Birth56「開かれた途」




―――まだ抜け切れていませんね。

 今朝、陛下を見送った後、いつもであれば、すぐに身支度を始めるのですが、今日は頭の中が夢現ゆめうつつのように朦朧としており、今、私は寝台へと腰を落としておりました。

 出産前ですし、躯の変化でも現れてきたのでしょうか。後でナンさんに訊いてみた方が良さそうですね。この後のレッスンに乗馬やダンスといった運動がないので助かります。

「ふぅ」

 珍しく溜め息をついてしまいました。本当は体調というよりも精神的なものが大きいのかもしれません。夢見があまりよろしくないのも、それが関係しているのでしょうね。目覚めの気分がスッキリしなく、躯が重く感じておりました。

―――昨日の出来事…。

 本当に色々とありました。陛下の本当のお気持ち、オールさんやエヴリィさんの誠意、そして今宵…。初めてでしたね、昨夜は陛下と躯を重ねておりません。気分が思わしくないと申したところ、あの陛下が「そうか…」と、一言おっしゃり、事は成されずに就寝に入られました。

 私は精神的なものから気分が乗りませんでしたが、陛下も同じお気持ちだったのかもしれません。昨日のあのようなお姿を目にしてしまえば、そう思いざるを得ません。翌日となってもまだ私の脳裏に焼き付いているぐらいですから。

◆+。・゜*:。+◆+。・゜*:。+◆

 急遽、今日のレッスンがお休みになりました。朝、ナンさんが来られた時にお聞きしましたが、どうやら陛下が私の体調が思わしくないとお伝えして下さったようです。陛下からとはなんとも畏れ多い事です。

 ナンさんも私の躯を気遣って下さり、今日は自室でゆっくりと休む事になりました。食事は部屋まで用意下さいましたし、体調の回復が期待出来そうでしたが、部屋に一人いましても、悶々とした考えが駆け巡り、外に出たいという欲求が生じました。

 ですので、昼食後は少し外へ散歩しに行く事にしました。訪れた所は緑溢れるあの大庭園です。やはり気分が優れない時はこの緑に囲まれた庭園で、マイナスイオンをもらうのが一番の癒しです。

 庭園内を歩いてみましょうか。普段はここの風景を見渡せるベンチに腰掛けているだけですが、今日は歩いてより気持ちを朗らかにしていきましょう。ここはまるで不思議の国のアリスに出てくる迷路のような庭園ですね。

 心なしか探求心といった気持ちが湧き出ていました。緑の葉の壁には薔薇ようなエレガントな花々が咲き溢れ、庭園の絢爛さを際立たせていました。彩りも豊富ですし、お金を支払ってでも目にしたい程です。

 興味深げにどんどん奥へ奥へと進んでいきます。本当にアリスになったような気分となり、トランプの兵士でも出てくるのではないかとワクワクとしてきました。こういう気持ちにさせるのも、この庭園の魅力なのでしょうね。

―――数十分後。

 どうやら庭園の外に出たようです。思っていた通り、本当に広大な庭園ですねー。いい運動になりましたが、果たして元の場所へ戻れるかが心配です。

 んー、きっとそれは難しいかと思われます。来てしまったものは仕方ありませんね。今日は運良く、レッスンもお休みとなった事ですし、のんびりと道を探しましょう。

―――あら?

 庭園を出てから、また新たな並木通へと続いているようでしたが、その道とはまた別の小路に目が留まりました。そして何故だが分かりませんが、風に誘われるように押し出された私はその小路まで足を運んでみました。

―――一体、何処に続いているのでしょうか?

 小路の先は森へと繋がっていて、庭園とはまた違った緑々しい葉から澄んだ新鮮な空気が流れていました。陽射しが万遍なく当たっているようなので、上手く光合成がされ、良い空気が生み出されているのでしょうね。

 それにきちんと歩道になっているようですね。という事はこの道は普段、誰かが使われているという事になります。この先はどのような場所になっているのでしょうか。

 …………………………。

 5分ほど進んだところでしょうか。視界がガラリと開け、どうやら森から抜けたようです。視界に先は広々とした草原となっていましたが、すぐにある場所に意識が集中しました。

―――あちらは…?

 ある一定の場所に囲むように彫刻の像が建っており、その中には随所、花によって囲まれている箇所がありました。草地の上にあるのでしょうか。

―――これは?

 彫刻の像に近づくと、花に囲まれている中の物が気になりました。そこには石造りの四角いプレートが置かれており、そちらには何やら文字が彫られています。これは西洋のお墓に似通っていますね。

―――ここはもしや墓地でしょうか。

 鼠色の数センチの厚さと段になっているだけのシンプルな石造です。王族のお墓にしては簡素のように思えますが、一つ一つのプレートには生き生きとした花々が囲んであり、とても華やかに見えます。

 聖地ではあるでしょうから、勝手に踏み入れて良いものか悩みましたが、思い切って中へと入って行きました。サッと目を通すだけも広い敷地ですね。いくつか区画されているようです。

 辺りは清閑で不思議と落ち着いた雰囲気であり、人の気配は感じられませんでした。とはいえ、これだけの手入れが行き届いているので、定期的に誰かが綺麗にされているのだと思います。

