Birth54「美しき温かな花」




―――私は一体、陛下の何を見て来たのでしょうか。

 こちらの世界へ訪れてから一ヵ月以上、共に過ごしてきた陛下です。今宵、陛下と躯を重ねるごとに、私は愛情を感じておりました。それは麗かな春風に包み込まれたような暖かさの時もあれば、灼熱の陽に蕩かされるような情熱的な時もありました。

 ですが、それらすべては私の思い込みだったのですね。私は陛下をお慕いしている事に舞い上がり、一番大切な事を見落としていました。一度だって陛下から「愛している」のお言葉があったでしょうか。それは躯を重ねるよりも大事な事でした。

 どうして気付かなかったのでしょうか。いえ、今思えば、心の何処かで気付かないようにしていたのかもしれません。認めてしまえば、陛下の傍にいる意味を失うような気がしたからです。

 陛下のお心は今もダーダネラ王妃様しかいらっしゃいません。この大国オーベルジーヌの歴史を紡いでいくのは勿論ですが、なにより王妃様との御子を誕生させる事を大切にされているのです。すべては愛するダーダネラ王妃様の為だったのですね。

 そこに私を想って下さるお気持ちはなかったのだと思います。私はなんて愚かなのでしょう。きちんと追求していけば、分かっていた事ではありませんか。私は都合良く考えて、自分の居場所を作っていただけだったのです。

 あのような神とも言える存在の陛下が私のような一個人を相手にする筈がありません。あくまでも私は代理出産だけの役目の存在です。現に先程、私がすぐ傍まで来ていた事も、そして去って行った事も陛下はお気付きにはならなかったでしょう。

 …………………………。

 午後のレッスンすら忘れていた私は行く当てもなく、宮殿内を彷徨っていました。どのぐらいの時間が経ったのでしょうか。何処に行くわけでもなく、只々意味もなく歩いておりました。無意識に自分の居場所を探していたのかもしれません。

―――?

 ここは…?どうやら私はある一室に足を踏み入れていたようです。芸術の塔に相応しい美術品を設えた広間となっています。そして右奥の扉が開いている事に目が留まりました。あの先は別室へと繋がっているのだと思います。どことなく、扉の先へと進もうとしましたが、ふと話し声が聞こえ、咄嗟に扉に身を隠します。

 声はよく知っている男性お二人でした。私はチラッと覗いてみます。私から見て彼等は背を向けていますが、やはりと思いました。藍色ダークブルーの退魔師の制服を着用したオールさんと、彼の隣には華やかな金色の刺繍が印象的なローブを纏っているエヴリィさんがいました。

 彼等のいる部屋は執務室でしょうか。本棚や机といったアンティークなデザインの調度品が並んでいます。珍しいですね、お二人が一緒なのは。いえ、退魔師と魔導師であれば、情報の共有がありますものね。今までお二人だけというのを見かけた事がなかったので、珍しいと思ったのかもしれません。

「すべて陛下の想いをお守りする為だからね」

―――ドクン。

 エヴリィさんの口から陛下の名が出ると、私の心臓は大きく跳ね上がりました。先程の陛下を目にした出来事が生々しく蘇ってきます。それを打ち消すかのように私は顔を横に振り、視線を彼等へと戻します。

「なんせ陛下は王妃様を十年以上も想っていらっしゃったからね。オマエが王妃様と付き合うよりもずっと前だ。それだけ陛下の王妃様に対する想いは計り知れない。だから今回も異世界にまで手を伸ばして召喚した訳だしね。本来であれば、次の妃を迎えてその方との御子を望むべきであっただろうけど、陛下はそれを決してお考えにはならなかった。ダーダネラ王妃様との御子でなければ、意味がないという事だ」

―――ドクンッ。

 え?今、エヴリィさんの口からはなんて…?

「陛下の気丈夫には尊崇するよ。王妃様がお亡くなりになって数日後には別の女性を抱かなくてはならなかったからね。世継ぎの為とはいえ、とても酷な事だよ」

―――ドクンッドクンッ。

 続くエヴリィさんの言葉に、心臓をじかに強打されたような衝撃が走ります。彼の言う女性というのは…もしかして…私の事?

