Birth35「甘い風に抱かれて」




 仰向けに倒れると思った私はお腹の子への懸念が走ります。次の瞬間、グイッと左手首に圧力を感じたと思いきや、倒れる向きとは逆へ引っ張られ、気が付いた時にはボスンッ!と、顔から躯全体が何か硬い物へと当たっておりました。

「?」

―――な、何が起こったのでしょう?

 私は状況が把握出来ず、そのままの体勢でキョトンとしておりますと、

「大丈夫でしょうか?」

―――え?

 頭上から耳の奥をくすぐるような低く甘い声がかかりました。…この声はオールさん?そう認識した私はすぐに顔を上げます。

「!?」

―――バクンッ!

 心臓が跳ね上がりました。

―――ち、近い、近すぎます!

 身長差がありますが、オールさんの綺麗なお顔が間近にあるではありませんか!彼の金色こんじきの双眸にしっかりと私の姿は映し出されています。という事は今、私はオールさんの懐の中にいる訳ですね!

―――ドクンドクンドクンッ。

 自分の腰にしっかりと固定されているオールさんの腕を感じ取りますと、異様に脈が切迫し始め、顔が熱で沸騰しそうになります。今、耳の奥が脈打っており、そしてやばくないですか、私の心臓は?どうしてここまで鼓動が速まっているのか、自分でも分かりません。

 オールさんとこれだけ密着していますから、彼にもこの状態の心臓が丸分かりだと思います。美形は特別ですか?いえいえ、自分の世界にいた頃、美形と絡みましても、ここまで過剰に反応はしていませんでしたよ。私はこんな状態ですが、オールさんは澄ました顔をされていて、私一人だけが、あわあわと動揺しています。

 何故、このような体勢に…あ~私が倒れそうになったのをオールさんが助けて下さったのですね。物凄い反射神経ですよ。一瞬の出来事でしたのに、受け止めて下さるとは。そうです、お礼ですよ、お礼を言わなければいけませんね。

「有難うございます」

 きちんと目を見てお伝えしたいのですが、この距離ではたった3秒でも見つめ合ってしまえば、気絶してしまいそうでしたので、微妙に視線を外してお伝えしました。

「貴女に何かあっては大変ですので」

 オールさんは助けて当然だという言い方をされました。そうですよね、私のお腹の中には次期国王となられる陛下の御子がいらっしゃいますからね。何かあっては大変です。と、理解しておりますが、私は変にこそばゆく感じておりました。

 それに今、自分の顔が火照って真っ赤になっているのを見られているかと思いますと、穴があったら入りたいですよ。そんな私を見ていても、オールさんは腕を離して下さらないです…か…ね?

「こちらの女性かたのお躯は丈夫だと聞いておりましたが」

 そして私は恥ずかしさのあまり、可愛げのない応え方をしてしまいました。

「打ち所が悪ければ、胎児にも影響はございます。プロテクトは100%安全とは言えません。ましてや貴女は陛下の子を身籠っているのです。もう少し重んじたお考えをお持ち下さいませ」

 叱られました。当然ですよね。いくら妊婦の軍師さんが通常と変わらない生活を送れているとはいえ、私は一般人ですし、同じ丈夫さをもっているとは限りませんよね。恥ずかしさを隠す為の突発的な発言でしたが、軽率すぎました。

「少し言い過ぎました」

 私の曇った表情を察したオールさんが、詫びの言葉を入れられました。

「貴女からしてみれば、こちらの都合で重荷を背負っていると、お思いになりますね。申し訳ございません、私共の配慮が不足しておりました」

―――ドクンッ。

 オールさんからの思わぬ言葉に、私は目を大きく見開いて驚きました。私が重荷を背負っていると、そう彼が思っている事に驚いたのです。ましてやそれを詫びるなど、私の胸の奥に何か温かいモノが浸透していきました。

―――ドクンドクンドクンドクンッ。

 本当に私はどうしたのでしょう。心臓の音が鳴り止むどころか暴走しています。おまけに、オ、オールさん?あの、お、お顔が近いのですが?

