゴンは最後の顔までもが、みるみると凍結となったのです。辺りは何事もなかったように静寂としていました。わずか数秒の出来事でした。完全に氷化となったドラゴンはまるでオブジェのように固定して立っていました。目は見開いたまま固まり、氷…ですからね、息の根は止まっている筈です。
そうはいっても恐ろしいと思う感情はそうそう拭えません。それは未だ竦んだ自分の躯の状態をみれば分かります。心臓はまるで手すりのない吊り橋を渡っているかのようにバクンバクンッと鳴り止まずにおりました。
そんな私を労わるように抱擁するオールさんの腕の温もりが、少しずつ私の恐怖を緩和していきます。不思議ですね。あんなに恐ろしいと思っていた筈なのに、彼の腕の中はいつも心地良さを与えてくれるのです。徐々に落ち着きを取り戻そうとした時でした。
―――ピリッ!
「え?」
何かが割れる音が私達のいる上空へと響きました。もしや今のひび割れの音は…?迸る嫌な予感です。
―――パリパリパリパリパリパリッ!!
「ひゃぁあっ!」
大きく裂き割れる恐怖の音に、思わず私はオールさんへとしがみ付きました。思っていた通り、これはドラゴンを凍らせた氷が割れているのです。
―――パリパリパリパリパリパリ――――――ンッ!!!!
「…っ」
声にならない声を洩らし、私は戦慄きます。ま、まさかとは思いますが、ドラゴンは生きていて氷を破ったのでは!?私は恐る恐る視線を地上へと落とします。
「!?」
目に映ったものに…ドラゴンの姿はありませんでした。代わりに派手に崩れ落ちた氷が辺り一面に散りばめられていたのです。どうやら氷はドラゴンごと粉々に砕けてしまったようです。それを目にした私は一気に脱力感に見舞われました。
ホッと安堵を抱いた同時に力が抜けてしまったようですが、忘れていました。今、私がいるこの場所は地上ではありません。崩れてしまえば落下してしまいます。私は再び恐怖に見舞われましたが、グッと元の位置に躯を力強く引き寄せられました。
「あ、有難うございます」
ホッと一息をつき、私はお礼をお伝えしました。こうやっていつでもしっかりと私を支えて下さるのですね、オールさんは。何処となくはにかむ気持ちがあり、彼と視線が合わせられません。
「お見事でした」
照れ隠しに私は言葉を口にします。
「光栄です。あれは何者かによって作り出された魔物の一種です。肉体はあってないようなものでした」
「え?あんなにリアリティでしたのに?」
あのレベルのものが本物ではないと?今でも生々しく私の眼裏に焼き付いています。
「はい。本物なものであれば、もっと強力です」
「そうなのですか?」
「またあのドラゴンの属性は炎でしたので、氷が弱点でした。強大な力を持つ者は無属性の場合が殆どです。属性をもっていた事からも、見た目騙しの下級の魔物と言えるでしょう」
「あ、あれが下級だったんですね」
お、恐ろしいです。私一人でしたら吹き飛ばされて、今頃はお陀仏になっていたところでしたよ。
「あの、先程のドラゴンは例の魔女ではなかったという事ですよね?」
「残念ながらそうですね」
「そうですか。私を攫った者を考えれば、すっかり魔女だと思っておりましたが。いえ、それよりも、まだ私には魔女との対戦が残っているというのに、大切な杖を何処かに吹き飛ばしてしまい、手元から無くなってしまいました」
「杖ならこちらにございます」
「え?」
サラッと答えられたオールさんの手元から、私の天神の杖が差し出されました。それを目にした私は口がポカンとなります。え?…え?
「どうしてオールさんがこの杖を持って?」
「私がこちらに参ってすぐ杖が目の前に飛んできまして咄嗟に手にしました」
「なんとまぁ」
私を抱き止める前に杖も受け取って下さっていたのですね。自分の手に戻った杖を握り私は胸を撫で下ろしました。これがなければ魔女退治などもっての他でした。
「本当に有難うございます」
「いえ、礼には及びません」
ふふっ、オールさんらしい返答ですね。軽く微笑み彼を見上げておりましたが、ふと視線を泳がせてみれば、現実を感じさせられます。辺りは相変わらず、混ざりの一つもない純白な空間です。生き物は私達だけのようにすら感じさせます。本当にここは一体…?
「あの、オールさんはどうやってこちらまで来られたのですか?」
「ここへと参る前、深紅の海を目にし、危険を察しました。これは魔女が現れる前兆だと予期し、早急に貴女の元へと駆け出しました」
「え?」
「貴女を見つけた時、既に深紅の海に呑まれようとする姿を見て、すぐに後を追いました」
「う、海の中に飛び込んだのですか!」
「はい」
今、サラッと彼はお答えしましたが、凄い事ではありませんか?血色とも言える不明の赤い海に飛び込むというは勇ましい行動ですよ?
「命に危険があったかもしれないのにですか?」
「貴女が攫われているのを目にして、行動を起こさないなど有り得ません。私は貴女の守り役ですので」
揺るぎのない真っ直ぐな答えに胸が打たれます。自分の危険も顧みず、私の為に飛び込んで来て下さったわけですよね。そもそもオールさんは任務中であって、すぐ私の傍にいた訳ではありません。それですが、危険を察して私の元へと駆けつけて下さったのですよね。胸が打たれない訳がありません。
胸の奥底にまでじんわりと染み渡る温かさを感じます。彼はそう、いつも大事な時に現れて私を助けてくれます。見目好く、そして強さも優しさも持ち合わせていて、まさに物語に出てくるヒーローのようです。
―――ドクンドクンドクンッ。
…?確かに脈打つ鼓動に私は驚きます。
―――この鼓動の意味は…?
「それ」を追求しようとした時です。
「「え?」」v
私とオールさんは同時に声を洩らしました。何故なら真っ白な空間から、新たな光景が映し出されてきたからです。
―――何が起ころうとしているのでしょうか…。