「今宵は常に沙都様がご一緒だし、悲しみに浸る時間も許されない。本当に気の毒でならないよ」

 映るエヴリィさんの姿が目に焼き付き、血も凍りそうな冷然とした表情が私の胸に突き刺さります。決定づけられるように出た自分の名前です。陛下は…私が…私が一緒だから……お泣きする事が出来ない…?頭の中が真っ白となります。初めから私には思考が存在しない、そう、まるで人形のようになったのです。

「言葉に気を付けろ。今の言葉は沙都様に対して失礼だ」

 オールさんの声で現実へと引き戻されます。彼からエヴリィさんへきつく咎めるような厳しい目つきが向けられています。

「オールは優しいねー、沙都様よりの考えをもっていてさ。オマエ、そんなにフェミニストだったっけ?」

 今のエヴリィさんの言葉には明らかに皮肉が込められていました。

―――この世界に私の居場所はありません。

 そう思った瞬間、私はその場所から逃げるようにして去って行きました…。

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 途方に暮れるように回廊を進んでおりました。執務室から去る前に耳にしたエヴリィさんの言葉、彼にとって私の存在はあのようなものだったのですね。所詮、異世界から来た人間は別物なのでしょう。陛下の事といい、エヴリィさんといい、すべてが絶望へと導かれているようにすら思えました。

―――私は…なんの為にこの世界に…。

 それは初めから分かっていた事です。王妃様の代わりに御子を出産する事、そして王妃様に呪いをかけた魔女の退治をする為です。それが、私がこの世界に召喚された理由です。他に何があったというのでしょう。

 あくまでも私は王妃様の代わりなのです。魔女退治と命を懸けての戦いまであります。今更ですが、こんな都合の良い扱いがあるものなのでしょうか。今の私は思考を巡らせれば巡らせる程、悪い方向にしか考えられません。一層、私から思考を奪って欲しいとすら願います。ここには私の居場所がないのです。

―――今すぐ元の世界に帰りたいです。

 初めてそう思いました。今まで一度だってそう思った事があったでしょうか。私は純粋に役目を果たしたいと思っておりました。御子の出産と魔女退治をしてこの世界を救う、よく言えば救世主という事になります。

 とんでもない内容ですが、この大役は私に与えられた使命だと思っていました。物語であれば、最後はハッピーエンドを迎えます。私も役目を果たせば、幸せになれると信じていました。

 願わくは、陛下と共に御子を育てていく事でしたが、それは思い描き過ぎていたのですね。現実はそう甘くはなかったのです。ハッピーエンドを迎えられない物語に、これ以上いてなんの意味があるのでしょうか。

―――もう役目なんていいです。帰りたいです。元の世界に帰らせて欲しいです。

 訳も分からず、自暴自棄に入った時でした。

「え?」

 突然グッと強く躯が後ろへと引かれました。勢いで身が翻り、突如映った人物に瞳が大きく揺るぎました。

「オールさん?」
「沙都様」

―――何故、彼がここに?

 ほんの数分前まで彼はエヴリィさんと一緒だった筈です。何故、今私の目の前にいるのでしょうか。

「…あの?」

 混乱が生じて上手く言葉が出てきません。

「先程、あの場所にいらっしゃったのではありませんか?」
「気付いて…?」

 あの場所というのは私がオールさんとエヴリィさんを覗いていた広間の事でしょう。あの時、オールさんは私に気付いていたのでしょうか?彼はなんとも悩まし気な表情で私を見つめていました。

「去られる時でしょうか。駆ける足音を耳にして気付きました」
「あ…」

 何がなんだか分からず、あの場から飛び出したものですから、足音を出して去っていた事に気付きませんでした。

「沙都様、会話を聞いていらっしゃいましたね?」
「…………………………」

 私はオールさんから視線を逸らします。気を塞ぐような空気が私達の周りに纏わり付いていました。

 ……………………………。

「沙都様…」
はたから見ていて滑稽だったでしょう」
「え?」

 私は視線を上げ、オールさんの瞳を捉えます。彼の表情は理解し難いと物語っていました。

「オールさんはご存じだったんですよね?陛下のお気持ちが今もダーダネラ王妃様ただお一人だけでいらっしゃる事を。そうとも知らず、陛下の傍で満足していた私はさぞ愚か者に見えていた事でしょう」

 これは完全な八つ当たりでした。こんな事を言ってオールさんを責めたところで、益々自分が惨めになるだけなのは分かっていました。ですが、胸の内から爆発した思いを止める事が出来なかったのです。

 今なら分かります。何故この間、オールさんが「陛下に同じ気持ちを求められる事はおめ下さいませ」と、伝えてきたのか。オールさんは陛下のお気持ちをご存じだったからこそ、オブラードに包んで私に伝えていたのです。それを勝手に私は彼の個人的な感情で物を申していると憤りを感じ、彼に気持ちをぶつけてしまいました。

―――私は何処まで惨めなのでしょう。

 気が付けば、頬に熱い雫が伝っておりました。溢れる悲しみが涙となって現れていたのです。この世界に来て初めての涙でした。

「え?」

 フッと視界がかげるのを感じ、目を見張った瞬間、心地良い温もりに包み込まれておりました。それがすぐにオールさんの肌だと分かりますと、ドクドクと鼓動が胸の奥へ刻むように高鳴ります。彼の胸元で戸惑う私ですが、鼓動を確かめるかのようにしっかりと抱き締められていたのです…。





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