「ぎゃあ―――!!!!沙都様、何をなさっているのですか!?」

 突然の雄叫びに、私の躯はビクンッと飛び上がります。その刹那、急に熱が冷めて蒼白となっていくのが分かりました。私は背後へと顔を向けます。

「沙都様、何故オールさんとお顔を近づけて、抱き合っていらっしゃるのですか!?」

―――こ、怖すぎます!

 凄い剣幕をしたナンさんの姿があるではありませんか!例えようのないぐらいに怒っているのが分かります。確かにナンさんからしたら、これは憤慨ものですよね。

「よせ、ナン。そもそもオマエの腕が沙都様に当たって、お倒れになるところをオール様が助けられたのだ。オマエにとやかく言う資格はない」
 エニーさん、ナイスです!絶妙なタイミングでフォローを下さり、助かります!(最後のお言葉はなんですが…)と、喜ぶのは束の間でした。

「沙都様に当たった事は悪いとは思うけど、元はアンタが無理に私の躯を引っ張ろうとするからでしょ!」
「違う。オマエが無駄にオール様に近づいていたからだ」
「違うわよ!」
「違わない」

 あ~、頭を抱えそうになります。またもやエニーさんとナンさんの喧嘩ラウンドが始まってしまいました。私もですが、オールさんも、お二人が言い合いになるほど、大袈裟には捉えていないのですよ?

「あの一先ず、私は無事でしたので…」

 私は間に入って、お二人の止めにかかろうとしました。

「エニー、もう休憩時間が終わる。仕事場に戻るぞ」

―――え?

 いつの間にか、私から躯を離したオールさんはエニーさんの前まで出て伝えます。オールさんは怒っているというよりは呆れているご様子です。エニーさんへ促したように思えて、口論を止めようとしたのでしょう。

「申し訳ございません、オール様」

 声をかけられたエニーさんはすぐにナンさんとの口論をめられ、反省の色を見せてオールさんに謝られました。

―――あれ?今…。

 常にキリッとされているエニーさんが、ほんの一瞬、女性らしい表情へ変わられたように見えました。素の顔ともいうべきでしょうか。あのようなお顔をされるという事は、

―――もしかして、エニーさん…?

 私は胸の内である事に気付き、エニーさんをマジマジと見つめてしまいます。彼女はその場でなにやらオールさんと話をしていました。その様子を見つめるナンさんは、

「やっぱりオールさんは私にはお声をかけて下さらないのですね。まるで眼中にありませんでしたもの」

 シュンとして肩を落とされました。

「ナンさん…」

 私はなんと声をかけたらいいのか迷います。オールさんも悪気があって、ナンさんにお声をかけなかった訳ではないとは思うのですが。

「行くぞ」
「はい」

 そしてオールさんとエニーさんは私達に背を向けて去ろうとしました。

「それでは失礼致します、沙都様」
「はい」

 去る前、エニーさんは挨拶をされ、頭を軽く垂らしました。そのまま彼女はオールさんと共に、その場から歩き出します。二人の背中を見つめるナンさんの姿がとても切なさそうです。そんな時でした。

「?」

 視線を感じたので、その方向へ目を向けると、なんとオールさんが立ち止まって、こちらへと振り返っていました。

「沙都様を頼む」

―――え?

 今のオールさんの言葉って…?私に……ではなく、ナンさんに向かって言われましたよね?そう一言だけ伝えたオールさんはすぐに背を向けて、その場から去って行きます。その姿を呆気に捉われながら、見つめるナンさんでしたが、

「え?…えっ?は、はいぃぃぃ!!!!」

 時間差でオールさんへ元気よく返事をされました。その表情は歓喜に満ち溢れ、光りに輝いています。本当に良かったですね、ナンさん。

 それにしてもオールさん、二重にオイシイどころ取りをされましたね。私の気遣うお姿とナンさんの心を掴んだのは好感度が上がりました。彼がモテるのはただ単に美しさだけではなさそうですね。





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