 ふと足元のプレートに視線を落とすと、やはりと思いました。プレートの上には人名と死去の日付が刻まれていました。間違いありません、ここは墓地です。現実世界でいえば、西洋墓地の造りに近いでしょうか。少し先へと進んでみる事にしました。

―――それにしても…。

 これだけの数の方々が眠っていらっしゃるのですね。歴代を感じさせられます。深い歴史をもつ国ですので、さぞかし英傑えいけつに活躍された方々が眠っていらっしゃるのでしょう。私は由緒あるお墓を歩いているわけですよね。

 そして最初の入り口が見えなくなった頃、次の区画に足を入れた私はハッと目を大きく見開きました。とりわけ際立つ石造りの墓の前に立つ人物を目にし、それが思いもよらぬ方だったからです。

―――オールさん…。

 彼だと認識した途端に、鼓動は確かな音を奏で始めました。昨日の出来事の彼に包まれた温もりが、また躯の内に戻ってきたように熱を感じます。

―――どうしましょう。

 顔を合わせづらいと思いつつも、何処か期待するような気持ちもありました。相反した気持ちをもったまま、私はオールさんの方へと近づこうとした時です。彼が突然に片膝をついて腰を落としました。

―――?

 そしてさらに彼は目を固く閉じ、深く顔を伏せたのです。微動だに一つせず、何かを祈るように、ずっとその姿勢のままでした。その様子はまるで懺悔をしているように見え、そしてせつに翳る彼の表情が私の胸の内を強く打ち突けたのです。

―――あのお墓はもしかして…?

 ドクンッとまた胸が波打ちます。彼が祈りを込めているお墓は花の種類から彫刻まで周りにあるプレートとは遥かに異なり、その場所だけが特別であるかのように華麗な装飾となっていました。

―――間違いありません。きっと、あちらのお墓はダーダネラ王妃様のもの。

 そう確証しました。ではオールさんは…?

―――今もダーダネラ王妃様を想われて…?

 そう思った刹那、気を失いそうな重い虚脱感に襲われます。

―――陛下もオールさんもお二人共、ダーダネラ妃を想って…。

 とどまる事のない脈打ちとガクガク震え上がる足に立っているのがやっとでした。そして最後にはやるせない気持ちが胸の内から爆発し、私はその場から姿を消し去りました…。

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 陛下の想いを知り、使命すら煩わしく思い、この世界から消え失せてしまいたいと荒んでいた心に温かな場所を与えてくれたのがオールさんでした。普段、必要以上の事には関わってこない彼が温もりで包んで下さり、私の心に再び芽を吹かせてくれたのです。

 彼も辛い恋を終え、私の気持ちを分かって下さっているように思えました。それだけではありません。彼は私に会う前から私の立場を考え、見守って下さっていました。さらに破顔をお見せして下さり、私の事を特別に思っているのでないかというエニーさんの言葉に感嘆しておりました。

 特別という言葉に思い上がっていたのですね。これでは陛下の時と全く同じではないですか。お二人とも今でも王妃様に想いを馳せ、すべては彼女への愛で事が成り立っていたのですね。どれほど、彼女は深く愛されているのでしょうか。揺るぐ事のない深い情愛です。

 異世界の住人を召喚して代理出産させようとも、魔女退治をさせようとも、どんな無理難題もすべて王妃様を愛するが故におこなわれていた事だったのです。そこに容易く他人が入れるものではないと思い知らされました。もう胸の痛みすら麻痺して感じられません。

―――もう消えて無くなってしまいたいです。

 ふと目線の下を覗きます。いつ目にしても金色に映え、輝きを失わない渺々びょうびょうたる海に目が奪われます。ここは最上階のテラスでした。何も考えられず、行き着いた場所がここでした。

 今日の海ですが、妙に惹きつけられていました。忘我となって海を見つめておりますと、ある一点からザッと波が被さる音と共に荒波が立ち、私はハッと我に返り一驚をします。どうしたのでしょうか、このような荒波が立つのを目にするのは初めてです。いえ、荒波は立たない筈では?

 荒波はさざ波のように重ね重ね湧き起こり、次第にぶつかり合う水音の激しさに恐怖を感じるようになりました。嫌な予感が過ります。何か只ならぬ事が起ころうとしている…?動揺する心に連動した心臓が乱調子となり、耳がキーンと鳴り響きます。

 気が付けば、空と海が黒い渦に巻かれ、まるで嵐が訪れたように思えました。ところが、それよりももっと……あれはなんでしょう…?目を疑いました。狂ったように荒波を躍らせている海が赤くなっていったのです。

―――深紅の海?

 血を沁みこませたような赤色に恐怖を煽ります。そしてドクドクと耳の奥から毒々しい脈打ちが鳴り響いていました。これは一体…?気持ちとは裏腹に深紅の海から目線を逸らせずにおりました。まるで魂まで奪われたように魅入っていたのです。

―――え?

 これは目の錯覚なのでしょうか?深紅の海が私へと近づいてきていました。いえ、まさか…?

―――私が海へと近づいている?

 そう思った時、躯が逆さまに浮遊しているのを感じたのです。いつの間に私は落ちて…?落下しているのにも関わらず、それはゆっくりとした映像を見せているかのように見えました。そして…。

―――呑み込まれる!

 渦巻く海を眼前にした私の視界は幕を閉じたのでした…。





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