Birth44「聖獣と魔獣」




 魔獣が現れた時に限って、オールさんとエヴリィさんと逸れている、私はなんと運が悪いのでしょうか。今すぐにでも逃げ出したいのですが、躯が鉛のように重く、思うように動きません。さらに恐怖心が深まり、躯はワナワナと打ち震え、汗が滲み出るようになります。

「貴女はお下がり下さい」

 一瞬、男性から垣間見られ、彼は私に言葉を投げました。

「ですが、貴方は?」
「私は目の前の魔獣と戦います」
「え?貴方は退魔士だったのですか?」
「…………………………」

 またしても彼は私の質問には答えません。見た目では彼が退魔士だとは言い難いのです。魔導士でも退魔士でもないとしたら、彼は一体…?

―――ドクンッ。

 心臓が大きく波打ちました。…まさか彼は「聖獣」?魔獣と対立するものと言えば、残るは聖獣しか考えられません。人間離れをした玲瓏さをもち、確か彼は「ホーリー様の所に戻る」とも言っていましたよね?

 人と関わりを持たない聖獣であれば、身分を頑なに話さない理由も納得がいきます。只わざわざ私をホーリー様の所まで案内をするという部分には違和感があります。もしかしたら、今回の事件を耳にされていて、敢えて私を連れて行こうとしていたのかもしれません。

 彼が聖獣であるならば、魔獣を任せる他ありません。私は言われた通り下がり、彼等と距離を置きます。その刹那、魔獣が甲高く咆哮ほうこうし、轟音の如く森中へと響きます。魔獣から剣の切っ先のような鋭い牙が露出され、私は大きな戦慄が走り、足が竦みます。

 魔獣からしてみれば、私が逃げようとして見えたのかもしれません。それに怒号し、恐ろしい唸り声を上げたのでしょう。より一層威嚇する魔獣から、私はあからさまに視線を逸らしました。

 そして魔獣と聖獣との闘いが始まります。魔獣が威圧する中、聖獣は冷静な姿のまま、スッと胸元に拳をかざします。そこからビリビリッと青白い閃光が放ちました。

―――?

 並ならぬ力が発現し、私の緊張が高まります。あれは一体…?光は一直線へ伸び、すぐにしなやかな曲線へと変わると、蛇のような形となりました。しなる鞭でしょうか。聖獣はそれを武器として使うのでしょうか。

 鞭を目にした魔獣は先程よりも殺気立て、聖獣の出を構えて待っているようでした。かなりの長さをもつ鞭は聖獣の手の中に丸く収まっていましたが、折をみていた聖獣は鞭を一気にと放ちます。ヒュッと空気を劈くような鋭い音が迸り、瞬く間に魔獣へと向かいます。

―――パァンッ!!

 なんとも言えぬ鈍い音が鳴り響いた時には魔獣の姿は消えており、代わりに鞭がつるの如く、木の幹に絡みついていました。驚いた事に鞭はビリビリッと閃光を放ち、幹を戦慄わななかせています。間もなくして、幹が焦げ炭化となったのです。どうやら幹は鞭に絡まれた時、高電圧を流したようです。

 一瞬の出来事であり、私は茫然して光景を見つめていました。あの鞭に当たれば電圧を流され、命はひとたまりもなく絶たれるでしょう。そんな強靭きょうじんな武器に喜ぶのも束の間、再び私達の前に、魔獣が姿を現しました。

 先程は目に見えぬ速さの鞭に対して、魔獣は少しの掠れもなく逃れました。思った以上の素早さをもつレベルの高い魔獣です。そして再び聖獣と魔獣は牽制し合い、戦闘態勢へ入りました。

―――ヒュッ!

 新たに鞭が脱兎の如く魔獣へと向かいます。

―――パァンッ!!

 瞬く間に鈍い音が木霊しましたが、またしても魔獣は鞭を軽やかに避けて、近くにあった幹まで跳躍し、聖獣を見下ろしていました。やはり魔獣の反射神経は異様に優れています。先程と同じく、鞭が当たった幹は黒い煙を上げ、炭化となっていました。

 そこからさらに間を置かず、聖獣は鞭の攻撃を始めました。それはもう言葉では表せられない光景です。聖獣の打つ鞭とそれから逃れる魔獣の目にも留まらぬ速さは、私の肉眼で追いつく事が出来ませんでした。それが360度の場面で繰り広げられているのです。

―――パァンッ!パァンッ!パァンッ!パァンッ!!

 鬱蒼とした茂る森に炎のような熱気が散りばめられ、辺りは炭化の臭いと煙で充満してきます。徐々に激しくなる戦闘の生々しい光景に、私の躯はずっと弦を張っているように強張っていました。

 聖獣の鞭は振り回して打つだけのように見えますが、あれだけの長さとしなりを持つものを駆使するのは相当な習熟が必要であった事でしょう。それを聖獣は自分の躯の一部のように自在に扱っているのです。そして鞭から逃れる魔獣の敏捷にも驚異を感じます。

 鞭が魔獣を追う、魔獣は鞭から逃れる、押す押されずの一線を超えない展開に終わりが見えません。これはどちらかの力が尽きるまで続くのでしょうか。

 ところが気が付けば、鞭に絡まれた幹が次々と倒れていくので、魔獣は高い所への逃げ場がなくなっているではありませんか。魔獣からの攻撃も見受けられましたが、それはすべて鞭によって阻まれ、叶いません。

「逃げ場が無くなってきたようだな。どうする?このまま逃げ去るのか、それとも鞭に焦がされるのか、好きな方を選ぶが良い」

 魔獣の行動範囲が狭まり、余裕が出てきた聖獣は鞭の動きを止めて問いかけます。それに対し、魔獣は低い唸りを上げ、聖獣をジッと凝視していました。威圧している、というよりは思慮深く何かを見据えているようでした。

 …………………………。

 暫しの後、魔獣は意を決したのか、こちらへと疾走してきました。ヒュッ!と、俊敏に聖獣の鞭が魔獣へと向かい宙を舞いますが、魔獣は高く飛躍し、なんと大きな口から炎を放散したのです。

「ぐあっ!!」

 意表を突かれた聖獣は苦痛の声を上げ、左腕で顔を覆います。私は何が起きたのかと魔獣から気が逸れていた時でした。魔獣が私へと飛び掛かって来ていたのです。

「きゃっ」

 反射的に私はその場にしゃがみ込み、攻撃を避けられましたが、次の瞬間には躯が仰向けとなって、魔獣に覆われていました。私を見下ろす魔獣を間近にして、心臓の音が狂気し、恐怖のあまり言葉を失っていました。

 意識が遠のきそうでしたが、気を失っている場合ではありません。いえ、失ってくれていた方が良かったのかもしれません。魔獣は悪魔とも思える漆黒の躯は獰猛とした骨格であり、どこを目にしても鋭利で恐ろしい形をしています。

 血の気が引き、蒼白となっている私は死の恐怖を目の前にしていました。気がおかしくなりそうな程の打ち震えが酷く、魔獣から目を背けますが、反対に魔銃からは突き刺すような視線を向けられていました。

 躯の融通が利かないとはいえ、本能的に助かりたいと思う私は最後の力を振り絞り、懐にある杖を取り出しました。ですが目にした杖は落ち着いており、最後に目にした時のような輝きはありません。

―――こんな時ですら…。

 天神の力を発現されないのですね。私は神に見捨てられたも同然です。杖は私をあるじとして認められないのかもしれません。そう何処か諦めてしまっている自分がいたのです。





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